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[42]~[52]

[42]


言には、言霊(ことだま)と呼ばれているように、聖霊を召喚するほどの力を秘めている。言には、世界を新たに創造し、変えてしまうほどの力があるのだが、その言を創造する側のSOURCEによって、その影響力が変わってくる。詩人の役目の一つとは、この言の力や魔法を、あるべき姿に戻したり、新生を授けたり、進化させたり、することにある。また、このように発展する場合は、SOURCEを日々、純化する必要がある。


[43]


言は、音でもあり、音楽でもある。言を活用し、紡ぐときには、この音の源に、意識を集中させることが、必要不可欠なのである。従って、詩人と音楽家は、酷似している。また、音とは、生命の起源や原初の天地開闢(てんちかいびゃく)に、ルーツを持つため、音を解釈することは、この宇宙の理を解釈する活気的な運動であり、求心力である。


[44]


言にするときに、音楽が産まれ、音楽を奏でる時に、絵が描かれる。これらは、一体であり、この相関関係や円環は、普遍である。たとえば、絵を眺めるときに、音楽が聴こえてきて、音楽を聴くときに、言が産まれる。


[45]


情報はあったほうが良いが、その情報をいかにして、生活力として、吸収し、育んでいけるのかを、注意深く、取り組んでいく必要がある。いかにして、各々の血肉としていけるのかが、最も重要である。現代を、より主体的に生きていくには、情報力と解析力、試行力と検討力、実践力が不可欠である。


[46]


来るべき未来は、カルマ論を理解していれば、ある程度は、推測出来る。だが、神のみぞ知る世界も、光風霽月(こうふうせいげつ)として、人類には残され続ける。


[47]


全ては種である。


私達は、唯一の存在から種を頂いたのだから、誰もが皆、唯一の種なのである。


[48]


種の中にある種、つまり種の母体は、もはや、神である。ここにおいて、初めて、全てに一貫する、あるヒエラルキーに到達する。このヒエラルキーこそが、「愛の国」と呼ばれるべきであり、私達の「故郷」である。私は、これを無上のものとして、捉えているが、これを仮に「アミュー」と名付ける。このアミューよりも先の絶対的なヒエラルキーを私は、「沈黙」と呼んでいる。アミューの母体となるものである。この沈黙に、もし、仮に別の名前を付けるとしたならば、「ゼレイロ」である。ゼレイロの子がアミューであり、アミューの子が、私達人類や自然万物である。私達人類にとっては、ゼレイロと一体化することは、出来ない。ゼレイロとは、間接的にしか、交流出来ないが、アミューとならば、一体化することは、難しいが、可能性は残されている。


豊饒なるアミューとの一体化が、

私達人類の平等で公平な最終使命である。


[48]


可能性において、

無力である0%と、

微力である0.0000000000001%は違う。


私達は、無力ではなく、微力の可能性を秘めた存在なのである。


これを否定する存在は、

アミューをも超えた、

ゼレイロしか、ありえない。


従って、アミューの子である私達には

可能性を否定する権限を、

持ち合わせていない。


[49]


「愛」の一面には

役に立つこと、が、ある。


アプリオリな初めから

役に立つこと、を行えば良い。


また、役に立てないときは、

他の選択肢を選べば、良い。


必ず、何か、役に立てるものを、

私達は、宿しているからだ。


よって、人は、人を


追いつめなくて良いのだ。


胸が高鳴るような

他の選択肢を提示すれば、良い。


また、時間をかけて

役に立てる人材に、なっていけば良い。


初めから役に立つ人を天才と呼び、

だんだんと役に立つ人を、秀才と呼ぶ。


つまり、誰もが皆、

天才の一面と秀才の一面を持っている。


[50]


天才とは、永遠性である。

よって、継続するものこそが、天才である。


すなわち、天性の才能や特徴の発見とは

いつでも、どこでも、たやすく、

出来てしまうなかにこそ、秘められている。


[51]


イエス・キリストが「幼子のようになりなさい。そうしたら天国に行けます」と言われたという史実から、感じとれることは、他ならぬ、イエス・キリストが、幼子のような人であったことを、如実に現している。


私達は、イエス・キリストのように、幼子の感受性を生きることによって、私達の父であり、全ての産みの親である、アミューと合一することが可能となる。


アミューは、いつでも私達を

天国の世界へと、導いて下さる。


[52]


宗教家は、人や万物を、依存させるが

神秘家は、人や万物を、自立させる。


本来のマスターのあるべき姿とは

後者である。


前者は星の数ほど存在しているが

後者の存在は、ごくごく僅かである。

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