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[105]~[115]

[105]


(カラーナ)の段階から、(プルシャ)の段階になっていくことが、人には求められている。場になれたのならば、歩く神殿(ウォーキング・テンプル)になることが、実現する。各ジャンルでその道を牽引している超一流の人々や師と仰がれている人々は、この場の境涯に達している人々である。


[106]


私達は、アストラル(感情や感覚、精神)の下界から中界へ、アストラルの中界から上界へ、アストラル上界から、天国の入り口であるカラーナ界へ、カラーナ界から神々の領域であるプルシャ界へ、プルシャ界から根源の神様の領域であり、LOW OF ONEの世界、全ての源であり、私達の産まれた故郷である、根源界へ、私の言い方であるならば、アミューの生命と世界へ、と、導かれている、同胞である。また、これらが霊的階層のヒエラルキーである。


私達は、生きている間から、この心の境涯に身を置いており、同時に、この心の境涯に縁がある、聖霊からの影響を、今、この瞬時も受けている。これらの心の境涯や聖霊からの影響の振り幅は、おおよそは決まっているが、台風の動きがある程度の予測は出来ても、完全には予測することが出来ないのと同様で、ある程度は変動的である。


人は、誰もが皆、霊格を上げて、神との合一を達成するために、根源の神様によって、日夜育て、導かれている存在であると、私は思えてならない。


[107]


現代における最先端の研究とは、前世探求である。輪廻転生の法則性やカルマ論を徹底的に研究していき、魂の行方や過程や成長を、知覚する時代が到来しつつある。しかも、すでに、先進的な人物を何名か、私は知っている。彼らは、後世において、多いに研究されていくであろう。すでに浩瀚(こうかん)な資料も残している。近い将来、前世を考慮した、教育となっていくことを私は多いに期待している!!!


[108]


人と関わるときに、その人の背景やバックグランドを感じとることは、いかほどに重要なことか!また、今、この瞬時にも、見る人が見ればどんな経緯だったか、どんな魂の経歴や変遷であったのかを、分かる人々、つまり神秘家も、多く現れてくるであろう!すでに、歴史上では現れており、現代においても、現れつつある…


[109]


人は、純粋意欲を想起させることによって、神から創られた存在意義や自己原因(カウサ・スイ)に目覚めていける。環境や状況は後から着いてくるものだから、今、この瞬時からでも、1日に1回でも、数分でも数秒でも良いから、純粋意欲を想起する時間にあてて欲しい。それを神と内なる神は、強く強く願っている。


[110]


混沌とした物質原理(プラクリティ)に秩序を与える力とは、純粋精神(プルシャ)である。


プルシャがあるから、この世界は調和し、均整の取れた美しく豊潤な、この地球が存在する。その調和的な美のなかで、私達は生かされて、生きている。


たとえば、ブラックホールは、原子のなかにある原子核と電子の間にある「真空」を、縮めて、「一緒くた」にしてしまう力をもっている。その凝縮力の塊が、ブラックホールであるが、これに最高の秩序を与えて、範囲を規定している力が、純粋精神であるプルシャである。


もしも、この世界にプルシャが無ければ、ブラックホールがこの世界の全てを呑み込んでいただろう。だが、ブラックホールは規定され、制御されているという事実は、やはり、この世界には、ブラックホールを超えた、プルシャの力が働いているからだ。


ならば、人に宿る精神活動もそれなのだ。なんでも一緒くたにし、空間や真空を与えず、呼吸すら出来なくなっていく、窒息死させていく、いわば、悪魔の働きを抑えるのが、純粋精神や純粋意欲であるプルシャだ。悪魔である、精神的な凝縮力の一つ一つに、純粋精神が秩序を与え、真空を守り、空間を与えていく。この働きが浄化や昇華である。つまり、不安や恐れや嫉妬や怨みなどの凝縮力に、空間を与えるのが、感謝や信ずる心、素直さ、感動や愛なのである。


この宇宙もすでにブラックホールを治めているように、私達の精神活動にある悪魔的な働きも、治めていくことが出来る。何故ならば、このブラックホールよりも、格段と、この宇宙の方が大きな力を有しており、こんなにも色鮮やかで、調和や秩序が取れており、たおやかで可愛らしく、天真爛漫な、命や愛に溢れているからだ!


ブラックホールを超えていく愛は

今、ここに、溢れんばかりに、存在している!


[111]


各分野は、やがて、統合されていくべきであろう。現代は、あまりにも、専門性が強過ぎたり、カテゴライズされ過ぎており、分野間の関連性や繋がりが絶たれてしまっている。元々、真理を追究する働きと、科学における実証の追究する働きとは、一つであったはずである(真理 = 科学)。これからの時代は、真理と科学が、親和し、融合(フュージョン)し、ケミストリーを起こしていく時代に入っていくべきであろう。科学にLOW OF ONEの真理を導入していくことで、さらなる発展を遂げていくと、私は直感する。


[112]


「名は体をあらわす」と言われている。名前を付けることは、原初の神の創造行為であり、名前を呼ぶと、その波動や存在は、創り出されていく。では、名前の無い存在は、あるのだろうか?


もしも、あるとしたならば、唯一の絶対の存在である、絶対無即絶対有である。創造神の母体となる存在である。


私が沈黙やゼレイロと名付け

仏教ではニルヴァーナと名付けた領域である。


つまり、このように名前を付けたとしても

その存在は、体をあらわす領域ではないのである。こちらからの規定に、影響はされない存在である。


知覚は出来ても、その存在とは決して、一体化することは出来ない。


[113]


人は、ソーンダイクが実証した、試行錯誤説(猫の問題箱の研究)をいつかは、超えていかなければ、ならない。すなわち、カルマ的な存在ではならず、初めから答えが分かる、リーディングする存在になっていく必要性がある。


幼子達を見れば、すでに、試行錯誤説を超える力を有していることが、明らかである。


直感やインスピレーションを大切に。


いつだって、理論よりも、

答えが正しいのだから。


[114]


秘密(ルーネ)の術は、いつなんどきも、宇宙の交響曲から、流れ、響いている。その和音のひとつひとつに耳を傾けて、溶け込んで、自発的に、自身の人格の一部としていくことが、神の子の日々の努めである。


[115]


この世界における一切は、

神による伝達であり、啓示である。


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