42 夢と現の狭間に
白。
視界を埋め尽くすほどの白い世界。
これが旅先での雪景色なら心躍るのかもしれない。
けれど、目覚めて不意に視界が真っ白では不安しか感じない。
「・・・ここ、は・・・?」
見渡す限りの白の中には特に何もないようだ。
地面も空も純白で地平線も溶け合ってしまったようにすら感じる。
漏れ出た誰にともない問いかけは虚しく溶けて消えた。
「ええ、と。何が、どうなったんだっけ・・・?」
声に出してみたものの、やはりというべきか返答はない。
そもそも周囲に人の気配が―――
「―――はぁっ!」
「っ!」
唐突に湧いて出た気配と共に放たれた刃の一撃を地面を転がって避ける。
慌てて体勢を整えようと顔を上げたところへ、側頭に向けて回し蹴りが飛んできた。
左腕を上げて防御―――すると、ふわりと舞った白いプリーツスカートの中身が視界に映る。
「空色のレース下着・・・?」
「それが何か?」
純粋に疑問だっただけなのか、羞恥の欠片もない声音が返ってきた。
ついでに上段から振り下ろされる刃に、慌てて迎撃のために抜刀―――しようと思ったが、腰に刀が無い。
焦燥を抱きつつもさらに地面を転がって刃を避けて距離を取る、と今度は追撃が無かった。
「いきなり―――え・・・?」
不意打ちに文句を言おうとして固まった。
艶やかで麗しい長く黒い髪。
しなやかなではあるが豊満と言っていい肉付きの肢体。
蒼く輝くやや鋭い双眸は静かにこちらを見据えている。
見知った美女はこちらが驚愕で固まっていると眼前で、ゆるりとした優美な仕草で刀を構えた。
かと思えば、身構える隙も与えてくれず滑る様に距離を詰めてくる。
「っ!」
一瞬、武器を帯びていないという事実を完全に失念した。
しかし、結果としてそれは正解だった。
―――ガ、ギン・・・っ!
金属が打ち合うような、けれど微妙に何かが違う音が弾ける。
手の中には確かな重さを感じるが、光が凝ったような純白の刃はどこか偽物じみている。
そもそも刃紋も大した厚みもないソレでは紙っぺらで工作した玩具と大差ない気しかしない。
だというのに、振るわれた鋼の刀身と鍔迫り合いを演じられることに違和感ばかりが募る。
「ぐ、ぅ・・・一体、何だって言うんだ・・・っ!?」
「・・・」
体勢で負けているからか、無言の『彼女』に押し込まれそうになった。
いや、そもそも勝てる要素などないのかもしれない。
「だから、って・・・!」
このまま負けてやるつもりもなかった。
歯を食いしばって耐えながらも、蹴打で鳩尾を狙う。
当然の如く即応した足技で迎撃されはしたが、衝撃で僅かに間が開く。
ホンの一呼吸。
けれど、体勢を整えるには十分すぎる。
「はぁっ!」
攻守交替とばかりに果敢に攻め掛かる。
一合、二合、三合・・・、と自分なりに早く鋭い斬撃を放つが、あっさりと対応されて受け流された。
斬撃が交錯する際に火花が散っていく。
「ホントに! 何が、どうなってんだか・・・っ!」
「理解できているのでは?」
「そんなわけが無いだろうに!」
不満ごと吐き出すような怒声と共に刃を打ち据えるが、相手は生きひとつ乱さない。
そもそも、呼吸というモノを必要としていないのかもしれないが。
そんな考えが過るくらいには混乱もするというものだ。
彼女の瞳に映るまったく同じ造形の自分の顔を視界に捉えればなおのこと。
何が起こっているのかなど理解はできないが、ある程度ならば感じ取れるモノもあったりはする。
「ここで殺せば『本物』になれるとでも!?」
「そんなわけがない。勘違い」
これが『魂』のようなもの同士の戦いなら負ければ『肉体』の主導権を取られるのかもしれない。
