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ウィッシュスターストーリー  作者: multi_trap
第一章 最前線だったはずの入門編
13/99

12 月夜に香る





「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


深夜。

月と星の輝きだけが証明代わりの宵闇の中で。

白い肌を紅潮させ、しっとりとした肌に汗を吸った衣装が張り付き、口からは荒い吐息が漏れる。

美しい髪が身じろぎと共に波打ち、一筋の汗が滴り揺れる豊満な胸の谷間に消えていく。

行為の余韻(よいん)か小さく身震いすると彼女―――ノアは顔を上げた。


「んっ・・・う・・・うぇ・・・」


込み上げてくる吐き気に近場の木陰に駆け込んで胃の内容物をぶちまけた。

冷や汗と手の震えが止まらず、嫌な香りに包まれて不定期に震えが襲う。


「はぁ・・・はぁ・・・」

「ノア様」


荒い息を吐くノアにそっと寄り添う母性溢れる美女。

心配そうに濡れタオルを手渡してくれるイリスにノアは弱々しい笑みを返した。

すでに何度か繰り返した後のために、手慣れたもので顔と口元を拭きとって汚れたタオルは投げ捨てる。

こういった簡単な布類は私室に戻ればイリスたちが作り出せるので洗って再利用よりは捨てた方が効率がいい。

それに錬金術で作成した物資は所有権を持つ人間から離れると数時間ほどで消滅するので環境的にも問題がない。


「・・・それにしても、慣れないなぁ」


木陰から街道に戻ると、思わず声が漏れた。

纏わりつく血の香りに表情が強張ったまま戻ってこない。


「仕方がありませんわ。()()ノア様は、あまり慣れていないとの話ですから」

「ほんと、情けなくてごめん」

「いえ」


イリスは気遣って優し気に微笑んでくれるが、ノアとしては自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えている。

夜も更けたこんな時間に街の外で何をしているかと言えば『人斬り』だ。

否。盗賊狩り、である。

その辺りの言い方を間違えると大変なことになりそうだ。

しかしながら、やっていることは変わらない。

冒険者互助組織(ラタトスク)を訪ねてから三日ほど経った。

色々と情報を入手することが出来たわけだが、その中でも優先的に対処しなければと思ったのが『殺害』に対する心構えだ。

ゲーム画面越しであった時には『敵を倒す』という行為は相手が消滅するだけで生々しさなんてものは欠片も無かった。

しかし、現実として目の前に広がる世界では相手を殺せば血は流れるし死体も残る。

手に残る感触に、溢れ出る鮮血に、鼻を突く生臭さに、いずれは慣れていかなければならない。

各街を繋ぐ街道は怪物(モンスター)はもちろん盗賊や山賊が跋扈(ばっこ)する危険地帯でもあるからだ。

現実世界なら「そんな場所に道を作るなよ!」と怒鳴るところだが、ゲームとしては移動ルートに『敵』を配置するのは当たり前。

怒っていいのか呆れた方が良いのか、ノアとしても判断に困るところだ。


「そろそろ日を(また)ぎます。戻りましょう?」

「そうだね」


淑やかな微笑みを湛えるイリスの言葉に、ノアも微笑みを返す。

そして空へと照明弾代わりの術理(ルーン)を打ち上げた。

少し離れた場所で行動―――というか、後始末をしているアルナとフィルに向けた合図だ。

死体が残るということは当然ながらそれを処分する必要も出てくる。

この世界には大きな宗教派閥が存在せず、死者の埋葬(まいそう)方法についても曖昧(あいまい)

そのため、獣だろうが盗賊だろうが一か所に集めて火葬(かそう)にしても大きな問題にはならない。

ノアの心情的には思うところがあるが下手に埋葬して獣に掘り起こされるよりはマシだと判断した。

人と動物は仕訳けた方が良いとか思わなくもなかったが、そういう意識に囚われるのも今後の障害になりそうであえて一緒に処理するようにしている。

今はまだ余裕があるが、街と街の間には迷宮(ダンジョン)が設置されていることもあって安全に処理できなくなることも想定できた。

そうなった時、普段から人は特別に、みたいな考え方をしていると足を引っ張りそうな気がしたのだ。

とはいえ、数日でそれなりの数を斬り殺しておきながら未だに慣れないあたり意味のない考慮なのかもしれない。


(いいや。そもそもゲーム画面越しなら何百と倒してきた相手だから今更でしかないのだけれど)


