47 幸運に護られて
「では、ノアさん。この場は引いてはいただけませんか?」
黒い鎧の女騎士、シトラスの提案は願ってもない事だった。
もちろん、それを即座に鵜呑みにしていいのかというと疑問が残る。
しかし、判断材料を持っていないことも確かだ。
「シトラス・・・っ!」
迷ったのはほんの一瞬だったが、決断を口にするよりも早く少年が彼女へと斬りかかった。
対する女騎士は焦ることもなく腰元から引き抜いた自身の剣で刃を迎え撃つ。
少年の白銀の刃と、シトラスの血の様に赤い刀身がぶつかり合って小さく火花が散る。
「あなたに用は無いんですよ、勇者エリク」
「ぐっ!?」
鍔迫り合い程度ではシトラスの体勢は揺るぎもせず、最中に繰り出された蹴撃が腹に突き刺さって少年を吹き飛ばした。
地面を転がり、咳き込みながらも何とか耐えた彼の左腕に身に着けた黄金の腕輪が淡く緑色の輝きを放ち、全身を包み込んでいく。
「ああ、そうか」
(そういえばSSOにも『勇者』って名の付くものがあったなぁ)
不意に思い出したのは、近剣突型/仙気鳳型、という組み合わせでのキャラ育成。
正確に言えば長剣ないし大剣を主体にして腕輪を副武装として回復技能を補助に身に着けるタイプの育成方法を古典的なRPGから『勇者スタイル』なんて言われていた。
ノア個人の感想としては、本当の古典RPGでは盾持ち片手剣に回復技能を持つことが多かったはずでは?なのだが、そちらは聖騎士スタイルとか言われていたりする。
ちなみに勇者スタイルに関して言えば、実用的とは言い難い育成方法で頑張っているね!という蔑称的な意味合いもある。
瞬間的な回復量が少ないSSOでは防御手段が無い近接型が回復の能力を持っていても生かせないことの方が多い。
特に両手武器は回避手段も多くなく、特化でもないので回復量が足らず、回復方面に回した分攻撃力が落ち―――と、散々な評価だった。
もちろん、それはゲーム的な評価であって、現実的に考えれば生存能力を向上させる選択肢は悪いわけではないが。
「やはり、しぶといですね」
吐き捨てるようにシトラスが言葉を落とす。
傍から見ても、あの蹴りは内臓に損傷を与えるくらいの威力があったはずなので多少咳き込むくらいで耐えられれば不満を零したくもなるだろう。
(それも、技量とは関係のないところで防がれたとなると・・・これが『勇者』の特性とか?)
シトラスの蹴りが入る直前、少年がバランスを崩した事で打撃点が急所からズレた。
それによって少なくとも2割以上の威力が軽減されただろうとノアは見ている。
他にも吹き飛ぶときに持っていた自分の剣で傷を負わなかったり、比較的衝撃を受け流す様に瓦礫にぶつかったりと『幸運』が続きすぎていた。
その全ての挙動に訓練された者特有の手際を見受けられなかったこともあって、技量とは無関係だと考えている。
運が良い、というのが勇者としての素質なのかもしれないと思うくらいには少年の幸運は神懸っていた。
「それで、引いていただけますか?」
ノアたちの様子を気にして、シトラスは追撃を仕掛ける事はしなかったようだ。
最も、あの幸運―――神の祝福のようなものによって不発に終わる可能性も大いにあるからなのかもしれないが。
どちらにせよ、ノアとしては割って入る気はまるでないのである。
シトラスの提案には乗っておいても大きな損は生じない。
「元から戦う理由なんて欠片も持ち合わせていないよ」
「っ! こっちを手伝いなさいよ!」
「それも理由が皆無」
金髪少女が金切り声を上げたが、そちらも別に味方ではない。
三人組とシトラスの両者から離れて警戒しつつ静かに距離を取る。
最も警戒しているのはシトラス。次いで迷宮内の敵。最後に三人組という警戒優先度だ。
ノアから見た限りの戦闘力順でもある。
「・・・ずいぶんと、あっさりと引いてくれますね?」
「そもそも敵対する理由が無い。そっちの事情に首を突っ込むことはしないよ」
少し意外そうに小首を傾げたシトラスの態度の方がノアとしては疑問があった。
それでは、まるで―――。
「厄介なことに、勇者には『人徳の祝福』がありますので。頼み込めば多くの人が味方をしてくれるのですよ」
「そんな人徳を持っているようには見えないけど」
軽くイリスに視線で問いかけたが、彼女も小さく頭を振る。
だが、よくよく考えれば勇者が無条件で信用を得るのはゲームとしては普通の話。
