26 輝きにて貫かん
崩れ落ちた建造物の残骸の上。
本来ならば倉庫の屋根裏に当たるだろう場所だが、半分が瓦礫の山となって辛うじて原型を推察できる程度に残っているそこは風通しがとても良い。
つまりは射線を通しやすいということだ。
宵闇でも浮かび上がるような黒衣を纏う男―――イーグルはそんな場所でうつ伏せになっている。
腕に抱く硬質な感覚の相棒である狙撃銃を抱えた姿、いわゆる伏せ撃ちの姿勢。
堂に入ったその構えや安定した呼吸を保つ技術は遠距離物理攻撃で最も火力のある狙貫射型としての技能によるところが大きい。
伏せ撃ち姿勢は隠密効果も持ち合わせており、装備の効果も含めれば未発見状態から隠密した彼はゲーム上では特殊な探知技能を使われなければ発見されることはない。
最初の一発を打ち放つまでは。
SSOに限らず、ゲームの中の『隠密』というのは特殊な挙動だ。
敵に発見されない、というのは、言い換えれば一方的に攻撃できる状態でもあるのだから。
未発見状態から一方的に、安全に敵を倒し続けるなんてことは基本的にゲームとして成り立たない。
それで成立するのは特殊なコンセプトのモノだけだろう。
当然だがSSOにおいても隠密というのは条件やリスクが存在する。
ひとつは敵に発見された状態からは『隠密』できないこと。
ひとつは何らかの能力によって発見されても、発見されたことを認識する手段がないこと。
ひとつは隠密状態では防御手段がほぼ無く、防御能力が著しく落ちるために攻撃された際に脆いこと。
ひとつは移動が大幅に制限されること。
そして、攻撃とは両立できないこと。
つまり基本的には攻撃した瞬間に隠密効果が解かれて、その瞬間に発見される。
さらに言えばイーグルの場合、隠密中の初撃の攻撃力を倍加する代わりに敵の攻撃を惹き付けるという能力を取得している。
たった一度の攻撃に全てを乗せて、失敗すれば多くの敵を惹きつける囮になるのだ。
決して扱いやすい戦闘スタイルではない。
むしろ、アクションRPGとしては嫌煙されがちな立ち回りといえるだろう。
何せこのタイプは接近されるとかなり弱い。
そのくせ、大多数の場合の敵は複数が群れで出てくるため一体減らしたくらいでは優位になることの方が少ない。
だというのに多くの場合は盾役を無視して敵の攻撃優先度を持っていかれるのだから連携が崩れる。
もっと言えばイーグル自身も回避盾ができるほど個人での戦闘技能は高くない。
「・・・」
息を殺してブレないように注意しながら真剣にスコープを覗き込む。
嫌煙されてもなお、彼は自分の戦闘スタイルを変えなかった。
もっとも、彼の所属する同好派閥『異世界サバゲ部』の面々は皆似たようなものだ。
主に運営が想定していたゲーム性を無視するかのような楽しみ方をしているという点に置いて。
ともかく、イーグルはこのゲームに置ける『狙撃』については結構な自信があった。
決して口には出さないが、このゲーム内の狙撃の腕に関しては日本一かもしれないと思うくらいに。
事実、隠密状態からの狙撃の一撃に特化したキャラ育成や装備を持つ冒険者は居ないと言っていい。
似たような縛りプレイはあっても全く同じことをする人間が居なかったからだ。
圧倒的な知名度はなくとも、狙撃縛りの変人の噂はゲームの中でも広まるのが早かった話題の一つである。
だからこそ、だろうか。
ゲームの中とはいえ、それほどまでに拘り、入れ込み繰り返し、訓練してきた動作を彼の肉体は自然と熟していた。
いきなり戦闘に引っ張り出されたことで、すでに戦闘を経験していたからか自分の『狙撃能力』がゲームと同じように、あるいはそれ以上で扱えることも理解していた。
(俺なら―――やれる・・・っ!)
