48 招き現れるモノ
適度なタイミングで逃げ出さなかったのは、女騎士の剣技がそれだけ見応えがあるものだったということ。
そして、立ち位置的にシトラスたちの横を移動しないと通路へ入ることが出来ないからだ。
可能な限り距離を離しても女騎士の視界の端を通ることになるので下手に移動することができない。
彼女の集中力を欠いても、注意を惹いてしまっても面倒だからだ。
当然だが、シトラスの背後にある壁の穴を抜けるのはさらに無理がある。
結果的に、即座に逃げ出さなかった事を後悔することになると何とはなく察していた。
だからといって、すぐに動けるかというとそれも出来ずに立ち往生しているしかないのだが。
「っう~! あっ! さっきはよくもやってくれたわねっ!」
だからこそ、紫色のドレスの女に見つかるのは必然だった。
躊躇せずに首を落としておけば良かったか、と思いながら―――心の奥底では殺人に対する忌避感が完全には拭い切れていないので直接、手を下す行為を実行に移すのは難しいが―――嘆息を吐きつつノアは女へと視線を向ける。
ノアたちとマヨラムの間にはシトラスと三人組が戦闘しているけれど。
(近接攻撃に対応できない術師タイプなんて怖くもないし、どうでもいいか)
SSOはRPG要素があるとはいえ戦闘的にはアクション寄りのゲームだった。
結論から言えば足を止めて大魔術をぶっ放すというのはロマン溢れる非実用的な術師の育成なので対峙すれば与しやすい。
フィルはそのロマンを求めた姿をベースに最低限の実用性を持たせるように育てたが、マヨラムの場合は確実にそれ以下だ。
接近されることに弱い術師が距離を詰めてくる相手と戦うためには色々と工夫が必要だが、SSOにおいては足を止めないというのが必須であり、それ以外にも様々な対策を講じなければならない。
具体的には術を使用しながらも回避能力を維持することや相手の足を止める補助術理などの習得、高速・無詠唱技能効果による同時術理動作を利用した弾幕といったモノが挙げられる。
紫ドレスのマヨラムの場合はステップによる回避も難しそうであるというのもあって、ノアの評価としてはかなり格下に見ていた。
もちろん、切り札くらいは警戒しているが。
「ふん! 余裕ぶっていられるのもそこまでよ! 勇者もろとも、まとめて倒してやるわ!」
「ちょ、ちょっと! マヨラム! 貴女は余計なことを―――」
「恐れ慄きなさい、愚民ども! 出でよ、下僕たち!」
マヨラムの周囲で紫色の光を放つ『魔方陣』が輝く。
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・僅かな時間で合計八つにまで数を増やす。
シトラスと三人組が慌てて距離を取るのを視界の端に捉えながら、ノアは驚愕に目を見開いた。
「まさか、召喚士・・・!?」
「さもなー、ですか?」
ノアの呟きにイリスが小首を傾げる。
それも無理のない事かもしれない。
ゲームであったSSOには魔法―――術理は存在していたが、仲間となるNPCを使役するタイプの能力はほぼ存在しなかった。
他のゲームとしては一般的である召喚士というのもSSOには実装されていなかった要素のひとつ。
そもそもの話、味方となるNPCのAIに難点があったので所謂使役系などと呼ばれる類が実装されても困るというのがプレイヤー的な感想だった。
配下を召喚して戦う召喚士や死霊術師はもちろんだが、竜やグリフォンに騎乗して戦うタイプなども戦闘中に騎獣の扱いをどうするのか決まっていなかったのか存在していない。
移動手段としては馬やらが、ペットとしての手懐けなどは実装されていたが、戦闘中に役立つようなものは実装されていなかった。
味方への攻撃判定の判定を消して攻撃だけ行う存在、というような物すらも出てこなかったのだから開発方針の問題だろう。
そういった裏事情は想像することしかできないが、少なくとも記憶にある冒険者の能力ところか、記憶している限りでは敵方ですら持っていなかった能力というのは確実だった。
ゲーム内に存在していなかった技術に対して、イリスが疑問を思い浮かべるのは仕方のない事だろう。
「マヨラム! 貴女は手を出さないで―――」
「ふん! ワタクシがアナタの命令を聞く義務はありませんわ!」
焦ったようなシトラスの言葉を無視して召喚が進む。
しかし、味方であるはずのシトラスが焦燥を露わにしているという点で嫌な予感を覚えた。
けれども、シトラスと三人組の間を抜けて阻止するべく攻撃を仕掛ける、というのはノアとしては選び辛い。
