04 咲き誇るは氷華、あるいは想い
ひとつの予想があった。
SSOに似た世界に囚われた原因はテストサーバーにあったのではないか、と。
最後の記憶がデータをアップロードしている最中のモノだったことだけが理由ではあったが。
テストサーバーが解放されている期間は一週間。その期間が過ぎれば―――と。
「さすがに、そう甘くはないか」
八日目の朝。
ノアはゆっくりと体を起こして身体の調子を確かめる。
一週間という期間で身体は随分と馴染んだ。トイレで躊躇しないくらいには。
何より、ゲームキャラとして作成された肉体は現実のモノとはスペックが段違いだ。
強度や筋力というのはもちろんなのだが、情報の取捨選択が可能だというのがとても大きい。
最初は何もわからずに恐ろしいほどの刺激を全身で浴びていたが、それは何も考えずに触覚の情報を詳細に受け取っていたからだ。
そんな中で視覚と聴覚に異常を感じなかったのは知らずの内に調整が出来ていたから、だというのに気が付いたのは五日目のことだった。
気配を感じ取る訓練の最中に聴覚が増大したことで気が付いた。
本来なら聞こえる音の音量を調整することなど不可能なはずだから。
それが触覚や嗅覚にも応用できるのでは、と考え実行すれば習得には時間が掛からなかった。
良くあるゲームキャラの能力である視覚強化による望遠技能なども同時に扱えるようになったので大きな気付きだったと言える。
ただし、自分の五感に対しての強化・弱化を自由に行えるというのはわかっただけでは日常生活が楽になっただけだともいえた。
この世界には純粋な身体技能以上の能力が存在する。
「そんなわけで、イリスに術理を教えて欲しいのだけれど」
「わたくしが、ですか?」
朝食の席でノアがそう提案すると、アルナが固まった。
「あ、あの、マスター? 私も、その・・・」
「アルナも使えるのは知っているよ。オールラウンダーに育てたのはよく覚えているから」
彼女は最初のパートナーNPCであり、βテスト時から共に戦ってきた相棒だ。
プレイヤーキャラ同様に全戦技特型をカンストまで成長させている。
そのため、基本的にはプレイヤーが戦技特型の中で得られ扱える能力はアルナも同様に使えるはずなのだ。
NPCはプレイヤーキャラよりも能力補正が低いため総合能力では劣るのだけれど。
「ただ、アルナが教えるのを苦手としているのは良くわかったから」
「う・・・」
四日間、彼女には戦闘技法を色々と教えてもらったのだ。
肉体言語で。
真面目で根は優しい女性だというのはよくわかったのだけれども、同時に天才肌の根性主義だというのも理解させられた。
つまり、擬音を多用する説明ばかりで、理論的な説明が苦手なタイプだということを。
「むぅ。術理ならわたしも得意」
「フィルが得意なのも知っているよ。でも、初めは簡単で周囲に影響が少ないモノの方が良い」
ノアは口を尖らせるフィルに微笑みかけて軽く頭を撫でる。
幼い容姿の彼女は『無口』の設定だったはずだが、とても甘えん坊だ。
毎日のように寝床に潜り込み、休憩の時間には魔眼すら使用して甘えてくるほどに。
ノアとしても邪険に扱うつもりはないが、アルナともども執着心が凄いので戸惑う気持ちもある。
好感度の数字がどれほどの意味を成していたのか、現在はどんな状態なのかが把握できないからだ。
もっとも、他人の心の内なんてわかるはずもないのだけれど。
「アルナとフィルには別の事を頼みたい」
「は、はい!」「ん」
アルナが緊張したように真剣な表情を浮かべて、フィルは小さく頷きを返す。
「二人には他の冒険者の情報を探ってきて欲しい。それと、他の街についても」
「冒険者と街、ですか?」
似たような状況になっている同輩の情報は必須だ。
協力や敵対などの関係性を構築するにしても、あえて距離を取るにも情報が必要になる。
メニューの使い方のような情報が入手できればなお良い、という打算もあった。
「冒険者についてはわかりますが、街というのは・・・?」
「だいたい一週間くらい前から起こった変化を知れば何かわかるかもしれない」
世界の事、自分の事、アルナたちの事。
「それに同好派閥『アルフヘイム』の拠点は始まりの街ブラディニア。抜けたとはいえ元ギルドメンバーが無事かどうかは確認したい」
「ブラディニア・・・転移を使わずに行くのなら、時間がかかりますね」
