29 弔いの音色に
どこからともなく、すすり泣く声が聞こえる。
ボソボソと小さな声での囁きを塗りつぶすように、荘厳な雰囲気の演奏を奏でながら楽士隊を伴ったパレードが大通りを練り歩く。
喪に服すためか黒い衣装で統一したパレードを眺める人々の反応は様々だが、決して誰かが邪魔をすることはない。
先の街を巻き込んだ戦闘により命を落とした人々を悼むためのモノであり、中心の神輿で掲げられた灯と共に街を巡り、死者の魂を教会まで導いて祈りを捧げるという内容だ。
死者を送るという送り火にも似た炎の儀式は、それが故に見送り人々は沈痛な面持ちで、涙する人も少なくなく独特で厳粛な雰囲気が保たれている。
「・・・優美、ぢゃぁああん・・・」
「本名はやめて」
「・・・レオぢゃぁああん・・・」
力いっぱいに抱き着いて胸に顔を埋める黒いチャイナ服の少女―――青華を抱き締めながら、レオンハルトは固い表情ではあるものの小さく吐息を漏らした。
リッシュバルが襲撃された長い、長い夜から三日の時間が経過しているが、ソレを知ってから彼女の調子は毎日がこんな感じだ。
あの日以来、多くの人が変化を迎えていたが、むしろ青華は変わっていないと言った方がいいのかもしれない。
「あ゛だじが・・・あ゛だしがぁ・・・のん、ぎにっ・・・寝て、なげればぁ~・・・」
「それは、どうだろう・・・?」
青華は中の人の見た目と同じような―――良く寝る童女のような生活習慣をしている。
つまりは、早寝して朝はやや寝坊気味に普通に起きる、という生活である。
彼女たちの部屋にはまともな時計が無いので正確な時間はわからないが、夜10時前後では完全に就寝し朝は8~9時くらいに起きているようだ。
この世界に来て時間に縛られる生活から完全に解き放たれたようなモノな冒険者としては―――というか、ほとんどの学生や社会人としても―――珍しい生活だ。
それを否定するつもりはレオンハルトには全くないが、夜中に起きた大規模戦闘に参加できなかったことを彼女が悔いているのはわかる。
訓練の様子を見るに参加していたからといって何ができたのかは、レオンハルトとしても疑問なのだが。
(あの場に居て、何もできなかったのは私の方・・・っ・・・)
青華の頭を撫でつつ、内心で歯噛みする。
彼の働きは決して小さなものということはない。
同好派閥『異世界サバゲ部』の面々はこの街に残る冒険者の中でも集団戦闘に最も向いている。
ほぼ全員が画一的に同じ武器を装備し、面で制圧できるだけの手数と威力を兼ね揃えた中距離攻撃手段を持つ集団は防衛戦闘で活躍するに十二分な能力を有していた。
早い段階で戦闘に加わったこともあって彼らだけで港区画の三分の一を制圧し、兵士たちの援護をしつつ更なる侵攻を許すことはなかったほどだ。
彼らが居なければ兵の被害は倍以上になっていたし、他の区画への侵入も許していたかもしれない。
それを考えれば彼らの戦果は二番目に優れていたと言っていいだろう。
最初期に介入して兵たちを助け、多くの住人の避難を助け、街を破壊する大規模攻撃の過半を撃ち落とし、最大の脅威を滅ぼして勝利のきっかけを作った四人にはどうしても劣ってしまうが。
しかし、そんな貢献度で彼は納得しない。
(もっと上手くやれば、もっと私たちが強ければ・・・こんなに、人が死ぬことはなかった・・・っ!)
