23 灯す光が放つ先
闇が深く、濃くなっていく。
燃料となるものが燃え尽きていくからか、周囲の灯りが減っているようだ。
強力な火焔が天を貫いて周囲から雲を掻き消したことで、幸いと言うべきか月明かりは十分にある。
もしかしたら暗視や夜間行動に関する能力を習得しているのかもしれない。
ステータスを再確認することができないので、そういった副次的な能力は完全に把握していないけれども。
「っ! 半球盾!」
叫ぶように指示をノアが放つとほとんどノータイムでアルナが前に出た。
彼女が蹴飛ばした小石が水音を立て、それとは別に小さな音、気泡が割れる音を耳が拾う。
中空から蝶のような翅をたたむ様にして降り立つフィルとノアの背後へとイリスが滑り込むと青白い輝きが四人と『外』を隔てる。
一拍の間を置いて水面から飛び出す無数の影が透き通った壁と激突して閃光を撒き散らす。
「半魚人!?」
イリスが小さく驚愕を漏らした。
正確には『アグリッシュ』という名称の敵モンスターだったはず、とノアの脳裏に過る。
が、巨大なチョウチンアンコウのような本体から青い腕と足が生えて槍を持つ姿が何となく有名な魚人キャラに似ていて、プレイヤーでは『サハギン』と呼ばれていた。
新たな種類の敵戦力による急襲とイリスがプレイヤーが使う通称を口にしたことに二重で驚きつつも彼女は二本の刀を引き抜く。
「フィル、かまくら!」
「んっ!」
四人を包み込む様に展開された半透明の球状の半透明の壁の一部に穴が開く。
アルナの使った半球盾は優秀な範囲防御術技だ。
一定の範囲に内と外を区切る球形の壁を構築するというモノなのだが、欠点は発動中は使用者が移動できず全てを遮断するという点。
これはお互いの攻撃だけでなく人の出入りすらも封じてしまうため、下手な連携だと後衛だけが外に取り残される場合もある。
そんな仕様のために実装当初は前衛が自ら動きを封じられて後衛が一方的に攻撃されるということもよくあった。
しかし、調整されたのは半球盾という技の方ではなかった。
「3、―――」
少女の小さく澄んだ声でカウントが始まる。
いわゆる『魔法職』と呼ばれる戦技特型のキャラクターだけが扱える術理。
その中に壁穴というモノが実装されたのは何時だったのかノアは覚えてはいない。
この術理は直立した壁に穴を開ける能力と説明されているのだが、実質的には半球盾に出入り口を作り出すことくらいしかできない。
ほとんどの壁は破壊不能オブジェクトで効果が無く、壁が対象のため落とし穴すら作ることが出来ないというものだ。
ダンジョンの壁に通り道を作ってショートカット―――くらいできるかと思えば、戦闘中にしか使用できないという始末。
当然ながら賛否があったわけだが、幾度もアップデートを重ねた間にこれが強化されることは終ぞなかった。
この術理は普通なら安全圏に入り損ねた後衛が入り口を作って中に避難するために使用するのだが別の使い方も存在する。
「―――2、1・・・!」
ガンガンっ!と攻撃と第二陣が光の壁を打ち据える音と少女の呟くような声音の数字が宙を舞う。
妖精のカウントダウンが終わると共に壁の一部に穴が開き、ちょうど『かまくら』のように入り口が出来た。
その『出口』が開くと同時にノアは疾風のように駆け抜け半魚人を瞬く間に切り伏せる。
「はぁぁぁっ!!!」
穴へと押し寄せる敵の影をイリスが放った緑色の輝きの奔流が弾き飛ばす。
敵の肉体が宙へ浮いたところをすかさずノアが切り付け、死体は大きな音を立てて水底へと落ちていった。
攻撃を受けた防御役の硬直解除を待たずに内側から穴を開けてそこから奇襲を仕掛けるという戦法。
敵側にも攻撃後の硬直時間があることを利用したカウンター戦術だが、当然これはリスクのある戦い方だ。
タイミングが少しズレただけで飛び出す攻撃側が逆に狩られることは少なくなく、逃げ場のない壁の内側に侵入されれば全滅の可能性も高い。
しかし、本来のパーティ人数より少ないノアたちはこういったリスクを冒すことはそれなりに多かった。
