40 眠りを妨げるモノは
「―――うぉぉぉわわわわわぁぁぁあああ・・・っ!!!」
「っ!?」
聞き覚えの無い声での悲鳴。
漆黒の闇に雷光が奔ったかの如く、眠りに落ちていた意識が一瞬で覚醒する。
「痛っ・・・う・・・」
眠りに落ちる直前の記憶が飛んでいることに気が付いたが、ノアは飲酒した覚えもないのに鈍痛のする頭を小さく振って体を起こした。
中途半端に休息を入れたからか全身が重く、思考がぼんやりとしている。
「・・・ノア様」
「イリス、状況は?」
さりげなく手を添えて起き上がるのに手を貸しながらイリスが顔を寄せてきた。
声を潜めるためだと理解して、ノアも深呼吸ひとつしてから声のトーンを落とすように心掛ける。
隣で眠っていたらしいアルナが起きだすのを感じて、軽く周囲へと視線を投げた。
「フィルとカザジマは未だ寝ているか」
「はい。まだノア様とアルナ姉さんが眠ってから十分ほどしか経っておりませんので・・・」
そう言われると、何故か余計に疲れた気がしてくるから不思議である。
けれど、すぐに全員を起こさなかったということは緊急事態というわけでもなさそうだ。
今も深い眠りに落ちたままのフィルを気遣って声量を落としていることを考えても、すぐに戦闘や逃走が必要になるというわけではないらしい。
「どうも、別のパーティが古代遺跡の迷宮に入っているようなのよねぇ」
「別パーティ? まぁ、考えなかったわけじゃないけど・・・」
ゲームの時には『迷宮』というフィールドは特別な条件が無い場合は他のパーティと鉢合わせすることが無い。
複数パーティで協力するような難易度と設定されていない限りは、マップの中に入れるのはパーティ登録している六人だけ。
ゲームでは良くあることだが、同じダンジョンでも、同じエリアに入るというのは制限が設けられていることが多い。
難易度調整や処理の負担を低減するなど様々な効果がある。
まぁ、ゲームとしては多少のランダム要素があるとはいえ『同じマップ』を複数用意してそれぞれの部屋をパーティごとに割り振るだけなのだが。
しかし、現実となった今、ゲームの様に同じ場所をいくつも作ってパーティ毎に鉢合わせないような構造に変化する、というのは無理があるだろう。
同じ難易度で似たようなマップを多数用意してそこへ飛ばすことは私室のことを考えれば不可能かどうかはわからないけれども。
それはともかく、古代遺跡の迷宮は1パーティの入室制限があったダンジョンだが、現在その制限は生きていないらしい。
「・・・とっても面倒臭いなぁ・・・」
「うふふ。本音だとしても漏らしちゃダメよぉ」
アコルの言葉に、ノアは苦い思いを抱く。
対人交渉は得意不得意以前に、それほど多くの経験を持っているわけではない。
友人を多く作るタイプというわけでないのもそうだが、お互いの利益を鑑みて交渉する能力がまるで無いのだ。
そのあたりは社会経験が無いのだから当然とも言えるのだが。
「十中八九冒険者だとは思うのだけれどねぇ・・・」
「今の状況で会いたくないなぁ。友好的でも敵対的でも面倒になるイメージしか湧かない」
「食料でも要求されると厄介かもしれませんね」
隣で聞いていたアルナもノアの意見に同意のようだ。
今はフィルもダウンしている上に厄介なダンジョンの中。
背中から刺されるような事態に陥っても対応が難しいかもしれない。
こんな場所でいきなり遭遇した他人を信用するのは色々と難しいものだ。
少なくともノアは性善説を信じていないので、警戒心が思考の多くを占めた。
「遭遇しないのがベターだけど・・・。声が聞こえたって事は無理かもね」
「出口までの道を訊く、という手段もあると思うのだけれど?」
「その情報が信用できないし、時間経過で道が変わったり、トラップで道が塞がっていたら通れないだろうし・・・モンスターハウスにでも誘導されたら全滅の可能性もある」
「こんな場所でそこまで陰湿な行動をされるほど恨みを買ったことは無いと思いたいのだけれどねぇ」
アコルは半ば呆れたように笑みを浮かべるが、別に恨みなど無くともそういう状況に陥ることはあり得る。
窮地に陥れた後に脅しじみ方法で何かを要求されることもあるのだし。
食料や装備、金銭、あるいは―――
「マスター?」
「・・・何でもない」
―――すぐ傍にある綺麗な顔にわずかに視線を向けただけでアルナが小首を傾げる。
寝起きで普段よりも無防備な姿だからか、嫌な想像を思い描いてしまった。
冒険者やパートナーNPCなら珍しい事ではないが、アルナを含め、ここに居るのは見目麗しい淑女ばかりだ。
そんな女性たちに対してそこまでして要求する項目の一つとしてはあり得る。