アルナが重々しく頷く。
私室は最後に宿泊した施設からアクセスできる。
メニューから転移で入室できたのでゲームの時は意識していなかったが、その設定は生きているようだった。
現在いる場所は順番で言えば五番目に訪れる『リッシュバル』というこうなる以前の最終アップデートでは最新の街。
次のアップデートでは新たなエリアが解放される予定だったので、これがテストサーバー内の世界なら先があるのかもしれないが。
「旅路としては戻ることになるから能力的には可能だと思う。けど、何か変化があったなら危険は大きい」
「そのための情報ですか」
「先に進む可能性もある。今のまま私室に引き籠っていても十数年は生きていけると思うけど」
資産や資金が倉庫に保管されていたので余程の値上がりが無ければ生活には問題がない。
イリスとフィルはノアの訓練中に街に出て食材調達をしつつ生活基盤のための調査はすでに行ってもらった。
結果としては食材の購入に硬貨が必要になったという事実。
それまでは食事のためのアレコレは頼めばゲーム上でお金のかかる特殊な効果のある食事作成用の食材アイテム以外は無料で分けて貰えていたというのだから驚きである。
アルナたちはそのことに疑問を感じていなかったが、指摘すれば「確かに何故?」となるのだから認識に制限が掛かっているのかもしれない。
そして何より、彼女たちの頭は悪くない。四則演算も理解しているし、最低限の語彙もある。
常識や考え方は別の世界に生きてきた存在だからこそ差異があるが理解力も低くなく思考能力も備えている。
AIではないと思っていたが、思考に制限が在ったり機械的なルーチンが存在している様子もない。
(この世界には『神』が居る。少なくともゲーム制作者という『神』が)
どこまでがゲームの設定に忠実かはわからなくとも、反映されている時点で世界の一部を構築していた『神』と言える。
それがアルナたち元NPCの何かに干渉していないと言い切ることは不可能だ。
当然だが、ノア自身にも何か仕掛けられている可能性もある。
(男としては女体化エロゲ展開は勘弁だけど、洗脳系の仕掛けを回避するのは難しいだろうし。考えたらドツボなのはわかっているけどついつい考えちゃうな)
精神に干渉する技能があることは初日にフィルから身をもって教えられた。
より強力な能力、くらいならともかく世界の根幹に関わるシステムのような何かが存在するとなると防御手段はないに等しい。
最大に警戒するべきなのはそういった能力だが、目下最大の問題はやはり他のプレイヤーの現状だ。
「何か行動を起こすためにも情報が重要だし、アルナたち以上に頼れる相手は居ない」
つまり、頼るしかない。
完全に仕事を投げただけなのだが、微笑みかけるとアルナとフィルは大いにヤル気に燃えて大きく頷いた。
「マスターの期待に応えてみせます!」
「ん。頑張る・・・!」
椅子を倒す勢いで立ち上がり二人は瞳に炎を宿してドタバタと駆けていった。
「・・・鼓舞の意味では、なかったのだけれど」
「ノア様に頼られることは少ないですから、気合が入る気持ちはわかります」
「頼ってばかりだと思うけど」
彼女たちのゲームの時の記憶がどうなっているのかは正確にはわからない。
しかし、会話をした限り共有した時間の記憶は相応に持ち合わせているようだ。
認識の齟齬も多々あるようでノアとしては困惑することも多いけれど。
「当然ながら、わたくしも頑張らせていただきますよ。ノア様に何かを教えられるなんて初めての事ですから」
「あー・・・それは、確かにそうかも」
パートナーキャラから物を教わる機会というのは、ことオンラインゲームにおいては少ない。
そういったキャラを作ること自体が任意である場合が多く、人によっては造ることをしないからだ。
パートナー関連の説明をする際は初めて作ったキャラが―――ノアの場合はアルナが行うので二番目に制作されたイリスからはゲーム上では教わることがなかった。
「今後は色々と教えて貰うことになると思うけどね。料理とかは特に」
「あら? 食べさせたい相手でもいらっしゃるのですか?」
によによとイリスは笑みを浮かべるが、ノアにそんな相手が居るはずもない。
残念ながらガールズトークになるような年期も、女性としての経験も存在していないのだ。
「食べさせるとしたら、最初はイリスになるね」
