32 暮れる日に変わりゆく
日はすっかりと暮れて、手頃な木立に提げた角灯が爛々とした輝きを放っている。
SSOというゲームを元とした世界―――と断定していいのかは未だにわからないが―――のためか、光源などの道具はあまり近代的というわけではない。
もちろん、錬金術という便利でチートな作成機能があるので素材と構造を理解していれば電灯だろうがLEDだろうが作成できるだろう。
残念なことにノアを含め周囲の会話した相手の中には多少の科学知識は持っていても工業製品に詳しい人間は居なかった。
持っていたとしても特に気にしなかっただけというのもある。
角灯といっても燃料はアウルという、この世界独特の特殊な力の源であり光源ではあるが熱を放っているわけではない。
見た目は古風なランタンでありながら火事の危険性もない便利な光源のため、近代科学の産物を再現する必要性を感じる人間は少ないだろう。
これはランタンに限った話でなく、コンロや冷蔵庫に空調などについても動力そのものが違うが使いかっては文明の利器と同等かそれ以上のモノも多い。
「できましたよ~」
そんなわけで全員の沐浴が終わり野営の準備が一通り終わった頃、イリスが屋外でも使える簡易コンロで煮込んでいた鍋を前に満面の笑みを浮かべた。
色取りどりの野菜、魚肉のすり身を固めた団子に豆腐やコンニャクすら入っていて『向こう』と遜色のない美味しそうな一品だ。
「「・・・うっ・・・」」
だが、メインの食材を目にした瞬間、アコルとカザジマは小さく呻いた。
結構な分量が用意されているスライス肉は、つい先ほど狩ったシルバーベアのものだ。
ノアは意図的に命を奪う行為を繰り返して『人』以外のモノに対してはずいぶんと慣れたが、事情により街の外に出ていなかった冒険者の二人は違う。
この一週間の旅程で血抜きや解体も経験はさせているが、自分たちで狩った獲物を食すことには未だに抵抗があるようだ。
かくいうノアも『殺人』―――自分の手で直接人の命を奪う行為に対する忌避感は澱のように残っているので全面的に非難するつもりもない。
本人的には自己正当化できるくらいの状況なら割り切ることも可能だとは思っているのだが。
「無理に肉に手を出さなくてもいいよ。パンもあるし、コンニャクや豆腐だってそれなりに歯応えが―――」
「ううん。食べる・・・いつまでも嫌がっている場合じゃないもん」
そういってカザジマは取り皿に肉を多めに取り、決意の表情を浮かべる。
壮年の男性が『もん』などと言い出してわずかに怖気を感じたが、ノアは黙っておたまを手に取り自分の分を取り分けた。
前は肉類の方が好きだったが、イリスの料理の腕が良いこともあってバランス良く何でも食べるようにしている。
ちなみにアルナも似たようなものでバランスよく何でも食し、フィルが採食の方が好みで、意外というかイリスは肉類の方が好みのようだ。
「私も、このままじゃいけないわよねぇ・・・カザジマちゃんも頑張るのだもの」
「時間を掛けて慣れていけばいいと思うけど。緊急を要するモノってわけじゃないのだから」
アコルも平然と、というわけにはいかないようだが少量の熊肉とその他具材を取り皿に盛る。
全員が食事の準備ができたところで、両手を合わせて『いただきます』と声を合わせて食事が始まった。
この習慣はかなり初期に三姉妹と食卓を囲むときにノアが始めたもので、同じ国の出身であるカザジマやアコルもすんなりと受け入れている。
同じ言葉を同時に唱えるのが楽しいのか、はたまた単純に食事が楽しみなのかフィルが常に満面の笑みを浮かべるのが印象的だ。
「あ・・・おいしい・・・」
「ほんとう、ね」
カザジマがその美味に頬を緩ませ、アコルは対照的に複雑な表情を浮かべている。
美味しいけれど自分たちで命を奪った相手の一部、と考えてしまうと素直に喜べないといったところか。
正直に言って、事前準備をしっかりしていれば冒険者は食事に困ることはない。
同じ料理を同じように梱包すれば霊倉の腰鞄に複数―――おそらくゲーム時の重ね持ち限界の99個まで―――持てるので二・三種類準備しておけば旅の食事は事足りる。
時間経過が存在しないと思われるので消費の期限を考える必要性もない事を考えれば心理的とはいえ、口にできない物を無理に食する理由はない。
