18 憤りは自分の中に
失敗した。
自分の不甲斐なさにギリッと歯噛みする。
(本来なら、マスターでなく私が飛び出す場面でした・・・っ!)
アルナの主戦型戦技特型は攻盾戦型。
片手に盾を、片手に武器を持つスタイルであり、カイトシールドとロングソードを持つことが多い。
というのもノアがコロコロとスタイルを変え、他二人が主に後衛型なので必然的にアルナが前衛で攻撃を受ける位置に立つことが多いからだ。
例外はノア自身が防御型の前衛を務める時くらいだろうか。
しかし、今のノアは遊撃スタイルであっていわゆる回避盾ですらない。
ならば最も防御に優れる自分が後衛を護るために無理をする場面だった、とアルナは考えた。
しかしながら、ノアは反射的に動いただけなのでアルナに不備があったわけではない。
「・・・ふぅ~・・・」
身体の中の熱を吐き出す様に吐息を漏らしつつ山のような船の残骸の上に立ってアルナは周囲を険しい視線で睥睨する。
闇の黒の中に浮かぶ気色の悪い触手の光はそれなりに減ったがまだ数が多い。
今まで潜った迷宮の中で最も難しかった場所に出てきた魔物と比較すれば圧倒的に弱い相手だ。
せいぜいが地上で最高レベルといったところか。
(ともかく、時間を稼がないと・・・イリスが来るまで・・・っ!)
抜き放った剣の柄をきつく握りしめる。
怒気に呼応するように剣身が青白い輝きを放ち盾に重なる様に複雑な紋様が浮かび上がった。
今にも敵の群れに向かって飛び掛かろう、と前傾姿勢になった瞬間に背後で巨大な火柱が立ち上る。
その炎は天を焦がし雲を蹴散らし周囲を真っ赤に照らし出す。
「なっ、何事ですか・・・!?」
火焔は周囲に燃え移ることも無く数秒で消え去り、さらに数秒置いてフィルがふわりと宙に浮かんだ。
彼女はぐしぐしと服の裾で顔を拭ってアルナの背後を護る様に降り立つ。
「い、今のはフィルがやったのだと思いますが・・・なぜ?」
「イル姉が居場所わかる様に、ってお姉ちゃんが」
「!」
それを聞いた瞬間、自分が冷静でなかったとアルナは自覚した。
ここで足を止めて防衛戦をするなら味方に位置を伝えるのは当然だ。
助けを呼ぶという意味でも何らかの合図をするのは先に考えておくべきことだった。
身を隠すのならノアを連れて移動した方が良かったし、アルナやフィルが飛び込んだ時点で距離の近かった敵には居場所がバレている。
リスクが大きい行為だが移動もままならないのなら、という主の考えを悟ると同時にそれすら考えなかった自分に舌打ちしたくなった。
少なくとも防衛戦力たるアルナが飛び出していくのは愚策だということがわからなくなるほどには頭に血が上っていたのだ。
(ダメだ、もっと冷静に。ちゃんと考えないと)
細く吐息を漏らして剣を握り直す。
主は『あの日』から色々と調べていたけれど、アルナに最も重点を置いて調べるように頼まれたのは、できないことは何か、だ
今までできていたはずなのにできなくなった事を調べることに、どれだけの意味があるのかアルナはすぐにはわからなかった。
むしろできるようになった事があまりにも多すぎて、そちらの方を重点的に考えた方がいいのでは?と思ったのだ。
「でも、できると思ったことが咄嗟の時にできなかったら命に関わるでしょ?」
ノアの放った、たった一言で思い違いを諫められた。
当たり前の話だし、少し考えればできなくなった事の方が遥かに重要だとわかったはずなのに。
出来る事は最悪その都度確認していってもできるはずの事がいざという時にできなければ致命的な失敗になりかねない。
階段を踏み外すような、足元の土台が崩れるような、そんな事態に。
同時に思慮がまるで足りなかったということを理解させられた。
それ以来、アルナはできうる限り考えるようにしている。
成果は芳しくないのだけれども。
「ふぅ~・・・フィル」
「アル姉?」
「マスターからの指示は他に?」
「また船飛んで来たら撃ち落とすように、って」
ハッとした。
深い夜の闇は水面に浮かぶ『残弾』を確認できないが、もう一度同じように攻撃される可能性がすっかり頭から抜けていた。
