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「瞳の壮」
瞳は走る
明るい未来と終末の幽玄を
瞳は歌う
総合の国と夢のメルヒェンのなかで
瞳は舞う
娯楽の血を
瞳は微笑む
耀ける今と詩の生活の純潔を
瞳は知っている
愛の預言と同胞の労を
瞳は生きる
処女と四季折々の光のなかで
[227]
人はその意味嫌う「人間性」からは
避けては通れない
ならば、
その「人間性」と上手に付き合うことが
肝心であり、さらに言うなれば
面白がることで、「人間性」を豊かさに変えられる。
「人間性」は癖のようなところであって
癖に人柄が出るものかも知れない。
だからこそ
初段階の「人間性」が発揮されているのに
振り回されてはならない。
初段階の「人間性」を「娯楽」と捉えることも可能である。
この癖が出るのは
もっと後で、遅れてやってくるからである。
癖こそが、可愛いものである。




