10 隔てた世界の先で
冒険者互助組織。
それは同好派閥を管理するための寄合所であり、冒険者にとってはクエストの受注やイベントの進行など足を運ぶことの多い重要拠点のひとつである。
五番目の街・リッシュバルにおける冒険者互助組織は洒落たカフェテリアといった様相だ。
そんな綺麗な建物内に、これまた美しい女性が来店した。
―――ずる、ずる。
長い黒髪が白い肌とコントラストを描く青い瞳の彼女に好奇な視線が向けられる。
が、多くの人が整った容姿に目を奪われたのは一瞬の事。
彼女―――ノアの細腕が引き摺っているモノを見て驚愕に息を呑んだからだ。
「・・・」
ぽいっ、と引き摺っていた荷物―――タコ殴りに会って顔の腫れあがったチャイナ少女を投げ捨てる。
チャイナ少女がどさっと重い音を響かせると静寂が周囲を包み込んだ。
「せ、青華・・・?」
思わず、といった様子で男性が立ち上がる。
180近い身長に金髪碧眼で痩せ型。それでいて引き締まった肉体のいわゆるイケメン。
来ている衣装も相まってどこかの王子様にも見えるが、当然ながらノアが見惚れることはない。
どちらかと言うと軽く舌打ちしたいくらいだったが今の彼女の内心はとてつもなく冷え込んでいる。
「あ、貴女―――っ!?」
男性が声を上げようとした瞬間、疾風のように影が駆け抜け白銀の刃を喉元に突きつけた。
「あの『ゴミ』の仲間・・・私の、私のマスターにっ! あんな無礼を働いたゴミの同類っ!!!」
「いや、アルナも見てなかったでしょうに」
チャイナ少女をボコボコにした程度ではアルナの怒りは収まらないらしい。
事後処理と護衛に念のために呼んできて貰ったのだが、彼女が色々と不機嫌になる要素があったようだ。
原因は不明だがノアは止める気はない。怖いし。
血走った目でイケメンを睨みつけて、剣を持つ手にはあまりにも力を込めすぎて血の気が薄れて小刻みに震えている。
なまじ美人なせいでとてつもなく恐ろしい。
「アル姉ほどじゃないけど、わたしも怒ってるよ?」
「いいから。フィルは本当にそのままで居て」
散歩に出た当初のように背中に張り付いている妖精に苦笑交じりに返す。
正直なところ、ノアにはアルナやフィルが暴走した時に押し止めるだけの力が無い。
命令をして聞いてくれるだけの理性が残っていればマシではあるが、あまり高圧的に命令して信頼関係に罅を入れるのも問題がある。
「・・・それにしても青華ねぇ。その読み方は普通はしないと思うけど」
「そうなの?」
「あくまで知っている範囲の常識では、あまりやらないかなぁ」
顔が膨れ上がる程に殴り倒されたチャイナ少女―――冒険者名青華を見下ろして嘆息吐く。
「で。いつまで気絶したフリをしているつもり? ドMみたいだし、まだ殴られたりないなら―――」
「たっ、足りています! 足りていますです、先輩っ!!」
シュタッ!と擬音が生じたかの勢いで青華が立ち上がった。
アルナの拳による調教は結構な効力があったようだ。
「マスター・・・コレ、切り捨てていいですか・・・?」
「あぁ・・・―――って、ダメダメ! こっちのボケナスをサンドバックにするだけにしておきなさい!」
軽く舌打ちして、渋々といった具合にアルナが剣を引く。
そして、今にも射殺しそうな視線をチャイナ少女へ向けた。
「ふぇぇっ!? まだ殴られるっすか!? 自分!?」
「お前は元の童顔ロリ巨乳に戻ってから出直してこい!」
青華―――中身は19歳の大学生である。
彼女の中身である芳川 菊乃とノアの中身は実は同じ大学に通う仲だ。
つまりリアルの顔見知りの存在である。
ただし、彼女の言う『先輩』というのは学年の事を差しているわけではない。
プレイしていたFPSゲームの目的共有集団のチームメイトであることに由来する。
「童顔ロリ・・・って、もしかして朔良先輩!?」
イケメンが驚愕に目を見開く。
それに対してノアは訝しげに眉を顰めて彼を見据えた。
「それで判断されるのもどうかと思うけど、そっちの名前を知っているってことは―――」
ノアの中身の名前を知っている人間はさほど多くない。
少なくとも今の肉体と中身を結びつけることが出来る人間は少ないだろう。
ネットゲームを本名でプレイするほどネットモラルや危機意識が欠けているわけではない。
「まぁ、こんな状況だし不問にするけど本名を出すのもどうかと思うよ」
「す、すみません、先輩」
イケメンが深々と頭を下げる。