そんな風に考えたのだが、彼女が言うには杞憂という事のようだ。
言葉の倍以上の斬撃の応酬を撃ち合いつつ、正体と思惑を探ろうと苦心する。
見た目に惑わされるな、というのは良く聞くが、今回の場合は見た目にも意味があるような気がした。
「いきなり、斬りかかってきて・・・理由くらい・・・!」
「アナタは、わかっているはず」
囁き声が落ちた直後、彼女の握る刀が暴風を纏う。
こちらの刃はあっさりと弾き飛ばされ、摺り足での歩法でスルリと懐へと踏み込んでくる。
「っ!」
「大丈夫」
次の瞬間には、あっさりと組み伏せられて身動きが取れない。
初撃の時点で技量が劣っているのは理解していたが、わずかに身動ぎする程度しか抵抗できなくなるのはどんな技術だ。
胸を潰されたからか呼吸が苦しく、吐き出す息は細い。
「はっ、ふっ、はっ・・・」
「私はアナタ。でも、アナタは―――」
どういう意味だ、と問う言葉は形にならず、喘ぐことしかできなかった。
ぐい、と押し付けられた膝に力が入れば全身に痺れが奔る。
「・・・あんっ、ぐぅ・・・」
「大丈夫。思っていたよりも、ずっと」
抑揚に乏しい、囁くような声。
言葉と共に甘い吐息が頬を撫で、視界に映るのは慈愛に満ちた微笑み。
彼女が何を想い、何を感じているのかが全くわからずこちらが混乱している内に、そっと顔を寄せる。
「私は、アナタ。だから―――」
―――。
――――――。
―――――――――。
―――・・・・・・。
「・・・ん・・・っ」
薄ぼんやりとしてはいるが、目が覚めたという感覚がある。
身体は重く、気怠くて、吐息には僅かに熱が篭った。
「お目覚めになられましたか?」
「う、ん・・・」
曖昧に頷くと、眼前の何かが落ちてくる。
ふよんっ、と柔らかな感触が顔を覆うが、これはこれで困惑するばかり。
「・・・イリ、ス?」
「まだ、少し惚けていらっしゃいますか?」
「呆れてはいるけど、とりあえず起きてる」
重量感のある、桃の香りのクッションを押し退ける。
こういうスキンシップは3人とも好きらしい。
ともかく、こんなにゆったりとしているということは周囲の危険はさほどないということだろう。
他2名ならともかく、イリスはその辺は抜かりないだろうし。
「ん・・・ぁ・・・っ!?」
立ち上がろうとしたが、脚に力が入らず崩れ落ちる。
倒れる身体は背後から優しく抱き留められて母性の象徴にノアの後頭部が埋まった。
「無理は、禁物ですよ?」
「それはそうだけど」
事実、まともに立つこともできないほどの疲労が身を包んでいるのを今更ながら実感している。
けれど、どこか納得できない気持ちが沸きだしたのは何故だろうか。
抱き締められたままという状況から抜け出すのも難しそうだ。
色々な意味で。
「・・・どのくらい、寝ていたの?」
「半日ほどでしょうか。落下の衝撃と落石による痛打、それに疲労が重なったのでしょう」
「衝撃に対して無敵というわけにはいかなかったか」
常人の肉体とは比較にならないほどの性能を持っている『ノア』の身体を過信し過ぎていたらしい。
装備を剥ぎ取られた格好をしていることを鑑みると一定時間以上の意識喪失で戦闘義体などの状態も解除されるという事だろう。
装甲板をいくらか張り付けたような軽装とはいえ、鎧姿で長時間眠っていたら節々を痛めそうだったのでその点では有り難い。
ただ、やはりというべきか睡眠という無防備な状態になるときには色々と気を付けなければならないと改めて心に刻む。
「他の、みんなは?」
「少なくとも周囲には・・・」
「むしろ、良かったというべきか」
床が割れて出現した地下への暗がりに飛び込んだのは覚えている。