「え・・・?」
味を見てもらうなら、血の繋がらないパートナー三姉妹の中でも最も料理が得意な彼女になるだろう。
(というか、他者との接触を避けている現状では三人以外に食べさせる相手が居ないし)
などと考えていると、イリスは視線を逸らして口元を手で隠した。
「イリス?」
「な、なんでもありませんよ?」
「・・・まぁ、いいけど」
視線が泳ぐ彼女の態度を不審に思いつつもノアは追及を行わない。
イリスに隠し事があったとしても無理に暴いて関係が悪化するのを避けるためだ。
三人の誰に見捨てられても生きていけないのだから。
「ともかく、イリス。生活能力の高い君には一番教わることが多いと思う。だから、よろしくね」
「わ、わたくしでよろしければ・・・」
「イリス以上の適任者かつ信頼できる相手はいないよ。ただ、根性論は止めてね?」
「はい、もちろんです」
ノアが悪戯っぽく笑いかけると、彼女は満面の笑みを咲かせるのだった。
SSOはファンタジーを主題にしたオンラインゲームだ。
しかし『魔法』というモノは存在していない。
理由は単純で、ゲームの特徴づけのために魔法と同等の別の能力があるからである。
「アウルについては説明の必要はありませんよね」
「概略は理解している」
アウルとは言わば他のゲームで言う魔力や技ポイントのようなものだ。
オーロラが由来らしいソレは、七色の光としてエフェクトで目視できた。
ステータス上はAPで表記されるアウルは『技』と『魔法』の両方に使用する。
例えば単純な斬撃もゲームのスキルである『スラッシュ』なるAPを消費する技にすると威力が増す。
「では術技と術理の違いも、問題ありませんか?」
「大さっぱに言えばアウルを用い武器を利用した武技が術技で、アウルのみを用いて様々な現象を起こすのが術理」
「問題ないようですね」
イリスが細かく確認してくるのは記憶の欠落があると思っているからだ。
間違いではないが、正しくもないのだが、認識の差異を確認するためにもノアは特に訂正しない。
この世界の常識をほとんど知らないのは事実であるのだし。
「知識としてはわかっているのだけれど、使い方がどうもね」
「アルナ姉さんに術技を習わなかったのですか?」
「・・・理解できなかったんだ。悪いんだけどね」
ノアが苦笑を浮かべると、釣られたようにイリスも微笑み返す。
彼女も姉がどういう人物かは十分に承知している様子である。
「それにアウルの使い方を学ぶなら術理の方が安全だろう」
「身体の使い方と分けて考えられるので、学ぶという意味では正しいですね」
いわゆる魔法である術理は意識の集中は必要だが身体を動かす必要はない、という予測が付いた。
移動しながら扱うことのできるモノもゲームには存在していたが、現在どうなっているのかは不明。
「まずは簡単なモノ、ですよね」
「うん。能力的にはかなり強いはずだから周囲に影響の少ないヤツで」
一応、実装されていたレベル上限までは能力を上げているのだ。
それがどれほど強力な影響が出るのかは不明である。
いずれは上限を検証する必要があるが、わざわざ拠点を危険に晒す必要があるとは思っていない。
「そうですねぇ」
顎に手を置いて僅かに考える仕草をした後、誰にでもなく頷くと訓練場の端に置いてある木桶を手に取った。
そういえば触れることもできないオブジェクトが置いてあったなぁ、などとノアが考えていると、これまた見た目だけのオブジェクトとして存在していた井戸から手早く水を汲んでくる。
「まずは、これをやってみましょう」
とん、と音を立てて目の前に置かれた水桶にノアは首を傾げた。
そんな様子に優しい笑みを浮かべると、何も言わずに水面に向かって手を翳す。
ノアが眺めていると、彼女の全身から七色の光が炎の様に揺らめく。
ゲーム画面では見たことのないエフェクトに目を瞠る。
イリスが集中するように目を細めると手の平の輝きだけ青く染まり、直後に水桶の中に氷塊が浮かび上がった。
「このような感じなのですが、いかがでしょう?」
「へぇ・・・」
水面に浮かんだ氷を手に取ると、確かにそれは『氷』だった。
何の変哲もない氷の塊。コップに入れれば飲み物を冷やすのにはちょうど良いだろう。
逆に言えば投石の代わりにもならないほどに軽い。
(ゲームでは存在しなかった技術。いや、描写されなかっただけ?)