一般人の死者は238人。兵士の死者は、76人。
冒険者で復活できなかったのは38人。
戦闘に参加した人数を考えれば、それは少ないと言っていい数字だ。
兵士は800人以上が参加していたし冒険者も最終的には250人以上が戦闘に参加したのだから。
しかし、同輩に明確な死者が出たことで冒険者たちも考え方を変えざるを得なかった。
正確に言うのなら、この世界との向き合い方を考えるようになった、というべきなのかもしれない。
これまではゲームとしての感覚が抜けきらす、ゲームの常識に囚われてはいけないとわかってはいても自分たちが死ぬことなんて無いだろうという軽い考え方がどこかに残っていた。
その考え方の結果が無謀とも思える様な突貫だったり、無茶な戦い方だったりといった動きであり、海の中に沈みこんで二度と浮かんで来なかった者たちの末路でもあった。
中には『死』が『帰還』と同義だと考える人間も居るようだが、過半数は死への恐怖の方が勝り、二度と武器を持てないくらいの恐怖を覚えた人も少なくない。
それでも混乱が小さかった―――自暴自棄に至る者が少なかった―――のは、皮肉なことに戦闘の終了まで様子見に徹していた騎士団のおかげだった。
危険思想と自暴自棄で他者を害するような冒険者たちを『発狂』の症状として捕縛し投獄するということを彼らが行ったことで最低限の秩序が保たれている。
それが良い悪いは別にして、それこそがこの世界の規律なのだと、ゲームの世界だと甘く考えていたプレイヤーたちの心を縛るのには十分な出来事だった。
もちろん、恐怖だけが原因ではないが外との交流を断ったプレイヤーもそれなりの数に上る。
そういった様々な理由で戦うことができなくなった冒険者の方が戦闘に参加した人数よりも上だというのだから、結果というのはままならない。
そんな風に閉じこもった人の中には彼の後輩に当たるイーグルも含まれていた。
狙撃に自信を持っていたからこそ、あの日の失敗は彼の心に大きな傷を創ったようだ。
あの夜に最後に顔を合わせた時には消沈した彼にノアは「気にしていない」と一言返しただけだったが、だからこそ心の底から本心で興味がないということが傍から見ていたレオンハルトにも理解できた。
誰が失敗しようが結果が良ければそれでいい、という考え方をノアがしているのは付き合いの中で理解していたが、あれでは他人に興味がないと取られても仕方がないように思う。
そんな対応にさらに傷ついてしまったのか、イーグルは深く落ち込んだ様子のまま現在に至るまで私室から外に出てきてはいない。
ノアの方も消耗が激しかったのか疲れた様子だったせいでまともな会話をする余裕もなかった。
(次こそは、きっと・・・っ!)
だからこそ、彼は奮い立つ。
死した人たちへの贖罪などではなく、腕の中の青華たちのような生きて泣く人たちを護るために。
そして、出来得ることなら戦いに参加した全ての人の心までもを護りたいと思う。
不可能に近いと理解していても、あんな風に傷つき、折れて他者を拒絶するような人を出したくない、と。
「・・・ぜんば、い・・・先輩、にも・・・あやま゛らない、どぉ・・・」
「それは―――」
レオンハルトは言葉に詰まった。
あの日、決定的に何かが変わったのは間違いがない。
何せ『彼女』はあの夜、治療と最低限の情報収集をして以来、姿を見せていないのだ。
あまりに激戦すぎて心が折れ、二度と戦えなくなったのでは?と口にした人も少なくない。
自分たちよりもよほど死にかけるような目に遭ったのだからそうなっていてもおかしくはないだろう。
少なくとも腕や足を失うというのは、以前はもちろん、こうなった後ですらレオンハルトには経験がない。
街の外での戦闘訓練の賜物か、安全マージンを多めに取っていたことで彼の指揮下の人間はほとんど傷を負っていなかった。
当然ながら指揮官役の彼自身も大きな傷を負うようなことはなく、ノアたちのように満身創痍となるほどの消耗も最後まで感じることはなかったと言っていい。
しかし、本当にそれが理由なのだろうかと自問すれば、それは違うように感じている。
彼女はそんな簡単に心が折れるような人ではないし、そんな理由で他人を避けるタイプでもない。
完全な信頼や信用がなかったとしても必要なら利用できる程度には距離感を保つだろうと感じるのだ。
(そういうところ、計算高そうだし・・・)
彼女は交流における情報交換を軽視してはいない。
信用を度外視しても会話における情報の交換の道筋くらいは残しておきそうなものだ。
あるいはソレすらできないほどに治癒に時間が掛かっているのだろうか。
「―――もう少ししたら、きっとまた会えるから・・・」
不安と心配が胸に去来してきて、レオンハルトは青華を抱いたままそっと空へと視線を投げた。
小高い丘の上。
数本の木々が立ってはいるものの遥か彼方まで見通せそうなそこに、一人の老婆が立ち止まった。
振り返って見てみたが、それなりに距離はあるが荘厳でどこかもの悲しい音楽がリッシュバルから聞こえてくる。
古びたローブで全身を包み込むような見た目はどこか怪しげでもあったが。
「・・・もう、大丈夫かと思います」
老婆の声は、見た目の年齢に反して若々しい。
そんな彼女が何らかの気配を察すると、周囲の光景がゆっくりと霞んでゆく。
