39 穴というモノの使い道
「ここは・・・」
隊列を変更して進むことホンの数十分。
敵と遭遇するよりも早く、ノアを先頭にした一行は開けた空間へと到達した。
壁は相変わらず七色のラインが輝く良くわからない金属とも煉瓦のようなモノとも言い切れない何か。
しかし、そこは体育館ほどの広さの空間が広がっており、四方へと通路が伸びている。
分かれ道はこれまでもいくつか目にしたが、こういった部屋に出くわすのは今回の探索では初めてだった。
「罠部屋?」
室内は視界を覆いつくすほどの赤い線が浮かび上がっている。
どの線がどの罠を形成しているのかもノアには全てが理解できるわけではないが、とりあえず危険な部屋だというのは理解できた。
「戻って迂回、いたしますか・・・?」
戸惑いがちにイリスが問いを発する。
ひとつ前の分岐はもう随分と前―――四体のブラステリアという敵に詰められた戦闘をしたのよりも過去のことだ。
時間にすれば半日ほど前になる道筋を引き返す、というのは精神的な疲労感が強い。
「いや、いくつか罠を解除してここで休もう」
「え? ここで、でしょうか?」
イリスが戸惑うのも無理はない。
罠部屋というのはゲーム的にはプレイヤー側が一方的に不利になるエリアだ。
なにせ敵性存在は罠に掛かることが無く、味方は行動を制限され、場合によっては即座に戦闘不能に陥る。
罠の数も多く解除が手間なためゲームでの攻略では迂回することが多いのは確かだ。
「この部屋がこんなに有り難く思えたのは初めてだよ」
「ありがたい、って―――」
アコルの言葉を聞き終える前に、ノアは軽く跳んだ。
その足が『落とし穴』を踏み、床に大きな穴が口を開く。
が、落下よりも早く再度跳躍してノアは元の位置へと戻ってきた。
「ああ、なるほどねぇ」
「爆発系とレーザーのトラップは解除して、残りは起動させてから利用しよう」
アコルが納得したように頷きを返す。
あっという間にノアが野営のテント用に持ってきていた木材と厚く強度のある布地で簡易の橋を穴に掛けたからというのもある。
人程度の重量なら難なく渡れる程度の強度ではあるが、金属でできた多くの敵はこんな橋を渡ることはできない。
隠そうともしない罠の橋ではあるが、これで大半の敵の足を止めること見込めるのだから悪くはない。
「こういう風に罠を再利用するのは、ゲームじゃできなかったものねぇ」
「落とし穴が自動で塞がらない仕様には感謝だけどね」
元々は入るたびに一新されるマップのため、罠は解除に失敗すると通行不能になる仕様だった。
これは迫り出す壁や釣り天井もほぼ同じで、起動させれば通路は塞がり、広間ならば柱が出現する。
どこにそんな質量が収納されていたのかは不明だが。
(特に釣り天井なんて鎖で良い気がするんだけど)
などと思ったりもしたが、今は障害物を作成できるので有用な機能だと感謝しておく。
爆発物を投げ込まれると問題があるが、単純な射撃攻撃を防ぐ壁があった方が戦いやすいくらいだ。
罠を起動して作った幾つかの柱を遮蔽物に天幕を張って榴弾を防ぐようにしておけば奇襲は防げるだろう、と判断しておく。
知恵の回る人間ならともかく、相手は獣よりも無機質で応用の利かない機械。
先に障害物を破壊して綿密に攻撃してくるというのは、ここまでの戦闘の経験から考えづらい。
射線に障害物がある程度ではグレネードの射撃を躊躇わないのはすでに十分思い知った後だ。
「―――これで、とりあえずは休息できる」
ノアに従ってイリスが次々に罠を解除し、アコルが走り回って柱を作り、カザジマが射線を遮るための幕を張った。
そうしてようやく部屋の隅に小さな休憩スペースを生み出したことで、色々と気が緩む。
四つあった通路の一つは罠を利用して封鎖してしまい、残りは逃げ込めるように罠を解除してある。
部屋にはいくつもの穴が入り口同様、簡易な布の橋で塞がっていて、少なくとも重量のある敵なら足止めができるだろう。
さすがに見えている罠に自分たちが引っかかることは無いと思いたい。
「じゃあ、順番に仮眠を取ろうか。番は二人制で」
「なら、私が―――」
「アルナは先に寝て。君の能力は常に有用なんだから、真っ先に回復してもらわないと」
真っ先に声を上げたアルナの肩を掴んで無理やりに座らせる。