手応えだとか生々しさだとか諸々を無視すれば慣れ親しんだ日常と言ってもいいだろう。

今の状況になってからも十人は斬ったのだから血に塗れているのは間違いない。

罪悪感を抱く事の方が問題がある気もしてきた。


「ノア様」


思い悩んでいると、ふわりと柔らかな感覚が彼女を包み込む。

ノアよりも大きく柔らかい母性の象徴に押し付けるようにギュッと抱き締められていた。


「イリス・・・?」


これがアルナだったら胸当てが痛そうだな、などと場違いな感想がノアの脳裏を過る。

お菓子みたいな甘い香りに包まれるとどこか強張っていた心が解れるような気がした。

おそらく香水を使っているのだろうが、アルナは柑橘系の香りを纏うことが多く、イリスは今の様にバニラだとかのお菓子のような香りや甘い花の香りを好んでいるらしい。

フィルはこだわりはないらしく姉二人と同じものを気分で使っているようだが三人とも日によって香りが違うのであまり違いはない気もする。

そもそも好んでいるだけでそれしか使わないわけでは―――と、無駄な思考に走っているノアの頭をイリスは優しく撫でた。


「大丈夫です、ノア様。心優しいノア様のことを、わたくも精いっぱい支えますから、大丈夫です」

「・・・イリス・・・」

「だから、もっと甘えて下さっても構わないのですよ?」


柔らかな表情は本格的に母性を感じさせる。

もしかしてエインヘリヤルに成る前には子供がいたのだろうか。


「そんなに依存させないでよ。本当に、ダメになりそうだから」

「うふふ。そうしたら一生面倒を見てあげますね」


言葉の後ろにハートマークでも付きそうな甘い口調で言う彼女に、本当は淫魔(サキュバス)か何かなんじゃないかとノアは勘ぐった。

しかし、中身が男性プレイヤーだったというのは混乱に繋がりそうなので伝えていないのであっても悪魔くらいだろう。

竜人(ドラグニア)の特徴である角も生えているし。白いけど。


「あら? 何か失礼なことを考えませんでしたか?」

「イリスは綺麗で魅力的だから抜け出せそうにないなぁ、って考えていただけだよ」

「っ! 嬉しいです、ノア様!」


抱き締める腕に力が籠る。

自身の胸部についているモノよりも弾力のある柔らかな代物に包まれる感触は悪くない、が。


(なんでイリスはこんなに感激した表情で幸せオーラを振り撒いているのだろう・・・?)


