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「はっ、ほっ、っと!」
エアーウォークで木の枝から枝へと渡り歩く。もう慣れた道を行くようなものだ。
ここ最近でエアーウォークや四大要素を司る火、水、風、土の基礎魔術も安定してきていた。
魔力を造形する。そのためには確固たるイメージ像が必要で、それの有無が魔術の成立を左右することは揺るがない事実であった。
そしてもう一つ重要なのが、コントロール。魔力の固まりを放出し、それをどこまでイメージに近づけられるか、だ。
簡単な基礎魔術は、この二つだけでほとんどが成立している。
ぶっちゃけると、このエアーウォークもかなり簡単に作っている。踏み固められた土の道をイメージし、それを魔力で造形しているだけだ。
だからかお父様に「お前のエアーウォークは土属性がまじっておるな」と言われたことがある。エアーウォークなのに、『風』ではなく『土』。それでクロード兄様にも、かなり笑われて、少しむかついた。
「……出来れば、それでいいじゃないですかっ」
階段を駆け下りるようにして、着地。いつも使っていた練習場より、少し離れたところまでやってきていた。
そう出来ればいい。
どの属性を使おうと、結果を導き出せればいい。
お父様も至って真面目な顔でそう言った。無駄は無いに越したことはないけれど、ほとんど同じ出力で結果も同じなら認められてしまう。
「……難しいなぁ」
ふと漏れたのは本音であった。木を斬り倒すだけでも、様々なアプローチ方法がある。その一つとして、ずっと試し続けてたのが、木の枝に魔力を纏わせて、刃と成すことだった。
「でも今は――」
からくりが分かってしまえば、そんな『無駄』をすることはない。そっと手のひらを木にはわす。刹那、木が斜めにズレて、ずしんと倒れてしまった。
イメージは空間を断つ。魔力で形成したのは、ただただ薄く研ぎ澄まされた一枚の仕切のようなものだ。それを静かに刺し込んだだけだ。
これが『断』の魔力――ベオヴォルブ家が得意とする力らしい。確かに使い勝手も良いし、そして魔力の無駄も少ない。また応用もしやすい。
「っと」
ふわりと跳んで空中で静止する。エアーウォークだ。ただ今は空間をそこで断つように小さな仕切を用意し、そこを足場にしているだけだ。空中に仕切を幾つも作り、それを踏んで駆け上っていく。無駄な属性を省いたことで効率が上がり、かなりの距離を走れるようになったのだ。
クロード兄様の言ったとおり、確かにイメージするものが違った。今までは木の枝に鋭さ、強固さを与えるイメージで魔力を構築していたけれど、それは結局のところ物理的な剣を振り回しているのと大差無かったのだ。
各々住む空間を分かつ仕切を作ってやれば、その空間に従って分断される――これが『断』の魔力のイメージなのだろう。
そして脅威が差し迫った時、私とその脅威を断絶させれば、最強の盾にすらなりうるのではないか――それをクロード兄様に尋ねてみたところ、「やっと分かったか」と乱暴に頭を撫でられた。
上空から斬り倒した木の表面を眺めた。切り口はとても滑らかで、その出来に少し満足しながら、地面に降り立つ。
それと同時に、かさりと草が揺れる。森には小動物もいるため、それほど不思議なことでは無かった。ただ、その音がどんどん近づいてくる。何事だと身構えた時には少し遅く、茂みから何かが飛び出してきた。
我ながら刹那の判断は最善だったと言えるだろう。空間を断ち、茂みから突進してくる何かを遮ることに成功した。
「っ……ん?」
ぼふんと見えない壁にぶつかって、転がってゆく黒い塊に、思わず警戒が緩む。しばらくごろごろと転がってから止まったそれは、私に視線を向ける。
もふもふの毛、つぶらな瞳、ぴょこりと動く両耳、そこそこ大きな体躯だけれど、あまりにも愛らしい姿に、警戒心を削がれてしまった。
「クマ?」
くぉんと寂しそうな鳴き声で、境界線のあたりを行き来する。私と同じぐらいの大きさとは言え、まだコグマなのだろう。
同じぐらい――とは言え、私が二足で立っているのに対し、この子は四足歩行で私と同じぐらいだ。二足で立たれると、流石に身長差が出て怖い。だから警戒を緩めてはいても、やはり一線を越えられないように境界線は未だ保っていた。
でも、すごいもふもふ感溢れる外見に、私の心が揺れに揺れていた。いや、ダメでしょと自らに言い聞かせる。普通に考えて、あまりにも危険すぎた。向こうはジャレてるつもりで、こちらは致命傷とかありえるし。
