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ひんやりとした風が肌を撫でるけれど、朝日が優しく私を包み込むので寒すぎず暑すぎず、実に心地よかった。
魔力が巡っている身体は少し火照っており、じわりと汗が滲む。起きてから一時間ほどだろうか。断の魔術を行使し、宙で姿勢を保っていた。まだまだ魔力は成長していっているけれど、ここ最近は安定した出力になってきている。これは私個人の見解だけれど、魔力の『保有量』は未だに大きくなっており、一度に出力できる『蛇口』の成長が止まりつつあるのではないか、と。
もし、そうだったなら、私の最大出力はこれが限界だと言うことになってしまう。少し悲しいけれど、これだけは才能だ。仕方がない。魔力の『保有量』だって人によりけりなのだから、まだ成長しているため才は無くはないのだろうと自身を納得させる。
逆に魔力の才が無い人だって、別の才で活躍できることを私は知っている。極端な話になるけれど、その一例がラインハルト兄様だからだ。あの人は魔術の才が欠片もない。『千術』と呼ばれたルーデルお父様の息子でありながら、魔術の才だけで見ると私にすら劣るのだ。ラインハルト兄様は完全にお母様に似たのだろう。見た目も美しいし。
そしてクロード兄様はバランスが取れており、実に優秀、とのことだ。土の魔力との親和性が高く、白兵戦でも力を発揮できるし、まだ私と違って『蛇口』が大きいのだろう。魔術の才は教師たちですら、舌を巻くレベルに到達しつつあった。
私は、と言うと、先ほどの通りだ。魔術の才に秀でているわけでもなく、また体術も剣術も並。少し――いや、実のところ、かなり兄様たちが羨ましく思う。
少し離れたところに木が一本、そこに張り紙が一枚あった。円が三重に描かれており、それは『的』であった。それに向けて魔術を放つ。一番扱いやすく、そして一番私が『得意』とする系統の魔術だ。
空間の水分を使い、小さな弾丸を形成する。今まで何度も使ってきた術式だ。それを三つ展開し、一斉に放つ。水の魔術『ウォーターバレット』だ。弾は二発だけ命中し、一発は後ろの木々の中に消えていってしまった。
はぁと自然とため息が漏れてしまう。この程度のコントロールで失敗しているようではいけないことは分かっているのだけれど、思った以上に成長が無かった。
「早いねぇ」
ふわわと欠伸をしながら、私のところにやってくるのはルームメイトのアオイ・オトハだった。ショートカットの黒髪に黒い瞳、対し肌は透き通っているかのように白く、まるでお人形さんみたいな子だった。
「ごめんなさい、起こしたかしら?」
寮のすぐ裏でやっていたため、出来るだけ静かな断や水の魔術だけを使っていたのだけれど、ルームメイトだけは別だ。私が起きて、ごそごそしている間に目を覚まさせてしまった可能性がある。
「んーん、勝手に起きただけだよ」
そんな心配をする私に、一寸の曇りもない笑顔でアオイは答えてくれる。純粋で気持ちの良い子だ。
「アリサちゃんは、よく頑張るね」
「そうかな?」
「うんうん、毎朝早く起きて、すごいと思うよ」
それに、とアオイは続けて言う。
「いろんな魔術が使えて、アリサちゃんはすごいって皆も言ってるよ」
「そう、かな……」
そうなのかもしれない。けれど私は兄様たちを見てしまっているからか、それに納得することはできなかった。
何もかもが足りていない。まだまだ成長できるけれど、最大限努力しなければ兄様たちとは並べない。
――いや最大限努力をしても並べないかもしれない。
出力の限界を感じてしまったことで、私の中で生まれた懸念は、日々その存在を増していく。
「大丈夫、アリサちゃん?」
呼ぶ声に、はっとして顔を上げる。心配そうに私を覗き込んでくるアオイに向けて、私は精一杯の笑顔を向けた。
「大丈夫だよ」
きっと大丈夫。まだ私はやれる。諦めるものかと再び心を固めて、私たちは寮に戻った。
ちょうど朝食の時間で、食堂には生徒が集まっていた。これまたわいわいがやがやどころか、何かが破砕する音が聞こえたり、悲鳴が聞こえたりと混沌の極みだ。上級生たちは慣れたものなのか、騒ぐ下級生を冷たい目で一瞥し、静かに待っている。
「……アオイ、そろそろだ」
「う、うん」
席について、じっと待つ。隣のアオイは少し緊張しているのか、表情が強張っている。
程なくして食堂の扉が勢いよく開かれた。現れた巨漢に、食堂が静寂に包まれる。先ほどまで暴れ回っていた下級生たちも、「やべっ」と漏らしながら席へと急いで駆けていく。
「起立ッ!」
巨漢の号令で、皆一斉に立つ。
「気をつけッ! 休めッ! 気をつけぇいッ!」
足を揃え、開き、また揃える。その動作音だけが食堂で響き、制止と同時に静寂に満たされた。
