53 その身を包む熱
「――― っ!? ~~~~~~~っ!!!!」
声にならない悲鳴が、絶叫が迸った。
それが自分の声だと認識した時には、体の内側から炎で焙られるかのような痛みが全身を駆け巡る。
「あっ、が・・・・ぐぅ・・・!」
涙が滲むのはわかったが、それ以上に歯を食いしばって耐えることに意識を向けた。
というよりも、それ以外に意識を向けた瞬間に気を失うであろうことを本能的に理解していたからだ。
脳裏で火花が散っているかのような感覚の中で、薄く呼吸しながら暴れだしそうになる肉体を何とか押し留めてプルプルと震える。
そのせいで起こる衣擦れがより痛みを強くしているが、すでに許容量を超えているせいか変化は感じない。
「ふぐぅ・・・ぁ・・・づぅ・・・」
「ノア様」
意味もない音を漏らしてのたうち回る彼女に、優しく、慎重に、力加減をわずかでも間違えれば壊れてしまうかと思うほどの繊細さでそっと指が触れる。
こんなやり取りは、ノアの記憶にあるだけですでに7回目。
その間に幾度も痛みで覚醒と気絶を繰り返しているのを認識している。
時間感覚こそ曖昧ではあるものの、すでにかなりの時間、付きっ切りで看病してくれているようだ。
「・・・イリ、ス・・・」
「!」
「お腹・・・減った・・・」
未だ続く痛みに耐えながらも弱々しく笑みを浮かべると、彼女の顔がくしゃりと歪む。
ぽつぽつと涙が零れ、何度も小さな頷きを返し言葉もなく離れていく。
言いたいことはあっただろうに、言葉にはならなかったらしい。
「・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」
熱い。
無理やりにでも整えようと吐き出す呼吸が、まるで燃え盛っているかのよう。
それでも意識を保てる程度には回復してきたのだと考えれば、マシになったというべきだろう。
「マスター。大丈夫ですか?」
荒い吐息を漏らし、痛覚に翻弄されながら視線を巡らせる。
不安そうな表情を浮かべ、傍らに膝を着いて覗き込んでくるアルナへ困ったように笑いかけた。
深呼吸気味の深い呼気を漏らして全身へ意識を向ければ、ヒリつく痛みが走るのだが耐えられない程ではない。
「・・・とりあえず、死にそうなほど痛かったのが、死なないくらいの痛みにはなった・・・かな?」
「申し訳ありません」
「アルナが謝ることじゃないよ。むしろ、ちゃんと拾ってくれて助かった」
あの大きく削られた場所に飛び出した時、フィルが居たことには気が付いたが彼女だけで成人女性二人を回収できたとは思っていない。
アルナも手伝ってくれたのだろうと確信を持って笑みを浮かべれば、目の前の彼女は困ったように眉根を寄せた。
「・・・ですが、これほど怪我を―――」
「対処しきれなかった自分が悪い。エルアドラスに遭遇すること自体をほとんど考えてなかったし・・・アルナが気に病むことじゃないよ」
アルナに限らず、パートナーNPCの三人は何度でも口にして伝えないとわかってくれない。
大切に想ってくれていると考えれば嬉しいけれど、全員が自己責任というのが旅の大原則。
大きな傷を負わなければ乗り切れないような状況になってしまった事がノア自身のミス。
生還するために十分すぎるほどに手を貸してくれて、全員が命を繋いだのだから問題は無いだろう。
・・・何度も挑戦したくはないけれど。
「反省するべきことは多いけど、後悔するほど酷い結果にはなってない。でしょ?」
「・・・はい」
表情こそ納得してはいないものの、アルナは小さく頷いた。
極度の疲労と重傷一名―――再起が可能な状態は決して最悪の結果ではない。
「―――よかったぁ。目を覚ましたのねぇ」
押し黙ってしまったアルナへ声を掛けようと口を開いたのとほぼ同時に天幕の入り口が開き、変た―――スリングショット水着の女性が中へと入って来た。
この段階になって、ノアはようやく自分が外と区切られたテントの中で眠っていたという事実に気が付いく。
「アコルさん。ご心配をおかけしています」
「謝ることじゃないわよ・・・まぁ、ちょっと大変だったから愚痴くらいは聞いて欲しいけれど」
「お聞きします。そちらで何があったのかも気になりますから」
分断された後のこともだが、現状把握もまるで出来ていない。
