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今週はっ。何とかっ。間に合いましたっ。一週間っ!
八日目八分前。
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「お前は何をそんなに焦っているんだ?」
「これだけっ、簡単にいなされてばっかりで、力不足をっ、痛感っ、しているだけですっ!」
今日は授業の無い休養日なのだけれど、修練室でクロード兄様に相手をしてもらっていた。直接的な魔術による攻撃は禁止。身体強化――魔術付与だけを使った組み手だ。
クロード兄様は私に合わせたのか、風の魔術を付与している。最初は「変な感じだ」と言っていたものの、すぐに慣れてきたのか、私の攻めを簡単に受け流してしまう。
「――っらぁ!」
前蹴りを放つも、クロード兄様は軽やかに躱す。その脚を引かずに、断の魔術を発動。蹴り足を軸に、後ろ回し蹴りに繋いだ。
「おっと」
軽く下がられただけで、蹴りは空をかく。振り回すような大きなモーションだったためか、私は宙でバランスを崩した。クロード兄様との距離が生まれ、後ろに落ちていく。見えない地面との衝突に備えて、受け身の姿勢に入るしかなかった。
「バカか」
ぐいとクロード兄様に服を掴まれ、服が伸びる。地面すれすれで私の身体が止まったことを確認すると、今度はぱっと手を離した。
学園に入学してから、もう既に三ヶ月が経とうとしていた。その間、何度も挑んだけれど、未だに一本すら取れたことがなかった。
「……くそ」
眩しい日差しを手で遮りながら、そんな言葉が自然と漏れた。お母様が傍にいたら、青筋をたてながらも怖い笑顔で私を呼びつけそうだ。
「くそじゃねえよ。お前如きに負けてたら、俺がやべぇんだよ」
「すみません、でもつい」
圧倒的な手加減の上で試合をしてもらっておきながら、一本も取れない自分への苛立ちは消えない。もし本気のクロード兄様とやりあったなら――その結果はあまり想像したくない。
「身体の使い方は悪くねえが、まだまだ危ういところも多い」
さっきの後のことを考えない大振りの後ろ回し蹴りもだ、とクロード兄様は肩を竦める。
「大体は、お前の自滅で終わってるだろうが」
「むぅ」
思わず唸ってしまうけれど、クロード兄様の指摘は正しい。あまりにも余裕で躱され続けるので、手数を増やしたり、不意をつこうと試行錯誤しているのだけれど、そこからバランスを崩して自滅してばかりだった。
「もっと堅実な戦い方を覚えろ。そのうち死ぬぞ」
刺さる言葉は、ずしりとくる。まだ学生とは言え、クロード兄様も既に実習で、魔物たちと対峙しているからだ。
堅実な戦い方と言えども、私に出来ることと言えば『断』と『水』の魔術を主軸にするしかない。断の魔術は、出力によっては恐ろしい威力になるけれど、私にはそれを実現できる才はなかった。ならば『水』――ウォータバレットによる遠距離からの攻撃手段や、または後衛に入って援護に回るかだ。クロード兄様やラインハルト兄様のように最前線で戦うには、才が足らなさすぎた。
そもそも何で、そんなに前に拘るんだろうか。そもそも拘っているのだろうか。単に兄様方の影響が大きく、そちらに引っ張られているだけなのかもしれない。
私自身の道を探す――それも悪くないのかもしれない。
「まーまークロたん、そんな怖いこと言って脅かさないのー。アリサたん黙っちゃったじゃん?」
ケラケラと笑いながら、私たちに近寄ってくる女性。そばかすの目立つ頬を緩ませながら、私を見下ろしている。眼鏡の奥には理知的な輝きと優しさが共存していた。茶髪を三つ編みにしており、それを鬱陶しそうに払いのけて、私の額に触れた。
「……おい、その呼び方はやめてくれって言っただろうが」
「ん、特に怪我は無さそうね」
「無視かよ!」
渋るクロード兄様をさらりとスルーするこの女性はミリア・フロートさん。クロード兄様の同級生だ。
「アリサたーん、痛いところとかはない? お姉さんが治療してあげるよん?」
「大丈夫です、ありがとうございま――いたっ!」
「あら大変、腕を切ってるわ!」
「いやいや、おかしいだろ、てめえ!」
治療の申し出を断ろうとした私に、一切の躊躇無く風魔術を行使し、腕に小さな切り傷を作ったミリアさん。その蛮行を目の前にし、クロード兄様は即座に突っ込むけれど、迷いの無いミリアさんの行為に引いてしまったのか、顔を引きつらせている。
出来てしまった傷は仕方ない。私はミリアさんの胸に抱かれながら、治療を受けるハメになる。とは言え、治療そのものは不快ではないどころか、身体の魔力が満たされるようで、じわりと心地よい熱が広がっていく。
「人の妹を傷物にしやがって」
「あらやだ、いやらしい言い方だわ」
「そっちに繋げるお前のが、いやらしいだろうが!」
「そんなわたくしだと知っていての発言なら、貴方自身の失言でしょー? わたくしは悪くなーい」