そのくらいに両者―――特に三人組の方を信用していなかった。
FPSの初心者にありがちな、視界の中で動いたから思わず、で撃たれる可能性を軽視できなかった、というべきか。
それで痛痒を受けるつもりはないが、中途半端に飛び込んで召喚に巻き込まれると何が起こるかわからない。
「・・・イリス。最大限の警戒を」
「かしこまりました」
小声で警告するとイリスは頷きを返し、さらに数歩分距離を取る。
ノアも抜刀の構えを取る頃には、紫の輝きは強さを増し、魔方陣からは影が立ち上がった。
それは瞬きの間に色づき、質量を持ち、がしゃりと音を立てて地面へと降り立つ。
思わず眉を顰めてしまったのは、見たことがある姿だという事とシトラスがあからさまに距離を取った事が原因だ。
そんな敵の姿はシルエットだけなら美女と言っていいようなものだ。
たわわに実った胸、折れそうなほど引き締まった腰、量感のある臀部と、どちらかと言えば海外系のグラビアのような身体つき。
その肢体は銀一色で構築されており、見ようによっては特殊な全身スーツを着ているようにも感じる。
ゆらゆらと僅かに身体を揺らすことで各所もふるふると存在感を示すので、表面はともかく中身は柔らかいのかもしれない。
しかし、それ以上に目を引くのはミイラかと思うくらいに目も口も隠してしまうほど顔に巻きつけられた黒い革ベルト。
そして、波打つように蠢く灰色の髪――― 一本一本が指くらいの太さの、硬質な雰囲気を持つ触手というか蚯蚓のような頭部に住み着いた何か、だろう。
正確には住んでいるのではなく、その存在の一部ではあるのだが、それぞれが意志を持ったようにウネっていると寄生されているようにも見えてしまう。
「ステンノ・・・?」
その敵は古代遺跡という迷宮の代名詞ともいえる存在だ。
地下階層でのみ出現するこの敵性存在は名称的にはゴーゴン三姉妹の長女から取っているが名前だけの話。
蛇―――を模したはずなのに蚯蚓のような髪をしたこの女性型機械敵は、石化、麻痺や魅了の状態異常攻撃を多用してくる。
その特性上、対策していることは前提条件としての話ではあるが、単体では大きな脅威ではない。
しかし、複数体、ないし別の敵と共に出てくると状態異常による行動阻害からの周囲からの一斉攻撃で即死するというような事態を引き起こす。
この迷宮の難易度を引き上げることに一役買っている面倒な相手で、対策必須のため最も警戒していた敵だといってもいい。
けれど、それは攻撃力の高い他の敵と同時に出現したり、対策が十分でないカザジマが居ることが前提での話だ。
「ステンノが8体って・・・本気?」
「あら? 怖気づいたのなら、命乞いをしてもいいのよ?」
高笑いとか三段笑いが似合いそうな調子で問いかけてくるが、ノアとしては拍子抜けとしか言いようがなかった。
先の街まで到達してから万全の対策をしていれば状態異常だけで致命的な損害を受ける事はまずない。
また、どちらかと言えばサポート寄りのステンノは攻撃能力が低いため、回復技能の高い味方が居ればむしろ倒しやすい相手だ。
その代わりとでもいうかのように後衛向きの敵のくせに、防御性能が高く機械の体だからか物理・術のどちらに対しても耐性があり体力も多いので機械特攻の武装が無いと処理に時間が掛かるが。
どちらにせよ、ステンノだけなら今の倍の数でも独りで対処可能な上にイリスも居るので脅威には感じない程度の相手だった。
「くっ! 魔物を呼ぶなんて・・・!」
しかし、勇者くんたちの感想は違うらしい。
三人とも険しい表情で緊張に息を呑み、慎重に距離を測りつつ身構えている。
「気を付けなさいよ」
「見たことの無い魔物です。慎重に戦いましょう」
金髪少女と猫耳少女がそれぞれに口にするのを聞いて眉を顰める。
あの3人は間違いなく冒険者だ。
アルナやイリスのようなパートナーNPCではなく、ましてや冒険者と設定されたNPCでもない。
その辺りの確認は意識を失っていた間にイリスが行ったので正確性には疑問が残る部分もある。
けれど、少し前から感じ取れるようになった『気配』がノア自身と同類だと告げているのでイリスの聞き取りと併せれば割と確度は高いと踏んでいた。
あるいは『勇者』というNPCの可能性は考えたが、その場合冒険者と同じ戦技特型の制限を受けている理由がないだろう。
専用の特別な戦技特型や特殊な装備を身に着けていたのならそちらに考えが寄ったかもしれない。
何よりも勇者っぽくない、というのが結論を出す要因として大きかった。
(けど、冒険者なのに色々な意味で有名になったステンノを知らないっていうのは・・・?)