対象となるのはプレイヤーではなく、誰の影響下にもないNPCという事になる。
「ノアさん達には別の加護や祝福があるのでしょう。私たちも同様ですが」
「加護に祝福、ねぇ・・・」
胡散臭い、というのが正直な感想だ。
しかし、冒険者が街の住人からどう評価されているのかは疑問があった。
水の街で三姉妹以外の元NPCと大した交流を持てなかったことも要因のひとつ。
大衆向けのファンタジーMMORPGだったSSOでは基本的に住民の大半が初期の段階では友好的に設定されていたが、その影響が出ているのかもしれない。
その基本設定を加味すれば、頼み込めば大半の人が言うことを聞いてくれる、という状況もあり得る。
もちろん、魅了や洗脳に近い何らかの能力を少年たちが有していて、ノア達には効果が無かったという可能性も無いわけではないが。
どちらにしても―――
「あの3人、とっとと死んだ方が良いような気がする」
「それには全面的に同意させていただきましょう」
洗脳やらの領域ではなかったとしても最低でも他人の善意を利用する行いはあまり気持ちのいいものではない。
本人たちが意図していなかったとしても、関わり合いになりたくない手合いだった。
ノアが呟いた言葉に、三人組の敵であるシトラスが同意するのは当然だけれど。
「だからってどちらに肩入れをするつもりもない。中立とさせてもらうよ」
納得できる面はあったものの、だからといってシトラス側を全面的に信用する事はできない。
金髪少女は睨んでくるが、彼女たちが死のうが生き残ろうがどうでもいい話だ。
「・・・シトラスさん。何故、裏切ったのですか・・・?」
猫耳少女が静かな口調で問いかけつつ、いつの間にか取り出していた弓を構える。
その鏃の切っ先を向けられながらも、シトラスは冷めた視線を返した。
「裏切った、ですか。そもそも、貴女たちと味方であった事などありませんが?」
「貴女は姫様の護衛だったはずです!」
「それをどうこう言われる筋合いはありませんね」
傍から聞いている限りでは、護衛だったシトラスが『姫』とやらの誘拐に加担したということのようだ。
しかし、この手の話の常で事情も知らずに首を突っ込むと碌なことにならなさそうではある。
シトラスが理知的な雰囲気だという事もあって、多少なりとも興味は引かれるが面白半分で聞き耳を立てるモノでもないだろう。
何よりも会話している間に退避しておいた方が余計なことに巻き込まれる可能性を減らせる。
「く、ぅ・・・シトラスっ! 姫様の居場所、教えてもらうぞ・・・!」
小さく呻きながらも戦意を宿して少年が立ち上がり、その後ろで金髪少女が銃を―――光線銃を構えた。
他の二人がきちんとファンタジーしているという事を考えれば突撃銃の銃口部分に宝石のような何かの嵌ったような見た目のソレは相応しくないようにも思う。
しかし、SSOというゲームを基準にした場合はそれほど珍しい武器というわけではない。
実際の熱光線は医療技術でも扱われる様な類だが、ゲーム上での光線銃は画面上で数ミリ、設定的には人差し指くらいの長さの長細い光の弾丸を放つ武器だ。
武器性能に寄るが着弾すると3~8回ほど連続して射撃・術ダメージを与えるというもので、そのSFチックなエフェクトや技から根強い人気のある武器種のひとつではあるが、実は玄人向けという武装でもある。
理由は複数存在するが、弾数管理の難しさと集射連型として扱える他の武器と比較した際の射程の短さ、術技を含めた攻撃性能の特殊性が挙げられるだろう。
まず銃器に当たる武装には『弾数』というシステムが導入されていたが、これは回転弾倉や弾倉内の弾丸を撃ち切った際に再装填が発生するというもの。
しかし、問題となるのは空の弾倉に弾丸が補充されるまでの再充填時間というシステムのせいである。
他の銃器ではまるで気にならないこのシステムは光線銃を使った時だけに大いに感じ取ることが出来るような代物。
つまりは、弾丸を撃ちまくっていたら再充填時間が長すぎて終わっておらず弾が撃てない、という事態に陥るのがこの武器なのだ。
突撃銃が総弾数30発前後、1弾倉でおよそ15秒。手持ちの弾倉を5つ持っているのが標準的。
対して光線銃は総弾数10発前後、1弾倉でおよそ40秒。手持ちの弾倉を3つ持っているのが標準的と比較すればわかりやすいだろうか。