だから彼は。
天を切り裂くように閃光が迸り、巨人へ向かって光の刃を『彼女』が振り下ろそうとした瞬間、引き金を絞った。
ドンっ!と重い射撃音と共に赤い輝きを纏う硬質な弾丸が銃口から吐き出され、音速を超える一撃は空気を貫き巨人の頭へと正確に着弾する。
三千メートル級の狙撃。
現実世界なら狙った場所に中てるのも難しい、限られた人間だけが可能とする達人芸。
それを攻撃と攻撃の間、仲間となる人間には当てることもなく敵の急所を貫く一瞬の快感。
完璧な援護射撃に彼は思わず口角を上げて笑みを作った―――
―――直後、彼の表情は凍り付くことになる。
「っ!?」
刃を煌めかせる瞬間、ノアにはその弾丸が見えていた。
人間の動体視力で弾丸を見切ることが可能かどうか、正確には知りはしないが今の彼女の身体は弾丸と同じか、下手をすればソレよりも速く動ける。
高速で迫る弾丸を目視で捉える事が出来たのはある意味で当然だが、かといって攻撃モーションに入ってしまったが故に即座に行動を変えることができなかった。
赤い残影を伴う弾丸は正確に巨人の眉間へ突き刺さり、けれど直後に跳弾してほとんど垂直に跳ね上がり、ノアの腕を捥ぎ取って吹き飛ばす。
「・・・ぁ・・・」
ギリギリで頭を避けられたのは単に運が良かっただけだ。
襲い掛かった衝撃でバランスを崩し、痛みに身体を滑らせ彼女の身体は夜の空へと落ちていく。
SSOには跳弾というシステムが存在していなかった。
というか、銃器を扱うゲームであってもほとんどが省略される。
処理や演算の関係、ランダム要素の問題点、あるいはゲームとしての難易度の上昇やらと他にも理由はいくつもある。
だが、半ば現実となった現状ではソレが起こり得ることをノアたちや戦闘訓練を行っていたレオンハルト達は知っていた。
金属の弾丸を使用するタイプの銃器―――中には魔法の弾丸を使うものもある―――を使った際に銃弾が消滅せずに周囲へ被害を出すという現象を。
弾丸も薬莢も放置すれば数分で消滅するために肉体にめり込むか貫通してしまえば、この世界では跳弾は起こり得ないということも検証したくらいだ。
だが、特別な事情によりいきなり牢から放り出されたイーグルがそんなことを知っているはずもなかったことだろう。
(―――っ! 一瞬、意識が途切れた・・・!?)
中に身体が投げ出されてさほど間を置かずに意識を覚醒できたのもただの幸運だった。
意図して痛覚を操れればこんな事態になってはいなかっただろうか。
それよりも優先するべきことを思い出して、意識して声を張る。
「ノアさ―――」
「―――イリス、頼むっ! アルナ、フィル! こっちはいいから叩き潰せ!」
距離的に最も近かったイリスへ初めに言葉を投げて、何とか声を振り絞った。
下手に連携を崩して隙ができたところにあの巨体で追撃されれば防ぎきれるものではない。
一撃、二撃くらいなら受けきれるかもしれないが、全員揃って海に叩き落されれば確実に助かりはしないだろう。
(なら、追撃できないほどに痛手を負わせるのを優先するべき!)
