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疾風怒濤を作家として、取り扱うには、感情の爆発ができる場や流れを作りあげること。クロプシュトック(18世紀のドイツの詩人。ドイツとして初の兼業しなかった詩人)などが、専制政治による形骸化した枝葉末節な体制や規則を崩したように。また、その感情は初期症状であり、パワー拡大のための一過性の症状であることを認識すること。
であるからして、感情を取り扱う知性、またその知性の必要性を発見する悟性、悟性を感知する直感も当然ながら、必要となること。
このドイツにおけるシュトルムウントドラングの潮流を築き上げた、ゲーテやシラーなどの流れから、新たな知性や悟性、直感も生まれ(つまり感情を教養に持ち込むことによる大衆化)、特有のロマンやメルヒェンブームが生じた。(ロマンやロマネスクとは元々、エロスの融合的なパワーが源流としている)いま、世界で勃興しているアニメ・マンガ文化などもまさに、その流れを汲んでいる。私としては、アニメ・マンガ文化は、神話や聖書の流れを汲んでいると観ている。
歴史的背景が似ていることも、このムーヴメントが起きている要因の一つである……、であるならば、日本や世界が今危惧しなければならないのは、ファシズム(独裁主義)である。自国中心主義とも云える。ある種の民族意識にも近い。
この流れや歴史的背景を改革するには、政治のみならず大企業や中小企業での経営方針や経営者側の意識や生活習慣の変化、消費者側の意識や生活習慣の改善などが、求められるのは、言うまでもない(競争や排他性による、拮抗や軋轢が生じ、無理で不自然なまでの人間中心主義など)。
何を創り
何を消費するのか……。
作家として、ネットワークも含めた、連帯感やホロニックマネージメントなどの総合を念頭に置きつつ、シームレスで透明感のあるものと、分かりやすく明確なものを双方とも扱い、疾風怒濤を起こして、サスティナブルな良い形で、次世代にバトンタッチをしたいと考えている。




