38 薄闇に抱く
断続的な爆音が響く。
熱と爆風に背を押されながら、一行は全力で通路をひた走る。
ぽんっ!ぽんっ!と聞こえる空気の抜けるような音は気の抜けるようでいて、彼女たちにとっては緊張を増長させる要因でしかない。
「フィル! アコルさん!」
「ん!」「ええ!」
背後へ向けて雷光が駆け、無数に分裂した蛇腹剣が空を打つ。
攻撃が終わるのとほぼ同時に、攻撃後の硬直状態にあるフィルを抱きかかえて地面に伏せ、隣でイリスがアコルを庇って似たような体勢を取っているのが見える。
次の瞬間には轟音と爆炎の華が咲き乱れた。
「っ!」
爆風と共に撒き散らされる金属片。
マント代わりの外套は強靭で穴が開くことは無かったが、それでも衝撃が全身を叩く。
「マスター! 次が来ます!」
肺の中の空気が強制的に吐き出されて小さく呻いていたが、呼吸を整える暇もない。
アルナの声と、再度聞こえた、ぽんっ!ぽんっ!という音に急かされるように体を起こしながら転がる様にして走り始める。
「はぁっ・・・はぁっ・・・アルナ、壁!」
「はい!」
追撃に対応する余裕が無く、仕方なしに指示を飛ばす。
即座に従ったアルナが『幻影』の能力で通路を塞ぐように『盾』を生み出すとソコに何かがぶつかった音がして直後に爆発音が響く。
咄嗟の状況だったこともあって盾は爆炎を完全に防ぐことができずに罅割れて、隙間からは熱気と衝撃が溢れ出た。
「くっ、痛・・・カザジマ!」
「え? あ、えぇっ!?」
痛みを感じながらも腕の中に居た妖精を壮年の男へと投げ渡しながら、ノアは即座に反転し割れる盾の隙間へと身を躍らせる。
障壁装甲の限界を超えたのか、そもそも機能していないのかもわからないが炎と熱が肌を焼く。
「マスター・・・っ!」
後ろで叫ぶ声が遠い。
耳の感覚もおかしくなっているのかもしれない、などと思いながら刃を抜いた。
眼前まで迫っていたのはブラステリアという名の敵。
四足の下半身に甲冑を着込んだ騎士のような上半身。
左腕は長い発射筒を構えた大砲―――というかグレネード砲となっている。
そのシルエットは長槍を構えたかの有名なケンタウロスの騎士のようでもある。
敵としては前進が速く、そこそこの範囲を攻撃する榴弾をバラ撒いてくる厄介な敵だ。
また、半ば自爆に近い近接爆撃は脅威という他ない。
「・・・っ!」
自身の身長に倍する巨躯に威圧感を感じて息を呑む。
水の街でもっと巨大な敵と遭遇したが、アレはサイズが違い過ぎて実感が沸きづらかった。
けれど、目の前の敵はサイズで言えば大型バイクに人が乗っているようなもので、妙な現実感と言うか、恐怖を感じる。
今更になってバイクが突っ込んでくるのを幻視して身が竦むとはノア自身も考えても居なかった。
(っ! 止まるな! やれる・・・っ!)
刹那の硬直を内心の叱咤で解除して前へと踏み込む。
先ほどの『盾』が跳ね返した榴弾の爆炎を受けたからか敵の反応は鈍い。
鋭い踏み込みで一体目の横をすり抜け、通り際に脚部分を斬り捨ててさらに前へ。
二体目が突撃してくるのに合わせて壁を蹴り、宙を舞って首を斬り落とす。
空を躍るノアへ向けて三体目が砲口を向けてくるが、手甲と一体化している鞭を振るって絡め捕り上へと向けた。
―――ぽんっ!
