02 定められずの三姉妹
ノアは独りぐったりと椅子に脱力した状態で身を投げてぼんやりと虚空を眺める。
呼吸をするだけでも僅かに身体が痺れる感覚があるのか、時たま小さく身じろぎしていた。
気怠げで熱っぽい吐息を漏らす姿は傍から見るとどこか妖艶にも映るものだ。
「・・・そうだ。メニュー! ステータスチェック!」
唐突に思い出したのは、ゲーム世界の常識ともいえる機能。
その機能は自分だけでなく周囲の人間やオプション、運営やフレンドとの通信も可能になるゲームをゲームとするための基盤ともいえるシステム。
「メニュー・・・には、思い至ったけど」
本来ならボタン一つで展開できる。
画面タッチの場合もあるが、どちらにせよ手間のかかるものではない。
画面越しであるのならば、だけれども。
「こういう時、開発中って噂の疑似体験型VRとかなら思考か脳波操作なんだろうけど」
彼女は脳裏にメニュー画面を意識して開こうと試みたがしばらくしても何も起きず眉を寄せる結果となった。
「ステータスの確認もできない。自分の能力を絶対的な評価で客観視できない、か。アイテムリストも確認できない」
コントローラーもキーボードもタッチパネルもない、というのがいきなり大きな枷になった気がする。
持ち物や装備、マップに拠点内の転移移動―――確認できない全てに憂鬱な気分が沸き上がりノアは小さくため息を吐いた。
「そもそも、ここはゲームの中なのだろうか。もしもゲームキャラに自分の意識だけが乗り移ったとすれば、現実世界には半身ともいえるプレイヤーが居るのだろうか」
今の自分が見えない誰かの意思で操作される、という可能性に思い至ってノアは身震いする。
意志を持ったまま操り人形になるのは考えるだけでも肝が冷える事態だった。
「いや、そういうのは切り捨てよう。自分の意思ではどうにもできないことを考えたって意味が無いから」
(ここがゲームの中か、それに似た別の世界か、夢の中か、みたいな世界の根幹は今は無視。
今の容姿とパートナーNPCの存在からSSOと無関係とは思わないけど、すでにゲームの常識は完全に崩れている)
無残に壊れたベッドを眺めて、再度ため息を吐く。
(普段は第三者視点で上から眺めていたから気が付くのが遅れたけど、内装を考えればここは私室で間違いないから家具も床も破壊不能オブジェクトだったけど)
家具を壊せたから何になるのか、と問われると何も言えないけれど、ゲームの常識に囚われて行動するような事態を避けられたという意味合いでは良かったのかもしれない。
けれど、ノアにはそれ以上の身体を動かさずにできる検証は思いつかなかった。
何かあったのかもしれないけれど、シャツが肌を擦る感触が気になって仕方がないせいで考えが纏まらなかったという面もある。
「お待たせしました、マスター」
「ひゃっ!?」
ノックの音すら気が付かなかったノアは頬を朱に染めて小さく体を震わせた。
太ももを擦り合わせるように身を縮め、彼女は誤魔化す様に微笑む。
気が付いたのかいないのか、アルナは小さく一礼してから部屋に入った。
「失礼いたします、ノア様」
続いて入ってきたのはウェーブのかかったセミロングの亜麻色の髪の美女。
アルナよりも長身で手首には腕輪のように緑の硬質な鱗が纏わりつき、頭には鹿のような白い角と驚くほどの巨乳が特徴的。
(画面越しにはさほど思うところはなかったけど、この大きさは・・・凄いなぁ)
現実離れした大きさ、と思いつつもシルエットが崩れない程度に抑えた辺りが製作者としては最大のポイントである。
胸に合わせて全体の肉付きも良く、柔和な笑顔も相まってとても母性的な印象を受ける。
「呼びつけてごめん。イリス」
「いいえ、ノア様。わたくしがお役に立てるのでしたら嬉しいです」
スカートの裾を持ち上げて一礼する。
そんな芝居がかった所作を目の前で見るのはノアにとって初めての事態だった。
「え、っと・・・いつも、お世話になっています?」
「ふふ、急にどうしたのですか?」
楽しそうに、少し気恥しそうに笑みを浮かべながら第二のパートナーNPCであるイリスは小首を傾げた。
「色々と問題が発生していて・・・三人に話しておきたいのだけど、フィルは?」
「あら? 先ほどまで一緒に居たのですけれど」
ひょこ。
ノアの対面、テーブルの陰から少女が顔を出す。