射程に関しては設定的な問題もあるようだが、光線銃に関しては20メートル程度。他2種類が35メートルほど。
距離減衰が設定されていないSSOでは物理弾だろうが魔法弾だろうが当たればいいので射程が長い方が当然扱い易い武器という事になる。
そして攻撃力計算―――については一概に弱いとは言い切れないのがこの武器の特殊性だ。
これは射撃と術理の合算ダメージ計算となっているから、である。
単純な合計というわけではないが、この攻撃力計算のせいで単純に射撃特化にした場合の攻撃力と大きく変わらない攻撃性能を手に入れることが出来る。
それが利点かと言われると微妙な気もしてくるが、補助や回復といった術理の能力を上げても攻撃能力が向上するので完全な欠点ではない。
ただし、攻防のバランスを取るのが難しく、射撃も術理も満遍なく育てて初めて射撃特化に『攻撃』という観点でやや劣る程度なので育成が難しい武器だと言っていいだろう。
他にも二つ以上のステータスを参照する武装はいくつかあるが、この武装は味方に対する攻撃判定を考えるとプレイヤースキルも求められるので難易度が高い方に当たる。
(光線銃って使い手が少ないんだよね。フィルに持たせたら良い動きしそうだけど)
前衛の少ない現状でアルナにやらせる気はないが、フィルとは育成方針や能力的な一致がある武装だ。
手頃に強化されている光線銃の武装が手元に無いのですぐにというわけにはいかないが、中距離攻撃の手段が増えれば戦術の幅も広がるというモノ。
次に到着する予定の街は鉱石系のアイテムを入手しやすい場所だという事と『錬金術』による武具作成・強化の検証などを考えれば悪いこともないだろう。
無事に辿り着けたのなら、という条件は付くが試してみたいところである。
「・・・仕方がありませんね。相手をしてあげるとしましょう」
「ふぎゅっ!?」
シトラスが小脇に抱えていた女を背後へ投げ落とすと不思議な呻き声が漏れ、それを無視した彼女の左手には漆黒の円形盾が現れた。
装備はアルナに近いが、どちらかと言えばステップを踏んで軽やかなタイプのあちらと違い、シトラスは腰を落として重厚感のある構え。
体つきは似たようなものなので装備重量と扱う流派的な差だろうと推測する。
技量についてはあまり差が無いかもしれない。
「行くぞ・・・っ!」
「やぁっ!」
少年が駆け出すがその横を追い抜いて白い光が奔る。
飛んできた光線を盾が弾き飛ばし、斬り込んでくる少年の刃を籠手で横合いから叩いて逸らす。
無防備になった少年の首元へ剣を突き込―――もうとしたところで、顔を目掛けて矢が飛び、それを肩当で弾く。
しかし、そのせいでわずかに手元が逸れて少年の頬を浅く切り裂く程度に留めて、彼は転がって距離を取った。
(上手い、な・・・普通にやったら、あの防御を抜くのは厳しいかも)
何せ、格下とはいえ3対1で全く動いていない。
最低限の挙動で攻撃を受け流し、反撃を叩きこむ技量は賞賛すべきものだ。
少なくとも、あの3人が何時間かけたところでシトラスを崩すのは難しいだろう。
(まぁ、どっちも真っ当みたいだから、ではあるのだけれど)
これがアルナであったら『幻影』やら術理やらが飛んできてあんな落ち着いた戦況にはならない。
純粋な武技だけで作られる戦場とは根本的に性質が違うのが、この世界の戦闘なのだ。
それを考えれば、主武装だけしかまともに使っていない目の前の戦いは遊んでいるようにすら思える。
「しかし、運が良いのは3人ともか」
「そのようですね」
ノアの呟きにイリスは同意を示した。
シトラスの反撃は的確で致命傷を狙うモノがほとんどだが、誰に対してもかすり傷程度しか負わせることが出来ていない。
矢を跳ね返して脳天を狙っても、斬撃を受け流して首や心臓を狙っても、斬りかかってきた相手の刃を弾いて中衛を狙っても。
傍から見た限り確実に相手の命を絶つと思われた反撃の全てが『幸運』によって避けられてしまう。
意図してのことではない。足を躓いたり、少し手が滑ったり、矢や弾倉を落としたり。
ほんの少しのミスが何故か命を助け、大きな怪我を負うような事態を回避していく。
それはノアの目には異様なモノにしか見えない。
「痛った~・・・ったく! ワタクシがなんでこんな目に!」
千日手のような技量と幸運の鍔迫り合いは、起き上がったドレスの女によって新たな局面を迎えようとしていた。




