22 予期せぬ道化に躓く
背後で聞こえた呼び止める声を無視するように宵闇へと身を投げ出す。
待つ時間がもったいなかったというのもあるが、ペースを崩されることを嫌ったのも大きい。
「よかった、のですか?」
風のような素早さで駆け出したノアに、僅かに遅れて走り出しピッタリと並走するアルナが戸惑い気味に問いかける。
その問いを聞かなかったことにすることもできたが、ノアは苦笑を浮かべた。
「当然。だって信頼できないし」
「信頼ですか?」
「ただの敵殲滅だったら人数が居た方が有利なのは確かだけどね」
単純な雑魚殲滅ならともかく人数が居た方が話が早い。
あるいは純粋な拠点防衛なら自由にできる戦力は多いにこしたことはないだろう。
けれど。けれども。
「正直、彼らに背中を任せる気にはなれない」
結局はそこである。
そして、それは人格や性格だけで判断できるものでもない。
得意とする戦術や所有する能力、技術に判断力など色々とある。
長い時間かけて訓練を繰り返し擦り合わせた相手ならまだしも、彼らはこの状況になってからさして交友が深いわけではない。
レオンハルトは多少の交流があったが、だからと言って全幅の信頼を置けるかというと疑問だった。
彼の場合は能力と練度にも問題があるのだけれども。
「少なくとも今は、君達以外に命を預けるつもりはないよ」
「・・・マスター・・・」
何とも複雑な想いを抱いて、アルナははにかんだ笑みを浮かべた。
内心に沸き上がる得も言えぬ幸福感。そして同時に抱く言いようのない危機感。
それでも頼りにされているという気持ちが伝わってきて、高揚感が勝って胸が高鳴った。
そんな様子を尻目に、ノアは僅かに苦い感情を抱いて内心でため息を吐く。
(ここで他プレイヤーに指示を出すような立場になるのは、後で面倒事にしかならないのが目に見えているし)
下手に既成事実を作ってしまって集団の中心人物に据えられるのは大いに困る。
この場に根を張って活動するつもりがないのだから、よりそういった感情が先立ったのもあった。
事実、数日後にはこの街を出るつもりではあった。こんな事態が起きなかったならば、だけれども。
どちらにしても、ノアの取った行動が文字通りの逃げだったことは本人が一番理解している。
それを理解してなお、多少友好に罅が入ったとしてもここで彼ら、彼女らを突き放すのはノアにとって必要な手順だった。
もちろん、アルナに語ったことが嘘であったというわけではないのだけれども。
(まぁ、ここを乗り切れなかったら意味が無いが)
走りながら海上の巨大な影を睨み据える。
人間と大差ない大きさの兵隊は頭部がイソギンチャクのようにも見えるが、巨躯の方は印象が違う。
記憶の中にある何が近いか、と言われれば巨大ロボットだろうか。
人型を基にしているのだけれど、かといって人体を再現しているというよりは重厚な装甲と武器の付いた手足のようなシルエット。
硬質な岩石のような鎧が全身を包み海水に濡れて、金属質ではないモノの妙な光沢を放っている。岩や海中の物質で出来ているのだろうか。
そのせいかもしれないが腕や脚は歪な膨らみや尖った部分が目に付き、輪郭だけなら合体するロボットとしか見えない。
「あの巨体を支えているってことは、密度とかも高そうだし簡単には行かなそうか」
「はい。一、二度はフィルが遠距離から狙ったタイミングもあったのですが・・・」
「障壁装甲があるから難しい、か」
遠距離攻撃をある程度無効かする障壁装甲は、実は敵によって複数のパターンがある。
固定のダメージ量を無効化するパターン、最大HPの一定以下の割合を無効化するパターンなどだ。
「いや、単純な無効化って可能性もあるか」
SSOで実装されていた巨大エネミーというのは多くない。
プレイヤーキャラとの比較で割り出した一般的な敵キャラの大きさは大きくても5~8メートル級のドラゴンくらいなもので、海上に佇む上半身だけで30メートル級の巨人のような敵は出て来なかった。
が、その半分程度の大きさの特殊なボスキャラというのは数体だけではあったが存在している。