そうしなければまともに勝てない相手の方が多かっただけの話ではあるのだが。
(咄嗟の判断にしてはマシな部類。けど・・・)
「すぐに移動するよ! 建物を盾に道をひとつ向こうまで後退」
防御の体勢を終えたアルナが僅かに目を見開くが、イリスが先んじて動く、
釣られてフィルが動きノアがアルナの脇を抜けると彼女も渋々といった様子で瓦礫の陰に飛び込む様に後退する。
「・・・何故、退くのですか? 勢いのまま切り抜けても―――」
「足場もなく水上戦なんてできるわけがない。桟橋すら壊されていたし、何より水中からの奇襲は何度も対応できるものじゃない」
アルナが小さく唇を噛むのを横目に、ノアたちは崩れ落ちた倉庫を駆け抜けて街路へと躍り出る。
徘徊する触手頭をすれ違いざまに切り捨てながら、四人は暗闇を走った。
「では、どういたしますか? 今更、戻って助力を願うというのは―――」
「それはあり得ない。というか、打開策が思い浮かぶような人たちならこっちに指揮を丸投げしようなんて馬鹿なことはしないよ」
不満げな声に、吐き捨てるように返しつつノアは周囲に視線を巡らせる。
ほんの少し前まで建物であった瓦礫の山は視界を切ることはできても防御には使えそうにない。
そんな様子にアルナもハッとして周囲を確認して足を速める。
並んで宵闇を走りつつ、一度思考を落ち着かせようと落とした吐息は二人同時だった。
「ですけど、このままではジリ貧ですよ?」
「わかっているよ、イリス。けど海中にあんなのが大量に居るとすれば、やっぱり足場が無いと話にならない」
ノアたちは『浮遊』の手段を持ってはいるが『飛行』の能力は所持していない。
その上、浮遊の最中には移動や攻撃に大きな制限が掛かるため水中からの攻撃への対処はほぼ不可能。
そうとなれば取り得る手段が限られるのは自明ではあった。
「フィルだけだと下から割られる可能性がある。だから、イリスと二人でお願い」
「けど、時間がかかるよ?」
「その時間を稼ぐ策が出て来ないのが目下の問題なんだよね」
苦々しい思いを抱えつつ口にした言葉に、内心で舌打ちする。
作戦は別に難しいものでは決してない。
いわゆる大規模範囲攻撃で海面を凍らせて一時的に道を作って切り込むだけ。
穴だらけの危険な作戦だが、シンプルなだけに応用も修正も効きやすい。
「できるだけ広範囲に厚い氷を敷く必要がありますね」
「海に蓋をするっていう壮大な作戦になったけど、現状だとこれくらいしか手段が無い」
アルナの厳しい声音に頷きながらも、内心で深々とため息が漏れる。
事前情報も通用する遠距離攻撃も空中はおろか海洋戦力すらもまともに無いのだから通常の手段で抗する方がどうかしているだろう。
そして、ノアは半ば確信に近い形でフィルの能力ならば『それ』が可能だと考えている。
ある意味で毒されていると考えることもできるが、現実的な考え方だけをしていたのでは勝てないと彼女はどこかで感じていたのかもしれない。
「足を止めて詠唱を補助する必要がある。それも、見晴らしのいい場所で」
「射線の確保のためには仕方がないとはいえ、厳しいですね」
「かといって連携がシビア過ぎて囮を使うわけにもいかない」
巻き込むかもしれない、という躊躇すら命取りだ。
足を止める時間が長い分、二度目の機会は作れないと判断した方が良い。
それこそきちんと連携の訓練をした精鋭がもう少し居れば話は違ったのかもしれない。
けれど、レオンハルト達ですら囮としては心許無く、能力不足だと感じる。
囮というのはそれだけ能力を求められる役割なのだ。
まして敵の総数がわからない以上は、フィルへ向かってくる兵力を減らすことが出来るのかも怪しい。
「・・・まともな手がひとつも出て来ない・・・」
小さく零してノアが小さく頭を振る。
机上の空論も今なら実現できそうな気はするのだが、実行可能かと自問すれば否と答えが返ってきた。
「マスター。強行しましょう」
