46 三竦みですら
即座に駆け出して逃げるかどうか、大いに迷う場面だった。
しかし、即断即決で退避するには通路が一本というのがいただけない。
進んだ先で敵に遭遇しても後ろに引けなくなるのなら問題があるからだ。
結局、足を止めて成り行きを見守った方が安全だとノアの中で結論が出た。
「あの、どういたしましょうか・・・?」
「イリスの言いたいこともわかるけど、様子を見るしかないかなぁ」
イリスとしても合流を優先して移動したいようだったが、放置にもリスクがある。
苦々しくは思うが、仕方が無しにノアは足を止めて背後の様子を確認することにした。
「あら? こんなところまでご苦労様。ぜ~んぶ、無駄ですけど!」
「マヨラム・・・っ!」
あの紫のドレスの女性はマヨラムというらしい事は理解できた。
その女は人を小馬鹿にしたように笑い、長剣を構えた少年が忌々しそうに女を睨みつける。
彼の後では金髪少女が猫耳少女を穴から引っ張り上げている最中だった。
(盾無しで長剣の両手構え―――SSO的には『大剣』に分類されるの、か? そうすると近剣突型なんだけど)
大剣―――得てして『剣』という分類に当たる武器の幅はかなり広い。
短剣と剣の分類の差は明確に決まっていない――― 一般的に60cm程度より長大なものが『剣』だが例外があったりする―――のと同じように、剣と大剣の区別も割と曖昧だ。
その上で、SSOゲーム的な分類としては両手で扱うなら『大剣』という分類に分けられる。
この分類というのは扱える術技に関わるだけなので対冒険者を考慮するならむしろわからない武器を持っていた方が良いのかもしれない。
現実的に考えれば攻撃の届く距離やら扱い易さにも関わるので自分に合った物を持つべきではあるが。
極論すれば、腕より短い剣だろうが、身長を超えるほどの長大な重量の大剣だろうと同じ技を扱えるということだ。
ゲーム的には全く同じ攻撃力計算と射程、挙動ではあったのだが―――。
(そういえば検証してないな。ちょっと術理の方に意識を向け過ぎていたか)
同種の武器でも武器形状による能力の差異は検証不足だ。
理由としては単純で、一つの武器種で大きく形状の違うモノを複数所持していなかったから。
刀は5本所有しているが数センチ程度の差異しかなく、刃の立て方などは多少違う感じがあるが使い勝手は大きな違いを感じていない。
これが『ノア』としての能力なのか訓練によっての慣れなのかは不明である。
とりあえず、今のところ数センチ程度の刃の長さの違いで調子が狂うほどの領域には到達していない、ということだ。
恵まれた身体能力と多少の訓練による最低限の技能だけでゴリ押ししているというのが正しいのだろう。
それでも誰かの指導の下で正式な訓練をまるで受けていない冒険者や一般的な兵士よりはよほど上手いのだが。
「姫は、どこだ・・・っ!」
「ふん! 答えるわけがないでしょう?」
殺気を孕む視線を向ける少年の言葉を鼻で笑い飛ばしてマヨラムが嫣然と嗤う。
どうやら、少年の方は『姫』とやらを探しているようだが―――。
(言葉通りなら、二番目の街・王都『ヴァルトナ』で何かがあった? いや、それなら冒険者が3人だけで探索というのは・・・?)
