[146]~[154]
[146]
神も遊戯をするのではないだろうか。子供が遊戯をするように、神の活動の中にも、遊戯というものがあるように、私は思う。
[147]
自分のしていることをあとに置いて、他者の為に、働ける人々は、天使や菩薩である。だが、次の段階に行くためには、自分の活動を行いながら、他者の為にも、働ける段階に移行していかなければならない。前者がプロであり、後者が超一流である。また、いずれにも該当しない場合は、趣味などがあげられる。自分のためだけに行う活動が強い、ということであるが、この場合は、アマチュアとなる。趣味が高じて仕事とになる場合は、現代多くなってきているように、私は思う。これは超一流にもなりうる為に、発展的で良い傾向といえる。
[148]
客観的価値とは、全体を見通して、どのような位置付けに、個はあるのかということで、見出だされていく。個は、この客観的価値をよくよく知っていなければ、個の個性や個の特徴を遺憾なく発揮することは出来ない。全に対してのアプローチ方法を知らなければ、個も知らないということになるし、また、本来の個の溌剌とした輝きさえ訪れなくなってしまう。客観的価値とは、つまり、全の立場に立つということだが、これによって、一と全は相互的共存と交流が営まれるようになる。これによって、総合の元素を持つ神との交流が営まれるようになるために、エネルギーがユニゾンし、フュージョンし、より大きなエネルギー活動がそこに産出される。これらの認識論は、これから訪れる未来においては、根幹を成す、重要な運動や活動と、なっていくであろう。
[149]
言葉が語られるとき、言葉のなかに、言葉があるときは、すなわち、神託や啓示という聖域に到る。たとえば、聖書などがまさにそれである。そこには、生きたロゴスや神のアイデンティティーが語られている事実があるために、これだけ世界中でも読まれ、愛されている。ならば、言葉の本質とは、ロゴスやポエジー、アイデンティティーとして極まるときに、初めて、言葉が完成に到る。これを言葉とするならば、それに到らない諸々の言葉達は、言葉でもなく、語りでもなく、それは受動的な相槌のような便宜役を果たしているだけに過ぎない。言葉には、やはり、当人のアイデンティティーが込められて無ければ、蜃気楼のようなものだ。つまり、方便も良いのだが、いつの日にかは、正真正銘の言葉、素直な言葉、世界を創造していく言葉を語っていくことが、求められるように、なるであろう。
[150]
人は、なにか情報をインプットしたときに、腹に落ちるまで、つまり、アップデートされるまで、時間がかかる生き物である。しかもアップデートをしたあとに、しばらく検証しながら、実践して、確認や確信に到るようになって、初めてアウトプットされていくのである。この手間隙をかけていくプロセスが愛である。愛がなければ、教育はそこに無く、愛がなければ、それは、単なる強制である。
[151]
この世界の一切は他力である。自発性を発揮出来ることも、発揮しているようでいて、神様の働きかけによって、自発的に自・ら・が・行っているように感じているだけである。よって、どちらかといえば大きな他力のなかに、自発性という性質やカテゴリーがあるだけである。私達は、この瞬時もオゾン層や大気に包まれていなければ、一秒足りとも生きては、いられない。神様からの恩恵がなければ、何一つとして、私達は成すことが出来ない。本来は、栄光や豊饒とは、神の為だけにあり、私達は、自分の使命ではなくて、神様の使命を行わさせて頂いている立場だ。これらの話が、少しも理解出来ないうちは、まだ、人の完成として、発展途上であることを暗に語っている。
[152]
主に明治時代に産声を上げた「和魂洋才」の営みは、現代において、尚のこと、輝きを魅せている。しかし、「和魂」については、忘れることなく、立ち還り続けながら取り組まなければ、ただの「洋才」になってしまうことを、私は、あえて、ここに記す。
[153]
「和」とは、互いを尊敬し、かけがえのなさを活かし合い、支え合い、才能を引き出し合い、共存共栄していく働きかけであり、生命である。「和」によって、違いを受け入れ合うことが、実質上、初めて生まれてくる。「わびさび」で現されるような、働きかけの違いや、持ち味の違い、四季や自然のもつ色彩や無常や変化をフュージョンさせ、一つの根源的美に到達させる、総合力が「和」である。つまり、「和」とは完全なる「愛」への働きかけであり、また、最高位の段階なのだ。「和」の心を忘れずに、何事も、取り組んでいけば、私達に、恐れるものは何もないし、輝く未来が約束される。
この「和」を日本だけの心にするのではなく、人類共通の心に、していくことで、地球国家が誕生するであろう。「和の心」によって、世界は再び、ひとつになる。
[154]
世界人の誕生について。世界人とは、地球人や宇宙人よりも、公平無私であり、霊界や天界を含む世界全てを縦横無尽に、ダイナミックな運動を行う、人々である。
この世界人の誕生を、私は強く願っている。
また私も、世界人に向けて、
日々努めていくことを、ここに記す。