それが冷静な判断だったのかはわからない。
少なくともこの時のノアはそう考え、彼女の意図はわずかな言葉だけで他の三人に伝わった。
一度氷原に足を着けたアルナが今にも駆け出そうとする体勢で苦渋の表情を浮かべた後に、凛とした表情を浮かべ直して巨人へと向き直る。
「アル姉!」
「わかっているわ」
焦燥を滲ませる末妹の声に、アルナは小さく返す。
返答が届いたかどうかは不明だったが、直後に響く『音楽』に彼女は視線を上げる。
見上げる先ではイリスが装備を奏杖から竪琴へと変更し演奏を始めていた。
彼女は竪琴を抱えて演奏しているだけだというのに、まるで複数の楽器を大人数で合奏しているかのような壮大な演奏を。
パートナーNPC―――エインヘリヤルに与えられた特殊能力は強力である。
しかし、今の状況になってからはアルナもフィルもほとんど制限なく能力を使うことができるようになった。
フィルの魔眼の場合は効果のない相手も多いのでそれ自体が制限のようなものではあるのだが。
それでもアルナの能力の自由度を考えれば、イリスの『ソレ』はもっと明確に制限がある。
重奏。
能力強化と能力弱化を乗せる旋律を複数同時に操り展開する能力。
ゲーム時ではエフェクトだけであったソレは、今は奏でられるはずのない楽器の音までを再現し、単独で大人数のオーケストラの演奏のような音を作り出す。
また、術理の効果は普段と比較すれば三倍近く引き上がるために味方の能力はそれ以上に強化されることになる。
しかし、この強力な能力の制限はそれなりに厳しい。
演奏中のイリスは移動できないし、攻撃に参加することも防御を行うこともできない。
そして体力とAPを普段の倍以上に消耗してしまうために連続で使用できる時間は3分にも満たず、限界まで使えば彼女は意識を失う。
事前に実験してみた時は丸一日、イリスは寝込んだままだった。
そのせいで他の三人の食事が質素なものになったり、キッチンが大いに汚れたりしたが、それは別の話である。
(どちらにせよ、長くは保たない。なら―――)
全身を包み込む心地いい音楽と能力強化による高揚感よりも焦燥が心を急かす。
それに、イリスは敵の肩の上で無防備になっているのだから急がない理由はない。
「フィル、お願い!」
「ん!」
即断したアルナが声を掛けると、頼りになる妖精が翅を羽ばたかせて宙を舞う。
巨人の頭上には未だ雷光が停滞している。
これを維持するだけでどれほどの負担になるのか、アルナにも何となくでしか想像できない。
案外―――否。とても頼りになる妹のことだからほとんど負担に感じていないのかもしれない。
そして、今なら振り下ろすことのできなかった主の刃を代わりに振り下ろすことくらいはできるはずだと考えた。
「一撃で、仕留めます・・・っ!」
イリスの演奏での強化は彼女の『幻影』にも効果が及ぶ。
その力をアルナは一切の躊躇なく全力を以って解き放った。
具体的には月明かりを割るほどの巨大な『剣』が天空に聳え立ったのだ。
巨人の三倍近いサイズの、人間が振るうことは許されないようなあまりにも巨大な剣。
そんな刃にフィルが保っていた雷光が絡みつき刀身が真白に輝き、夜を塗りつぶして真っ昼間のように周囲を照らし出す。
あまりにも圧倒的な、そして幻想的でもあるその光景に多くの人々が息を呑んで空を、剣を見上げて言葉を失う。
何せ街など障害とも思わず踏みつぶしてしまいそうな巨躯の岩人形の倍以上の大きさなのだ。
―――そんな刃が、重力に従って振り下ろされたら?
「マスターの敵は―――消え去りなさい・・・っ!」
白く輝く光の剣。
それが天空から一直線に、受け止めようと翳された両腕ごと回避する間も与えずに巨人を脳天から真っ二つにするかのように突き立てられた。
バリバリと何かを砕く音と雷音が入り混じった不快な音を響かせながら、巨大な体を引き裂き、砕き、押し潰して。
見た目の割に重量はそれほどでもなかったのか海面に立った飛沫は比較的小さい。
が、それは剣のサイズと比較すればというだけであって穏やかだったという意味ではない。
海底にまで突き立った刃の影響で海流は乱れ、発生した高波はほとんど津波となって厚い氷ごと周囲を押し流す。
その威力と範囲の前には魔物だとか冒険者だとかは一切の区別もなく全てを―――
「・・・ふっ!!!」
―――押し流そうとする波を拒むかのように呼気と共に放たれた斬撃が一閃すると、散り散に途切れ勢いを弱めた波が壊れた港区をわずかに濡らす程度の被害へ押し留めた。
それを成した『彼女』はどこか俯き気味で、濡れた衣装が体のラインを強調するかのように張り付き、荒い吐息を漏らしながら刃を振り抜いた姿で静止している。
背には月明かりを固めたような幻想的な輝く『翼』を広げて。