女の肉体のせいか過度に興奮するようなことはないが、この状況は如何なものだろうか。

完全に子供を甘やかす過保護な母親となっているイリスの態度もあって苦笑が漏れる。

子ども扱いされているせいで呆れの感情が先行しているのも大きい。

少しだけされるがままになってから小さく切り出す。


「・・・イリスは、疑っていたんじゃないの?」

「? 何がですか?」

「ここに居るのが本当に『ノア』なのかどうかを」


その言葉にイリスが固まった。

少しの沈黙を挟んでから、彼女は目を伏せて小さく吐息を漏らす。


「・・・気が付いて、いたのですね」

「警戒するのは当然だよ。そのくらい頭がいい娘たちだって知っているから」

「そういう疑念を抱いているのはわたくしだけです。アルナ姉さんもフィルも、少しもそんなことは考えていないでしょう」


硬い声音で言われて小さく頷きを返す。

ゲーム時と今では何もかもが違うはずで、『ノア』というキャラクターも全てが違うはずだ。

あまり多くはないがムービーシーンで喋っていた口調とは違うし、行動なんてプレイ中はもちろん日常生活でどう動いていたのかなど知る由もない。

そんな彼女と接してきた三姉妹ならば、本来ならイリスの考えた様に『偽物かもしれない』と思うのが普通だ。

そして、その疑念に対して明確な回答をすることはできない。

ノア自身も現状がどうなっているのかの解答を持ち合わせていないからだ。


「申し訳ないけど、自分が『ノア』だと証明することはできない。偽物の可能性を否定することも―――」

「いえ、それはもう大丈夫です。貴女がノア様なのは十分にわかりましたから」

「―――へ?」


戸惑うノアに対してイリスはニコニコとしながら優しく頭を撫でてくる。


「わたくしたちは少なくとも八割以上が『ノア様』に造っていただいた存在ですから。何となく、わかるのですわ」

「・・・そんな技能があるなら、そもそも疑念も何も無いのでは?」

「さすがに『前』と今と、では行動や言葉遣いに違いが大きかったですから」


ふふっ、とイリスは微笑んで額に軽く口づけした。

完全に思考が停止したノアが呆然と顔を上げると、蕩けるような笑みが迎える。


「貴女は間違いなく愛しい愛しい最愛の主たるノア様です」

「イ、リス・・・?」


何故か、鼻息が荒い。

普段は優しげな表情が妖艶な色気を纏い薄紅色の唇が近づいて―――


「イ・リ・ス?」


底冷えするような低い声が響いた。

イリスの細い首筋に銀色の刃が僅かに食い込んでいる。

宵闇に輝く蒼い瞳は冷たく輝いて。


「あ、アルナ姉さん・・・え、えと、これは・・・これはね?」

「マスターに疑念をぶつけるだけでなく、欲望の捌け口にしようとしたことをどう言い訳するつもり?」

「え、ぁ・・・ど、どこから・・・?」

「最初から、よ」


目の前の事態に今ひとつ頭が付いて行かないノアである。

ただ、アルナの瞳が本気であることを物語っていたことは理解できた。


「えっ、と・・・アルナ? そこまで怒ることじゃ―――欲望?」

「あぇ!? ちちち、違いますよ? ノア様?」


焦った様子のイリスであるが、ノアの感想は『同姓にもモテるんだなぁ、ノアって』というものだった。

流石に主人公といったところでストーリーシナリオでは男女ともに魅了するシーンが多数存在したことが脳裏に過る。


「・・・ともかく。アルナ。イリスの考えは当然のモノだから許してあげて」

「しかし、マスター・・・」

「不審な行動になっているのは自覚しているから。『前』なら敵を倒しただけで嘔吐するようなことはなかったんだし」


他にも使えなくなっている能力は多いし、イリスの言ったように言動や行動の差異も大きいだろう。

盗賊狩りと並行して様々な装備や技、戦闘に関する諸々も試してみてはいるが満足のいく結果は出ていない。

とりあえず、スカートみたいなヒラヒラした装備を何とかノア自身が許容できる範囲の衣装に一新したことは大きな成果ではあるが。


「マスター。しかしですね―――」

「正直、女同士の欲望のアレコレは詳しくないから何とも言えないけど」

(というか『欲望の捌け口』って何をどうするつもりなんだろう? 興味がないことも―――いやいや)


危険な思考に陥りそうになってノアは内心で首を振る。

今の状態でその欲望に忠実になってしまったら引き返せないという恐怖が僅かに心を過った。

()の身体でこの状況を迎えられたならどれほど幸せになれただろうか、と意味もなく考えた。


「マスター。いくらイリスが相手とは言え、甘すぎます・・・」

「? 甘やかしてくれているのはイリスの方だけど?」

「そういうことじゃ―――はぁ、もういいです」


すっとぼけてアルナに微笑みかけると、彼女は嘆息吐きつつ刃を納める。

言いたいことが理解できなかったわけではないが、わざわざ荒げる必要もないだろう。


「イリス。これからも()()()()()甘やかしてくれると嬉しい」

「もちろんですわ! ノア様~!」

「ぶふっ!?」


ふよんっ!と揺れる水風船に顔が埋まる。

あまりの圧迫度に息が出来ず、感触を堪能することもできない。

混乱と驚愕で時間感覚が吹き飛び、体感ではあっという間に意識が遠のく。


(これ・・・幸せ、なのか・・・どうかも、わから・・・な・・・)