当然だが、ノアの知人にこんなに顔の造詣が整った同姓はいない。
「・・・悪いんだけど、中身の見当が付かない。誰?」
「雨澤 優美。キャラクター名は『レオンハルト』です」
「え? 雨澤っ!? っていうか、なんでそんなキャラ名!?」
思わず驚愕の声が漏れた。
何せ同学年の新入生の中でも美人で話題になった人物と同姓同名だったからだ。
大学祭ではミスコンで優勝こそ逃したものの堂々たる三位に輝いたりしていた。
噂では運営が先輩方を立てたことによる忖度の結果だったとか。
「・・・て、同学年、だよね? しかも、話したことも無かったと思うけど」
「本当に、そう思っているんですか? RXS先輩?」
「そのテキトーに決めた名前との関連を知っているってことは・・・」
「はい。クランに参加させていただいていました。 ボイチャはしませんでしたけど」
そう言って悪戯っぽく笑う。
元の美人の姿であればさぞかし魅力的だっただろうに、下手にイケメンなせいで鳥肌が・・・。
「隠れオタクとか、そういうやつ? で、そっちは前から知っていたと?」
「そんなとこです。菊乃に聞くまでは同じ大学とは思いませんでしたけど」
「そういえば、学年一の美人と巨乳ロリが仲が良いって噂は聞いたなぁ」
芳川 菊乃と雨澤 優美の友好関係は有名だ。
二人ともかなり特徴的な容姿だったし、注目を集める二人であったのは間違いない。
ちなみに芳川 菊乃はリアルだと『童顔ロリ巨乳』の称号に相応しい容姿をしている。
正直、大学生には見えず、せいぜいが中学生みたいな見た目で胸のサイズは(推定)Fという。
雨澤もだが、よく大学生特有の羽目を外した下半身で思考をする連中に捕まらなかったモノだとノアの中の人は密かに感心していたり。
「それにしても『レオンハルト』って・・・異性になり切るプレイは良くあるけど・・・」
「すみませんねぇ! どうせ私の発想は貧困ですよっ!」
拗ねた様に頬を膨らませるイケメン。
ノアとしても言いたいことはあるが、気色悪いというのが正直な感想である。
もう少し妄想能力が高ければ本来の『雨澤 優美』を幻視して胸を高鳴らせることもできたかもしれないが。
別に中身の人に幻滅することはないがイケメン姿で女性らしい仕草は思わず吐き気を覚える。
(今はこっちが女性で異性同士だし―――いや、ないな)
軽く頭痛を覚えて額を押さえた。
顔見知りの冒険者と遭遇する可能性は考えていたが、こんな事態をノアは想定していない。
皆の憧れ的な美女がイケメンになって鳥肌物の立ち振る舞いをしていることなんて。
「まぁ、レオンくんが気持ち悪いのは置いておいて」
「気持っ!? え、酷っ!?」
「情報交換に来たつもりなんだけど、誰かまともな人は居る?」
「それは、私がまともじゃないってことですか?」
怒気を纏ってムスッとした様子で口を尖らせるイケメン。
これは、ちゃんとした女性ならときめく場面なのだろうか。
「とりあえず、あのボケナスなんちゃってコスプレチャイナを放置する奴はまともとは言えないな」
「「「・・・」」」
目の前のイケメンだけでなく、周囲で様子を窺っていた男たちも視線を逸らした。
あのチャイナ娘は彼らにとっても大いなる問題児らしい、と何となく把握する。
そして、腫れあがった顔の少女を見据えて深々とため息を吐く。
「青華。現実の時の童顔ロリ巨乳なら許されていたのに・・・」
「にゃぁっ!? 今だって美少女っすよ!! 胸なんて飾りっす! 重いだけで邪魔なだけっすっ!」
「まぁ、重くて邪魔だというのは少し理解したよ」
ノアは自分の『重くて邪魔なモノ』に視線を落とす。
豊満なソレは触れれば柔らかな感触を返すが、重心がぶれるし足元に死角を作るし振り回される感覚があるしで邪魔に思うことも多い。
自分の身体としてはあまり誇るべきものではないような気がする。
女性らしさを強調したいわけではないのだし。
「お姉ちゃんのおっぱいは至高」
「ふぇっ!?」
唐突に後ろから脇の下を通った細い腕が胸を鷲掴みにした。
そのまま細く繊細な指が踊る様に巨大なマシュマロを愛撫する。
「ちょ、ちょっとフィル!」
「「「おぉ~っ!!!」」」
何だか野太い歓声が上がったと思ったら、直後に蒼い疾風が駆け抜けた。
銀閃が煌めき男たちの首元の薄皮とひと房の髪の毛が切り落とされて宙を舞う。
「私の敬愛するマスターを視姦するその穢れた目玉を刳り貫かれるか、首を落とされるか、その場で跪いて慈悲を乞うか、選びなさい」
