第35話:梅雨の日
今日の天気は、全国的に雨だそうだ。
季節は梅雨。
ジメジメした季節は、まだ始まったばかりだ。
「今日も雨か」
俺はモルデラから渡された紙を見ながら呟く。
「これどうしよう」
──大事なことなのでもう一度言おう。
梅雨は始まったばかりだ。
文化祭の翌日。
結論から言うと、俺はこのことを言い損ねた。
昼間、ルナは友達と遊びに行っていた。
彼女が帰ってきたのは夕方。
俺は、この時完全に忘れていた。
まあよくあることだ。
思い出したのは寝る直前。
俺は、明日言おうと決意した。
──こんなんが5日続いた。
で、だ。
その5日の間に梅雨入りしたんだな。
「俺は何をやってんだよ・・・」
今日は土曜だから、ルナはいる。いるが。
雨の中外に出る気はない。断じて。
後悔した時には手遅れ、というのはよくあると思う。
俺は言い訳を作ることで時間をつぶしていた。
コンコン、と音がする。
窓を叩く音だ。
ここ2階なんだが。
窓を見ると、ベランダにモルデラがいた。
窓の外から何か言ってるが、雨の音にかき消されて、何を言ってるのかわからない。
「・・・・」
俺は、カーテンを閉めた。
窓を叩く音が大きくなる。
コンコンからトントン、しばらくしてガンガンという音に変わる。
「うるせぇぇぇぇぇ!」
俺は窓とカーテンを開けて叫ぶ。
おい、モルデラ。
なぜドヤ顔なんだ。
「まだ言ってないのか・・・」
「呆れる前に拭いてくれ」
俺はタオルを投げつける。
すでに床は濡れているが、まだ遅くはない。
「んで、フェクターよ、いつ言うんだ」
「・・・・・」
いつ言おうか。
モルデラはため息を一つついた。
「フェクター、君に教えておこう。この日本という国には、いつやるか?今でしょ!という有名なセリフがあるんだ」
「モルデラ、それとこれは関係ない」
後に俺は知る。
「今でしょ!」は古い。
だから何、というわけではないけど。
「だいたい、ルナにどう説明すんのさ。異世界で王女やってくれ、って言えばいいのか?」
モルデラは、何を言ってんだこいつは、という冷ややかな目で見てきた。
「それを考えるのが君の仕事でしょ?」
「丸投げですかそうですか」
こいつこんなんでよく裏組織の仕事できたな。
「まあ真面目な話だな」
モルデラの目が、真剣になった。
「言ってなかったが、トネアに戻る道は、開いた日からだいたい60日で閉じるんだ。
つまり計算で行くともう7日で閉じてしまう」
「まじかよ」
「まじだ」
それはもうちょい早く言って欲しかった。
「だから急いでほしい。雨の日であれど、私は待っている」
モルデラはその後、来た時のように窓から去っていった。
おそらく何も盗られていない。
時計を見ると午前11時。
今日の昼食当番は俺だ。
「急いで作らないとな」
俺は料理本を手にキッチンへ向かった。
──直に催促されたら仕方ない。
今日中になんとか言ってみよう。
夕食後。
俺とルナはリビングにいた。
いつもは他愛ない話が出続けるところだが、それではルナのペースになりがちだ。
ここは俺から行かないと。
「なあルナ」
「何?」
さて、どう説明するか──。
「お前さ、異世界、言って見たくないか?」
ルナがピクッと動く。
「異世界?」
「そう。まあトネアだけどさ、行けるんだ」
これで行ってくれたら楽なんだが。
「トネアに行ける・・・ってことは、フェクタートネアに帰るの?」
「・・・ああ。多分な」
そう言えばそうだ。
俺も帰らないといけないのか。
忘れていた。
「・・・ねえフェクター」
「何だ?」
ルナは、ゆっくりとこちらを向いた。
この流れだと行かない、という気だろうか。
表情が明るくない。
「今まで黙ってたけど私、トネアの女王なのっ!」
「なっ・・・!」
そう来たか・・・!
いや、落ち着け。平常心平常心。
「王女というと、5年前のあの事件の?」
「そうよ」
マジか。
自覚してるなら、もっと早く言えばよかった。
「じゃあ単刀直入に。女お」
「えー・・・」
「まだ言ってねーよ」
あからさまに嫌がるね君。
嫌な理由はわかるんだがな。
日本の方がトネアより暮らしやすいし。
平和だし。
「まあ女王なら聞きたいこともある」
「何?」
「誰がどうやってルナを城から連れ出したんだ?」
トネアの未解決事件、王女失踪事件。
真相が知りたい。
ルナは目を泳がしたが、俯いていった。
「私が、裏組織に依頼したの」
「へぇ」
そこから、ルナは語った。
脱出した理由や、方法を。
「・・・つまり、窓からひとつ下の階に降りて、そこで組織の人に魔法陣で日本に飛ばしてもらったと、これであってる?」
「うん」
警備ザルすぎか。
俺も警備兵だけどさ。
「んで、脱出した理由は、辛かったから、と」
「ざっくり言うとそうだね」
まあ、あんな国だしな。
ストレスも溜まるよ。
しかしな。
それを聞くと。
「無理に帰すのも、なぁ」
「・・・ねえフェクター。知ってたよね、私が女王ってこと」
「ああ、まあな」
そう言えば言ってなかった。
俺は、モルデラの事を説明した。
名前は伏せたけど。
「そう、結構知ってるのね」
「・・・・・まあ」
結局。
この日は、トネアのことはこれ以上話さなかった。
よく考えたら、王女には戻りたいわけがないのだ。
平和な日本にいた方が、ルナの幸せのためだろう。
何より、高校に友達もいるだろうし、離してしまうのは良心が揺らぐ。
王女の方も、王権のある人はいるのだから、困らないはずだ。実際5年も大丈夫だったわけだし。
俺1人で帰ろう。
俺もあんま帰りたくないけど。
── 俺は、そう結論を出した。
翌日──
「おはよ」
「おはー」
普通の日常に戻っていた。
先に起きていた俺は、新聞をたたみ、トーストを焼き始めた。
同時に紅茶を沸かす。
カップを二つ出し、片方──俺のカップには、ミルクを2つ落とした。
「紅茶のミルクと砂糖は?」
「いつも通りで」
「おっけ」
紅茶を、2つのカップに均等に注ぐ。
ミルクを3つ、角砂糖を4つ片方のカップに落としたところで、チーン、とトーストの焼ける音。
俺が2人ぶんのトーストを運ぶ間に、ルナがマーガリンと俺の紅茶を運ぶ。
「「いただきまーす」」
これが、俺たちの日常だ。
「ルナ、今日予定ある?」
「出かけるから、私の昼ごはんいらないよ」
「りょーかい」
今日は久しぶりの晴れだ。
洗濯しますかね。
「そうだフェクター」
「どうした?」
仕度を終わらせたルナが振り返った。
「私、フェクターと一緒にトネアに帰るからね」
「良いのか?」
「うん。休暇にしては十分だったよ」
「無理しなくて良いんだぞ」
「大丈夫」
その笑顔は、見る人を安心させるタイプの笑顔だ。
「わかった。けどまだ帰らねーからな」
ルナはニコッと笑うと、
「行ってきまーす」
と、言った。
「行ってらっしゃい」
俺は彼女を、笑顔で送り出した。
トネアに帰るまで、あと6日──