すでに寝袋を敷いて作った簡易の寝床で眠っているフィルの横に。
妹がそれだけの疲労を抱えているというのに真横で大騒ぎをするほど彼女は子供ではない。
自身の疲弊具合も把握しており、確かに休息を取らなければまともに能力を扱うことも出来なさそうだった。
不完全な状態では主の期待に応えるのも難しい、と渋々黙り込む。
「とりあえず、アルナとフィルは優先で後はカザジマと―――」
「ア・ナ・タが、休むべきよぉ」
こちらも有無を言わさず、腰を上げようとしたノアはアコルによって座らされた。
「え? でも、回復のできるイリスが先に休んだ方が―――」
「だーめ。頭が休まないと部下も休みにくいモノよ?」
アコルの言葉に激しく首肯するアルナと、満面の笑みで同意を示すイリス。
本人的には無理をしているつもりはなかったが、休息時間を考えれば疲労度は似たようなモノだろう。
姉妹の方もだが、アコルも引く様子はなく、拒否権はなさそうだった。
「・・・わかった。けど、その前に食事と、多少なりとも身体を清めよう」
「それは―――確かに、そうねぇ」
意識したからか「くぅ・・・」と腹の音が鳴る。
顔を真っ赤にしたのはイリスだったのだが、音の聞こえ方的にアルナだったような・・・。
空腹もだが、清掃の行き届いているとは言い難い迷宮の中で転がり回ってきたのだ。
埃と汗に煤なんかも加わって全身が結構に不快なことになっている。
排泄物を垂れ流すようなことはしていないが、予想していたよりも色々なところが蒸れて匂いも気になり始めていた。
「ちょうどよく、ゴミを捨てられそうな穴もたくさんあるし、本格的に休憩しよう」
「空気も通っている様子ですので、温かい物を提供できそうですわ」
「眠るにしても、このままだと気持ちが悪いものねぇ」
そうと決まれば早いもので、天幕と落とし穴を利用して簡易のトイレを作成。
焚き火用の資材で簡単なキッチンを用意し、大量に用意していた水袋で簡素なシャワーを設置。
排水が落とし穴に向かうように床板を敷いて水が周囲へ影響しないようにするのが地味に大変だった。
アルナの能力を使えば自室に戻ることも可能かとも思ったが迷宮の中では『鍵』が機能しないようだ。
真っ先に汗を流すのはカザジマ。
理由は、一番に眠って貰うためだ。
ノアは『中身』のこともあるのでさして気にする必要もないと考えたが、身体が勝手に反応してしまうとのこと。
ナニが、とは言わないが。
「さて、さっくりと食事も用意しちゃおうか」
「腕によりを掛けて用意いたしますわ」
「いや、そんな手間をかける必要ないからね?」
疲労しているのは承知しているので無用に体力を消耗する必要もない。
むしろ、イリスは生き生きした様子なのだが、それでも手を抜けるところは抜いておくべきだ。
温かい物を用意するのは、それによって副交感神経を刺激して休息の効果を高めるため。
落ち着いて食事の準備ができると実感させて精神的な疲労の軽減の効果も期待している。
(素人考えだし、どのくらい効果があるかは不明だけど)
そう思いながらもノアはテキパキとシチューの準備を進めていた。
事前に切ったり火を通したりした準備の終わった状態の材料を順番に鍋へと放り込んでいくだけだが。
出来たものを温めるだけにしないのは、同じような材料でカレーやビーフシチューなど味の幅を広げるため。
そして、多少なりとも調理しているという実感を得るためだったりする。
料理に関する技能は『ノア』が習得していなかったこともあって、レトルトやコンビニ弁当が多かった現代人たる彼女には少々苦労があった。
少しずつ学んでいるけれども、こんな状況で手早く手際よく色々と作れるほどには習熟していないのでこんな形を取っている。
それでも、ちょっとくらい料理ができると見栄が張りたいお年頃なわけで、そんな様子をイリスとアコルは微笑まし気に見守るのだった。
どちらにしても味付けを含めた大部分の作業はイリスとアコルに任せるのだけれど。
―――十数分後。
すでにカザジマは眠りに落ちた。
さっぱりとした後に満腹になって、疲労という名の催眠術で睡魔に強制的に意識を奪われたらしい。
見た目通りに豪快な鼾を漏らし、時たま露出している腹を掻く。三度ほど毛布を掛けたが自分ではぎ取ってしまった。