白銀の髪を黒いリボンでツインテールにした小柄な少女。見た目で言えば十二、三歳くらいだろうか。
幼さを残す愛らしい顔で白い肌は透き通るように白く未成熟な肢体は、けれどしなやかに女性を主張していて独特の魅力を宿している。
「・・・お姉ちゃん?」
「えっと、フィル?」
「ん」
少女はホンのわずかに眉尻を下げて口元に笑みを作る。
無口という性格設定にしたためか表情の変化が少ない。
(設定が表情にも反映されたのは、別にいい。別にいいのだけど『お姉ちゃん』なんて呼び方は設定に無かったはずだけど・・・)
ホンの僅かに会話しただけでゲームとの違いを思い知らされる。
中途半端に設定が生きていることにノアは煩わしくも感じた。
「って、あれ? フィル?」
ほとんど瞬きひとつの間でノアの目の前から少女が消えた。
と、思うとテーブルの下を潜って彼女はもう一度顔を出す。
「お姉ちゃん」
「っ!」
フィルの紫紺の瞳が怪しく輝く。
ゾクリとノアの背筋に冷たい感触が滑り落ちて少女の瞳から目が離せない。
「お姉ちゃんは、わたしが大好き」
「だい、すき・・・」
「うん。大好き」
少女の細く華奢な手がノアの頬を撫でる。
甘い痺れが指先から全身に広がってノアの口から吐息が漏れた。
「ね? お姉ちゃん」
僅かに浮かべる口元の笑み。
それがノアの瞳には天使のように映った。
(可愛い・・・肌、綺麗・・・好き・・・華奢で・・・可憐・・・大好き・・・)
熱で浮かされた様に視界に靄がかかり呼吸が浅くなっていく。
細い腰へ腕を回しお互いの吐息がかかる程に顔が近づいていき―――
「―――大好きだよ、フィル」
唇を重ねようとした少女を抱き締めて顔を避け耳元で囁く。
何とか口付けだけは回避できたが、フィルは不満げに半眼を向けてきた。
「むぅ。キスくらい、してもいいと思う」
「フィル・・・」
口では不平を零しつつも少女はノアの胸元に顔を埋めて満足そうにしている。
しかし、ノアの胸中はとてもではないが平静ではいられなかった。
(あ、危なかった。これが『魅了』の効果? まだ胸の高鳴りが収まらないんだけど! 強制的にロリへ性癖転換なんて御免なんだけどっ!?)
どちらかというと現在の自分の姿がストライクなのだ。
人形のように愛らしい妹キャラを造ろうと思った結果で生み出されたフィルは、愛でる対象ではあってもそれ以上ではなかったはずなのだ。
可愛らしい姿をしては居るがノアは朔良 悠羽であった頃からフィルを性の対象にしたいと思ったことはない。絶対に。
(そもそも今は女同士だし・・・いや、だから逆に大丈夫? いやいやいや! 違う! 何を考えているんだ・・・!?)
腕の中で小首を傾げるフィルの姿は小動物のようで本当に可愛らしい。
一旦、落ち着こうと彼女の頭を撫でながら細く吐息を漏らして呼吸を整える。
「フィル、痛くない?」
「ん・・・?」
「大丈夫ならいい」
できるだけ優しく、丁寧にを心掛けているとノアの方も段々と落ち着いてくる。
(まさか、こんな形で『魔眼』を味わうことになるとは。危険が無い状態で体感できただけ良かったと考えるべきだろうか)
SSOではプレイヤーをサポートするパートナーNPCにはそれぞれ特殊な能力を設定することが出来る。
これは『プレイヤースキル』というチート能力を持たない彼女たちに対する救済措置だ。
そして、フィルに設定された『魔眼』の能力は目を合わせた相手に特殊な状態異常を与える能力。
一番最後に作成されたキャラのために付与する状態異常は『魅了』と『麻痺』しか解放されていないが、どちらもゲーム的には行動制限を掛けられるので機能すれば強力な切り札でもある。
本来はプレイヤーに効果を及ぼすほどの能力ではないことが短時間で効果が切れた要因だとノアは推測した。
「とりあえず、アルナとイリスも座ってもらっていい? 少し、長くなるかもしれないから」
「はい。ですが・・・フィルを処罰してからでよろしいでしょうか?」
「え?」
平坦な声音に思わず顔を上げる。
アルナは、いつの間にか細剣を手に満面の笑みを浮かべていた。目は全く笑っていないが。
今にも剣を鞘から抜き放ちそうな怒りの気配に、気が付けばイリスの方はニコニコとしながら距離を取っていた。
「・・・アル姉は融通が利かない」
「そういう問題じゃ―――というか、案外喋るな。無口設定」
ノアは頭を振ってため息を吐く。