(追い詰めた上で要求するような輩に、アルナ達が下種な欲望に穢されるのは考えるのも嫌だなぁ・・・)
この時ノアは自分もそういう対象になる可能性というのを完全に失念していた。
「・・・ともかく、少しは準備しようか。無防備なところに迎え入れるのは敵味方関係なく嫌だし」
「ふふ、そうねぇ。アナタの柔肌を他人に晒すのは他の子たちが許さないでしょうから」
「へ・・・?」
楽しそうに言うアコルの言葉にアルナとイリスが頷きを返す。
すぐには言葉の意味が分からなかったが、そこでようやく自分の服装がトンデモないことになっていると気が付いた。
「にゃっ?! ぁえ!? は!? な、何でこんな―――」
「ノア様。下着はこちらに用意してございますので・・・」
ほとんど裸に近い、透けている薄紅色のネグリジェのみを身に纏った扇情的な格好。
むしろ生まれたままの姿の方が、羞恥心が少ないと思えるくらいだった。
混乱しつつもイリスの手からひったくるように下着を受け取ってそそくさと身に着けた。
下はともかく、上は色々な種類があるようだが、ノアの場合は身に着け方に不安があるためシャツと似たような感覚で使用できるスポーツブラを使用している。
フロントホックなら割と簡単に身に着けられるが、野営の準備などをする際に少し動くだけで簡単に外れることもあって、あまり使用していない。
(というか、あの薄いのだけで上も下も身に着けずに寝ていたのか・・・ナニか、されていないよね・・・?)
不安を抱きつつも、この場で問い質すのは首を絞める行為なので止めておく。
そんなことで疑心暗鬼になって仲間割れなんてしている場合ではないのだから。
手早く受け取った黒い下着の上に簡素なシャツとハーフパンツだけ身に着けて準備完了。
戦闘用の装備は別途、展開するので特に防具の類は必要ないし、肌寒さを感じるほどの気温でもない。
横でアルナも色こそ違うが同じ服装に着替え、鋭い視線で周囲を見回す。
少しはスッキリしたようだが、表情には疲労が残っているようで心配になる。
「アルナ、もう少し休んでいてもいいんだよ?」
「いえ。状況がわからなければ落ち着きませんので・・・マスターこそ、休んでいて欲しいのですが・・・」
「気になって眠れそうにないから、仕方がないね」
アルナやイリスもノアの性格がわかってきたのか、笑みを浮かべるだけでそれ以上の苦言を呈することはなかった。
本音であればゆっくりと休息していて欲しいところだが、何かが起これば結局判断を仰ぐために声を掛けることになるだろう。
何より周囲の騒めきに気を取られてはリラックスするのは難しい。
「それで? 悲鳴がしていたようだけど、どういう状況なの?」
「正直、よくわからないのよねぇ。叫び声が響いてきただけで、この広間に入ってきたわけではないから」
「偵察に出ますか?」
アルナの言葉にノアは頭を振る。
起きていたイリスやアコルにしても声が聞こえただけで多くの情報を持っているというわけではないらしい。
彼女たちが先に接触していたら別の考えも出てきたかもしれないが、積極的に行動するべき場面ではないような気がする。
少なくとも、ノアにとっての最善とは別パーティとは遭遇することなく迷宮を抜けることだ。
「・・・とりあえず、警戒しつつ防衛の準備。敵とは思わないけど、疲れ切って動けないメンバーが居るから」
「わかりました。引き渡す用に食事や毛布などは準備しておきますか?」
「友好を示して交渉するなら用意しておいても良いかもしれないけど・・・今回は先んじて準備しておく必要はないかな」
事前に手渡せる物資を洗い出しておくのは有用ではあるが、それは譲歩を前提とした弱腰な態度でもある。
こちらに交渉してでも入手したい何か―――薬など―――があるなら別だが、物資的には今のところ問題は発生していない。
食料や装備の予備、野営に必要となる物資に、医薬品の類といった物は入念に準備していたからだ。
そういった物品の消費はノアの想定を大きく上回る事態には陥らなかった。
戦闘・戦術関連と地形に関して、それに睡眠なしで三日も彷徨う事になったりと別の要素では予想外がいくつかあったのだが。
今、最も欲しいのは疲弊を回復できるだけの安全な時間である。
「今のところ、何かが必要っていうわけでもないものねぇ」
「向こうも冒険者だし、お互いに普通の人間って括りには入らないだろうから霊倉の腰鞄があれば基本的な物資には困らないだろうし」
「そうねぇ。食品や日用品、寝具は持ち歩きし放題って言っていいくらいだものねぇ」
重量とスペースを無視して荷物を持ち運べる霊倉の腰鞄は一般人からしたら反則でしかない。
