第37話:進展の月曜日
俺は、古文堂で、店長に急遽国に帰る、と伝えて、バイトを辞めたい事を伝えた。
店長は、「おー、そうかそうか。いつでも帰ってこい」と、本当にこんなんでいいのか、と思ってしまうようなゆるーい返事をした。
しかしこの時、高校では、ルナが魔法を使っていたのだが、その事を知る者は、ルナ以外にいない。
私──ルナは、深呼吸をしていた。
目の前には、「校長室」と書かれたプレートの張ってあるドア。
いつもは軽そうに見える木製のドアが、今はさながら魔王のいる部屋のごとく大きく、重く見える。
現在、午前8時。
あと十分で朝のホームルームである。
そろそろ入らないと、ホームルームに遅れてしまう。
私は、覚悟を決め、ドアをノックした。
コンコン。
「失礼しま──」
校長室には、誰もいなかった。
「──した」
がちゃん、とドアを閉める。
はぁぁぁ、と、ため息が出る。
私の緊張を返せ。
「おはよう。今日は遅かったわね」
「おはよー」
教室に入ると、麗乃と黒藻くんが席で話していた。
最近よく一緒にいる気がするが、気のせいだろう。
黒藻くんは、とても複雑な顔をしている。
「おはよ」
私は、挨拶だけして、机に突っ伏した。
「ど、どうしたの?」
彼がおずおずと聞いてくるが、まさか中退する事をいうわけにもいかない。
結果的に、私は「ちょっとね・・・」と前置きして、
「なんか、疲れた・・・」
とだけ言った。
昼休憩。みんなが弁当を開き始める。
「ルナ、食べよー」
「ごめん、ちょっと用事が」
「そ。どこ行くのよ」
「ちょっと、職員室に」
もちろん、嘘だ。
まあ、職員室と校長室は隣接してるし、問題はないだろう。
私は、校長室に向かった。
ボス部屋、もとい校長室前。
やはり大きく、重く感じる木製のドアを、今度はためらいなくノックする。
「失礼します。一年の池逢です。少し相談があって来ました」
「はいどーぞ」
今度はちゃんといた。
我が校──的里高校の校長は、どこにでもいそうな年配の先生だ。
特徴をあげるとするならば、白髪交じりの髪、銀縁メガネ等々色々あげれるが、一番大きい特徴は、何と言ってもその顔である。
とても、温厚そうな顔をしている。
人相にはその人の昔の行いが出るというが、だとすればこの人は、いったいどれだけ温厚に過ごして来たのだろうか?
そう思うレベルの優しそうな顔をしたおじいさんだ。
「それで、要件は何かな?」
「私、高校を中退したいです」
「ほう・・・」
私は、どんなに温厚な顔の人にも、やはり黒い一面がある事を改めて確認した。
「待ってください。ちゃんと理由がありますから・・・!」
「ふむ、理由だけなら聞いてやらんでもない」
「ありがとうございます」
私は、これから使う魔法の事を思うと、とても申し訳ない気分になる。
でも、私が帰るには、これが最善なのだ。
だったら、やるしかない。
私は息を少し多く吸うと──
「『私想化矯正』!」
「何を───・・・・」
校長が動かなくなったのを見て、私はため息をついた。
そして、校長を見つめながら唱える。
「池逢ルナは一身上の都合で中退。行き先は県外、書類はもう池逢家と校長自らが提出終了。それから・・・」
唱えるのは、一晩かけて考えた池逢ルナの設定だ。
「・・・であるからして、生徒には県外に転校とだけ伝えること。完了!」
「・・・ハッ!私は一体、何を?」
校長が動いたのを確認し、私はホッとひと息つく。
ちょっと矛盾する事を言っていたかもしれないが、私がいなくなるからなんとかなるだろう。
私が使った魔法『私想化矯正』は、トネア王家に伝わる洗脳魔法だ。
簡単にいうと、記憶操作魔法。
洗脳したい人に向かって発動させ、設定を唱えると、対象はその設定を事実だと捉える。
設定が長文でなくとも、簡単な記憶操作なら行える。
しかし、今回の記憶操作は簡単なものでない。
この国から死ぬ訳でもなく行方不明になり、かつ誰にも迷惑をかけないようにするには、設定を細々と考えてから伝える必要があるのだ。
途中からメモ帳をチラ見していたが、しっかりかかったのだろうか?
不安なので、校長に尋ねる。
「理由は、これでいいですね?」
「ふむ、私はいつ中退を許可したのだ・・・?まあいいか。しかし池逢、一身上の都合とはなんだ?」
どうやら、しっかりかかっていたらしい。
「親の転勤です」
「君が決めたなら否定はせんが、しかし高校をやめる必要は」
「向こうで編入試験を受けるつもりです。安心してください」
もちろん、嘘だ。
「・・・まあ池逢は成績は高いので、問題はないでしょう。頑張ってください」
「はい。ありがとうございます」
こうして、私は高校を中退にこぎつけた。
放課後。
私は、久しぶりに1人で帰ろうとしていた。
なんでも、麗乃は新聞部の方で〆切が迫っているらしい。
帰宅部の私は、他に一緒に帰る友達も居らず、1人で帰ることになったのだ。
今日はたまたま荷物が多いので、ある意味好都合かもしれない。
「またね、麗乃」
「うん、また明日」
この挨拶も、あと数回しかしないと思うと少し寂しく感じる。
さて、私のクラスは一階にある。
故に、階段を降りなくていいのが、メリットの一つだ。
階段を通り過ぎると、昇降口はもうすぐだ。
「待って」
誰かが誰かを引き止める声も、ここでは頻繁に──あれ、今ここに人はいないぞ?