「アルナ。このくらいの悪戯は許してあげて」
「ですが! マスターに、マスターから頂だいた魔眼を向けるなど!」
「ともかく、先に話をするから座って。罰を与えるのなら食事抜きくらいにすればいいから」
「えぇっ!?」
腕の中で少女が声を上げるが悪いのは彼女なのでノアは黙殺した。
潤んだ瞳で見上げてくる様は可愛らしく絆されそうになるけれど。
アルナは怒りを隠そうともせず、けれど指示に従って席に座った。
イリスの方もいつの間にか椅子に座って優しい微笑みを浮かべている。
身長も体格もイリスの方が大きいが、アルナの方が姉であるためかその怒りには触れない方針らしい。
フィルは膝の上だが、全員が腰を下ろしたのを確認してノアは口を開く。
「ええと、どこから説明すればいいかな」
しかし、考えが纏まっていないことがさっそく浮き彫りとなった。
(プレイヤーと分身体の関係から・・・いや、ゲーム関連の話は逆に混乱する。概念から説明しなきゃならないとなると時間も掛かる)
頭を悩ませてはみたが、ノアは説明の大半を省くことを決定する。
面倒なのもあるがハッキリと確定させられない情報が多すぎるのも原因だ。
「未だわからないことが多いから支離滅裂な説明になるかもしれないけど、とりあえず聞いて欲しい」
そう前置きを置いて三人が真面目な顔をするのを見て、ノアは口を開いた。
自分の身体の不調や情報不足―――この世界の常識の欠落などについて。
今まで使用していたメニューが使えなくなったことで、自分の所持金や装備すら把握できていない事実は常識欠如と言っていい。
下手をすれば記憶が一部失われているようなものだろう。
「記憶の欠落・・・とは、どの程度なのでしょうか?」
「正確には把握できない、としか言いようがないかな」
アルナの真剣な眼差しにノアは困ったように微笑むしかできない。
回答らしい解答が手元に無いのだから当然ではあるのだが。
「だから、三人にはとても迷惑をかけると思う。だけど、手を貸してほしい」
頭を下げようとするとフィルに頭突きしてしまうので、代わりにノアは三人の顔を視界に納めて見据えた。
「・・・私たちはマスターの忠実な下僕。主の命に応えるのは当然のことです」
「そういうことじゃないのだけど」
生真面目に胸元に手を当てて礼をするアルナに苦笑が浮かぶ。
ゲーム上のキャラとして見ていた時ですら『下僕』だとは思っていない。
けれど、立場を考えればそう思われても仕方がないのだろう。
彼女たちに反抗という選択肢は―――
(いや、SSOは好感度が割と変動しやすくてマイナスに偏った期間が長いとパートナーが居なくなるシステムだったから、嫌なら離れられる・・・のか?)
パートナーが居なくなる、というのはゲーム上ではデータが消えるということだ。
それが存在の消滅を意味するのか、単純に管理下から離れるだけなのかはわからないが。
「アルナ。初めに明確にしておくけど、君たちを下僕だなんて思っていない」
「マスター?」
「いつも助けて貰っている。だから、あんまり自分を下に見ないで」
(精神衛生上、あまり遜られると耐えられそうにないし、調子に乗って奴隷扱いして離反されたら生きていける気がしない)
特に今のノアは自力で歩くのすら難しく、彼女たちの手助けが無ければ日常生活すら困難なのだ。
自重を意識するためにも対等の立場として接する方が健全な付き合い方だろう。
「一応、リーダーということにはなるから命令をすることはあると思う。けど、納得できないことがあれば言って欲しい」
「マスター・・・」
「わからないことも多い。だから、色々な面で助けてくれると嬉しい」
「もちろんです! マスター!」
ノアが真っ直ぐに見つめるとアルナは頬を薔薇色に染めて胸の前で手を組む。感極まったような態度で瞳をキラキラと輝かせている。
大げさだ、と思いつつもノアとしても自分の作ったキャラに慕われて嬉しい気持ちが去来して微笑みが零れた。
「イリスとフィルも、お願いするね。色々と迷惑をかけると思うけど」
「お任せください」
「ん。頑張る」
イリスが満面の笑みで、フィルは胸に顔を埋めながら答える。
腕の中の少女の頭を撫でながら―――
「―――早速で悪いけれど、ベッドと床のこと、頼んでいいかな?」
「「・・・」」
アルナとイリスが顔を見合わせ、二人はフッと笑みを零し大きく頷いた。