43 地の底の休息点
旅をするためには最低限に必要なモノというのがいくつかある。
それを正確に把握しているわけではないが、登山の経験からそれなりに野営の知識は持っていた。
ハードな雪山に挑戦した―――なんて事は決してないが、山の上で二泊三日を過ごした事はある。
そんな経験が活きたのかどうかと問われると微妙なところではあるが、野営のための装備は一通り揃えたつもりだ。
「・・・」
そんなわけで、再度十時間近くの睡眠を経たノアは座り心地の良いアウトドアチェアに身を預けてカフェオレを傍らにサンドイッチをモソモソと食している。
組み立て式の椅子や、平坦な作業スペースを確保できるテーブル、明かりを確保するための角灯に火力調整の可能な小型コンロなどは現実にも便利なアイテムだ。
見ようによっては優雅にも映る朝食の光景に、羨まし気な、どこか恨みがましい視線が突き刺さる。
陽の光が差し込むことのない迷宮の中であろうと、ある程度の過ごし易さを確保できている者への妬みの視線が。
「ふぅ。美味しかった。ごちそうさま」
「お粗末様です。飲み物のおかわりはいかがでしょうか?」
「貰おうかな。今は余裕あるし」
嬉しそうに頷いてイリスがケトルの中のお湯を温め直し始める。
彼女にとってはこういった奉仕もコミュニケーションの一種なのかもしれない。
「あの―――」
そんな穏やかな朝食を見据えていた三名の内一人がノアへと声を掛ける。
ほぼ同時に「くぅ~」と可愛らしい腹の虫が鳴き声を響かせた。
ウェーブの掛かった煌めく瑠璃色の髪に猫耳と尻尾の生えた少女は頬を赤くして俯く。
「はぁ。食料は分けてあげたって聞いているけど?」
「確かに、貰ったんですけど・・・」
「あんな量で足りるかよ」
この場で唯一の男性である赤みがかった茶髪の少年が吐き捨てるように言う。
迷宮へ生まれた亀裂へ飛び込む直前に見た覚えのある顔だ。
彼を含めた3人のパーティが崩落に巻き込まれ、奇跡的に無傷で同じように地下へ放り出されたらしい。
それはともかくとしても、運が良いとか悪い以前の問題が幾つもあるが。
「持ち込んでいる食料にも限りがあるし、自分で用意して来ない方が悪い」
「それはそうだけど―――」
不満そうに口を尖らせるのは艶やかな金髪の少女。
落下の直前までイリスに治療されていた娘だ。
治療されていた間はほぼ意識が無かったようなので覚えもないだろう。
だからといって恩に着せるつもりもないので、どうでもいい話ではあるのだが。
「ノア様。この後、どういたしましょうか?」
不満を隠しきれない三人を尻目にイリスはカップにコーヒーを注ぎつつ穏やかに問いかけてきた。
常以上に柔らかい雰囲気なのは長時間寝込んだ後だからかもしれない。
(もう一度『ノア』と話すことはできなかったけど、体の調子は戻ってきた、かな・・・?)