けれど、ノアは積極的に食材となる相手を狩った時にはできる限り調理して食することにしている。
資金確保のための解体の訓練や慣れという側面もあるが、こういったサバイバルの経験は繰り返しておかないといざという時に役に立たないと考えたからだ。
調理もイリスが主になって行ってはいるが、少しずつ手解きを受けている最中である。
つまり、カザジマとアコルは付き合わされているだけなので拒否しても何の問題もない。
けれど二人は二人なりに色々なことを考えた結果、解体はもちろん、食事も同様に取っている。
(そういうところは、好ましいのだけど・・・)
ゲーマーの中には相手の都合も無視するような手合いも稀に居る。
SSOにもチート利用者やPKといった迷惑行為を行う人物もそれなりに居た。
おそらく、そういう人物がこの世界に来ているのだとしたら、ずいぶんと悲惨なことになっているだろう。
目の前の二人は比べるべくもなく、そういった人々よりも随分とマシではある。あるのだが・・・。
「・・・今日も、上手くいきませんでしたね」
食事が進み、過半を終えた頃に重苦しく口を開いたのはアルナだ。
このタイミングで反省会になるのはここ一週間の常だった。
「ごめんなさい。あたしが上手くできなかったから・・・」
「カザジマちゃんのせいじゃないわ~。私もやらかしちゃったし」
しょんぼりと肩を落とすカザジマにアコルが慰めるように自嘲気味の笑みを浮かべる。
難関である街と街を繋ぐ要所順路迷宮を前に、新たな二人を加えた連携は上手くいっていない。
ノア達の装備や能力を変更しつつ色々と試してはみたが、はっきりいえば四人の時の方が連携も戦闘効率もだいぶ高かったくらいだ。
戦力が増えたという利点が全く生かせていない。
「ノア様はどう思いますか?」
アルナやフィルに口を開かせるよりも早く、イリスが問いを発した。
あまり連日に至って割と直接的な言葉を投げつける二人の評価を聞かせるのを躊躇ったのかもしれない。
う~ん、と少しだけ考える仕草をすると、全員が彼女へ注目する。
三姉妹は当然のように主の評価が気になるし、カザジマとアコルにしても彼女に見捨てられることに恐怖を覚えたからだ。
ノアに役立たずと置き去りにされれば、まともに街まで帰る事すらできないということを理解しているのだから当然だけれども。
「・・・アルナ達に指示を出す役割は難しいかもしれない」
「「え?」」
予想していない言葉だったのか、アルナとイリスが同時に声を上げた。
その二人が立て直すよりも早く、ノアは思案しつつさらに言葉を続ける。
「そもそも冒険者は指示を出す能力を持っているんじゃないかな。瞬間的な意思疎通とか、そういうのを感じる瞬間がある」
「つまり、カザジマちゃんや私が指示を出せば上手くいくということかしら? 経験という意味なら、ずいぶんと劣ると思うのだけれど・・・」
自信がなさそうにアコルが言う。
事実、今までは戦闘の経験や判断力という点で上であるアルナやイリス、フィルを分隊長のように司令塔として人数を分けていた。
普通に考えればそれは間違いだとは思わないのだが、ノアは小さく頭を振る。
「なんて言うか・・・ゲームとしての能力が影響しているのなら、指示を出すのは冒険者の方が優位だと思う」
「おね―――ノアさん、どういうこと?」
呼び方を改めたカザジマが小首を傾げた。
頭の中にSSOの、ゲームの画面を思い浮かべながらノアは言葉を返す。
「SSOはアクションの要素も強いゲームではあったけど、RPGの性質も大きい。例えば再使用時間とか」
「それって普通じゃないの?」
「ゲームとしてはね。けど現実では何でもかんでもコレが適応されるわけがない」
例えば、特定の剣技などが挙げられる。
なぜ連続して使用できないのか、という疑問は解消されない―――どころか、今は普通に連続で使えるものが大半だった。
もちろん、大技の類は再使用時間とは別に『溜め』や隙のある大振り、術理なら詠唱や力の蓄積などの時間が必要になる。
「カザジマやアコルさんには別の―――ターン制RPGとかの方がイメージしやすいかもしれないけど」
「ターン制って?」