その全てがいわゆる仕掛けボス。
特殊な手段や謎解きをクリアしないとダメージを与えることのできないタイプの敵キャラだ。
「何か、手段を考えますか?」
「いや―――」
一瞬悩んだけれどノアが小さく、けれど確実に頭を振った。
そんなやりとりの最中、宙を滑るようにしてフィルが、瓦礫の上を跳ねるようにしてイリスが合流してくる。
なんだか随分と久しぶりに全員が揃ったような気がして、ノアの口元に笑みが浮かぶ。
「あの岩人形が操り人形だとしても操者を見つけ出すのは現状だと厳しい」
「他の仕掛け、ということもあるのでは?」
「否定はできないけど、試行錯誤の時間がない。まずは正面突破を試して、話はそれから」
残念ながら、ホンの僅かな情報から正解や最善を見通す能力はノアには無い。
ゲームでも難易度の高いクエストの攻略はどちらかと言えばトライ&エラーを繰り返す方だ。
最も簡単に思いつく攻略方法は指揮官を仕留めることだが、どこに居るのかを特定する手段もない。
次善の策と言っていいのかは疑問だが、敵の戦力をできる限り削るのは間違いだとも思えなかった。
問題と言えば、他の方法を思索するだけの時間がないということだろうか。
「こっちの余力も多くない。複雑なことを考えて中途半端になるより、作戦はシンプルにしよう」
巨人を叩いて、例えそれで敵の援軍が止まらなくとも、大火力砲台が一時的でも機能しなくなれば体勢を立て直せる。
同様のエネミーが複数出てきたら絶望しかないのだが、その場合は逃げるしかなくなるだろう。
「フィルとイリスの術理で足場を作って突撃。アルナと一緒に切り込む」
「後は流れで連続攻撃、でしょうか?」
イリスが躊躇いがちに口にする。
確かに、ゲームとしてのSSOでは手数を増やすのがセオリーなのだが・・・。
あれほどの巨体に人の持てるサイズの武装による連続攻撃で効果が望めるのだろうか。
「・・・いや、大技を狙おう。最後の連携はシビアになると思うけど」
「ん。頑張る」
フィルの本人としては気合の入った言葉に、アルナとイリスも頷きを返す。
それ以上は細かな指示はない。というか、出すことが出来ない。
連携のタイミングや何か、あるいは失敗した時のリカバリー、海に落ちた場合は―――。
色々と脳裏には浮かぶのだが、口に出して行動を縛るよりも臨機応変に構えていた方が上手く行く気がした。
「それじゃあ、三人とも油断だけはしないようにね」
「当然です、マスター」
「お任せください」「ん」
アルナが真面目そうに頷きを返し、イリスが薄く笑みを浮かべ、フィルが軽く地を蹴った。
だいぶ海に近づいたことを感じつつ、淡い燐光を揺らめかせながら小柄な肢体が宙を舞う。
同時に、彼女の眼前に浮かんだ魔導書のページが音を立てて捲り上がった。
水際からゆらりと浮かぶ不気味な光を放つ触手頭が中空の力の波動へ意識を向ける。
「「ふっ!」」
意識が逸れた、と感じるまでもなく小さな呼気を重ねてノアとアルナは同時に踏み込んだ。
青い輝きを宿すアルナの刃が駆け抜ける風の様に淀みなく目に付く敵を切り捨てていく。
対しノアは全身に赤い燐光を纏いつつ、ほぼ減速することなく瓦礫の狭間を雷光の様に鋭角に切り抜ける。
美しい波紋が浮かぶ二本の刀―――脇差を操り閃光と見紛う程の速度で敵を蹴散らした。
「援護いたしますっ!」
青と赤の剣舞を彩る様にシャランと涼やかな音色が響き渡る。
黄金にも近い黄色の光が音の波と共に周囲へと広がっていく。
その力の波動が重力の様に敵集団へ圧を掛けて足を重く鈍らせた。
一拍の間を置いてフィルが魔導書に集う緑の輝きを解き放―――
「―――手伝うよっ!!」
フィルの射線に筋肉隆々で上半身が裸の壮年の男が躍り出る。
上手く纏めていた敵集団を自慢の戦槌で粉々に砕いてせしめた。
「私もヤるわよぉ?」
笑みを含んだ甘い声音で呟く魔女帽子にスリングショット水着の女が躍り出る。
月光に照らされて妖艶な肢体を曝け出し、手にした紫色の鞭―――否。複数の刃を鋼線で繋いだ武器、蛇腹剣を振るう。