盾で敵の頭部を豪快に粉砕しながらも、アルナの言葉は平坦にすら思うほど冷静だった。
視線を交わせば強い意志を感じさせる鋭い瞳がノアを見据える。
「時間を掛けてもこちらに利することはありません。多少の危険を背負ってでも押し通すべきかと」
「・・・前と違って、やり直しは効かない。全員の命を懸けることになるよ?」
「他に策が思い浮かばない以上、回り道をしても結果が良くなるとは思えません」
歯噛みしつつも、その通りだと認めざるを得ない。
打開案もなくただ否定の言葉を垂れ流しても意味などないだろう。
否。ノアが『逃げる』と決めれば彼女たちは付き従うのだろうけれど―――
「わかった。やろう」
「!」
内心に抱く恐怖に見ないふりをしてノアが頷くと、むしろアルナの方が驚いたように目を見開いた。
「良いの、ですか?」
「自分で言い出して何を今更。それに勝算が無いってこともない」
「・・・はい」
同時に顔を上げた二人の視線の先にあるのは灯の落ちた灯台だ。
役目を放棄した塔はその重要性から周辺の建造物の中では堅牢さにおいて抜きんでている。
高さがあるので最悪、飛び降りれば遠距離攻撃を回避することも可能―――かもしれない。
「問題は二人で守り切れるか―――」
「―――問題ありません」
妙に自信満々に言い切られて、今度はノアが目を丸くする。
しかし、次いで沸き上がる感情に困ったように笑みを浮かべた。
「フィルとイリスは『的』になってもらうけど、大丈夫?」
「お姉ちゃんたちが守ってくれるから問題なし」
「もちろんです、ノア様」
笑みすら浮かべて言い切る二人に、こちらもまた笑みを返してノアは頷く。
それでも背筋を伝う緊張と恐怖を拭うことはできない。
ノア自身も自覚が薄い事ではあるが、自分の命よりも彼女たちを危険に晒すことへの恐怖がそれほどに強かった。
「じゃあ、頼むよ。みんな」
それぞれに返答して即座に行動に移る。
ノアとアルナが周囲の敵を切り伏せている間に、フィルとイリスは灯台の上へと壁を駆け登っていった。
横目でそれを捉えたノアが思わず二度見をしてしまったのも致し方が無い事なのかもしれない。
壁登りという技能は元々存在していなかったはずなので、彼女たちの何らかの能力ではあるのだろう。
改めてゲームとして見てきた世界との違いを見せつけられて気分で、彼女の頬が引き攣った。
(術理や術技、NPCやオブジェクトもそうだったけどアクションまでここまで変化があるのか・・・)
今更な感もあったが、できるようになったことの幅の大きさにそっと息を吐く。
そして、これは今後自分にも必要になる技能だと視界の端で眺めながらその『技』を盗み取る。
(さて、足場作りが上手く行ったとして・・・最後まで行けるだろうか?)
体に染みついたかのような華麗な動きで対峙する敵の影を切り飛ばし、未だ動かぬ巨人へと視線を向けた。
操っている存在が混乱しているのか、それとも何か考えがあるのか沈黙を保つ姿は不気味とも思える。
ノアとアルナによる周囲の『掃除』が終わるのを見計らったかのように、周囲へと青い輝きが満ちていく。
軽く視線を上げれば本来は灯火の光を放つ灯台の上部から直径で30メートルほどの魔法陣が浮かび上がっていた。
「あはは・・・スポットライトを浴びたいってタイプではないのだけど」
「来ますよ、マスター!」
乾いた笑いを零すノアに声を掛けてアルナが臨戦態勢を整える。
「また、拠点防衛か。まぁ、今度はおよそ3分の時間制限付きだけど」
「はい! ここを護り切って反撃開始ですっ!」
割と好戦的に気炎を吐くアルナの態度に苦笑が浮かぶものの、ノアも気合を入れ直して青白い輝きを目指して集まってくる敵を見据えた。
水辺が近いせいもあってどれほどの数が向かってきているのかも全く分からないが、来るものから薙ぎ倒すしかやることはない。
「入り口で躓くつもりはない。きっちり守り切る・・・!」
青い光が照らす先を見据えて、ノアはゆるりと二つの刀を構えた。




