45 わずらいごとに
「はぁ・・・はぁ・・・ちょっと、アナタたちねぇ・・・っ!」
体感ではあるが30分ほどだろうか。
紅茶とタルトで一時の休息を取っていると例の三人組が転がり込んできた。
どうやら別の通路がこの広間に繋がっていたようだ。
随分と埃や泥―――というか油?みたいな黒い汚れなどで薄汚れているが。
どこかにガソリンに似た何らかの燃料でも使っているパイプでもあったのだろうか。
「アンタ達のせいで! 大変だったんだからっ!」
「自業自得の癖に八つ当たりされても困るのだけど」
もともと甘い物は嫌いではなかったが、最近になって妙に欲しくなる。
もしかしたら味覚も変わってきているのかもしれない。
男女で色に対する感性に差があるという話もあるが、今のところ色彩に対する認識などは変化していない。
肉体の変化が精神を浸蝕するというのはあり得る話だが、抗いようもない事なので今は欲望に忠実になっておこう。
そんなわけで、気炎を吐く金髪少女を半ば無視して切り分けたタルトをフォークで口に運ぶ。
「はふぅ・・・幸せの味」
使っているのは桃に似た甘みのファンタジー果物だが、妙に美味しく感じて頬が緩む。
お手製なのでイリスの調理技能が凄いのか、変化しつつある味覚の影響かは自信が持てない。
ただ、今ある幸福感は自分にとっての本物であることは間違いなかった。
「こ、この・・・っ!」
金髪少女が頬を引き攣らせているが気にしない。
それでも油っぽい香りが漂っているので対面に座っているイリスが小さく眉根を寄せた。
「アナタたちには手助けとか助け合いとかないのっ!?」
「冒険者は自己責任。元から協力関係にあったなら別だけど」
実力を見誤った情報収集不足の相手を無視するなんてゲームなら良くある。オンラインゲームなら情報収集は簡単なのだし。
十分な余裕があるのなら別としても、現実になった今は特に自業自得の相手へ手を差し伸べるということは避けている。
何時外に出られるのかもわからず物資の補充は効かないという状況では自分たちのことが最優先。
精神安定のためにゆったりとするようにはしているが、状況の長期化を考えれば精神的にはともかく物資的には余力は無いに等しいだろう。
元々の性格的に、積極的に他者へ協力を求めるタイプではないというのも大きな要因ではある。
コミュニケーション能力に難があるわけだが、ノアは自覚しているため必要に応じて最低限の交友は作るようにはしていたが。
「―――アンタの言う通り、俺たちは何も返すことができない」
おや?とノアは思った。
怒り心頭の金髪少女を押し退けるようにして前に出た少年が何か言いだしたので多少耳を傾ける。
とはいえ、半分以上は興味が無いのと、基本的に拒絶の方向なので食の手を止めることもない。
割と本格的に異臭を放っているので無視するのにも相応の精神力を要求されるけれども。
「けど、俺たちだってやらなきゃいけないことがある! だから、手を貸してくれ!」
「嫌だけど」
「!?」
少年が呆気にとられたように目を見開くが、追加で厄介ごとを抱え込む気はなかった。
ゲームとしてならイベントは歓迎するべきなのだろうが、現状は残りの物資での脱出サバイバル状態。
そもそもな話、ゲーム越しなら『ノア』は比較的面倒見のいい方なので準備の状況や理解度の低いプレイヤーにも一回くらいは付き合う。
態度や性格的な相性を鑑みて終わった後に交流拒否一覧に放り込むことにはなるが。
初心者に優しく!というのはMMOを含めて他人との交流が必要となるゲームでは鉄則だが、場所的に初心者はあり得ない。
ゲーム的な観点でも見ず知らずの相手に一方的な要求をしてくる人物など無視が一番。
恩を売っておくというのも選択肢には入るが―――少なくともノアは必要ではないと、すでに判断を下した後の話だった。
「さて、登りますか」
軽食と休憩を終えて立ち上がる。
ゲームの時の話ではあるが階段のある小部屋は罠や敵の出現が無い安全地帯だ。
これは移動直後の即死というモチベーションを著しく下げる事故を無くすための処置。
据え置きの探索系RPGならともかくSSOはどちらかというとアクション寄りなので技量に関係なく確定即死は避けるように設定されていたようだ。
崩れているとはいえ階段のある場所から上階に昇るのは他よりは危険度が低いだろうとの考えによるもの。
別の登れそうな場所を探すのも手ではあるが、罠や敵性存在を無視できる可能性があるのなら危険度は他と大差ないかこちらの方がマシだろう。
崩れる可能性は見て回ったところではどこも大差ないか、この場所よりも危険なくらいだったというのもある。
「アルナ姉さんたちも心配しているでしょうから、行きましょうか」
元から小休止のつもりだったからかイリスが片づけを終えるのも早い。
ノアの目から見ても手品か何かにしか見えないように唐突に家具や食器が消えるくらいに。
イリスもノアも壁を昇る技能は有しているので駆け上がるのは難しくない。
(あの能力、ゲームに無かった上に原理不明だけど)
水の街での一件から何となくで可能と判断して使っているが、明らかに身体能力以上の何らかの力が作用している。
