30 逆往くための旅路
「っ!」
不意に掛けられた声に、即座に反応したのはアルナだった。
しかし、腰元の剣に手が伸びたアルナを制しつつ、ノアはゆっくりと振り返りながら声の主へと視線を向ける。
「何か御用ですか? アコルさん?」
どれほどアルナの『幻影』が優れていると言っても、街道の監視員の全てを騙せるとも追っ手を完全に振り切れるとも思っていない。
それなりに危険な場所―――迷宮などを経由するまでは、何らかの形で干渉がある可能性をノアは予想していた。
もっとも、追手が顔見知りの冒険者だとは思っていなかったが。
「まぁ、そんなに怖い顔しないでよぉ・・・騎士団に言われてこの場所を張っていたのは事実だけれど」
「騎士団の回し者、でしたか」
険しい表情を浮かべイリスがしゃらんと音を立てて奏杖を構える。
当然のように魔導書を開いて空を舞ったフィルも含めて、ノアは深々と溜息を吐いて押し留めるように手で制した。
「本当に、何しに来たんですか? 今更、敵対するつもりもないでしょう。騎士団も」
「それはそうねぇ。無理を押し通しても協力は仰げないものぉ~」
彼女は相も変わらず無駄に露出度の高い格好で恥ずかしげもなく、楽しそうにクスクスと笑う。
騎士団という組織は今のところ慎重派で、暴れたり周囲に害を及ぼさなければ誰かを無理やりに武力で拘束するようなことはしない。
港区画の被害に関することでノアを拘束しようとするなら、とうにとっ捕まって今頃は檻の中に居るだろうと。
もっともノアは騎士団という存在が『運営』に類する能力を持っていて私室に対しても干渉できると考えていたからだ。
けれど、実際のところは引き籠っている限り彼らは手出しができないのだが。
当然だが、道理を無視して協力を強要されても素直に従う人間の方が少ないし、ノアとしても敵対してでも反発しただろう。
仮に三姉妹の誰か、あるいはノア自身が人質になれば言うことを聞く可能性はあるが、無駄に反目する理由を作ることもあるまい。
そのリスクを背負ってまで得られるリターンというのは釣り合いが取れるものでもないだろうから。
「一応、伝言。もしもその気があるのなら、世界の平和のために力を貸して欲しい、ですって~」
「世界の平和、ね。ずいぶんと大袈裟な言い回しだとは思うけど」
「一般的な文言らしいわよ? ゲームとはいえ、主人公なら言われ慣れていそうだけれど~」
「素質がありそうな人間には誰にでも言っているんだろうね」
ゲームの主人公として、ならば確かに聞いたことがある言葉にノアは苦笑する。
SSOでも聞いた気はするが、他のRPGの中でも耳にした覚えがあった。
確かに冒険者ならば言われ慣れているのかもしれない。
「で、結局、何の用?」
「貴女に付いていこうかと思って~」
「はぁっ!?」
思わずといった様子で声を上げたのはアルナだったが、ノアとしても目を見開いて驚愕した。
割と明確に拒絶を示したつもりだし、それほど深い友好関係ではなかったはずの相手だ。
さすがにその申し出には裏を感じ、ノアは訝し気に視線を投げる。
「あまり深い理由はないのよ。王都に『夫』が居るかもしれないのだけれど、私だけじゃあ辿り着けそうになくてねぇ・・・」
「なるほど」
一応は納得できる話ではあった。
元々、彼女は二番目の街・王都『ヴァルトナ』を拠点とする同好派閥『サキュバス・キッス』に所属している。
SSOというゲーム的には有名なギルドで、中身はともかくとして女性ばかりが在籍しており、動画配信者やらゲーム系アイドル、声優なども所属していた。
アコルも動画配信者で、恰好や言動は動画用のキャラ作りだと思っていたのだが・・・。
それなりに有名な方々も居たことを考えると、同好派閥自体が運営か提携企業の肝いりだったのかもしれない。
それはともかくとして、ヴァルトナを拠点にしているアコルが五番目の街『リッシュバル』に居たことにはやや疑問にも思っていたのだ。
最先端の街とはいえ、リッシュバルはプレイヤーにとってはあまり旨味のない場所。
周辺エリアのドロップ品なども新規追加アイテムなどが少なく、交易都市として描かれている割には目新しいものが多くない。
高難易度ダンジョンはいくつかあるが、難易度という点では四番目の街付近と大差なく、向こうの方が需要が大きいくらいだ。
そんな場所に彼女一人―――仲間が投獄されている可能性は否定できないが―――で居たことにはノアとしても不思議だった。
(まぁ、最後に居た街については言っても仕方がない。メニューからいつでも転移できたことを考えれば、最後にどこに居たのかは大きな問題にならないだろうし)
あるいは、動画用か何かでダンジョン突破チャレンジでもしていたのかもしれない。