あの時、落下したのはイリスだけで他の四人は『上』に留まることができていたはずだ。
下手に崩落に巻き込まれて押し潰されたという可能性は―――無いとは言えない、が。
「落ちてきた穴をよじ登るのは、できそう?」
「困難でしょう。どこがどう崩れたのかは把握できていませんが、瓦礫で埋まってしまいましたので」
詳しく聞くと、飛び込んだ大穴は垂直ではなく斜めに滑り落ちる様な形になっていて落下物と共にここまで転落してきたらしい。
岩やら瓦礫やら敵の残骸などと揉みくちゃになりながらも、何とか庇った―――守られたイリスは軽傷で済んだ。
だからこそ、埋もれた自分たちを何とか外へと引っ張り出すことができたということなのだが―――。
「よく、死ななかったなぁ。お互いに」
「ええ、本当に」
無意識なのか、ノアを抱く腕にわずかに力が籠る。
瓦礫に埋まった状態から脱出するだけでも労力を有するのに、さらに人一人引きずり出したのだから当然かもしれない。
そんな風に苦労を想像するノアとは別の理由で、イリスは心の底からの安堵と共に腕の中の温もりを失わないように力を込める。
落下だけでなく瓦礫で四肢がへし折れ、細いパイプが肩を貫き、細かな傷が全身に及んで血に塗れた状態だったのだ。
何よりも自分を庇って大切な主が死の危機に瀕するという状況が心胆を寒からしめた。
本来なら命懸けで護るべき相手に守られたという事実は、嬉しさと不甲斐なさで何とも言えない気持ちが湧き出てくる。
だからこそ、腕の中の愛しい、愛しい主を失いたくはないと思い、助ける事が出来たことに心の底から安堵した。
「どこか、不調はございませんか・・・?」
優しく髪を撫でながらイリスが問いかけると、腕の中の彼女は言い淀みそっと指先で自分の唇に触れる。
数秒の沈黙を経て、ノアは小さく嘆息を吐くと頭を振った。
「起き上がれないくらいだから、不調じゃない場所の方が少ないかな。腕や足には力が入らないし」
「それは・・・そう、ですわね」
「とはいえ、吐き気や頭痛は無いし、呼吸もおかしいところはなさそうだから少し休めば大丈夫」
「食欲があるのなら何か口にした方がよろしいでしょう。水分補給も忘れずに」
苦笑交じりに言われると、喉の渇きを自覚する。
とはいっても、自分で水袋を取り出すのも難しく、イリスに頼むしかない。
甲斐甲斐しく―――口移しは断固として拒否したが―――水袋を支えてもらってちびちびと水を口に含む。
この世界に来て早々に似たような状況になったこともあって気恥ずかしくはあっても拒絶感は薄い。
心底楽しそうに、嬉しそうに世話を焼く姿に、どうにも幼子のような扱いをされている気がしてならないのだけれども。
体感で五分ほどかけてゆっくりと水分補給を終えて人心地つくと疲労が残っているせいか眠気が襲ってくる。
「あらあら。お眠ですか?」
「その訊き方は少しイラつくけど・・・もうちょっとだけ、眠る、ね・・・」
抗い難い眠りへの誘惑に、さほど抵抗することもなく身を委ねてノアは全身を弛緩させた。
柔らかく温かい心地よさに包まれながら、意識が闇へと呑まれていく。
(―――アレが本当の『ノア』だとしたら)
僅かに残る生々しい唇の感触を思い出す。
眠りに堕ちる間に、思い浮かぶのは今の自分と同じ顔の麗しい女性。
夢のような、夢ではないあの場所でもう一度出会うことになるのだろうか。
(聞きたいことは山ほどあるけど―――)
「―――ホント、疲れ・・・た・・・」
完全に意識が落ちたノアの髪をしばらくの間、優しく撫でてからイリスは満足そうに微笑み、その額に軽く口づけを落とした。