あれだけの大規模攻撃が連発できるはずがない、なんて思い込みが自然とあったからだ。
ゲームであればアルナの考えは正しかっただろう。
広範囲の一撃必殺を遠距離から一方的に連発してくる敵なんてまず実装されることはない。
いくらシビアなゲームでもそんな敵キャラを配置したらクレームが殺到することだろう。
「・・・本当に、私は考えが足りない」
「アル姉はわたしよりマシ」
妹の苦々しい口調には疑問を覚えるが、アルナは少し冷めた思考でもう一度、眼下を見据える。
敵は確かに寄ってきているが動きは遅く、包囲は完成しつつあるが少なくとも数分の猶予がある様に思う。
幸か不幸か船の残骸は防壁としても機能しそうで、広範囲に及んだ破壊は周囲から敵を一掃している。
簡単に奇襲されるような距離には―――
「―――フィル。船の残骸の中に敵がいないか策敵をお願い」
「あ、う、うん」
武器として使われたのだから可能性は少ないと思うが、原形を留めているのだから最初から中に敵が潜んでいる可能性は否定できない。
冷静になってみれば、どうしてそんな可能性すら思い浮かばなかったのかと自分に嫌気が差す。
淡く輝く翠の風がふわりと駆け抜けるのを感じつつ、彼女は思考を回し始めた。
(奇襲があるとしたら、後は空と地下? でも、そこまで考慮すると守り切れない)
思い浮かべたのは『過去』だ。
彼女たちにとっての現実である、ノアや妹たちと踏破した迷宮仕掛けの数々。
アルナとて過去を、記憶を持っているのだ。たとえノアにとってはゲームだった頃の現実感に乏しい時間だったとしても。
それを踏まえて考えを巡らせれば相応に状況判断もできるというものだ。
「フィル。空からも敵が来るようなら教えて」
「ん・・・」
「それと、いざという時は私ごとでいいから『船』を燃やして囮にしつつマスターを連れて逃げなさい」
一呼吸分だけ間を置いてからフィルは重く頷いた。
冒険者は簡単には死なない。が、絶対ではないということをこの数週間の情報収集で何度も耳にした。
ノアに万が一があれば、比喩ではなくアルナたちが生きていけなくなるであろうことも。
もちろん、敬愛する主を失いたくないと言う気持ちも大きい。
痛みに悶える彼女に負担を強いてまで移動して何かあれば―――と考えてしまうのも仕方の無い事だろう。
「援護は最低限でいいわ。ともかく、時間を稼ぐことを考えて」
凛とした横顔にフィルは小さく息を呑んだ。
このところ空回りを続けていた姉の真剣な表情は研ぎ澄まされた剣のようで独特の美しさを放っている。
一瞬だがフィルが神々しいと思ってしまうくらいに。
「何かあれば『花火』で」
「・・・う、ん」
ぎこちなくも頷くフィルを確認し薄い笑みを浮かべてアルナは地を蹴った。
長く艶やかな金色の髪が宙に残影を残し、彼女は猛禽の如く鋭角に敵へと斬り込んでいく。
奇妙な触手が蠢く出来の悪い人形のような敵を縦に真っ二つにし、攻撃態勢に入った相手に輝く盾を叩きつけるように振るって周囲ごと吹き飛ばす。
敵の隊列―――というには無様な戦線を一時的に押し返したと思うとアルナは追撃など考えずに離脱して高所へと駆け登り周囲へ視線を巡らせる。
そして、比較的足の速い相手へ目掛けて同じように奇襲を仕掛けては相手の足を鈍らせて離脱していく。
(・・・完全に意志や思考が無いゴーレムのような相手では意味がなかったかもしれませんが)
数度のヒット&アウェイを繰り広げたことで相手がアルナを警戒するように侵攻を緩めた。
そんな様子から不気味な見た目であっても敵にも恐怖心や警戒心が存在するのだと認識する。
だからといって手を抜くことはしない。
SSOはわりと普通のMMORPGではあったが、いわゆる大規模戦闘というのは未だ実装されていなかった。
複数パーティが共同で当たるクエストくらいはあったが数百、数千の敵を相手取って大立ち回りを演じるようなゲームではない。
それ故、アルナたちとしても今までで同時に相手にした敵の数は多くとも5体程度だったこともあり今の状況には恐怖を覚える。
宵闇で敵の数が明確にわからないからかもしれないが、船の残骸を取り囲んでいるだけでも数十。