大して覚えていないSSOの世界設定だが王都があるのだから、姫というのが居てもおかしくない。
というか、ファンタジーを主題にしたゲームで王子だけしか出てこないことの方が珍しい。
しかし、距離が開きすぎていて疑問が浮かぶ。自分たちは未だ四番目の街にすら辿り着けていないのだから。
「・・・まぁ、どっちにしても無関係ということで」
「そのようです」
王家や貴族などの権力者に関するイベントはゲーム的には美味しい。
縁故を持てるというのは、次のイベントが起こりやすかったり色々な情報を得る事ができたりと、他にも色々と利点がある。
いや、現実的な不利益を考えずにメリットだけを享受できるというべきか。
普通に考えれば様々な面でしがらみやら何やらでマイナスの点が数多く出てくるだろう。
帰還の方法を探す、などの情報を優先的に探すのであれば恩を売るのもいいかもしれない。
だが、ノアは特にそういった重要そうな情報に手を出すのは今は未だ早いと考えていたし、重要度も高くないと考えていた。
仮に王家に伝わる秘術に異界に関するモノがあったところで、一冒険者の立場ではその情報を得ることは難しいだろうし。
たとえ姫様を救った命の恩人だったとしても、重要な秘宝や秘術が提供される可能性は高くないという考察だ。
結論として、厄介度の方が高いので関わり合いになりたくない、という結論が出た。
「じゃあ、そういうことで」
「待ちなさい!」
踵を返したノアにマヨラムの声が掛かる。
向けられる視線は険しく、殺気が滲んでいた。
「そんな風に油断させようったってそうはいかないわ! あんた達が『勇者』の仲間なんていうのはお見通しよ!」
「勇者・・・?」
SSOはファンタジー系のゲームであったが、肩書としての『勇者』というのは存在していない。
一部の称号はともかく、MMOにおいてたった一人しか成れない立場というのはさほど多くないだろう。
ましてや勇者というのは主人公の代名詞みたいな物で、下手をすれば『その他』のプレイヤーを引き立て役に陥れかねない。
あるいは、ゲームが続いていれば今後の展開として『魔王』を初討伐したプレイヤーがそう呼ばれる可能性もあったかもしれないが―――。
(掲示板とか実況者とかでも、そんな愛称を付けられた冒険者は居なかったと思うけど。いや、知らなかっただけの可能性もある?)
冒険者としては古参に当たるノアではあるが、交流に積極的なタイプでもない。
最先端を行っていたというわけでもないので検証やらの情報掲示板に参加することもなかった。
所謂見ているだけという奴である。閲覧頻度も高くなかったので見落としも少なくない。
必要な情報はまとめサイトか自分で考えるだけに留めていた弊害といったところか。
特に他のプレイヤーに関する情報は欠落が多い事だろう。
生放送していたり、動画を上げている―――見ようと思うほどに興味を惹かれる―――ような相手ならまだ知っているが、掲示板やSNSなどで有名になっただけの人物までチェックはしていない。
基本的にソロで楽しんでいただけなので他プレイヤーの情報なんて大して必要が無かったのだ。
それこそ、アコルのように色々な意味で話題になった人物くらいは知っているが。
「勇者なんて、居るの?」
「恍けようったって、そうはいかないわよ!」
そんなつもりは欠片もなかったが、どうもお気に召さなかったらしい。
しかし、明らかに魔法使い装備のマヨラムに十数メートルも離れていない位置取りで負ける気がしない。
イリスも居るので、例え相手が知っている限り最強の術者であるフィルと同等であったとしても結果は同じだろう。
問題があると言えば、少年たちの方に味方するつもりもない、ということか。
「その女は誘拐犯よ! アンタたちも手伝いなさい!」
「その言葉を鵜呑みにするとでも思っているの?」
金髪少女の怒声にも似た強い言葉に呆れとともに嘆息を返す。
会話を考えればあり得ないとは思わないが、信用度はどちらも似たようなものだ。
本当だろうが嘘だろうが確認を取ることは現状では不可能である。
つまり、ノアはどちらも信用していないので、両者を同時に警戒するように距離を取った。
まるで意識を共有したかのように意図が伝わり、イリスも立ち位置を変更する。
「ちょ、ちょっと・・・!」
「どちらも信用に値しない。自作自演で隙を突こうとしているようにも見えるし」
「私たちがそんなことするはずないでしょう!?」
「根拠のない反論に意味は無いね」
金髪少女は憤慨を露わにするが、猫耳少女の方は何も言わずに悲しそうな視線を向けてきた。