吐き出された榴弾が天井で炸裂し、爆炎と衝撃が降り注ぐ。
圧し潰されるかのような衝撃を受けつつも地面を転がって受け身を取りつつ着地し、勢いのまま間合いを詰めて刃を振るう。
叩きつけられた反動で飛びあがる様に、地面スレスレから上空へ向かって勢いよく刀を斬り上げた。
榴弾砲を腕ごと真っ二つに断ち切り、直後に起こる爆発を背に感じながらノアはさらに宙を舞う。
ほとんど吹き飛ばされるような形で四体目の眼前に躍り出て、相手が構える隙も許さずに脳天から刃を突き立てる。
「あぁぁぁ・・・っ!!!」
刀を捻り上げると手に感じる異様な感覚。
ブチブチと何かが千切れ、ガリガリと何だかわからない物が削れ、ボキボキと何らかの硬質なモノが壊れる。
紫電が弾け肌を伝って周囲へと拡散されていくが、攻撃ではないためか痛みはない。
ブラステリアの身体がガクガクと不自然に痙攣したと思うと、すぐに動きが止まり崩れ落ちる。
「ノア様っ!」
一息、と考えた直後に飛んできたイリスの声に視線を返す。
と、初めに脚を斬った敵がこちらへ砲口を向けていた。
「うぇっ!?」
ぽんっ!
吐き出された榴弾が妙に遅く感じられる。
変な声が漏れてしまったが、ノアは素早く刀から手を離して串刺しにした残骸を盾にするように陰へと転がり込む。
一拍置いて巻き起こる至近での爆発に、一瞬だが視界と聴覚が奪われる。
先ほどは何ともなかったのに、と思ったが、地面を転がる間に回復しただけのような気もした。
「っ! アルナ、止めを!」
「はい!」
ぼんやりとした目と耳の状態のまま声を上げると、即座に応えが返ってくる。
視線だけで指示が出せたように、どうもパーティメンバーの声は聴覚の状態によらず聞き取れるようだ。
そして、この程度のダメージなら一呼吸分も時間があれば回復する。
耐久力だけでなく回復力も常人離れが激しいことを認識しつつ、回復した視界で残った一体へ視線を投げた。
「ふっ!!」
ノアの命令を忠実に、素早く実行に移したアルナが剣を振るったところだった。
一閃で胴を斬り落とし上半分がずるりと崩れ落ちて地面へと転がる。
金属が地面へとぶつかる重い音が響き渡ると、ようやくホッと一息吐けた。
「お、お怪我はありませんか!? ノア様!!」
「大丈夫、だと思うけど」
ゆっくりと立ち上がり、駆け寄ってくるイリスへ右腕を上げて応えると彼女は顔を青褪めさせた。
怪訝に思って挙げた手へと視線を向けると、装備は破け、半ば黒ずみ、火傷が広がって肌が爛れている。
「すっ、すぐに治療いたしますわ!」
慌てて彼女が緑の輝きを纏う両手で包み込むのを黙って受け入れた。
呆然としていたから、というのが大きな理由の一つだ。
イリスに触れられたというのにそれを感じなかったことにも驚きがある。
酷い火傷や蚯蚓腫れになっているというのに触れられても痛みすらない。
どうやら、痛みを含めて感覚が麻痺しているという事らしい。
どちらにせよ、出来ることは無いので治療されるがままに任せて二人揃ってその場に座り込む。
「・・・お姉ちゃん」
「あぁ、ありがとう」
フィルが泣き出しそうな顔を浮かべて寄ってくるので苦笑を浮かべる。
先ほどの爆破で弾け飛んだらしい刀を拾ってきてくれたので礼を述べて左手で受け取った。
「左腕は、大丈夫でしょうか・・・?」
「手甲で覆われているから、外してみないと何とも・・・って、どこ触ってっ!?」
「治療中です! 動かないでくださいっ!」
イリスの指先が頬を、首筋を伝い、胸元へと落ちる。
感覚が戻ってきたからか微かにくすぐったさを伴い、吐息が触れ合うほどに距離を詰められるとドキリとしてしまう。
それでも彼女が珍しくも荒く叱咤するので身を固くしながらもされるがままに好意を受け入れる。