海辺に面した付近からはさらに上陸してきているのか数百にも及ぶ不気味な触手の光が揺らめく。
情報収集を最優先に。
ノアが最初にそう言った時に、自分たちなら容易に『敵』を殲滅できると考えた自分に苛立ちを感じる。
敵の総数も配置もわからないのにどうしてそんな安易な思考に身を任せようとしたのか、と。
歯噛みしつつもアルナが動きを止めることはなく、即座に周囲を観察し敵の足を止めるために飛び回る。
そんな彼女の支援をするフィルもまた優秀だった。
直接攻撃はほとんどしないが敵が瓦礫の上を進めば足場を崩し、進路となり得る開けた場所を埋め、陥没させて時間を稼ぐ。
そうして、どれほどの時間を戦い続けただろうか。
「はぁ・・・はぁっ・・・はぁ・・・」
吐き出す呼吸を一定になる様に意識しながら、額の汗を拭いつつ周囲を睥睨する。
息が切れる、というのは実はアルナにとって初めての経験だった。
それだけの消耗を強いられた、というのもあるが持久力の設定が存在しないRPGのゲームキャラクターは息切れなど起こさない。
そうした変化こそをノアが恐れていたのだと実感してアルナはもう何度目になるかもわからないほどに不甲斐なさを覚える。
泣きそうなほどに歯を食い縛りながら顔を上げて『敵』を見据えるが、その数は一向に減った様子を見せない。
体感では数時間以上も戦い続けた気になっていたが、実は数分しか経っていないのではなかろうか。
囲いは徐々に縮まり切り崩すのが難しくなりつつあるのを理解しつつ剣を握り直し―――
―――雷音が空を薙いだ。
ハッと顔を上げれば海上で『砲弾』が純白の雷光に撃ち抜かれ轟音を立ててバラバラに粉砕されるところだった。
フィルの放った『赤の術理』だというのはすぐにわかったが、その精度には驚愕を禁じ得ない。
ああいった大火力の攻撃は味方を巻き込みかねないほど制御が難しく、標的が巨大とはいえ動く物を捉えることは簡単ではないからだ。
それを可能にする『妹』の有能さにアルナは知れず口元に笑みを浮かべる。
「・・・まだ、やれる・・・!」
自分に言い聞かせるようにして囁き剣を構えた。
徐々に戦線を押されていたことによる圧迫感からくる焦燥を吐き出す様に吐息を漏らして闇へ視線を巡らせる。
ほとんどが破壊されて役に立ちそうな物はほとんどないが、フィルは瓦礫すら利用して足止めをしていた。
(姉である私が、無様を見せるわけにはいきません・・・!)
それは最も長い時間、主と共に歩んできた彼女の矜持である。
彼女たちに血の繋がりはなくとも、この世界に生み出されて主と歩んできた日数は明確。
だからこそ『姉』は『妹』に対して立場が上だし、そのことに矜持を持っている。
主と一緒に居た時間というのは彼女たちにとってそれだけ大きなモノだということでもあるが。
ともかく、妹の戦果と力の使い方にアルナは奮い立った。
「行きま―――」
―――ウォォォォオオオ・・・っ!!!
駆け出そうとした彼女の機先を制すように怒号とも歓声とも付かない鬨の声が響き渡る。
一拍の間を置いて青白い閃光の奔流が周囲の『敵』を薙ぎ払った。
「アルナ姉さん!」
待ちに待った援軍の声に、胸が締め付けられるような感覚が過る。
顔を上げて縋るような視線を向けると彼女は大真面目な表情で頷き返す。
「10分・・・いえ、あと5分だけお願いします!」
「ええ。イリスも―――お願い」
本当はもっと言うべきことがあったはずなのに口にすることはできなかった。
しかし、そんな彼女の言いたかったことすら理解していると言わんばかりにイリスは笑みを浮かべて頷き、瞳には真剣な光を宿して瓦礫の狭間へと急いで降りていく。
正確な場所はフィルが伝えているのだろう。イリスの足取りに迷いは感じ取れなかった。
「・・・アルナさん。私たちも手伝いますよ」
タイミングを見計らっていたのだろう。
瓦礫の山を下りてレオンハルトが柔らかな笑みを浮かべて傍らに立った。
主が複雑な表情で彼を見ていることが多いためアルナとしては苦手な相手だ。
けれど―――
「―――お願いします」
「え、ええ」
真っ直ぐに頭を下げたアルナに、レオンハルトの方が戸惑ったように困った笑みを浮かべて頷きを返した。