ただ、それで絆される様なノアではなく、鋭い視線のまま全体が見えるように気を付けながら見据える。
もっとも、視覚にしか頼らないようではアルナという鬼教官が施した訓練を乗り越えられなかったので感知範囲は視界以上に広い。
それだけ集中力を消費するということだが、致し方の無い事であろう。
「ふん! どっちにしろ皆殺―――」
「そう」
マヨラムが何か言い終わるよりも早く、その鳩尾にノアの拳が突き刺さった。
音も風も置き去りにするかのような瞬間移動じみた加速。
さらには、呻き声を上げるよりも早く首を刈り取るように回し蹴りが炸裂してマヨラムの身体は吹き飛んだ。
その体は壁に激突して轟音を立てて崩れ落ち、出現した穴の向こうに姿を消した。
「敵対するのなら、相手に長々と口上垂れ流すなんて馬鹿じゃないの?」
殺気と共に杖が妖しく光り始めた瞬間に攻撃することを決断すればコレである。
反撃やら近接対策の罠なども考慮してはいたが、それもなく牽制のつもりだった体術で話が終わってしまった。
本来ならこれで防御手段を見切ったうえで抜刀からの連撃に繋げるところなので拍子抜けもいいところだ。
釈然としないながらも、警戒を崩さずに軽く着地する。
「・・・何と言いましょうか、ずいぶんと実力が低いような・・・?」
「この場所に居るにしては、とてつもなく」
呆気にとられる少年少女を無視して踵を返した。
無駄な時間を過ごした、としか思えず溜息が落ちる。
マヨラムがどうなったのかは不明だが、そこに興味は無い。
次に会った時に敵対する可能性を考えれば確実に仕留めておく方が良いかもしれないが、追撃の手間を考えると面倒さが勝る。
身に掛かる火の粉を払ったというだけなのだから、これ以上足を止められる理由もない。
「―――とても良い腕をしていますね。『勇者』などとは格が違うようですが、どこのどなたです?」
「!」
金属音が混じる硬質な足音。
壁に空いた穴から片脇にマヨラムを抱えて現れたのは、長い赤髪を背後で束ねた長身の女性。
黒で統一された金の装飾が美しい金属鎧だが、オーダーメイドなのか身体に張り付くように女性らしいラインを描いている。
凛とした表情は見知っている限りではアルナの雰囲気―――騎士や戦乙女といったものを連想させた。
「・・・他人に名を尋ねる時は自分から、というのが一般的だと思うけれど?」
僅かに声に硬質なモノが宿る。
少年少女の三人組やマヨラムという女には感じなかった威圧感のようなものを、その女騎士は纏っていたからだ。
立ち振る舞いにも隙が見いだせず、人を小脇に抱えているというのに重心のブレもない。
ノアを含めて、並みの冒険者では、その身のこなしは難しい。
元々武術の修練を積んでいればともかく、一般的なゲーマー程度では多少身体能力が上がった所で重心のコントロールができないことが多いからだ。
運動服などと比較すれば柔軟性皆無の金属鎧を身に着けている事や人を抱えているといった状態を加味すればなおのこと、である。
(格上かどうかはともかく、きちんと訓練を受けた人間、か)
ノアも多少はアルナから手解きされたとはいえ、密度はともかく訓練時間は長くない。
まして武器の種類をそこそこの頻度で変更していくので、基本的な武器の扱いはともかく『型』のようなものは殆ど身に着けていない。
元がゲームキャラということもあってアクロバティックな動きも多く、それを自分で使いやすい形に落とし込んだ我流のようなものだ。
全ての冒険者に言える事だが、この状況になって日が浅いこともあって、黒い女騎士のように重厚感を持つことが出来るのは先の話になるだろう。
逆に言えば、目の前の女騎士はそれだけの年月をかけて積み重ねた技術を持っている相手、ということになる。
「それは失礼しました。私はシトラス・・・これとは同僚に当たります」
「・・・ノア。ただの冒険者だよ」
シトラスと名乗った女騎士は抱えている人物を示す様に軽く揺すってみせた。
つまり敵だと名乗ったわけだが、敵意や殺意を感じないこともあって対応に困る。
対するノアは警戒は解かずに最低限の自己紹介に留めた。
(何より不穏なのが、シトラスが壊れた壁の向こうから現れたということ)
予知能力や瞬間移動でも持っていなければ、マヨラムが吹き飛んだ先に居る事は難しい。
ただの偶然を期待するならともかく、情報不足なのもあって他の四人とは違い、この場で敵対するのは避けたい相手だ。
とても面倒な遭遇をするものだ、とノアは内心で深々と溜息を洩らした。