動画や生放送では盛り上がりで言えば、全てのダンジョンの中でもリッシュバルへ訪れるために通過しなければならない順路迷宮『古代遺跡』が真っ先に挙がる。
必ず通らなければならない迷宮だというのに、古代遺跡の難易度は実装されていた中では最上級と言っていい。
そこを突破できるだけの能力を持っていること自体がステータス―――なんて掲示板には書いてあったくらいだ。
事実、レベルが十分な冒険者の六人編成であっても突破率が4割。
何度でも挑戦でき、ネットで情報を集めて対策もできるゲームでの突破率が40%。
即死トラップが多く、出てくる敵は強い上に数が多く、攻撃は多彩で状態異常を仕掛けてくる相手も少なくない。
ドロップ品やボス討伐の報酬は優れているのだが、それでも繰り返し潜るような人間は極一部である。
ノアも三十回は挑戦して4回ほど成功したくらいだった。
前の街へと『古代遺跡』は避けては通れない。
現実となった今、迂回路を探すことはできるのかもしれないが、それには危険と時間が掛かるだろう。
ゲーム時代の地図にあった道以外は基本的に険しく、人が入っていない上に魔物なども居る影響で予測しきれない危険も多い。
ただでさえ危険な道のりなのに、リスクを負って迂回路を探すのも、見つからずに時間を無駄にすることもノアは良しとしなかった。
本人の自覚は薄いが、やはり『妹』たちの安否を気にして急いているのは間違いない事実であった。
「もちろん、本気で拒絶されたら身を引くけれど~・・・」
口ではそう言うが、後ろをこっそり付いてくる可能性を彼女の瞳に感じ取る。
別にそれでアコルが危険に晒されようと自業自得ではあるのだが、面倒なのは変わらない。
同時に、それだけ彼女が本気で王都を目指しているということを理解させられた。
それもできるだけ早くに、だ。
「半年も待てば、近道が開拓されるかもしれないよ?」
「そこまでは待てないのよ。愛しい人がどうなったのか、気になるのだもの」
恋する乙女のように頬をバラ色に染めて言うアコルの表情は本気だった。
あるいは演技であったのかもしれないが、ノアの目には嘘があるようには見えない。
それに、安全なルートが発見されるというのは希望的な観測だ。
ゲームの常識を逸脱した侵入不可エリアの開拓は知的好奇心的には気になるが、どこまで意味があるかは微妙なところだ。
冒険者が街を行き来する意味自体はあるが、自分が身を削って道を創ったとしても得られる利益は多くないだろう。
道の険しさもさることながら、魔物が居る世界なのだから危険度は『向こう』とは比較にならないのにそんなことをする人間がどれほど居る事かは想像もつかない。
期待するなら純粋なゲームプレイヤーよりも商会関係の人間やこの世界で生活の糧を得るためにその依頼を受ける冒険者だろう。
だとしても、整備された道を引くことは難しいだろうし、そういったことに対する知識が足りているのかも怪しい。
全ての街が自由の往来が可能になるとしても、何十年、下手をすれば数百年単位の時間が必要だろう。
もちろん魔物に安定して抗する術が浸透することが前提ではあるのだが。
「・・・仕方がないな」
「マスター!?」
あまり大人数は困るが、古代遺跡を通過するのなら戦力が多いに越したことはない。
信頼して連携できる相手ではないので不安もだいぶ大きいが。
「で、そっちのおじさん―――」
「おじさんじゃなぁぁぁぁあああいぃぃぃ・・・っ!!!」
座り込んで黄昏ていたために放置していたカザジマが声―――というか咆哮を上げる。
うっとおしそうにフィルが両耳を塞ぐが、アルナとイリスは未だ構えを崩そうとはしなかった。
警戒されていることに気が付いたからか、上裸の壮年男カザジマはハッとして肩を落とす。
「あ、あたしも・・・ブラディニアを目指したいなぁ・・・と、思って・・・一緒に行っちゃ、ダメ、かな?」
「とりあえず、その気色の悪い口調を止めてください。お願いします」
「酷いよっ!!?」
ノアの言葉にカザジマは涙目になる。
彼の精神は、中学生の少女だということだが、壮年の男性が渋い声でその口調は無理があり過ぎた。
女性らしい仕草で上目遣いだったり、いじらしい態度をしているのも、少女なら許されるがカザジマの場合は完全に逆効果だ。
ここまで髪型も衣装も身体の鍛え方も男らしいのに女性的な仕草と行動をされると生理的に受け付けない。
そう思うと、レオンハルトはまだ中性的な顔立ちに近かった分、許容範囲だったのだと思い知らされる。
あちらも痩せ型ではあるが鍛え抜かれた筋肉質な体つきだったので精神衛生的にはあまり良くなかったのだが。
「・・・で、なんで始まりの街『ブラディニア』に?」
頭が痛くなってきたが、頭を振って話を進める。