事実、爆炎と電撃によって焼かれた傷はノアの想像を超えてかなりの範囲に広がっていてイリスが必死になるのも無理のない事だった。
傍から見れば一目瞭然のためアルナとフィルはもちろん、アコルやカザジマもそれに口を出すことは無い。
顔の三分の一を火傷で覆っている様な状態なのだから。
「・・・さすがに、疲れたね・・・」
その言葉の意味は今の戦闘だけを示したものではなかったがノアの呟きに、言葉もなく同意の気配だけが返ってくる。
賛同を示すかのように各々が壁に寄りかかり、敵の残骸を椅子代わりにしたり地面に座り込んだりしてホンの少し肩の力を抜く。
治療が終わるまでは、全員がこの場で小休止を取るということらしい。
古代遺跡の迷宮に足を踏み入れてから三日。
そう、すでに三日という時間をこの薄暗い空間で過ごしているのだ。
陽の光が無く、時間経過を示す外的要因は何一つないが、持ち込んだ『時計』では72時間以上の経過が確認できた。
その間にまともな休息というのはほぼ取れていない。
今のような小休止は幾度も挟んできたが、仮眠を取るほどのまとまった時間を確保できていないのだ。
幸いなことに戦闘義体なる出血表現を抑えるためだけに用意されたゲームの設定は色々な意味で有用だった。
この状態でいれば食事や排泄の必要が無いようで、長時間の行動がそれほど苦にはならない。
とはいっても、永遠に戦闘義体を展開しておくというのは不可能だ。
この状態を継続するのは適度に緊張感が必要で、精神的な疲労が溜まっていく。
気力とでも言うべきモノが尽きると戦闘義体は解け、その場で倒れ込むことになってしまう。
一行の中で最初に倒れたのはアコルだった。その直後にカザジマも。
そこからは適度に小休止を挟んで食事などを取っているが、迷宮の中に安全な場所というのは存在しないらしい。
(・・・外で使えた魔物避けの『陣』も効果が無いみたいだし)
ここまでの道のりは、さすがに一本道だけというわけではなかった。
しかし、広場や分かれ道が多少あったところで身を隠せるような場所というのには遭遇していない。
すでに眠気もだいぶ溜まってきており、ノアはもちろんだがアルナ達パートナーNPCですら疲労感を滲ませている。
HP以外に『体力』と言えるものが設定されていなかったゲームとはやはり何もかもが違う。
万全のつもりで準備してきたが、この程度では準備不足も甚だしいということのようだ。
「そろそろ、仮眠くらい取らないと厳しいか」
「ん・・・」
治療の邪魔を極力しないように、フィルがそっと背中に寄りかかってきた。
彼女だけでなく、治療をしてくれているイリスも額に汗を滲ませ目元には隈が浮かんでいる。
アルナですら会話に入らず壁に寄りかかって薄く目を閉じ体力の回復に専念しているくらいだ。
(無理もない。能力の高い三人の負担が大きくなるのは当然ではあるけど・・・)
特に消耗が激しいのがアルナとフィルだ。
二人とも通路を塞ぐ方法を有しているし、索敵能力も戦闘能力も高い。
アルナの『幻影』などは使い勝手もよく頼ってしまいがちだが、彼女の体力と気力を消耗させる。
先ほどの『盾』が本来の能力以上に脆かったことからもアルナの限界が近い事を物語っていた。
同様にフィルの術理も応用の幅が広く、対応力に優れ、距離を取って敵を攻撃できるものだ。
そのために多くのことを任せすぎてしまった。
自分でも扱ったためにノアも理解していたが術理などの能力を使うと勉強疲れのような疲労の仕方をする。
肉体的な疲労とは別種の消耗だが、索敵も担当させてしまったせいで疲弊は一番大きいかもしれない。
(それでも、保った方か・・・全員が疲労困憊とはいえ、三日の徹夜をしてマダ動けているんだし)
過去にこれほど長時間、連続して起きていた経験はノアには無かった。
世の中には「そのくらい」と言える人間が居るのだろうが、少なくとも彼女にとっては一日の徹夜ですら思考や行動に影響が出るものだ。