軽く伸びをして体を解すと、ふゆんっと胸元が揺れる。
その様子を見据えて少年が小さく息を呑んだ。
少年の視線と態度には全員が気付いたのだが、ノアの感想としては中身と見た目の精神がほぼ一致しているのだろう、という程度のもの。
当人としても『ノア』の見た目が魅力的だと感じていたし、特に今は前とは違い瑞々しさと言うか生々しさが段違いだ。
ゲーム画面越しとは違う『生』の肉感に青少年が視線を向けたくなる気持ちは十分に理解できた。
むしろ、咎める様な少女たちの視線と、手を出せば命を絶つと宣言するような酷薄なイリスの視線を浴びる彼にやや同情してしまうくらいだ。
(実際、あの『ノア』は見惚れるほど綺麗だったし・・・殺されかけたけど)
あの時の感触を思い出す様に人差し指で口元をなぞる。
思案するかのような、愁いを帯びたようにも見える表情と相まって妙に色気のある仕草だったことで女性陣もドキリとしてノアに見惚れてしまった。
数秒の間を置いて自分が注目されていることに気が付くと、小さく咳払いしてカップを口元に運ぶ。
僅かに赤らんだ羞恥を耐える表情は、それはそれで魅力的だった。
「・・・とりあえず、合流はできないと判断して出口を目指そう」
迷宮で逸れてしまった場合の対応はアコルたちとも事前に取り決めてある。
30分の周辺探索で発見できなかった時は入り口が近い場合はそちらへ、そうでなければ出口へそれぞれ向かう。
現実の遭難では動かないことが推奨されることも多いが、『敵』が徘徊するこの場所では捜索拠点を確保するのも難しい。
人数が多い方が捜索する、などの取り決めをしておくこともあるようだが当てもなく長時間、迷い人を探すのはどちらにとっても危険。
そこでノアたちは出口ないし入り口を各個で目指し、先に着いた方がそこを拠点に遭難者を探すことにしたのだ。
もう迷宮に潜って3日以上。入口に戻るには長すぎる道のり。
アコルはもちろん、アルナやフィルが判断したとしても出口を目標に進んでいる事だろう。
「軽く見て回った限りだと、崩落で移動できない通路も多いみたいだし、出られるかは賭けだけど」
「空気の通りはあるみたいなのですけれど、人が通り抜けられるかはわかりませんものね・・・」
瓦礫や壊れた壁なら吹き飛ばすことも可能かもしれない。
余計に崩落を起こす危険もあるので多用はできないが選択肢としては持っておくべきだろう。
問題は多いが、独りで踏破を要求されないだけ随分とマシに思う。
「イリスに問題が無いようなら、片づけてすぐに行動しようか」
「わたくしは問題ございません」
心なしかいつもよりも艶々した肌のイリスは満面の笑みで応える。
ノアを抱き枕にたっぷりと休息を取れたので気力体力ともに充実しているようだ。
二人でなら何とかなるだろう、とノアはあえて気楽に考える。
悲観的になっても事態が好転するわけではないのだから。
「で、そっちの三人だけど」
「はい。わたしたちも―――」
「ここでお別れということで。足手纏いの面倒を見ている余裕はないし」
「「なっ・・・!?」」
あっさりと言い放ってノアは腰を上げた。
この名前も知らない三名の戦闘能力は予想がついていたし、信用できる気もしない。
何よりも準備不足で迷宮に突入するような相手の行動に巻き込まれるのも面倒だ。
彼らの危機管理能力に不安があるのはこの短時間で十分すぎるほどに理解していた。
「食料も満足に用意してきていない人たちと同道する気はないよ。余計な危険を抱え込むだけだし」
「戦闘能力も高くはないようですし、行動を共にする利点は無さそうですものねぇ」
イリスも苦笑の仮面を浮かべ冷めた視線を三人に向けた後に手早く片付けに入る。
組み立て式のテーブルや椅子、テントにマットにシェラフと羅列すると多く感じるが軽く畳んで霊倉の腰鞄へ放り込むだけなのでさほど時間は掛からない。
「ま、待ちなさいよ! それって私たちが何の役にも立たないってこと!?」
「そうだけど?」
視線を向けることもなく端的に返される言葉に金髪の少女は言葉を詰まらせた。
文字通り、眼中にない、というのが態度にも表れている。
名乗る必要も、名を問う理由もない他人という関係以上にはならないという意識の壁が聳え立っているようだ。
「あ、あの! こういう時は協力し合った方が―――」
「協力っていうのはお互いに利益があって成立する。ゲームの時ならともかく、現実で知人でもない相手の御守りなんてごめんだ」
猫耳少女の言葉を切って捨てた頃には撤収作業も終わる。