クロード兄様は苦い表情のまま、そっぽを向いてしまう。少し変なところもあるけれど、ミリアさんは基本的に良い人だ。人の腕を唐突に切りつけて治療する人を『良い人』と言っていいのかは、ちょっと疑問に思うところだけれど。
「もうちょっと待ってねー」と言いながら、ミリアさんは私の頭を撫でる。その表情はまるで菩薩のようで、こうしていれば本当に良い人だ。
「はい、終わり」
「ありがとうございました」
お礼を述べる私に、「礼する必要あったのかよ」とクロード兄様は不満そうに呟いている。
「それにしてもアリサたんは、どうしてそんなに頑張るのかな?」
治療は終わったけれど、結局ミリアさんからは解放されず、その胸の中で私は問われる。
何故だろう。私の中で明確な答えが見つかっていないことは、薄々気づいていた。
当然のように強い兄様たちを見てきて、純粋に憧れた。多少は私自身の才の無さに落ち込んだりもしたけれど、基準はやはり兄様たちのままだ。そこを自然と目指してしまうのかもしれない。
「やはり目標は兄様ですから」
「やだぁ本当に良い子ねぇ、クロたんと違って」
ぎゅっと抱き寄せられて、ミリアさんになされるがままだけれど、抵抗はしない。したところで、上手く受け流されて、余計に逃げられなくなるからだ。
しばらく撫で回されてから、ようやく解放された私は、魔力の流れが以前よりスムーズになっていることに気づく。いつもながら最高の調整だ。
ミリアさんの凄さは、こういうことろにある。人に自らの魔力を流しつつ、それを治療に使ったり、身体にある魔力線の調整まで行ってくれるのだ。
「いつも、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
けらけらと笑いながらもミリアさんは続ける。
「結局、出るんでしょー? 個人戦」
「はい、このまま行けば、恐らくガーランド先生の推薦をいただけると思うので」
「そっかぁ、怪我しない程度に頑張ってねん」
まぁ怪我してもわたくしが治すから問題なし、とミリアさんはウィンクしながらサムズアップ。
「……まだお前には早ぇよ」
一人だけ納得のいかない様子で、低く呟くのはクロード兄様だ。
「公式戦は甘くねえんだぞ」
「もちろん心得ております」
甘くないからこそ、私たち初等生は先生からの推薦が無いと、公式戦には出場できない。
公式戦――それは学園で行われる実戦形式の試合だ。個人戦とクラン戦があり、私はガーランド先生に頼み込んで、初等生の推薦枠で出場できることとなった。私の他にもレオンやアオイも別の先生からの推薦を受けて出場することになっている。
クロード兄様の真剣な眼差しが私を射抜く。少し気圧されつつも、それに応じるようにクロード兄様から目を逸らさなかった。
「何だかんだでクロたんも甘いよねぇ」
ふと割り込んだミリアさんに、「何?」とクロード兄様が表情を険しくする。
「普通に妹を心配するお兄ちゃんだからねぇ」
ちょっと意外だよ、とミリアさんは笑顔を崩さずに続ける。
「いい勉強になると思うよ。本当に痛い目をみないと分からないことだってあるからさ」
ね、と私に向かってミリアさんは微笑むけれど、背筋を冷たいものが抜けていく。
「……と、まぁアリサたんを諦めさせたいなら、これぐらい脅すようなことも言わないとね、クロお兄たん?」
「う、うるせえ!」
顔を真っ赤にして去ってゆくクロード兄様を見て、ミリアさんは盛大に吹き出し、お腹を抱えて転げ回っている。笑いすぎではと思いつつ、クロード兄様を完全に手玉に取っていることが凄いのか、何だかよく分からないミリアさん。
やがて落ち着いたのか、私の頭を撫でながらミリアさんは言う。
「そう怯えなくても大丈夫。当日はわたくしが救護スタッフとして付き添いますからね」
何事も経験ですわ、とミリアさんは今度こそ優しく微笑む。
「クロたんは優しすぎるのですよ……自分が自分がと前に出てるフリをして、いつも傷を負ってくるのです」
ミリアさんはクロード兄様が去っていった方向を見つめ、少し憂いを見せた。
「ああ、ごめんなさいね、心配させて。クロたんは優秀だから、大丈夫。危険な状況に陥ることも少ないのよ。いっつも掠り傷程度で帰ってくるから」
「……はい」
「でもね、あなたは違う」
今までにない真剣なミリアさんの声色に、私ははっとさせられる。
「あなたは無理しちゃダメよ、自身を見失わず、冷静に、ね」
「はい、肝に銘じておきます」
「うん、アリサたんは良い子ね」
私を撫でて、ミリアさんは駆けてゆく。クロード兄様が去っていった方向へと。
修練室には私一人が残され、静寂が広がる。せっかくミリアさんに調整してもらって、調子も良い。
もうしばらく練習しよう――公式戦まで、残すところ一ヶ月。出来ることをやりきって挑もう。
きっと勝ち進めば、再びクロード兄様とも立ち合えるだろう。その時に全力をぶつけたい。
まだまだ勝てるとは思えないけれど、それでも進んでいることを証明するんだと、私は全身に漲る魔力を集約し、魔術を成した。