それでいて術理を使用した時のような疲労感というのはほぼ感じない。
数値で確認できればどんな力なのか確認することも可能かもしれないので話は早かったのだが―――。
「ノア様」
弾む声で両手を広げ抱擁をせがまれてノアは苦笑を浮かべる。
彼女はスカートなので出来得る限り激しい動きをするつもりが無いのかもしれない。
単に下に残していくことになる観客に見られたくないだけかもしれないが。
アンダースコートは身に着けているはずだけれど。
「ま、待ってください! わたしたちは―――」
イリスをお姫様抱っこしたところで猫耳少女が何か口にするが、言い終わる前に壁を蹴って上の階層へ。
崩れた天井は結構な大きさの穴になっているので通過するのは難しくなく、残った床の部分もそれなりに強度が残っているようで踏みしめても嫌な音がすることは無かった。
飛び出た先は下と同じ様な広場であり、階段部屋などとも言われる場所だが下の階層よりも三倍近く広い空間となっていて照明が生きており割と明るい。
「この感じなら目に見えるくらい罅が入っていたりしなければ足場は大丈夫そうかな」
「問題は敵性の存在になるでしょうか。戦闘の余波で再度、落されるのは避けたいですわね・・・」
さすがに敵との遭遇を考慮してイリスを下ろすと、背後で「はぁっ!」と声がする。
軽く視線を向けると赤茶の少年が穴の縁に飛びついて上ってこようとして―――床の一部が崩れて一緒に落ちた。
悲鳴や轟音が響き渡り、流石に呆れから嘆息が漏れる。
(にしても・・・空中跳躍か)
それは単純に空中で一度跳躍することができるようにする能力だ。
単純なアクション強化でノアも有しているが、実は不人気な技能のひとつ。
理由は簡単で、ゲームとしてのSSOでは素の跳躍力が高いこともあって、二段の跳躍力が生かされる場面が少なすぎるというものである。
大して便利なわけでもなく、無駄に取得ポイントを消費するため基本的には避けるべし、というのは攻略掲示板のよくあるQ&Aやおすすめ能力の注意事項などに記載されているくらいだ。
キャラクター育成についてはMMOらしくそれなりに細かいアレコレがあるのだが、空中跳躍は取得している人の方が少ない能力と言っていいだろう。
ノアやアルナはβの時に試しに取得したままキャラクタークリエイトを継続したので取得しているだけだが。
「にしても、これだけ騒々しいと変なのが寄ってきそう」
「早急に離れた方がよろしいでしょうね」
再挑戦している少年たちを尻目に次に進むべき方向を吟味する。
とはいっても、一つ下の階層より広い部屋だが三つ延びる通路は一つが崩落で潰れ、一つはひび割れが走っていて通るのは危険。
つまり、選択肢は無いに等しい。
(6人から2人になった以上は戦闘力も対応力も大きく落ちているし、無事に抜けるのは至難だが・・・出口が近い事を祈るしかないか)
一度や二度の戦闘なら二人でも切り抜けられるかもしれないが、疲弊が蓄積するごとに怪しくなる。
睡眠なしでは保って一日がせいぜいだろう、とこの遺跡で経験した感覚から限界を導き出す。
多少は危険を承知でも野営に近い睡眠休息は無理を押し通す必要が出てくるだろう。
対処できない量の敵に遭遇し、逃げ切ることができなければその時点で死を覚悟することになる。
「道は一つしかないし、行くとしますか」
イリスが頷くのを確認しながら先へと足を踏み出す。
「―――ま、待てって!」
声を掛けられて軽く目をやると、息を切らせて少年が穴から這い上ってくるところだった。
彼らから見れば死活問題となり得るのだから必死なのはわかるが、ノアからすれば待つ理由などない。
だが―――。
「!」
「・・・ノア様」
薄暗い通路の先から、カツンカツンと足音が響いてくる。
歩調や音、気配などから分断された4人ではないとノアとイリスには断言出来た。
結果、ノアは即座に腰元の刀へ手を乗せ、抜刀の構えを取って臨戦態勢となり、イリスはサポートのため半歩下がる。
敵でなかったとしても警戒するに越したことは無い。
「あら? 随分と騒がしいと思ったら」
薄闇から現れたのは、見覚えの全くない女性。
結いあげて花の様になっている赤紫の髪。漆黒のファー付きローブに深い紫紺の胸元が大きく露出したドレス、靴はエナメル質の黒いハイヒール。
街中ですら場違いだが、舞踏会でも場違いな気のする微妙な雰囲気の衣装。当然、迷宮にも相応しくない恰好だ。
手には捻じれ曲がった何らかの木材を利用した赤い宝珠の付いた長杖を手にしているようなので、フィルと同じ撃術破型を主体とした能力を持っているのだろうか。
「冒険者・・・?」
こんな実戦に向かない装備を身に着けている相手に他に心当たりが思い浮かばなかったが、どこか雰囲気が違うようにも感じる。
どちらかと言えばアルナやイリス、フィルの三姉妹に近い―――パートナーNPCのような・・・。
けれど、そのどちらとも違う『気配』をしている。
(気配を感じるなんて、元々できたわけがないし『ノア』の能力? 何らかの感知系の能力が機能している、と考えるのが妥当か?)