始まりの街・ブラディニアはノアにとってもひと先ずの最終目的地だが、その道のりはかなり遠い。
ゲーム時の地図通りに進むのであれば順路迷宮だけでも四つを通り抜ける必要があるのだ。
一応、逆走になるので一度通過したプレイヤーが入手できる難易度低下アイテムを使えるという利点はある。
基本的に迷宮踏破者が手にできるソレは、基本的にはダンジョンのギミックやボスを無視することができるアイテム。
ゲーム的には街の行き来を簡単にする大事なモノだが、メニューから転移できたことを考えれば完全に死蔵品だった。
ボスが落とすドロップ品が欲しいプレイヤーたちの要望により、かなり早い段階でON/OFFができるようになった物でもある。
この世界に来て早々に倉庫を整理していた時に出てきたので、おそらく使用すること自体は可能だろう。
だからといって、魔物が出現しなくなるわけではないので、完全に危険がなくなるわけでもないが。
特に、ダンジョンというのは意図して外とは違う環境を神が作っているので今の世界でどれほど厄介であるのかは想像もつかない。
そんな場所を一つと言わず四つも通るのだから『なんとなく』で着いて来られても困る。
そう思いながら見据えていると、カザジマは観念したようにゆっくりと口を開いた。
「・・・その、ブラディニアは大神殿―――キャラメイクをやり直せる場所があるでしょ?」
「ああ、そう言えばそうか・・・!」
ノアは利用したことが無かったので失念していたが、キャラの見た目の変更には課金アイテムを使用する。
だが、課金アイテムを所持しているだけでなく、特定の施設を訪問する必要があるのだ。
それが『大神殿』―――冒険者やパートナーNPCが最初に目を覚ます場所である。
いわばゲームの開始地点であり、多くのプレイヤーがエインヘリヤルを従えるために幾度か訪れる施設。
その施設の機能は基本操作の確認などもあるが、カザジマの言うように見た目の作り替えも含まれていた。
「渋くてカッコいいオジサマには憧れるけど、自分でなりたいわけじゃないし・・・できれば、元の姿に近い身体になりたいなぁ~、って」
「なるほど」
可能か不可能かは不明でも試す価値はあるだろう。
一度だけ無料配布された課金アイテムである容姿変更のためのアイテムが消えていたということもある。
けれども、成功すれば肉体と精神が一致しない全ての冒険者の希望となり得る。
道のりは険しいが。
カザジマの場合はノアやレオンハルトよりもギャップが激しすぎる。
性別の差というよりも年齢的な要因の方が大きそうだというのも原因だろう。
「リッシュバルから前の街に戻ろうとする人は少ないし・・・ダメ、かな・・・?」
それも理解できる。
リッシュバルはゲームのプレイヤー的には旨味が少ない場所ではあるが、今の冒険者からすればかなり生活しやすい場所だ。
依頼の幅も広く、生き物の解体が苦手でも護身できるだけの能力があれば採取だけでもそれなりの生活が送れるくらいの資金を得ることが可能。
交易都市という設定のためか様々な品も手に入るし、ともすれば自分で店舗を経営しても儲けを出すこと自体は難しくないだろう。
巨万の富を稼げるのかどうかは別にして、料理にしろ、工芸品にしろ、ゲーム時には存在しなかった品を商会に提供すればそれなりの活動資金を得られる。
少なくとも難関と言える古代遺跡のダンジョンを通り抜けて移住を考えるよりは、わりと何をやっても十分に安定して生活できる。
帰還の方法を探す、誰かに会いに行く、特殊な品を手に入れに行く、といった理由でもなければ戻って来られるかどうかもわからないゲームのルートを、危険を承知で逆走する意味はない。
命の危険があるということは先日の夜の港で十分に理解させられたことでもある。
「確かに、戻るルートを行く人間は少数派だろうね」
自分でも妹たちのことが無ければ戻ることは考えなかっただろう、と思いながらノアは微笑んだ。
安易に先へ進んで何かしらの変化から帰還の方法を探すという考えに飛びつかなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
「仕方がない。一緒に行くとしようか」
「・・・あ、ありがとう! お姉ちゃんっ!!」
感涙を流しながら歓喜の声を上げる彼にノアは満面の笑みを浮かべて言い放つ。
「お姉ちゃんは止めろ。おっさん」
「おっさんじゃなぁぁぁああああい・・・っ!」
壮年男性の悲痛な叫びが蒼空へと響き渡り、彼女たちはようやく始まった旅路へとついたのであった。
これにてチュートリアルとなる第一章は終幕となります。
お読みくださった方々、ありがとうございました。
楽しんでいただけたのでしたら、続いて開幕される第二章もお付き合い頂けると嬉しいです。