術技や術理は戦闘コマンドのひとつ。特殊なモノ以外は基本的に戦闘中にしか使用できない。
それはつまり戦闘で実用的な能力以外は描写されていなかったということでもある。
なんら攻撃に使用できない小さな氷を生み出す能力はゲームでは描かれることが無かったのだ。
「特殊な術ではなく、アウルによる現象の発現の訓練なのですが・・・地味、でしょうか?」
「確かに派手ではないけど」
「そうですよね。ではもう少し―――」
「とても現状に適した訓練だね。さすがイリス」
ゲームキャラは基本的に修行というモノをしない。物語としてはともかく、そういうものは冗長だしゲームのテンポを悪くする。
というか、プレイヤーがプレイスキルを鍛えるために練習するのでキャラまで修行し始めたら収拾がつかない。
そんなわけで修行Lv1の手法などノアは全くわからないわけで。
「これなら成果が目に見えるし、失敗したり暴走してもあんまり大変なことにならなそうだもんね」
警戒しているのは自分の意識と能力値による効果の差異だ。
異世界転生なんかの話では力が強すぎて初めて能力を使うと事故を起こすというものが多々ある。
そこまでではないと思いたいが、自分の能力を把握するまでは何事も慎重すぎるくらいがいいだろう。
「そういっていただけると、嬉しいです」
「じゃあ、早速やってみるね」
微笑むイリスが見守る中でノアは水面に手を翳す。
(さて。やり方はわからないけど身体は元々ゲームキャラなのだしできないわけじゃないだろう。まずはイメージすることを試してみよう)
どうしてもできない時はもっと根本的な練習方法を聞こう、と決意してノアは目を閉じて集中する。
脳裏に描くのは七色の光が手の平に集まって行き冷気を照射するというもの。
冷凍光線に近いのかもしれないけれど、ノアとしては触れずに氷を生み出すよりもイメージがし易かった。
「えっ!?」
イリスの口から洩れた声はノアの耳には届かない。
脳裏に描いたイメージをできうる限り正確に思い描くことに集中している。
集中して、ハッキリと鮮明に効果を脳裏で作り出して―――
「ふっ!」
―――かっ! とノアが目を見開いた瞬間、青白い閃光が周囲を埋め尽くした。
「・・・ノア、さま・・・」
呆然と呟くイリスに引き攣った笑みを返す。
「はは、は・・・王道というのは実際にやらかすから王道なんだねぇ」
笑うしかない。
気が付けば広々とした訓練場が真っ白に染まっていたのだから。
見ればイリスも、ノア自身も体の表面に薄らとではあるが霜が降りている。
意識しだすと身体が震え、引き攣った笑みを浮かべながらもイリスも震えながら自らの肩を抱いた。
「とりあえず、お風呂入ろうか」
「そそ、そうですね・・・」
イリスの肩の霜を払い落としながら、ノアはそっと身を寄せて浴場へと向かう。
凍えさせてしまった手前、身を挺して温めるくらいは当然だと考えたからだ。
「あ・・・」
腰に手を回したときに漏れた彼女の声や染まった頬の様子に、今後の修行をどうしよう、と考えるノアが気が付くことはなかった。