まともに意識を取り戻したのが今さっきだから、というのはあるが、先に聞いておくべきだった。
「体は大丈夫かしら?」
「まともに動けませんけど、とりあえずは」
呼吸するだけでも痛みが走るが、強靭すぎる肉体は『大丈夫』と告げている。
もしかすれば意識を取り戻したことで自然回復系の技能でも発動したのか、症状は落ち着いていると言っていい。
少なくとも耐えきれないほどに悪化するということは無いだろう。
「・・・先に聞きますけど、ここは?」
「あぁ・・・大丈夫よぉ。ここはもう順路迷宮の外だから」
「外には、出られましたか」
ほっと息を漏らす。
迷宮の内と外では圧倒的に後者の方が圧倒的に安全だと、ここまでの旅道ですでに身に染みて理解していた。
魔物避けの結界なども使えるし、場所によっては新鮮な食糧や天然の材料、自然の道具を入手することも可能だからだ。
胸を撫で下ろすノアの傍らに柔らかく微笑みながらアコルは腰を下ろして大まかに分断されてからの事を語ってくれた。
曰く、四人だけとなった後は割とすぐ―――およそ半日ほどの時間―――で出口に辿り着けたこと。
その道程はアルナが先導し、目を覚ましたフィルが色々と活躍していたが常に怖いくらいの暗い雰囲気だったこと。
出口近くに拠点を張り数時間ごとに何度も迷宮へ踏み入り、二人を探していたこと。
あの異変によって敵の数が激減した上にいくつもの通路が分断、通行不能になったことで広い範囲を探索するのが困難だったこと。
大穴へと続く通路の一つが、出口にとても近かったということ。
およそ三日もの間、呻き声と痛みに喘ぐ人物が居るせいでお通夜状態な雰囲気であること―――
「――― それは、申し訳ない」
「これに懲りたら、無茶はしないことね?」
「・・・善処します」
必要だと感じれば躊躇わないつもりではあるが、極力安全に行きたいところだ。
しかし、あのカウンターで倒せていなければ自分の首が落とされていても不思議ではないタイミングだったと考えると―――。
自然と悪い方向へ行きがちな思考をノアは小さく頭を振って打ち切る。
「・・・本当に、もう・・・」
仕方が無いな、と言うように吐息を零すアコルに視線を向ければ、うっすらと瞳には涙が湛えられていた。
幾分か痩せこけたような表情に、目元の隈を見れば満足に眠れてもいないのだろう。
ノアが想像していた以上に、随分と心配をかけてしまったようだ。
(それでも、自分で考えられる限り最善の行動を取ったと思っている。同じ状況なら、もう一度同じことをすると確信するくらいに)
そして、自分の考える最善であっても怪我をするということは『力』が足りていないという証拠でもある。
ゲーム的にも戦力十分とは言えない場所だったことを差し引いても、想定外に対処しきれないのでは今後が危うい。
確実にゲームとしてのSSOではあり得なかったことが起こっているのだから当然ではあるのだが。
「反省することが多すぎるな」
「・・・そう、かもしれないわねぇ・・・」
誰に向けたわけでもない―――強いて言うなら自分自身への―――言葉に、アコルは困ったように頷いた。
「私がもっとしっかりやれていれば、もっと楽な道筋だったはずだものねぇ」
「そんな事は無いと思いますけど・・・苦労の原因は迷宮を甘く見て満足に休息が取れなかったのと、想定外の天変地異のせいが大きい。あえて言うなら全員の責任ですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど、ね」
何処か影を感じさせる表情を浮かべ、彼女はまだ休んでいるようにと言付けてテントから出ていった。
アコルにも反省するべき点が色々とあったのだろうが、ノアが指摘するような点は特にない。
そもそもメンバー6人中4人が元からのパーティーで、アコルとカザジマは外部の人間だ。
疎外感を覚えることや深く関わらないようにしている部分も少なからずあるだろう。
結果としてチームの結束や助け合いに多少の不備は生まれているかもしれないが、それこそ最初から分かっていたことだった。
「戦力としては十分だったし、たぶん指揮とか連携に関してだとは思うけど・・・今以上を求めるのは時間を掛けるしかないだろうな・・・」
そんな風に考えていたら、何故かアルナは小さく頭を振った。