自分の能力ではあるが詳細はわからないので、一旦放置。
直感的に不穏な気がして警戒を解くことができずにいると、彼女は笑いを零した。
「ぷっ、ワタクシが冒険者? そんな野蛮な立場に見えるのかしら?」
「まぁ、それなりに」
アコル然り、カザジマ然り、冒険者の見た目は一見探検や探索に相応しくないモノが多い。
なまじ現在の『錬金術』がどれほどの成果を上げられるのかを数値で確認できないため、新しく作り直すようなことをしていない人が多いからだ。
ノアは『性能の変化なしに見た目だけを変える事は可能』と宣言したイリスを信じて多少のデザインの変更はしているが、他は友好度の関係か上手くいっていないことも多いらしい。
水の街で聞いた限りでは衣装の変更を行えるだけの能力を持つ従者はほぼ居ないということだった。
3Dプレビューも見られないのだから、デザインを伝えて仕上げるというところに問題があるようだ。
それはともかく、冒険者は命懸けの冒険をしているとは思えない恰好であるのが割と普通である。
逆に言えば、そんな馬鹿げた衣類で迷宮に居る時点でそう思ってしまうのは致し方の無い事で。
ノアの返答に紫の女性は不快気に表情を曇らせた。
「不敬ですわね」
「冒険者に迷宮で敬意を求められても」
ふんっ!と鼻を鳴らして、彼女は値踏みするような視線を投げかけてくる。
不快感は覚えるが刀の柄に手を置いて警戒態勢を解いていないこともあってお互い様といえるだろう。
「貴女、ワタクシたちに敵対しているのね?」
「どこの誰とも知らない相手といつ敵対したのか知らないんだけど?」
「ワタクシのことを知らないとでも?」
「全く知らないな。そういう台詞はもう少し有名になってから言ってくれ」
紫の女の表情が険しくなるが、最初から友好的な雰囲気ではなかったので良いだろう。
二人は牽制し合うように鋭い視線を交錯させ火花が散る。
しかし、現在の睨み合いは不毛だというのも何となく察した。
「・・・ふん。まぁいいわ。知らないのなら覚えておきなさい! ワタクシは―――」
「覚える気はないから名乗る必要もないよ」
結局、数秒も視線で斬り合った結果、女性の方が僅かに気圧されて口を開いた。
けれど、ノアにとってはどうでもいい事だったので言葉を切り捨てて刀から手を離す。
警戒を解いたわけでもなく、わかりやすい構えを解いただけ、というのもポイントかも知れない。
女性が二の句を告げるよりも早くさらりと女性の横をすり抜けて通路へ向けて歩き出す。
当然のようにイリスもその背後に付き従う。
「ちょ、ちょっと! 名乗りくらい聞きなさいよ!」
「興味ない」
恰好といいタイミングといい、あまりにも厄介事が透けて見えるので無関係で居たいところだ。
それこそゲームなら即敵対、あるいは敵を装って味方かも・・・、なんて考えるところだが、遭難中の身分でイベントを抱え込むのはリスクが大きい。
後ろから撃たれる可能性も十分に警戒しているが、それ以上に関わり合いになりたくないという思いの方が勝った。
「マヨラム! 姫様はどこだっ!?」
ノアたちに憤然と視線を向けていた女性のさらに背後から声が響く。
とてつもなく嫌な、面倒事の予感にノアは内心で深々と嘆息吐いた。