現実には刃が立たず、まともに狙った場所を切ることが出来ず、かといって自分で握ることもできず、単に危ないだけの実用性の薄いとされる武器。
それを彼女は巧みに操って周囲へと傷を刻んでいく。ホンの数秒で『陣』は完成し、アコルはカザジマの隣に着地する。
同時に、爆炎の花が咲いた。
周囲の敵を一掃して彼女は満面の笑みを咲き誇らせる。
「ふふ、私だって―――」
「「邪魔っ!!」」
舞台女優の様にポーズを決めていたアコルと戦槌を担ぎ直していたカザジマへアルナとフィルの怒声が重なった。
特に、完璧に攻撃タイミングを外されたフィルは苦々しさと怒気を隠そうともせずに二人を睨み据える。
その苛烈な視線に露出度の高い美女と上裸の壮年男性は固まった。
「道化は無視して。失敗したら素早く次へ!」
「支援します、ノア様!」
シャランと音が響き、二人を無視して駆け出したノアの背後に付き従ってイリスが瓦礫を飛び越える。
次いでアルナが冷たく一瞥してから瓦礫を足場に軽く飛び、フィルは舌打ちでもしそうに忌々し気な表情のまま一泊置いて宙を舞う。
それを二人は唖然とした様子で見送ることしかできなかった。
「・・・すみません、マスター」
「ごめん、なさい」
僅かに遅れて追いついてきた金と銀の髪の少女たちにノアは苦笑を返す。
「連携の失敗なんて良くあること。次行くよ、次!」
「はいっ!」「うん」
何とか笑みの表情を取り繕っているのを感じつつ、ノアも内心では舌打ちをしている。
四人での連携はこうなってからも訓練を重ねてきた。
フィルを囮にアルナとノアが周囲から削る様に敵を彼女の正面に集めつつ、イリスが移動阻害などで援護し、最後にフィルの範囲攻撃で殲滅するというのもパターンのひとつ。
今回はその最後の攻撃で海上まで足場を構築するための足掛かりにしようという思惑があったが、乱入によって潰されてしまった。
もう一度、連携を立て直すと口にするのは簡単だが、すぐには気持ちが持ち直せない。
「・・・海中から狙われるかもしれないけど、海の上に出よう」
「わかりました。マスターは私が守ります!」
「いや、メインのフィルを優先してくれないと連携にならないって」
鼻息荒く意気込むアルナの姿にそっと息を吐く。
少なくとも彼女は無駄に力が入っているという様子はない。
むしろ―――
「―――フィル」
「ん。大丈、夫・・・」
消沈気味ではあるがフォローしている余裕も時間も多くはなかった。
もっと言えば、ノアが何と声を掛ければ良いのかわからなかったというのも大きい。
(もっと、明確にあっちを拒絶しておくべきだったかな・・・)
連係ミスが起こることは予測していたけれども、余計な横槍で完成しかかった連携を潰されるとは考えていなかった。
というより、突き放したつもりだったので追ってくることを考慮から外していたのだ。
また、それがこれほど厄介だとは認識していなかったというのも、想定を大きく外す要因だった。
僅かな失敗が自分たちの不利を決定づけるような場面なのだから、信頼できるメンバーだけで動きたいという思いが強まる。
けれど、だからこそ能面のような感情が消えた表情を浮かべる妖精に何も言わないで置くこともしておけない。
「フィル・・・」
「ん?」
「信頼している」
結局、絞り出した言葉はそのたった一言だった。
ノアの胸中には言葉にならない想いはいくらでもあったが、形になった台詞は端的な一言。
自分でも効果を期待できなかったためか、ノアは彼女の表情を仰ぎ見る事はしなかったが、フィルは一瞬だけ小さく目を見開く。
そして、徐々に言葉が沁み込んでいくにつれて彼女はホンの僅かに表情を和らげて「んっ」と気合を入れ直す。
横目でそんな妹の姿を確認してイリスが内心でほっ、と息を吐き、アルナは真剣な眼差しを夜の海に投げたまま。
ノアが睨むように鋭い視線を海上へ向ければ、彼女たち三姉妹も釣られるように巨大な影を見詰める。
「もう一度、仕掛けるよ・・・!」
宵闇の中、ノアは巨人と敵意の視線が交錯したような気がした。