何かの手違いか気道でも塞がれていたのだろうか―――




「―――はっ!?」


気が付いたら青白い月を見上げるように寝転んでいた。

ゲーム中には言及された記憶がないが、時間の流れは現実の地球とほぼ同じ。

星の位置までは不明だが都会などよりは余程綺麗に星々の輝きを一望できる。

月の位置からして一時間も経っていないようだが。


「大丈夫ですか? マスター」

「・・・うん」


ぼんやりとしたまま覗き込んでくる綺麗な顔を見据えて小さく頷く。

そして、後頭部に感じる柔らかな感触に膝枕してくれていると気が付いた。

ついでにピッタリと張り付いて寝息を立てているフィルにも気が付いく。


「胸って、凶器になるんだな」

「いえ、アレはたまたま服が引っかかって首が締っただけですよ」


困ったように笑うアルナに、苦笑を返す。

流石にあんな柔らかさで簡単に意識を飛ばせるはずもない。

もしもそういう技能があるなら、訓練しておいた方が良いかとも考えていたノアではあるが。

ノア自身も結構なモノを持っているのだし。


「どのくらい寝ていた?」

「一刻ほどでしょうか」


古風な言い回しだと思いつつ、それが30分程だということを思い出す。

アルナはどこでそんな用語を覚えてきたのだろうか。


「あ、あの、ノア様・・・」

「イリスは・・・なんで足が痺れそうな格好しているの?」


少し離れたところで悄然とした様子のイリスは正座させられていた。

その反省スタイルは何とも前時代的と言うか、傍から見ると苦笑してしまう。


「え、と・・・その・・・申し訳、ございませんでした・・・」

「あー・・・まぁ、次は手加減して欲しいかな」


胸の中で死ぬ、というのは男ならある意味で本望な気もするが、傍から見ると何とも言えない結末である。

ノアもさすがにそんな最期を迎えたいとは考えていない。


「怒らない、のですか?」

「ん~。わざとではないみたいだし次は気をつけてくれればいいかな。外で意識を失うのは危ないし」


現代日本でも危険があるが、この世界だと積極的に命を狙ってくる『敵』には事欠かない。

死ねば元の世界に帰れる、という考察も無くないがノアには試す気が毛頭ないのである。


「罰、などは・・・その・・・」

「抱き締められただけだからなぁ。あんまり気乗りしないけど」


自嘲気味に呟くとアルナが険しい顔をして、イリスの方も小さく震えながら頭を下げる。

きちんと罰を受けることで気持ちを整理できる面もあるのだろうが。


「マスター。信賞必罰(しんしょうひつばつ)は世の常。きちんとしておく必要があります」

「それは軍隊とかの明確な組織の場合だよ。身内のちょっとした失敗くらいで大袈裟な・・・」

「ですが!」

「細かいことを言い出したら、すぐに剣を抜くアルナの方が叱ることが多いのだけど?」


うぐっ、とアルナが押し黙る。

そんな様子に微笑みかけて手を伸ばし軽く頬を撫でた。


「家族みたいなものなのだから、このくらいは許してあげて」

「ですが・・・マスターに直接―――」

「アルナ。君たちの事は信頼している。三人とも平等に、ね?」


未だ何か言いたそうな雰囲気はあったが、結局はアルナが根負けすることになった。

嘆息吐きつつも頷きを返すアルナの頭をノアは優しく撫でる。

しかし、納得していない人物が一人。


「ノア様、ですが・・・」

「まぁ、罰と言うわけじゃないけど、明日・・・日が変わったから今日一日付き合ってもらおうかな?」


びくりと肩を小さく震わせたイリスに、ノアは悪戯っぽく微笑みかけた。




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