正直、こんな女子中学生見たくないな、と思うのと、こんな親父居るよなぁ、という二つの感想が同時に漏れて何とも言えない気分になる。
それはそれとして―――
「―――なんで、君たちが後ろに待機しているのかな?」
無視したいところだったが、流石に無視できない。
身体を清めようと脱衣の準備を進めている最中に、真後ろにアコルとイリス、そしてアルナが待機しているのだから。
全員が銭湯にでも行くかのような古風な入浴セットを抱えて、である。
「うふふ。気にしなくていいのよぉ?」
「先に入りたいなら―――」
「ご奉仕いたしますわ、ノア様」
そこはせめて「お背中御流しいたします」くらいに留めておくべきだろう、とノアは頬を引き攣らせた。
イリスの場合は本気でヤる。下手したらフィルの魔眼による魅了よりも本格的に骨抜きになるくらいに。
横でアルナが頬を上気させて、けれど爛々とした瞳で見詰めてくるのも怖い。
アコルに関しては、正直わからないが危険な何かを感じている。
「・・・無駄に体力を使わないで、普通に汗を流すだけだからね?」
「もちろんですわ! 汗を流すだけでしょうとも!」
満面の笑みがとても怖い。
けれども、拒絶するだけの理由と気力が無いのも事実だった。
一緒に入浴するなんてことはとうの昔に済ませた通過儀礼だからだ。
何なら身体を動かすのにも四苦八苦していたころに幼子の様にトイレも手伝ってもらったくらいである。
裸を見られるくらいは今更羞恥を抱くことすら烏滸がましい。
「大して広くもないんだから、本当に大人しくしていてよ?」
「もちろんにございますわ!」
やけに覇気のある声音をイリスが返してきて、嘆息吐きながらも受け入れることにする。
時間的にも水の資源的にも一緒に入るのはある意味で合理的だ。
敵の接近を感知する仕掛けは複数設置してあるし、戦闘義体を展開すれば着替えの必要もない。
要するに起きてさえいれば見張りはそれほど重要ではないということだった。
全くの不要とは思わないが水浴びする十数分くらいなら大丈夫だろう。
甘い考えではあったが、そこまで思考を回すのも説得する手間も面倒だったので放置する。
やはりノアもだいぶ疲労が溜まっているという事らしい。
「ふふ、女同士というのも楽しいものよねぇ」
「不穏なこと言わないでください、アコルさん。サッパリするだけですから」
「マスター。背中、洗いますね?」
「いや、タイミング早すぎでしょ!?」
戦闘義体を解除し、私服を脱いだ途端の台詞に思わず突っ込む。
ちなみに、戦闘中と通常時は『別の身体』のハズなのだが、戦闘中の色々が通常時にも影響を与えるようだ。
大きな傷を負っていれば致命傷を受けることもあるらしいが、目下の問題はどちらかというと汗や埃などの汚れ。
ある程度は軽減されるようだが、解除した後も八割以上は汚れが残ってしまう。
これが傷にも適応されると考えれば戦闘状態の間に回復しておくのは重要なことだろう。
ともかく、解除したからと言ってそれで清潔になるというわけではないということだ。
ついでに言えば寝汗みたいなものだろうとは思うが、特に戦闘状態で汚れるようなことが無くとも汗でべた付いたりは結構する。
新陳代謝はほとんど止まっているはずなのにかなりの謎ではあるが、そういうモノと納得するしかない。
「まったく、水で体を洗うだけなんだからちょっとは落ち着いて―――」
「ノア様。前、失礼しますね」
「ちょ、イリス!? 前って、必要な―――あぅんっ!」
「じゃあ、私は耳でも」
「耳!? って、なんでそんなとこ!? だめっ―――ふひゃっ!?」
四方八方から揉みくちゃにされて、抵抗の余地もなかった。
そもそもステータス的には大きな差が無い相手が三人がかりなのだから勝てるはずもない。
何よりも『女の身体』を熟知しているのは当然ながら彼女たちの方であってノアは圧倒的に不利な状況。
なすすべなく良いように弄ばれ、身体の隅々まで触れ合い、きっちりと全身を―――
―――ピカピカに磨き上げられた。
困惑と混乱と衝撃と、様々な理由から頭の中が真っ白になった状態のまま、薄手のネグリジェだけ着せられて放り出される。
自覚が薄かったがかなりの疲労を溜め込んでいたようで、ノアは薄着のまま寝袋の上で気絶するように意識が眠りに落ちたのだった。




