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[116]~[130]

[116]


昨日は前世、明日は来世、今日は今世。


[117]


愚痴を言う人々は、愚痴を言い合って、ストレスを解消した気になっているが、魂は悲しみの涙で、溢れていることに気付いていない。自分や他に対して、本当は興味や関心を持っており、深く関わり合いたいと、悲鳴をあげている。


愚痴とは「依存」から来る営みであろう。自分のことは、一度、棚に上げておいて、饒舌なまでに、「他」から頂いたエネルギーを、自身の色メガネや投影で観察し、本来の在り方を歪めながら、その唇を動かし始める。結局のところ、自分のなかにある、自分の至らないところや、赦せないところ、愛せないところを「他」に映し出してもらっていることに、気付けない人々が愚痴を言い合っている。愚痴を好む人々は、自立心や自発性に乏しい、生来の甘えん坊である。


また、この愚痴や甘えん坊をも、赦せない人々は、まだまだ神秘家ではない。よくよく愚痴を聞いてあげて、癒し、励ましてあげること。また、目が覚めるような、指針をそれとなく、差し上げること。


[118]


真剣な話だけではなく

冗談を言い合えるような仲になって

初めて、一つになったと、言えるであろう。


[119]


神様は、人の弱点や欠陥をも使って、世界を動かす。


[120]


ある誓いによって、私の唇は深く閉ざれた。

この唇を、また開かせる力を持っているのは、神様だけ。


[121]


過剰なまでに、自分だけ、また、自分に関する人々だけが幸せになれば良い、と、願うことが、悪魔を引き寄せる呪文となる。


自分が知らない人々のための幸せを、心より祈れることで、初めて、天使を呼び寄せる呪文となる。


前者が行き過ぎた部族意識で、

後者がキリスト意識である。


[122]


一度でも、一瞬だけでも良いから、本物に触れること。そうしたならば、その本物を、芋づる式で導き出せることが出来る。


[123]


流行すら必要性があって、神により、引き起こされている。流行には、その当時の世相や風潮を顕したり、警告したり、補填(ほてん)する役目がある。流行を軽んじてはならないが、流行をただ追いかけているだけでも、流行が引き起こされる原因を注意深く観察し、直観しなければ、その表層に、振り回されていくだけである。


流行に乗る側ではなく、流行を創る側に回った方が、なお賢い。この創る側の視点に立ったときに、世相のバイオリズムを的確に捉えることが可能となるであろう。それによって、何を、今、加味したら良いのか、自分が何をしたら良いのかが、浮き彫り出てくる。


もっといえば、今、湧き上がってくる発想やインスピレーションを大切にし、それを実行していけば良い。


すでに、私達は、全ての事柄と、繋がっているのだから。


[124]


最初から救われていることに気付くことが、悟りへの一歩である。私達は「GRACE」の中で、生かされている。それに気付くかどうかで、道が2つに分かれていく。一つは、喜びと極楽と分かち合い、GRACEの道、アミューの道であり、もう一つは、罪と苦しみと、分裂のカルマの道である。


[125]


微睡(まどろ)みとは、人間の超越性を如実に顕している営みであり、行為である。夢と現実の狭間や闇と光、天上と地上の間に生きていることは、誰もが感得している事実であると、同時に、誰もが皆、この微睡む世界を理解している途上である。微睡みは、単なる二元論の間にある仲介役だけが勤めではない。双方を包括し、双方に啓示や示唆や力を与え、超越する、また凌駕した高位の段階にある、一元論の在り方である。


一切は、この微睡みから創造された存在であると、言っても過言ではない。天地開闢(てんちかいびゃく)の日も、あの世とこの世の微睡みから、つまり、絶対無即絶対有の存在から、この世と、あの世は、産み出され、存在してはいないだろうか。すなわち、微睡みからすれば、あの世が陽の世界、この世が陰の世界であろう。何故こちらのこの世が陰の世界かといえば、目に見える世界は、目に見えない世界によって、支えられている世界だからである。心や魂や霊があの世の住人であり、この世でも、心や魂や霊によって、統治されている。何故かといえば、この世にいて、眠りに就かなければ生きていけないのかといえば、眠っている間は、この世では仮死状態になることによって、あの世へと赴き、英気を養っているからである。また、この世で死ぬと、肉体をあの世へは、持っていくことが出来ずに、肉体だけが地上に残り、心や魂や霊体の活動は継続し、あの世に移行していく。


人間は、あの世が故郷であり、この世は、異郷の地なのである。この世の必要性は、この世の方が、魂の修行がはかどるからであろう。この世で、いかにして、あの世の住人や天国の住人として、生きていけるかが、人間に問われている。また、天国の波動や天国の在り方を、そのまま地上に降下する営みこそが、ポエジーであり、ロマンなのである。


[126]


眠りに就き、夢の世界に行けるこの事実は、最大のロマンであり、最大の神からの恩恵である!夢を語り、夢を描き、夢を書き、夢を踊り、夢を現実化せよ!


[127]


「果報は寝て待て」と言われているが、眠ると、あの世に行けて、愛の国や夢の世界に近づけることや、訪れることが出来るので、多大な英気を養うことが出来るからだ。また、私の経験上、祈って、練ってから寝ると、それに神が答えて下さるように、必ず、賜物や神秘を授けて下さるのである。ノヴァーリスの青い花は、そこに咲いているし、そこから得た力を地上にもたらすことこそ、ポエジーであり、詩人であり、ロマンであり、親鸞が強く勧めた、還相廻向(げんそうえこう)の一つのエッセンスではないだろうか。私達は、あの世とこの世の往復することによって、2つの世界を一つにし、双方を天国にしていくことが、役目である。


[128]


必ずしも、この世の偉人が、あの世の偉人となるかどうかは、分からない。あの世のルールは、この世のルールとは違うからだ。天では、自分を低くする幼子のような素直なものが、高められる世界だからだ。また、この世的な手腕は、天国では通用しない。むしろ、心は丸裸にされ、隠しようが無い、告白の世界だからである。イエス・キリストが言われているように、「お金持ちが天国に行くことは、らくだが針の穴を通る方がたやすい」と、言われているぐらいだからだ。この世での栄光と、あの世での栄光は、異なることを、胸に刻むことが、この世側の私達にとって、主な心構えとなるだろう。つまり、あの世のルール、天上のルールを、地上に降下させていくことが出来たときに、この世に、世界平和が訪れるであろう。その天国の最高のルールや法が「LOW OF ONE」である。「LOW OF ONE」を知り、聞いて、接し、勉強して、自身の血肉とし、実践していくこと。


[129]


感情を捨て、感動を捨て、無機質になり、涙を捨てて、悟ったと、言われている人々は、まだ、生悟りである。何故ならば、感情や感動や涙を、余多に活かせる人々の方が、人に宿る自然性や豊饒なる真理や天国の彩りを、見事に、体現しているからだ。無機質になるのは、自然に逆らって生きているのと、同じであり、本当には、偉大な存在と、まだ、接触していない証拠である。人は、自然と共に生きたときに、本来の輝きを放つ。


[130]


人は、自分自身よりも、遥かに偉大な存在と出会った時に、魂が産声をあげ、覚醒が初まる。 コペルニクス的転回が起こるのだ!


今までの既知としたものが未知に変わり、

色褪せていたものが色彩豊かになり、

ありふれていたものが、

奇跡のものに変わっていく。


何気ない小鳥の囀ずりが、

天上の至福を告げる、歌声に変わる!


若いときは特に

偉大なものや本物に触れよ!!!

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