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前の話が少し短かったのでつけたしております故、そちらを先にごらんください。
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広がる草原はどこまでも続く。地平の向こうには真っ白な雲がそびえ立ち、その上を濃紺が染める。降り注ぐ陽光は柔らかで、それを全身で浴びながら、空を駆け抜ける。
どこまで行けば見えてくるのだろうか。学園のある城塞都市セントレイリアへの道中、初めて見る景色に、馬車を飛び出した。
「ほどほどで戻ってきなさい」とお父様からお許しをいただき、竜のいない空を堪能する。草原にも魔の気配は無く、風の音だけが鼓膜を叩く。
明日は待ちに待ったセントレイリア学園への入学式だ。実家のある森を抜けるのは初めてで新鮮なのだけれど、まったく見覚えのない景色だと思わないから不思議だ。やはり私は、この世界のことを知っていた。
地を離れて感じる風は緑の匂いが濃く、心地よい。振り返れば、一本道をゆっくりと走ってくる馬車が見えた。
どこまでも、のどかな風景だ。けれど私は知っている。地は焼け、荒れた大地が剥き出しとなり、そこを魔が跋扈する。燃えるような赤に染まった空は、竜が支配する。人は堪え忍びながら、反撃の牙――魔術を研ぎ続けた。そしてお父様やお母様がこの世界を取り戻したのだろう。
何故だろう。何とも言えない感情が胸を満たして、じわりと視界が歪む。目尻に溜まったそれを指ですくい、宙に散らす。感傷になんて浸っている暇は、もう無い。これから学園で力をつけて、この世界を守れるようにならなければ。
「どうした?」
階段を降りるように馬車へと向かうと、お父様が尋ねてきた。そっと手が伸びてきて、私の目尻を――涙の跡を撫でた。
「いえ、目にゴミが入っただけですので、ご心配なく」
「そうか」
それからは交わす言葉もなく、馬車に揺られた。元より口数の少ないお父様だし、私も特に違和感を抱くこともない。居心地の悪さも無いし、リラックスをして、気づけばうたた寝をしていたぐらいであった。
「アリサ」
まどろむ世界に、色が戻る。意識の覚醒と同時に、そこそこの揺れが私を襲う。外の風景もいつしか灰色になっていた。
「これが城塞都市……」
石畳の道がずっと続いており、これが揺れの原因であった。道の左右を埋めるのは石畳と同じ色をした建造物が、ずらっと並んでいる。装飾などはなく、その機能を果たさんとする意志だけを静かに発していた。
窓から覗いていると、揺れでごつんと額をぶつけたけれど、痛みは気にならなかった。道の先に、少し異色で大きな建造物が見えてきたのだ。あれがセントレイリア学園だと私の直感が訴えかけてくる。
その奥には一際大きくそびえ立つ建造物もあった。都市の中心となる城だろう。別にそこには興味ないのだけれど。
やがて馬車は異色の建造物の前で止まる。扉が開き、先にお父様が降りたのを見て、私も追って降りた。喧噪が辺りを包んでおり、驚嘆で絶句する。よくよく考えれば、森を出てないため、これほど人が多いところに来るのは初めてだったのだ。
同じぐらいの背丈の少年少女がわいわいと騒いでいるのだけれど、私はそれに馴染めるのかなと疑問を抱きつつ、お父様の後ろについた。
皆、瞳を輝かせており、見ているこちらまで少し嬉しくなってくる。邪気の欠片も感じさせないその様子に、私も浄化されたような心地だ。
けれども、その喧噪も少しずつ止んでいく。道行く大人が、私たちを見つけると、ぎょっとしたように目を剥き、こどもを引っ張っていってしまうのだ。結果、お父様と私の前には、静かに道が出来上がった。そこを私たちは進むのだけれど、周囲の皆が息を呑むのが嫌でも分かった。