「「「いっ、イエス! マムっ!」」」
何かとてつもないことが起きている気がしたが、ノアとしてはそれどころではない。
暴虐の妖精による体の浸食が著しく、くすぐったさと痺れるような刺激に身を捩る。
しかし、背中にピッタリと張り付く妖精少女を振り払うことが出来ない。
「フィ・・・ぁっ・・・んっ! やめ・・・ひゃっ・・・んんっ・・・!」
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! 」
何故か二人揃って息を荒くしながら数分の後。
未だ頬を上気させて満足そうなフィルと、ぐったりと椅子に身を投げ出したノアの姿があった。
艶やかだが乱れた髪、薄紅色に肌を紅潮させしっとりと汗ばみ熱い吐息を漏らす姿は傍から見ると完全に事後である。
「・・・フィル」
「ん?」
「後でお説教だから」
「!?」
ツヤツヤの顔に満面の笑顔を浮かべていたフィルの顔が一瞬にして蒼褪めた。
しかし、アルナも深々と頷いているので決定が覆ることはない。
ついでに言えばお説教するのはノアではなく私室で留守番をしているイリスである。
お母さん役とも言える彼女は、実のところ三姉妹の中で一番怖い。
何なら笑顔で拷問もするとはアルナの言である。
身内にそこまですることはないと思うが、食事抜きや一晩正座くらいは普通に行うのがイリスなのだ。
「いやぁ、先輩のところの子は色々と規格外っすねぇ~」
「? これが普通じゃないの?」
同じテーブルに座ったチャイナ少女青華が苦笑交じりに言う。
腫れあがった顔は自分で手当てして元の小顔を取り戻している。
そもそも彼女の戦技特型である仙気鳳型は近接格闘と支援の術理を両立するモノ。
特化型ではないが回復技能も当然の様に有しているのでいつでも治療できることを知っていたのでノアは放置していたのだ。
それはともかくとして、ノアは青い顔のフィルと優しい微笑みを向けてくるアルナに視線を向ける。
「ええと。今のパートナーNPCはどうも友好度によって能力に差があるみたいです。主に自立した思考能力という点で」
青華と同じように共にテーブルに着いているレオンハルトが苦笑交じりに言う。
そして、なるほど、と納得してノアは小さく頷いた。
そういった情報は他者と比較しなければ得られないのだから、今のノアが理解しているはずもない。
外の情報がまるで足りていない、というのを改めて実感した。
「先輩ならわかっていると思うけれど、SSOにおいてエインヘリヤルをちゃんと育てている人は少ないから・・・」
「まぁ、それは理解しているよ」
SSOはパーティの最大人数が六人で、戦闘難易度がわりと高いゲームだ。
NPCは多くのゲームと同様にプレイヤーよりも数段劣る性能しか発揮することが出来ない。
現代の技術、それも大衆娯楽の類のゲームにおける人工知能では限界も低いからだ。
せめてパーティの最大人数まで埋めることが出来ればソロプレイヤーの救世主になり得たかもしれない。
いいや。FFのあるシステムである以上、臨機応変に連携の取れないAIが優遇されることはなかったか。
このゲームにおけるエインヘリヤルはプレイヤーにとって行動を制限する厄介な障害物というのが大半の意見だ。
FFすれば友好度が下がってしまうので連れ歩かず、当然だが連れ歩かなければ成長することも友好度が上がることもない。
それでいてマイルームではアイテム作成などのサポートをしてもらう必要があるので最低限の友好度は保ちたい。
結果から言うとほとんどのプレイヤーにとってエインヘリヤルは留守番するサポーターという位置づけだ。
私室での作業でもホンの少し友好度が上昇するが、共に冒険する時とは雲泥の差がある。
まぁ、上がったところでゲーム内では大した特典がなかったので無視することも多かったようだが。
「先輩ってSSOじゃ、ボッチっすもんね~」
「アルナ」
ずどんっ!
鞘に納めたままとはいえ、細剣が青華の脳天に振り下ろされて鈍い音を響かせた。
一切の容赦なしだったことにノアは軽く苦笑したが、周囲はドン引きである。
テーブルに口づけして罅を入れたチャイナ少女は完全に沈黙しているが。
「さてと。せっかくだし色々と聞かせて貰ってもいいかな? レオンくん?」
可愛らしい笑みを浮かべているのに目がちっとも笑っていないアルナの圧力に、イケメンは勢いよく首肯した。