ステンノはその見た目、能力、危険度などから大きな話題になった敵だ。
それこそ記憶の中の最新アップデートまでの範囲では最上級の壁とも言っていいレベル。
ついでに言えば、首から下が美女で能力的に麻痺や魅了をバラ撒くことから、肌色のイラストが大量に描かれたりというのもあった。
少年やら美少女やらがゲーム内でもイラストの中でもステンノの餌食になったのはプレイヤー間では有名な話。
逆に言えば、それを知らない時点で余程の初心者か、オンラインゲームなのにネットの情報を遮断していたかという事になりかねないという事だ。
「けど、負けるわけにはいかない! いくぞ・・・っ!」
勇者くんが先陣を切って前に出る。
その動きを感じてかステンノたちが迎撃のために動き出す。
しかし、ノアとしてはそちらではなく、シトラスが距離を取って加勢の様子を見せないことの方が気になった。
「援護するわよ!」
振りかぶった少年の一撃は銀の繊手が受け止め、金髪少女の放った光の銃弾は体の表面を滑って弾け火花となって宙に消える。
さらには空を裂いて飛んだ矢がウネる髪に弾き飛ばされて傷ひとつ付けることができなかった。
見た目には柔軟性すらある比較的防御力の低そうな相手ではあるが、ステンノの防御能力は勇者くん一行では簡単には抜けないらしい。
「くっ! 《我が手に来たれ赤き力よ! フォースフレイム!》」
「《集いて貫け青き力よ! アクアピアス!》」
詠唱の言葉が終わると共に真紅のレーザーと青い水の杭が勇者くんと金髪少女の掲げた掌から撃ち放たれる。
けれど、炎も流水も銀の肢体に当たりはしたが、まるで抵抗も感じず受け流す様に表面を撫でていき傷など欠片も負わせられない。
確かに術理に対する耐性を持つ相手なのけれど、流石に無傷というのは力不足が過ぎるように思った。
「さあ! 叩きのめしてしまいなさい!」
援護で放たれた無数の矢も、斬りかかった刃も、撃ち出される弾丸もモノともせずにいるステンノたちへマヨラムが指示を飛ばす。
その言葉に促されるように波打つ髪の先端に淡い紫―――いや、桃色の輝きが灯り明滅し始めた。
「何か来るわ!」
「なら、その前に倒してやる・・・っ!」
勇ましい事を言って飛び出した少年に呆れを含んだ視線を向ける。
ダメージを通す手段が無いのにどうする気なのだろうか、と思ってしまう。
「うぉぉおっ! 《ブレイズスラッシュ》!」
白銀の剣に火炎が纏わりつく。
赤々と燃える刃を大上段に構え、踏み込みから真っ直ぐに剣を振り下ろす。
そんな見え見えの大振りでいいのだろうか、とも思ったが、それ以上に気になるところがあった。
(ブレイズスラッシュなんて術技、あったっけ・・・?)
武器攻撃に何らかの術特性を付与する術理は知っているし、ノア自身も扱うことが出来る。
付与系統はラテン語のモノが多く、炎を刃に纏わせる『イグニス』は色々なモノ―――敵や一部のオブジェクトを燃やせる便利な能力だ。
そんな具合に武器に属性を持たせる技能はあるが、SSOにおいては逆に武器による技として属性攻撃を放つ術技は驚くほどに少ない。
これは自在に属性攻撃を可能とするのが術理の利点であり、その部分に術技が干渉しないように設定されていたのが原因だ。
もちろん、多少の例外は存在していたのだが、その数少ない例外が記憶から抜けている気もせず、少年の扱った技に覚えが無いのは疑問だった。
そんな風に困惑しながら眺めていると、少年によって力を込めて振り下ろされた剣は髪が触手の如く延びて手首を拘束する形で止められる。
悪態の言葉は漏れたようだが、意味のある言葉としては聞こえて来ずに、何とか束縛を振り解こうと身を揺らす。
蹴りでも放った方が良さそうだとも思うが、指摘する気にもなれず視界の端で捉えるに留める。
彼を解き放とうと金髪少女が光線を放つのだが、敵は8体。少年を捕えている他に7体も居るせいで、別の個体が前に出てくれば、その肢体を盾に弾かれてしまう。
猫耳少女も同様に矢を仕掛けるが焦ったせいなのか、側面から近づく個体に気づかずに2体に左右から挟まれるように腕や足を絡ませる形で捕縛された。
シルエットだけなら美女二人にいい様にされる無垢な少女、といった感じだ。
「きゃっ!? はなっ、放して! 止めてぇっ!」
「クラリーゼ! っ!?」
悲鳴に気を取られたが金髪少女は迫ってくるステンノたちの魔手から転がるって逃れる。
それを尻目に、こんな攻撃行動あったっけ?と迫ってきた一体の首を抜刀術で斬り飛ばしながらノアは内心で小首を傾げた。