「朝から元気じゃのう……小僧どもよぉ、ええ?」
下級生のテーブルに向かって、のしのしとやってくる巨漢。片目は眼帯で塞がっているけれど、それで隠しきれていない傷が縦に走っている。白龍にやられた傷だと本人は言っていた。
その屈強な体躯と凶悪なほどの保有魔力により、『貫かれぬ盾』として前線でアリエラお母様と一緒に戦った男――ガーランド・オークスであった。今は戦線を退き、教鞭を振るっている。
竜に燃やされて毛根も尽き果てたと当人は言っており、つるっぱげに傷物の眼帯と凶悪な見た目をしているけれど、これでも根はかなり良い人だ。割と勝手――寮を抜け出して、あっちこっちへと出かけているクロード兄様に、「ガーランド師匠だけは尊敬している」と素直に言わせるほどだ。
「元気なのは結構だ。実に良い。ただし飯は粗末にするな。それはお前らの力の元になるからな」
さぁ飯の時間だ! と叫ぶガーランド先生。食前の儀礼を終えて、勢いよく食事をかき込み始める上級生たち。下級生も負けじと手を動かすけれど、成長期真っ盛りの上級生たちにはかなわない。
食べる量はそこそこでいいし、急いで食べる必要もない。私はマイペースでゆっくりとスプーンを口に運ぶ。野菜をベースに作られたスープは、よく甘みが出ており、これなら野菜の苦手な子でも食べれるだろう。時折、そこにパンをひたして、柔らかくしてから口に運んだ。
「……こら、アオイ」
「あいえっ!」
そっとスープをどこかへ押しやろうとしていたアオイ。またかと私は嘆息一つ漏らした。
「好き嫌いはダメですよ」
「うぇぇ……この甘いのイヤ」
「イヤじゃないでしょ、ちゃんと飲みなさいな」
どうも野菜の甘みが苦手なのか、毎度半泣きになりながらスープを飲むアオイであった。生の野菜なら食べられるので、余計に不思議なのだけれど、味覚は人それぞれだし何とも言えない。
「よく頑張りました」とスープを飲み干したアオイを撫でてやるけれど、半泣きのまま睨んでくる。そんなに怒らなくても、と思うのだけれど。
「前にも言ったでしょ。食事、睡眠、身体の保温に関しては、絶対に欠けさせてはいけませんって」
「むうぅ」
「唸ってもいけません」
ぴしゃりとアオイを叱って、私は席を立つ。自分の食事はきっちりと済ませたからだ。
一時間目は何の授業だっただろうか。座学だと退屈だなと思いつつ、時間割を確認する。術式実技学初等編とあり、しかも二時間続けてであった。その後は座学が続いて、お昼を挟んで、また座学。少し憂鬱に思いながらも、最初の二時間をきっちりこなしてから、後のことは考えよう。
「待ってよぅ」
後ろからアオイが駆けてくるので、少しだけ足を止める。
「もうっ、アリサちゃん、先に行かないでよぅ」
待ってるなんて言ってないけれど、と思いつつ、黙っておいた。何にせよ、懐かれることは別に悪い気がしなかったからだ。黒い瞳を潤ませながら、頬を膨らませるアオイ。ついつい「ごめん」と口をついて出てしまう。
「今日は二時間ともガーランド先生だねぇ」
「そうね」
術式実技学初等編の担当はガーランド先生なのだ。アオイはあの凶悪な見た目に畏怖の念を抱いているようだけれど、私は楽しみにしていた。
高い天井に、広がる空間。観客席ぐらいしかない無機質な空間だけれど、多少暴れても支障が出なさそうだ。修練室には既に数名が集まっており、割と大人しく待っているようだ。やはりガーランド先生の容姿が大きく働いていることは、ここに集まっている生徒たちの怯えようで何となく察してしまう。
「よう、嬢ちゃんも早いな」
室内で圧力を発し続けるガーランド先生が、凶悪に笑う。実のところ圧力を発してもいないし、普通に笑いかけているだけなのだけれど。それが分かるのは、生まれた私を抱いてくれたところから、付き合いが始まっているからだろうか。
「先生もお早いですね」
「そりゃまぁ先生だしな」
がははとガーランド先生が笑うと、隣でアオイが小さく悲鳴を上げた。ガーランド先生の一挙一動に怯えてたら、キリがない。
「どうだ、待ちに待った学園生活は?」
「ええ、楽しいですね、やはり」
「楽しい、か。そりゃあ重畳」
だがな、とガーランド先生の視線が鋭くなる。
「楽しむのも悪かぁない。が、ラインハルトからも聞いてるだろ? 最近は――」
「その話をここでしますか?」
「……そうだな」
アオイの手前、既に怯えているところに追い打ちはかけたくなかったため、先生の言葉を遮る。
言わんとしていることは分かっている。最近、竜の動きが不穏なことだろう。
「自分の身は守れるようにだけしとけ、ってのは、お前さんなら大丈夫そうだがな」
まだまだですよ、と思いつつも、それを口にすることはなかった。