それを考えれば比較的だが思考能力が残っているという意味でマシな状態なのかもしれない。
「・・・終わりました。あまり、無茶をなさらないでください」
「ありがとう、イリス」
心底ホッとした表情を浮かべる彼女に微笑みかけた。
回復と補助の能力の高い彼女も疲労が顔に出てはいるが他の二人よりも余力がある。
もっともいざという時の治癒を担う回復役はチームの最後の要。
彼女に負担が集中しているようなら、もっと早い段階で全滅していただろう。
逆に言えばかなりのピンチでもイリスが余力を残しているだけで立て直しが利く可能性が高い。
だからこそ、ノアは少し思い悩んでから口を開く。
「・・・・・・イリス。悪いけどフィルと交代。索敵をお願い」
「え? マスター!?」
思わず、といった具合にアルナが声を上げた。
アコルとイリスも表情を強張らせ、けれど不平は口にしなかった。
「それと、アルナも少し休憩」
「しかし、マスター!」
「フィルのことをお願い。他の面子じゃあ流石に護り切れそうにないから」
苦笑しながら背中にも凭れ掛かったまま小さく寝息を漏らす少女をそっと抱く。
疲れ切った寝顔を確認して軽く頭を撫でるが完全に限界が来たのか、多少揺らした程度では目を覚ましそうにはない。
「予想していたよりも負担が偏った。だから、尻拭いをお願い」
「う・・・けど、マスター・・・」
「お願い」
半ば強引にフィルの身体を差し出すと、渋々と、色々な葛藤を表情に浮かべながらアルナは少女を引き受けた。
睨むというほどではないが半眼で見据えてくる彼女から視線を逸らして軽く頬を掻く。
「・・・ノア様」
「わかっている。とりあえず休息ポイントを早急に確保」
結局、手甲を外して見せることの無かった左腕の調子を軽く握ったり開いたりして感触が問題ない事を確認した。
パーティの最後の砦であるヒーラーに負担を強いる、ということは後が無いということに他ならない。
また、残りのメンバー的に前衛はノアが努めなければならない。
カザジマは意図が良く分かっていなかったのか不思議そうにしてはいるものの、雰囲気が伝わったのか小さく息を呑む。
逆に、状況を理解したアコルの方は、やれやれ、と言った様子で柔らかく微笑みを浮かべる。
「それじゃあ、頑張らないといけないわねぇ」
「うん。よろしく」
「・・・ええ」
軽く言ったノアの背に、アコルは複雑な感情を抱いて視線を投げた。
理由は単純で、六人の中で最も大きな負担を背負い込んでいるのが『彼女』だからだ。
自覚こそ薄いようだが、全体の指示を出しつつ状況を判断し、決断を下し、その上で遊撃として真っ先に敵へと斬り込んでいく。
ノアは本当に全員をよく見ていて、最初にアコルが倒れた後は誰かが限界を迎えるより早く休息を取るために指示を出す。
カザジマが倒れたのは連戦が長引いたためであって決して彼女の不手際ではない。
むしろ、全員の体調管理にまで気を配っている彼女が居なければ、初日で全員が倒れていただろう。
それ以前に、この迷宮まで辿り着けていたのかすらも疑問だった。
(私がアルナちゃんたちを従えていたとしても、たぶん無理だったでしょうね・・・)
アコルは自分にリーダーシップが無い事を自覚している。
行動力と決断力に乏しく、思慮が足らず、かといって気が利く方でもない。
だからこそ、一歩引いた立場でフォローの役割に徹しようと考えていた。
ノアの様に自然と気を回せるタイプではないので、意図して思考を回しできるだけ丁寧に。
そうして見守って来ていたからこそ、アコルには一つの懸念があった。
(アナタは、本当に大丈夫・・・?)
疲れた様子を見せない年下の女性の姿をした彼に、内心で不安を問いかける。
それに対しての答えは当然だが返ってくることは無かった。