「やれやれ。とても面倒なことになったね・・・まぁ、アルナが居ればどうとでもなりそうではあるけれど」
老婆の姿が消えると、そこには四人の人物が現れる。
ノアは深々と嘆息付きながら、労いを込めてポンポンと軽くアルナの頭を叩いた。
「お役に立てたのなら、それで・・・それよりも、よろしかったのですか? 何も告げずに出てきてしまって」
「仕方がないな。いずれ手紙でも出すことにしよう」
肩を竦めたノアの背にふわりと舞い立ったフィルが張り付く。
そんな姿に苦笑しながら、イリスが末妹の髪を梳くように頭を撫でた。
「それにしても、大事に巻き込まれてしまいましたわね」
「考えもせずに首を突っ込むものじゃないね。まったく」
言葉にすら苦笑が滲むイリスに、深々と嘆息交じりにノアは返す。
実際、事件の規模は半ば戦争と言っていい規模だったので小さかったと評する気はない。
だが、戦闘以上にその後の影響を全く考慮していなかったのは大きな失態だったと言わざるを得ないだろう。
港湾の被害も尋常でなく、復興には半年以上が掛かると予想され、漁業もだが特に交易には大きな影響が出るようだ。
大型の船舶を新規に建造することはとても長い時間が掛かるし、破壊されつくした港区画が半年で復興できればむしろ早い方だろう。
航路にも魔物が現れる危険が増したと判断されたことで調査にも時間が掛かり、取引先からの入港も著しく制限が掛かるらしい。
SSOの次のアップデートで追加されたエリアへと行くには海路を使う必要があるので、先行したプレイヤーとは途絶された状態になる。
そういった周辺や状況被害の大きさもさることながら、ノア個人―――というか彼女たち四人にとっても厄介な影響が出ていた。
いわゆる『英雄』としての名声を得る、という影響を。
(あの夜の戦闘には百人規模で冒険者が参加したはずなんだけどなぁ)
そうはいっても、最も派手に、最も盛大に戦果を挙げたのはノアの従者たちだ。
ノア自身が直接的な戦果を挙げていなかったとしても、それは疑いようのない事実だと彼女も理解している。
もっとも、市街に向けて砲弾のように撃ち込まれた大型船を斬り落とし、津波を切り裂いて被害を半減させたりとしているので彼女も十分に功労者ではあるのだが。
その戦果を誰が行ったのかは、直接目にした人間の少なさと名前の浸透率の低さから比較的に特定された率は低いと言える。
それであっても目敏い人間というのは居るようで商会や冒険者互助組織だけでなく、騎士団からも使者が訪問してくるほどだった。
冒険者の方はそれどころではなかったようだが、大手の同好派閥が多数参加していれば勧誘合戦が生じていたかもしれない。
現状でのこの世界への適応という観点で言えば、アルナ達を従えるノアほど優れている者は多くはないだろう。
それは金銭に限らず、多くの利益を生むということも意味していた。
結果として、彼女たちを囲い込もうとしたり、友誼を結ぼうとする相手の多さに嫌気が差して、ノアは躊躇なく全てを断り、街を出ることを決断したのだった。
下手に関係を強化してリッシュバルから離れられなくなると『妹』―――所属していた同好派閥の様子を確かめるという目標を達成できなくなる可能性があったからだ。
単純にしばらく個人契約の仕事を引き受けるくらいならともかく、軟禁生活のようなことになればずいぶんと足止めを食らうことになる。
武力行使という手段を取らなければ、だが。
どの相手がどんな思惑か把握することが難しかったのもあって、全ての相手の面会を怪我と疲労を理由に断ったのは中々に英断だったと思う。
一晩も寝れば疲労は感じ取ることなどできなかったし、簡易の治療を施した後に武装を解けば跡形もなく傷は消え去っていたが。
残念ながら、ノアは人を見る目に自信があるわけではないのだった。
そんなわけで、アルナの幻影の能力を駆使してそそくさと逃げ出してきたというわけだ。
扉の開閉を誤魔化し、周囲の人間を透明化したり、見た目を完全に別人にしたりするのだから他人の目を誤魔化すことなど造作もない。
追悼パレードの影響で多くの人の意識がそちらへと向いていることも理由に挙がるだろう。
「お姉ちゃんの邪魔をする相手なら・・・誰とだって戦える、よ?」
「そういうのも怖いから、これで良かったと思おう」
物騒なことを言い出すフィルに苦笑を返す。
アルナとこの娘は脊髄反射のように感情で行動する所があるので、冗談で言っているわけではなさそうなのが恐ろしいところだ。
その感情の源がノアに対する愛情からくるものだと感じるたびにむず痒く感じるのだけれども。
などと思いつつも、リッシュバルへと向き直り今なお聞こえてくる音楽を耳にしながら小さく黙祷する。
多くの死者が出たことに実感が湧かなくとも、それを悼むことくらいはしておくべきだと思ったからだ。
その一端に関わった者として非難されるとしても、だ。
それを目にしたアルナが胸に手を置いて続き、イリスも手を重ね合わせて祈りを捧げるように目を閉じた。
この時ばかりはフィルも地面に降り立ってノアを真似て目礼をする。
「じゃあ、行くとしようか」
「・・・もう、いいのかしら?」
ホンのしばしの時間を黙祷に捧げ、顔を上げた彼女の背に声が掛かった。