「あの人が言っていたのは心構えの話です。私たちは・・・命懸けの旅というものを舐めていた、と」
「・・・」
それは、ノア自身にも言える事だ。
ゲームではあっても幾度も通過した道のり。
古代遺跡という順路迷宮を乗り越えた先で強化された装備も持っているのだし、戦力は十分である、と。
問題として考えていたことは食料やダンジョン生活といった事が優先で―――。
(それに、未だどこかで・・・ゲームのように考えている部分がある)
今回で言えば、エルアドラスというボスには遭遇しないであろうという思い込み。
ダンジョンが壊れる事ということなど想像すらしていなかった。
ゲームというのは難易度の差はあっても―――クリアチェックをしていないなどの特殊な場合を除き―――確実に攻略方法が存在する。
初見殺しはともかくとして、どうしようもない、という事態は滅多に起こらないと考えてしまう。
「舐めている、か」
呟いて、ふと思い出す。
自分たち以上に、ずいぶんと舐め腐った馬鹿な冒険者が居たことを。
「そういえば、あの時の冒険者3人組は出て来たの?」
「いえ・・・見落とした可能性が無いとは言えませんが・・・」
「そう」
あの時の爆発に巻き込まれて命を落としていたとしたら―――まぁ、自業自得だろう。
他の二人もどうなったのかは知らないが、シトラスの技量なら生き残っている可能性は低くないだろう。
防御主体の盾持ちなら、この世界では圧倒的な防御力を発揮するだろうから。
もし死んでいたとしても連れがやらかした事が原因なのだから、運が悪かったということで。
「・・・フィルは?」
「眠っています。ここのところは眠りが浅い様で―――」
「それはアルナもでしょ。顔色を見ればわかる」
やや血色が悪く、アコルと比較すればうっすらと隈がある。
心配と不安で良く眠れず、イリスは治療に付きっ切りだったのだろうと考えればアルナとフィルで交代しながらとはいえ見張りもしていることを考えれば、満足に休息が取れている筈もない。
思わず伸ばした手を、彼女はぎゅっと両手で包み込むように握りしめた。
「・・・本当に・・・本当に、良かった・・・っ!」
ぽろぽろと零れ落ちる涙に困ったように微笑む。
想ってくれるのは嬉しい。けれど、だからこそ掛ける言葉が見つからない。
結局、アルナが落ち着くまで黙っている事しかできなかった。
どれほどの時間、手を握られたまま泣く彼女の顔を見詰めていただろうか。
「―――お姉ちゃんっ!」
唐突にテントの入り口が開き、ハッとする間もなく少女の身体が宙を舞った。
ごちん・・・っ!
飛び込んできたフィルの頭が、中空に浮かぶ半透明の壁にぶつかって大きな音を立る。
一瞬の停滞を挟んで飛び掛かる格好のまま崩れ落ちる彼女の姿を何とも言えない気持ちで眺めてノアの口元には小さく笑みが零れた。
「アルナ。流石にちょっと可哀そうだよ」
「臥せっている相手に飛びつくなどあってはならないことです」
冷ややかな言葉で切り捨てるように言うと幻影の壁は空気の中へ溶けるようにして消えていく。
「・・・お゛ね゛え゛、ち゛ゃぁ~ん・・・」
床に突っ伏したまま髪を乱れさせて這うように手を伸ばす様は結構なホラーだった。
なまじ綺麗な顔立ちだと怖いというのは本当らしいと内心で納得しつつ、アルナに握られたままの手とは逆の手を差し出す。
「そんなに慌てなくても逃げないから。おいで、フィル」
次の瞬間にはそそくさと立ち上がり手早く身嗜みを整えたと思うと、彼女は縋りつくようにしっかりと手を握りしめる。
胸の前で祈るように両手で包まれ、左右の腕を拘束された状態になって身動きが取れなくなってしまう。
(・・・色々と失敗はあるけど、とりあえず全員生きて先に進めたと、ひとまずは満足しておこう・・・)
全身の痛みを感じながらも微笑みながら、ノアは量の手の温かさから感じる胸を満たす甘やかな感情に今は身を委ねることにしたのだった。
ヤット ダンジョン デラレタ
ちょっと忙しいので更新が少し止まります。
楽しみにしてくださっている方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
次話から二章二節、新しい街に入っていくことになりますので、お待ちいただければ幸いです。
(いちおう。きっと、たぶん、おそらく二章は三節構成予定)