[285]
[285]
『高台のデジャヴ』
四年前にわたしは夢を見ました。
それは、わたしがある高台から
街を見下ろしている夢でした。
この夢を見て、目が覚めてから
少しだけ高揚感があるのを覚えました。
ですが、さほど印象にさえ、残るような夢では
ありませんでしたので、この夢も次第に忘れて(ほとんどの夢と同じように)、茶を飲み、髭を剃り、通勤電車で揺られながら窓越しの景色をぼんやり眺める、ただただ流れていく日常を送っていました。
そんな日常の中でも、時には、世界の秒針を止めるほど熱く心を燃やしたり、息をしているのを忘れるぐらい、驚愕するようなシンクロや奇跡を体験したりしました。家族や友とあれやこれやとくっちゃべったり、へどもどしながら仕事をしていたり、神々に導かれていると錯覚を起こしながら詩を書いたりもしていました。お盆や誕生日、葬式、友達の結婚式、クリスマスや大晦日、お正月など、その年、その年をいつも新しく迎え、日々をおとぎや神話のようにさえ、感じ、過ごさせて頂きました。
そうして、今日を迎えました。
今日は、以前から馴染みのある街に1人出掛けたのでした。とあるショピングモールのセレクトショップで古着を買い、意気揚々として、少しの冒険心を起こして、ビルや車、人々を躱して、街外れの公園にそそくさと行きました。その公園のベンチに座り、太宰治の『道化の華』などを読んでおりましたが、木の葉がさざ波のように、不可思議にざわめいているのを感じて、本に栞を挟んで、一度閉じてから、目の注意を向けたのですが、その木の脇に、すうっと、天国に続くような坂道が見えました。わたしは、別に、太宰治のような自殺やオーバードーズする覚悟があるわけでもなく、人間不信や人間生活に疲れ果てて、またあれだけ青葉の滝のようにすがすがしく生きて、死に急いでいるわけでもないのですが、その坂道に妙に惹かれてしまい、一瞬だけ、死に憧れさえ抱きました。どんなに美しく清らかな世界なんだろうか、と。そうして、わたしは、new balanceの黒いスニーカーを履いていたのですが(色々な色で本当は遊びたいのですが、そんなお金や心の余裕とは縁が無く)、そのスニーカーをじっと見つめてから、ふぅと前を向いて、坂道の方に歩いていきました。
坂道を歩いていくと、見知らぬ家や見知らぬ野良猫や見知らぬ人々が通りすぎて、その目に映る、まあ、わたしのフィルムには、たしかに、一様に、天国の麓で暮らしている存在に見えてきました。気がおかしくなっていったことにも、少しも気付かないまま、黄金を駆けていく子供のように、振り返らずに、坂道を歩き上っていきました。そして、一本の無花果の木が見えてきました。登っていくと、その先には何本も木が生えているのが見え、どうやら公園の入口であったらしく、さらに、坂の頂上までくると、公園の塀の先には、ベンチが幾つかあり、その先には、街が一望できるようになっておりました。
わたしは、ここだ!と感じました。わたしが探していたのはここだったのだと!他にもこの公園になにやら体操をしている青年やたそがれた若いカップルなどがいましたが、皆、烏滸がましいことですが、何故だか気の知れた仲のように感じてしまいました。皆、天国にいるのだ!と…。
そのあと、その公園の一望出来る場所まで、ゆっくりと歩いていき、ある地点で急に重くなり立ち止まり、頭が突然クラっとしました。そうして、大海に浮かんでいる船に1人乗っているような気がして、大波や小波を乗り過ごしたような気がしたあとに、「デジャヴだ。」と、ついに呟いてしまいました。
そのあと、わたしは天国にいた、あたたかな昂揚感は薄れていき、寒気と痛みが走るほど、いにしえから列なる大いなる恐怖と出逢いました。心臓に矢が刺さったような激震がほとばしり(戦慄よりも戦慄とでも安易に言ってしまうぐらい理性を喪っております)、言葉を失ったあと、若いカップルが髪の毛を触り合い、いちゃついている様子がだんだんと、くっきり見えてきて、少し正気を取り戻したのか「デジャヴ……デジャヴって、体験するものじゃない」このように、心のなかで呟きました。あれだけ自らの意志で生きていた日常だった筈なのに、異様なまでに自我を天に預けた気になって、詩まで書いて、へどもど仕事の汗をかき、意気揚々とビールやハイボールで酔っぱらいながら、友とくっちゃべっていたのに、全てが、嘘だったのだろうか…、嘘、自分自身の意志を持っていたという錯覚、自覚するという錯覚、自力、呼吸するという傲慢、自力は大きな他力の一部でしかない、、
もはや人間は神様のあやつり人形ではないかしら。
あの人もこの人も、どの人も、心中した太宰治さんも、最後は浄福の昇天を果たしたファウストなどを描いたゲーテさんも、自然を癒す音楽を奏でたモーツァルトさんも未知なる投球を安打し続けてきたイチローさんや二刀流で世界を騒がしている大谷翔平さんも、涙を流していたお隣さんも親戚や家族も十字架を快活に背負われたあの聖者も、花も、鳥も、土、空や風、太陽、宇宙もこの劇場からは逃れられない……このような感覚に襲われて、大変無気力になり、仕舞いには、その場で、尿を漏らしてしまいました。そうして、この天国から降りて、天国の道を下り、この地上に再び戻ってきたときに、わたしの容姿容貌、否、その土台を決めているであろう内奥世界は10歳ほど老けてしまったのです。それから、さっき購入した華やいだショピングモールや人々、生きものが怪人や怪物のように一度は見えたあと、次第に、恐ろしいという気さえ起こらなくなり、疲れ果てたのか、ただの木偶の坊のようになって、あやつり人形でもいいから、とにかくもう、家に帰ることにしました。
家に帰ってから、自身の部屋のベッドで寝っ転がりながら、できるだけ内観や観想をして、このように、想うようにしました。これは、神様からのお告げであり、汝の何から何まで見守り、一秒足りとも見逃さず、導き、愛し、育てているよ、と。いや、とにかくもう、そのように、頑固になって、阿呆になって、神様の憐憫を想うようにしました。そのようにしたら、眠れない夜から、夢の国へ、無事に入国することが、できたのです。夢では、また鸞鳥が現れたり、妖精が顕れたり、未知なる体験をしたり、旧友と出逢ったりして、忙しく心をときめかせておりました。
朝を迎えた頃には、もう、このようなことは忘れていて、鳥はいつものように、金箔をさえずり、窓越しの野良猫はアスファルトに寝っ転がって、わたしはただ腹が減って、喉が渇いてるのでした。
そうして、また、あやつり人形について、想いが巡ってくる時がありました。その度に、あれやこれやと新たな解釈を付け加えながら、なんとか折り合いをつけて、忙しさに逃げていったのでした。たとえば、生きた駒だとか、俳優だとか、歯車だとか、宇宙のパズルのピースだとか、潤滑油だとか、このような日々を過ごしていくと、次第に、幸か不幸か、あやつり人形であることさえ、よろこびを感じるようになっていったのでした(慣れという言葉の方が、適切かも知れません)。それでいいじゃない、それで充分だと、それ以上の想いは、想い上がりであるし、もう少し若い者達だけの特権であると。そのような、重々無尽の縁起というべきか、なんと表現したらよいか、定かではありませんが、それ以降、わたしは、デジャヴというものをそこまで恐がらなくなりました。