持ち運べる品目の種類は上限があるものの、それですら―――ゲーム時の課金による拡張が反映されているようなので個人差はあるが―――百を越える。
無人島に何か1つ持っていくとしたら何?という質問があるが、百種類の物品を持っていけるのなら無人島だったとしてもある程度は生活ができるだろう。
ダンジョンだって補充ができない場所、という意味では無人島と似たようなモノ・・・でもないか。
無人島のサバイバルなら道具を自作したり、自生している動植物から食料も入手できるのだから、迷宮の方が環境としては厳しいかもしれない。
「お相手の方々から求められるとしたら、薬の類となるのでしょうか?」
「あり得るかなぁ。麻痺と魅了はこの迷宮の噂としては有名だし対策くらいしていそうだけど、治療薬を用意していても足りなくなる可能性はあるから」
イリスの言葉に促されるように思考が回り始めた。
そういった特殊な能力を持つ相手とは、実はすでにノアたちも遭遇している。
けれど、一度通過したことのある場所であったこともあり、対策は万全と言っていい。
状態異常を操る敵の耐久力は基本的に低く設定されているということもあって、今までは問題なく対処できていた。
どちらかと言えばノアたちにとっては対応策を用意していた絡め手主体の相手よりも、射撃や爆撃で力押ししてくる敵の方が応戦するのが難しく感じている。
「うちは状態異常の耐性も総じて上げているし、あんまり薬を使う機会もないんだよね」
「念のためにそれなりのストックはありますが・・・」
「そのくらいなら放出しても大きな損失にはならないけど」
アルナは気が進まなそうだが、そういった状態異常治療薬は『錬金術』―――プレイヤーがアイテムを生成する手段で増やすことが可能だ。
基となる素材は大量に貯め込んだままの状態で倉庫に眠っているのを確認しているので、補充することは難しくない。
ダンジョンを抜けることができた後ならば、だが。
「まぁ、術理で治療できるわけだから譲っても大丈夫。全部って言うのは問題あるけど」
「何らかの理由で術理による治療を行うことができない場合はありますものね」
イリスの言葉に頷きを返す。
ゲームの時にはAPで表示されていた魔力のようなものが尽きれば術理は使用することができない。
戦闘中ともなれば別のことに対処しなければならなかったり、ダメージを受けてそれどころではない場合も考えられる。
しかし、そこまで考慮に入れても大量に保持している薬を消費しきることはないだろう。
「交渉に使うとしたらそういうモノかしらねぇ。使用済みの下着とか出してみる?」
「相手が見た目も中身も男だとは限らないし、そもそも対話が成立するかも不明なんだけど」
悪戯っぽく笑ってノアが着ていた薄紅色のネグリジェを掲げて見せるアコルに呆れながらも返す。
その手から素早く大事なところを隠すことすらできない衣装を奪い取って術理で火をつけ、適当な落とし穴に投げ込んでおく。
後ろでイリスが「あぁ・・・」と情けない声を漏らしていたが気にしては負けと無視を決め込む。
「最悪、暴漢みたいな奴らなら交戦することも視野に入れておかないと」
「あんまり疑いたくはないものだけれど、仕方がないわねぇ」
冒険者の全てが善良でないことはアコルも把握している。
元からの犯罪者やらアカウント停止措置をされるような元プレイヤーは居ないだろうが、この異世界ともつかない場所で理性を以て善良であり続けるのも難しい。
そうでなくとも多少の迷惑行為をするような冒険者はそれなりの数が居たはずなのだから。
実際、水の街でも冒険者という圧倒的な武力を背景に婦女暴行を働く不届き者は存在したらしい。
すぐに騎士団に捕まったということだが、倫理や道徳というのは心ひとつで砕かれる淡いものであるという証明な気もした。
まして、街中なら騎士団のような抑止力があるが、ここはダンジョンの中。
口封じも出来れば、暴力行為を行っても証明する方法など何もない他人の目の無い場所。
一般的には犯罪行為と言われることもやろうと思えばやり放題だ。
「とりあえず、アルナは寝ている二人の守護を」
「・・・わかりました」
間が開いたのは彼女が前に出たいと思ったからだろう。
けれど、メンバーを考えれば最も防御に長けたアルナを無防備な二人に付けるのは自然な流れだ。
そんなわけで、彼女も理解はしたが心から納得はしていないという複雑な心境で頷いたのだった。
「さて、それじゃあ、イリスとアコルさんは一緒に―――」
「―――うわぁぁぁあああ・・・っ!!!」
言葉の途中でバギバギと何かが壊れる音と共に悲鳴が広間に響き渡った。