さすがに命の危険がある状態で信頼関係すら築いていない相手を傍に置いておくつもりはない。
見た目で判断できる情報が少ないという事もある。ともすれば中身は詐欺師の類かもしれないのだから。
逆にただのか弱い少年少女だとしても、命懸けの状況で護ってあげられるほどの余裕はない。
何より、自分の意思でこの場所に足を踏み入れただろう彼らを護る必要性を感じなかった。
十分に準備していないのも、危険の高い場所に足を踏み入れたのも、その結果、命を落としたとしても自分たちの決断の結果だ。
赤の他人が口を出すべきことではない。
「それじゃあ、二度と出会わないことを祈っておく」
半ば本心でノアは零した。
ゲームの中ならともかく、考え足らずで無謀に身を投じる彼らに巻き込まれたくない。
まして、そんな馬鹿げたことに付いてきてしまうだろうイリスや今は共に居ない二人を引きずり込むのは許容できなかった。
「ああっ! もう! わかったわよ! 別々にいけばいいんでしょ・・・っ!」
苛立たし気に言い放ち勢いよく立ち上がった金髪少女がノアたちを追い抜いてドスドスと地面を踏み抜くかのような勢いで歩き出す。
幸いというか、崩落の影響でできたらしい現在居る小さな広間からは通行可能な通路が二つあるので別に追い抜かれても問題は無いが・・・。
「あ」
思わず、といった具合にイリスの口から音が漏れた。
その声に反応したのかどうかは良くわからないが、金髪少女の足元がぱっくりと口を開いて奈落へと誘う。
「うぇぁ!? ひゃぁっ!?」
「ユキ!」「ユキさんっ!」
素の反射神経か、キャラクター性能かは不明だが金髪少女は落とし穴の縁をギリギリで掴み、何とか生還を果たす。
ゲームだったら踏んだ時点で問答無用に即死だったことを考えれば随分と生温いトラップのような気もする。
慌てて金髪少女を引きずり上げる他二人を一瞥して、ノアはさらっと進行方向を変更してもう一つの通路へと足を向けた。
「はぁ・・・はぁ・・・ちょっと!」
背に掛かる金髪少女の怒声を無視して通路へ入る。
壁面にひび割れや一部の崩壊などは見受けられるが、すぐに崩れて押し潰されるということはなさそうだ。
稼働している罠も今のところはなさそうだが、先ほど罠発見により『赤表示』されていた罠がきちんと発動していたのだから油断はできない。
「とりあえずは、落ちた分を昇る道を探さないと」
「休息していた広場が1階のはずですから、そのようになりますね」
現在位置が最下層―――ゲーム時には地下2階―――かは不明だ。
一階層落ちただけで済んだのかもしれないし、過去には存在していなかった地下3階層よりも深い地の底かもしれない。
ただ、周辺に敵の気配は無く後ろの喧騒を気にしなければ他に音もなく静まり返っている。
(迷宮が割れた影響、か? 仕掛け以外で戦場崩壊なんてゲームに設定されていたとは思えないし)
戦闘領域が何らかの理由で破壊されて戦場の様子が一変するという演出はゲームでは良くあるものだ。
しかし、そういう仕掛けはいわゆるボスなどの敵を相手にする場合に設定されているもので、間違っても道中敵との戦闘中に不意に襲い掛かるイベントではない。
(あるいは、そういうフラグがどこかにあったか。どちらにせよ、確認のしようもないけど)
自分の認識していない何処かで誰かが何かを引き起こした余波の可能性もある。
原因は考えても不明だし、やるべき事が変わりはしないのだが。
戦闘用装備に切り替えて光源の無い暗がりへと足を踏み入れる。
能力として取得している暗闇耐性や暗視の技能が効いているのか、光が無いくらいでは行動に支障はない。
それでいて閃光で脳が焼かれるような苦痛を味わうこともないのだから、現実の暗視ゴーグルとは比較にならない性能の『目』だ。
閃光への耐性も有しているので太陽を直接見ても目が焼かれることも無いだろう。
試したわけではないけれども。
「うぉっ、暗っ!?」
「待ってください。今、明かりを―――」
後ろがにわかに煩い。
問いかけるようにイリスが視線を向けてくるが、小さく頭を振って諦める。
物理的な排除はさすがにやりたくないし、撒くためには相応に危険を背負うことになるからだ。
未探索の領域を、後ろを気にして駆け抜けるような行動は控えたいところ。
(騒音と不注意が後ろをうろつくのと、どちらがリスクを抑えられるかは疑問だけど)
吐き出しそうになった溜息を呑み込んで、ノアは通路に満ちる闇を静かに見据えた。