振り返ると、黒藻くんが早歩きで向かってきていた。
「あら黒藻くん、どうかした?」
「す、少し、話が」
そういうと、周りを見渡した。
ちょうどやってきたクラスメートを見ると、
「ついてきて」
と言って、階段を上って行った。
私は、「ちょっと待って」と言い残し、下駄箱の近くに荷物を置いた。
「で、何?どうかした?」
屋上。
最近では解放されている高校の方が少ないという、人目につきにくいスポットだ。
黒藻くんは、そこで待っていた。
一体どうしたのか、ひどく緊張している。
彼は私を見ると、
「ちょっと池逢さんに用事が、ね」
と言って、微笑んだ。
まあ用事がなければ呼ばないはずだから、当たり前な事を言っているだけなのだが。
彼は深呼吸し、こちらをまっすぐ見た。
「僕、池逢さんが好きです。付き合ってください」
「・・・・・・」
突然で、言っていることがなかなか入ってこない。
そして三秒後、私は、彼の言った言葉を理解した。
(えええええぇぇぇぇぇぇえ!!?)
心の中で叫ぶ。
「・・・本気・・?」
彼は、即座に、かつ静かに頷いた。
このタイミングで。
よりにもよってこのタイミングで。
私に、春が来た。
どうすれば、いいのだろう。
まさか私に恋するような人がいるとは思っていなかった。
嬉しい誤算だが、私は、頭の中が真っ白になった。
──
僕──黒藻悠介が池逢さんの事を気にし始めたのは、文化祭の後からだ。
文化祭で一緒に行動して、友達になれたから、なんとなく視界に入れるようになった。
普段の生活でふっと思い出すことはなくても、教室では、なんとなくその姿を探すようになった。
うん、正直、見すぎたのだろう。
つい2週間前、伊月さんから突然、
「ルナのこと好きなの?」
と言われ、そこで自覚した。
そして、それを言葉にしたわけでもないのに、伊月さんにばれた。
それから毎日、伊月さんにいじられながらも、なぜか僕が告白する手はずを、伊月さんが整えてくれた。
今日も、池逢さんが帰ろうとしたのを、僕が掃除から帰ってくるまで雑談して引き止めていてくれたのだ。
そして僕は、勢いで告白した。
──
「ごめん、黒藻くん」
私がここまで言うと、黒藻くんの表情がさらに固まった。
だとしても、これだけは言っておかないと。
「私、引っ越すから」
「い・・いつ?」
「今週」
私の答えを聞き、黒藻くんは少し考えた。
そして、何かに安心したように息をついた。
「じゃあ、なかったことにしといて」
そう言って、黒藻くんは足早に立ち去ろうとする。
私は考えた。
この先、こんなことができるのだろうか、と。
そして私は、不可能だと言う結論を出した。
王女が、まさか高校生のような恋愛をできる筈はない。
そして、黒藻くんのことも、別に嫌いじゃない。
クラスの男子の中では、一番交流がある。
だったら。
別に付き合っても問題ないじゃないか。
「まって黒藻くん」
うわ、若干涙目になってる。
なんか悪い事をした気分だ。
「もし、よければだけど、4日だけなら、黒藻くんの希望に添える」
私はこの時の黒藻くんの顔を、きっと忘れない。
そう思えるほどいい笑顔だった。
「4日だけでも、付き合ってください」
「はい」
私は、彼の告白に、笑顔で答えた。
夜。
俺──フェクターは、ルナのテンションが上がっていることに気づいた。
なんせ、足取りが軽く、ニヤニヤしている。
「随分ご機嫌じゃないか。なんかあったか?」
「あ、知りたい?」
この数ヶ月、ルナと一緒に暮らしているが、こんなに上機嫌なルナは初めてみる。
「ねえ知りたい?」
「ああ。気になる」
「そう?じゃあ言っちゃおうかな〜。やっぱ言わまいかな〜」
「・・・・・」
訂正しよう。
こんなに上機嫌で、上機嫌を振り切って若干めんどくさいようなルナを、 俺は見たことがない。
だが、ここまで引っ張られると気になるのも事実だ。
「教えてください」
「じゃあ言っちゃお〜う!」
ルナは、たっぷり4秒ほど溜めてから、言った。
「私、恋人できた〜!」
「おめでとう」
おぉっと口が滑った。
しかし、ルナに恋人か。
・・・・。
「え、4日しかなくね?」
言うまでもなく、トネアに帰るまでの日数である。
「いいのか?」
「良いのよ。了承は得てる」
「そ、そうか」
お互い、それで幸せなのだろうか?
生憎、俺は恋愛経験がないからなんとも言えんが。
ルナが王女になるときに、心のつっかえになるんじゃないのだろうか?
そんなことも考えた。
でも、すぐに考え直す。
ルナのことだ。
しっかり考えて判断しているだろう。
余談だが、このことはなぜか、モルデラに筒抜けだった。
盗聴やストーカーの心配をするべきかもしれない。