「プレイヤー側が行動を選択しない限り相手が動かない戦闘システムのゲームって考えればいいかな?」
アルナが「チェスなどですか?」と言われて、確かにボードゲームもその範疇なのかも知れないと思った。
将棋や囲碁、チェスなどは公式の試合などでは時間の持ち手が限られることも多いが、仲間内で遊ぶ分には時間による制限は無い場合も多いだろう。
ともかくとして、あの手のRPGゲームは主人公が自分と仲間の行動を決定するまでゲームの進展が存在しない。
それこそ離席して数時間どころか数日経ってもゲームの戦いは終わらないが、それは考えようによっては『時間が止まっている』のではないだろうか。
オンラインのアクションRPGであるSSOはそこまで極端ではないが、現実と比較すればではあるが戦闘中に余裕をもって仲間へ指示を飛ばすことが可能だ。
ボイスチャットやチャットの定型文を使えば冒険者同士でもある程度は可能だし、オートで戦闘するAIを搭載しているとはいえエインヘリヤルに対しても指示は出せる。
敵の行動も、現実で考えれば不自然な間や硬直、特定のパターンというものがあり、その安全な時間に作戦や対応を考えて戦闘していく。
「思ったんだけど、そういう『間』を現実に反映した場合って、思考の加速って形で表れているのかな、って」
先日の夜の港での戦闘中に強く感じた時間を引き延ばすような思考時間というのは、ゲーム的な『間』だったという考え方はノアの中での納得できる回答として存在していた。
もう一つの理由としては、どんなに小声でも、あるいは視線や仕草だけでもアルナ達が正確に作戦や指示を理解する、ということだ。
ゲームであればAIであるエインヘリヤルがプレイヤーの指示というコマンド操作を聞き逃すことなどあり得ないことなのだから。
「逆にエインヘリヤルであるアルナたちはそういう『チート』が無いから、複雑な戦闘での連携で指示を出すのが難しいんじゃないかな」
「・・・あたし、そういう風に色々考えられたことないよ?」
「考える前に攻撃を『決定』しているからかもしれないね」
仲間に対して瞬時に意図を伝えるなんてテレパシーじみた能力も、時間を引き延ばしたような思考時間の確保も本来ならあり得ない。
けれど、戦闘経験が足りていないはずのノアがこれほどの短期間で三姉妹と完璧な連携を作り上げられていることを考えれば無いとは言えなかった。
むしろそのくらいの『反映』が無ければ三姉妹の戦闘についていくことはできなかったと思っている。
「チームスポーツだって一呼吸の間に入れ代わり立ち代わりする連携を一朝一夕で完成させられるわけがない。人数が増えれば難易度は跳ね上がっていくのだし」
「そうねぇ。そう考えればできない方が当たり前なのかも」
「ましてや全員の役割も攻撃方法も間合いも能力も違うとなれば、やっぱり何か仕掛けというか、能力が冒険者にはあるのだと思う」
「それが逆にアルナちゃんたちからの指示だと上手くいかない理由というわけねぇ・・・」
アコルは納得したように頷きを返した。
もっと時間を掛ければ息をするように相互に支援、連携することも不可能ではないだろうが、一週間程度では形にならないのは道理だ。
それも野営や調理に移動と時間を取られているため、学生のスポーツよりも時間が取れていない上に毎日のように形を変えて試行錯誤していれば当然だろう。
色々な武装を試すことは今後に有益なため止めるつもりはないが。
「とりあえず、明日はアコルさんが指揮をお願いします」
「苦手なのだけれど、頑張ってみるわね~」
声も出さずフィルは不服そうに頬を膨らませたが、アルナとイリスは主の決定に従うつもりのようだ。
本来なら多少の意見が欲しいところだが、試してみた後で問題があれば修正すればいいだろうとノアは軽く考えた。
今までが失敗続きだったのもあって新しいことを試すにはちょうどいいタイミングだったのかもしれない。
最初からアコルに任せていた場合、アルナたちが信用されていないと思って追い詰められていたかもしれなかった。
「ひと先ずは役割を変えて調整してみよう。今のままだと『古代遺跡』の通過は難しそうだし、ね」
この旅路の最大の難所と思われるダンジョンを思い浮かべて、カザジマとアコルは重々しく頷いた。