お父様も「やれやれ」と呟きながらも、慣れているのか、その道をずんずんと進んでしまう。私も視線から逃げるように小走りになった。
校舎に入り、しばらく進むと、お父様が振り返って私の肩に手を置いた。
「すまないが、学園長と話がある。入学式まで大人しくしていられるか?」
「はい、お父様」
けれど、と私は続ける。
「時間には戻りますので、それまで少し散策してもよろしいでしょうか?」
「……うむ、迷わないようにな」
「はい、気をつけます」
少し渋るような表情を見せつつも、私を待たすことに罪悪感があったのだろうか。結局は許しを得て、私は一人意気揚々と廊下を進んだ。
たぶん私一人でいれば、先ほどみたいに避けられることはないと思う。ならば、と喧噪に飛び込んだ。
皆、私と同じぐらいの年齢だ。男の子同士が追いかけっこしていたり、女の子同士が何故か喧嘩をしていたりと、思ってたよりも混沌とした状態に、入学式の行く先を憂う。
「おい!」
真後ろからの声に、思わず振り返る。銀髪の少年がこちらを睨みつけており、「はて、何かしたかしら?」とわざとらしく首を傾げてみせる。いや、だって何もしてないもの――少なくとも私は。
「何かお前、さっきはエラそうだったな」
「いえ、そんなこと無いですけれども」
「いーや、エラそうだった!」
ずいと寄ってこようとする少年に対し、同じだけ下がって距離を保つ。一生懸命踏み込んできて、距離を縮めようと躍起になる少年は少し可愛かった。
「お前とはしゃべるなって、とーちゃんが言ってたんだけど……逃げてばっかりで、さてはビビってるな?」
「ええ、とっても怖いですね」
「そうか、怖いか!」
よく分かってるな! とか言ってる少年を放置して、校舎へと向かう。入学式まで、まだ時間に余裕はあるけれど、早めに移動しておくべきだろう。
「お、おい、逃げるのか!」
「はーい、退散です」
「たいさんって何だよ!」
変に絡まれる前に逃げてしまおうと思っていたのだけれど、それは許されないらしい。後ろから追いかけてくる気配に、嘆息を否めない。実に可愛らしいなぁ。
「おい、待てよ、ベオヴォルブ!」
「……何ですの」
足を止めて待ってあげると、びしりと指さされる。
「俺はレイクリーフ家のレオンだ! お前なんか、すぐに越えてやる!」
「ああ」
なるほど、他の子と違い、敵意剥き出しなのは、この子がレイクリーフ家だからか、と納得する。
シオン・レイクリーフは、お父様やお母様と一緒に戦った内の一人だ。真っ当な騎士の家系で、お母様が『最強の剣聖』であったなら、シオンさんは『最優の騎士』と呼ばれた。その息子だろう。
「こら、レオン。女の子には優しくしなさいと言っているだろう?」
そんなレオンを宥めに入ったのは、銀髪の男だ。皺が少し深みを増しているけれど、間違いないシオンさんだ。
「シオンさん、お久しぶりです」
「……おや、君はアリサちゃんかい?」
私の首肯に、濃紺の瞳は優しげな色をきざす。レオンはどこか不服そうにそっぽを向いてしまった。
「本当に久しぶりだね、ルーデルは一緒ではないのかい?」
「はい、学園長と話があるそうでして」
「そうか」とシオンさんは苦笑する。
「君ぐらい、しっかりしていれば、一人でいても大丈夫だって信頼なんだろうが……」
その点、うちの子はまだまだ落ち着きが無くってね、とシオンさんはレオンを撫でた。レオンはその手を払って、一人でどこかへ行ってしまう。
「すまないね。レオンには言っておくから、気を悪くしないでおくれ」
「いえ、大丈夫です」
「それでは、また」
シオンさんは慌ててレオンの後を追っていった。追いついたシオンさんが手を差し出すと、それをレオンが握る。一瞬だけレオンがこちらを睨んできたけれど、そのまま人ごみの中に消えてゆく。そんな二人を見て、少しだけ羨ましくも思った。