実際、実技を見ていると私より優秀な子は多い。例えば火と風、二種の親和性が非常に高いレオンや、風特化のアオイもだ。同じクラスで既に二人いるのだから、同い年で私がどれほどの位置にいるのかを想像することは、それほど難しいことではなかった。
私の場合、全体の親和性がそれほど高くない。あえて言うなら、水との親和性が他と比べると少し高いだけであった。
魔術師であるお父様の身体能力と、剣士であるお母様の魔力を引き継いだのだろう。はっきり言って、私が一番才能を持っていなかった。まだ一歳のハルですら、亜種属性の雷に目覚めていると言うのに。
じわりと胸の内で黒いものが蠢く。正直羨ましかった。私がどれほど効率よく経験を積んだところで、才ある者は一つの実践で軽々と私を越えていく。それに苛立ちを覚えないと言えば、嘘になる。
「ほっ!」
宙を蹴り、修練室の天井に向かって軽々と跳んでゆく後ろ姿を見つめる。風の魔術の恩恵だろう。余裕があるのか、黒髪の少女は宙返りを織り交ぜつつ、ぐんぐんと天井に近づいていく。
「ていやっ」
天井からぶら下がってた球体を片手で握り、アオイは地面に降り立つ。
「オトハ、合格だ」
ガーランド先生は、アオイから球体を受け取り、合格を告げた。これが本日一つ目の実技、天井にぶら下がっている球体を一つ以上手に入れれば合格だ。手段は問わないので、様々な方法で上を目指す。
「こんなのは、どうだ?」
ふわりと熱が肌を叩く。渦巻く炎が少年の腕に宿る。それをぐっと振りかぶり、刹那の溜めを経て解き放つ。一直線に走る炎は天井の球体を呑み込んだ。やがて吊していた糸が焼き切れて、ぽつぽつと球体が降り注ぐ。その内の一つを手に取り、レオンがドヤ顔でこちらを見てくる。
それもまた合格のようで、ガーランド先生はレオンから球体を受け取った。
「どうだ!」
わざわざ走ってきて、私の前で言ってくるレオン。純粋に凄いと思う。それと同時に少しだけ妬ましい。私が出来るとすれば、炎を生み出し、それを射出するぐらいだろう。風の魔術と組み合わせて、鞭のようにしなる炎を作り出すなんて、私には出来ない。
あるもので戦うしかない――私は天井に残っている球体に目を凝らす。きらりと光るのはワイヤー。それだけを見つめ、魔力を練る。
やがて音もなく落ちてくる球体を受け止める。イメージ通りであった。ワイヤーを最小限の魔力で断つ。それだけだ。
「それ、僕のだぞ!」
ただ、あまりに動きなく、球体を落としたためか、隣の少年が私の球体を奪う。
「いいのか?」
すぐ隣にまで来ていたガーランド先生だけは分かってくれているようで、渋い表情でこちらを見ている。
「ええ、大丈夫です」
何度でも同じことをできるから別にいい。ただ何度やっても、この方法では認められないかもしれない。だったら――
「取ってきます」
「おう、気をつけろよ」
断の魔術を踏んで、天井に向かって駆けてゆく。下から様々な魔術が飛んできて、行く手を遮るけれど、それも強引に断の魔術で叩き落とす。足場に二カ所と盾に三カ所展開で、合計五重展開。それぐらいは、もはや楽に行使できる。今では一瞬で二桁ぐらいの同時展開なら余裕で行えるぐらいにはなっていた。
魔術を受けつつ足場を作り、上っては足場を消し、また先を作っていく。魔術は同時展開すればするほど、安定性に欠いてくるし、魔力の消費も激しくなる。不要な足場、盾はその都度消して、ゆっくりと上っていった。
「……これだけは嘘をつかないからね」
魔力の出力は才による。ただ保有魔力は修行を積めば積むほど、伸びていく。実際これだけはアオイにもレオンにも絶対に負けない自信があった。多少無駄に盾を展開したところで、魔力が底をつくようなことはない。
「……ん」
ふと気づけば、下から放たれるのは魔術ではなく、視線ばかりであった。皆ぽかんと口を開けて、私を見上げている。そんなに変なことをしているつもりはないのだけれど。
天井までたどり着くと、目の高さにぶら下がっている球体をもぎ取る。それと同時に足場を消して落下する。途中で何度か足場を作り、勢いを殺しながら接地する。
「これで文句は無いでしょう?」と、私から球体を奪った少年に笑みを見せてから、ガーランド先生の下へと向かう。
「お前、ちょっとアリエラに似てきたな」
私から球体を受け取りながら、ガーランド先生は苦笑を浮かべる。
「どういう意味ですか?」
「いや、何となくだ」
「……大変だな、ルーデルよ」と小さく呟くガーランド先生は、少しだけ悲嘆に暮れた面もちで立ち尽くすのであった。
アリエラお母様は我が家で一番破天荒だけれど、それに似てきたって言いたいのだろう。そんなことはないと思う。私はいたって普通だ。
そっとガーランド先生の臑を蹴ってから、私は次の課題へと取り組むのであった。