そしてシオンさんがレオンに対し、私と喋るなと言っていたことを思い出して、地味に凹んだ。
しばらくして「待たせた」とお父様が戻ってきたのは、入学式の始まる直前だった。
「いえ……あ、はい、待ちました」
「うぐ、すまない、ちょっと色々とな」
だらだらと汗を流すお父様を少しだけからかってから、最後は勝手にその手を握った。
「入場は親子で揃って、とのことです。もう少しで私一人で入場するところだったんですよ?」
「そんなことは絶対にさせない。もしそうなるならば、俺は入学式を遅らせてやる」
いやいや、お父様。その本気具合は嬉しいのですけれど、本気を出す方向が完全に間違っております、とは言えなかった。
まもなくして入学式が始まった。お父様と並んで入場してから互いに新入生と保護者の席に分かれて座る。周りは落ち着きのない子たちでいっぱいだった。わいわいきゃいきゃいで済めばいいのだけれど、時折魔術が発動したのか、火花が散ったりしていた。
「げ」
「……ああ」
隣を見れば、何故かぎょっとした顔のレオン。先ほどまでの威勢は、どこに行ったのか私を見て顔を青白く染めていく。シオンさんに何か吹き込まれたのかもしれない。
結局、レオンも隣で大人しかったおかげで、私はうたた寝をしつつ、入学式を終えた。何だかありがたそうなお話は、ちょうどいい子守歌のようだ。レオンに何度か小突かれて起こされたけれど、結局退場までうつらうつらしているだけだった。
退場の時も、私の前を行くレオンは、びしりと背筋を伸ばしている。案外、真面目な子なのかもしれない。
「お前、寝てたな……」
退場し終えると、レオンは急に振り返り、非難の視線を向けてくる。
「ええ、午前中にちょっと身体を使ったものでして」
学園までの道中、エアーウォークで走り回っていたため、少し疲れた身体を休めるには、ちょうど良かった。今日は入学式を終えた後に、身体測定、そして魔力の適正検査と簡単なガイダンスがある。知恵知識はあるので、ガイダンスなどは軽く飛ばしてしまいたいのだけれど。
「やっぱり……お前は、とーちゃんの言ってたとおり『はてんこー』ってやつだな」
「シオンさんがそんなことを?」
「おう、だからしゃべったらダメ、真似したらダメだぞって」
そんな認識だったのかシオンさん。私はちょっと悲しい。
そりゃまぁ本来は卒業してから挑む予定だった森の守神であるグリズリーと立ち合いも済ませちゃってるし、少し進みすぎてるかなって自覚はあるけれど、「喋ったらダメ」は流石に酷いと思う。
いや、そこはもう親同士の事情があるんだろうけれど。主にお母様とシオンさんの関係が。
白兵戦において負け無し。竜ですら一撃で叩き落とすその撃力。白龍と笑いながら戦い続けた最強の剣聖であるアリエラ・ベオヴォルブ。
対し、剣術魔術すべてにおいて優秀。常々、全体のバランスを見て動き、細かな気配りをしながらも、戦線で結果を残したシオン・レイクリーフ。
その二人の喧嘩は本当に絶えなかったらしい。突っ込むお母様と、それを止めようとするシオンさん。私までそう言われるのは心外だけれど、お母様は本当に破天荒だったそうなのだ。
この証言は実に信憑性が高くて、何故ならお父様も「アリエラはヤバい」と何度か呟いていたところを見たことがあったからだ。シオンさんが何度か遊びにきていたこともあったから、互いに覚えていたのだけれど、お父様が泣きながら愚痴っているのを、シオンさんが宥めると言う不思議なシーンも何度か目にしたことがあった。何度も「アリサちゃんの育て方は間違ってはいけないよ」とシオンさんは力説していた。
――大丈夫ですよ、シオンさん。まだ私は大丈夫です。
今日からは学園の寮に住むことになるため、今度いつ会えるか分からないシオンさんに思いを馳せた。