すんすんと鼻を鳴らし、首を傾げるコグマ。悲しそうに潤んだ瞳で、こちらを見つめてくる。
以前から試してたアレをやってみようか。それは単純な思いつきだったけれど、使い方としては間違ってはいない、と思う。慣れて、すぐ出来るようになってしまった『断』の魔力、魔術とは違って、なかなか成功はしないけれど。
「……ふぅ」
魔力を練り、それを全身を覆うように流す。肌を覆う魔力に細胞が活性化しているようで、じわりと熱を帯びた。
それと同時に私とコグマを遮っていた『断』の魔術を解く。すると不思議そうに首を傾げつつも、コグマがゆっくりと近寄ってきた。
私とコグマの顔が接近する。心臓はうるさいほどに早鐘を打っている。自らの身体を守るように魔力を練って覆ってはいるけれど、『断』の魔術ほど強力な防衛力は無いからだ。噛みつかれれば魔力を貫通して、私の身に届くかもしれないし、まだ豪腕で薙ぎ払われれば、私の身体はすっ飛んでしまう。
だから脅かさないように、私は自ら動くことをやめた。じっと待ちに徹し、コグマが大きく動こうとしたタイミングで、少しでも逃げられるよう身構えていた。
私の首筋あたりから胸へと、そして足元まで鼻をすんすん鳴らしつつも、コグマは何度も首を傾げていた。
やがて、ゆっくりと腕を振り上げるコグマ。そのままの速度を保ち、私の頭へと振れる。ぽふぽふとまるで赤子を宥めるように、何度も何度もぽふぽふされた。スゴくぽふぽふされた。
もう、いいでしょ。私もそろりと手を伸ばし、もふもふ――もといコグマに触れる。頭を撫でてやると、コグマも気持ちよさそうに目を細めた。
――あ、これはいけるやつだ。
私は両腕を伸ばし、一気にコグマに抱きつく。するとコグマは驚いたのか、私に抱きつかれたまま後ろにひっくり返ってしまった。ただ私に害意が無いことを知ると、そのままごろごろと転がって戯れるのであった。
「スゴい……もふもふです」
温かく、そして柔らかい毛を堪能しつつも、やはり野生のちょっとした臭さもある。それを我慢してもいいと思えるぐらいに、柔らかく心地良かった。
しばしもふもふを堪能した後に、私はやっとコグマを解放するも、今度はコグマが私を解放してくれなくなっていた。離れようとすると、悲しそうに鳴いて、後ろからついてくるのだ。
「お母さんはいないの?」
尋ねても、その言葉が通じるはずがない。コグマは不思議そうに首を傾げるだけだ。
困ったな。このまま置き去りにするのも良心が痛むし、だからと言って連れて帰るわけにはいかない。となると、この子の家族を探すしかない。
「こら、やめないか」
後ろからのし掛かってくるコグマを上手くいなす。コグマはころころと転がって、立ち上がった私を不思議そうに見つめた。
「お前の家族を探そう」
コグマに手を差し伸べると、すり寄ってきて、すんすんと鼻を鳴らした。
「お前はどこから来たんだ?」
返事は期待していない。静かな森の中を並んで歩きながら、何となく尋ねてみただけだ。私の左手にずっと鼻を寄せながら、時折か細く鳴いていた。
「お前は……自分の家族について考えたことあるか?」
無意識にコグマの頭を撫でながら自然と呟いていた。
私は生まれた瞬間を知っているし覚えている。その当時から意識がはっきりしていたからだ。そして、それが普通でないことも同時に知っていた。
それ故に立った仮説は転生、もしくは異世界への転移だ。何らかの原因で記憶だけを失い、知恵知識だけを引き継いだのだろう。
だとすれば、転生前の家族は? 転移する前の世界での家族は?
あるか無いか、まったく分からないものに思いを馳せては、少し、ほんの少しだけ心が沈む。何度も「お前は――」と尋ねたけれど、私自身は一体何なのだろう。
そんな私を慰めるように、コグマが左手を甘噛みしてくる。涎でべちょべちょになってしまったけれど、少しだけ沈んだ心が浮上した。
刹那かさりと目の前の草むらが揺れる。あまりにも思考に没頭しすぎていたためか、びくりと身体が跳ね上がるほどに驚いてしまった。
ただただ目を凝らす。草むらから何が出てくるのか。警戒しながら一歩下がろうとするけるけれど、それをコグマが邪魔する。
「おい、こら、下がれ」
ぐいぐいと鼻先で私を押そうとするコグマ。力では勝てず、私の身体はかさかさと動き続ける草むらに近づいてしまう。
「こ、こ――おわぁっ!」
がさりと草むらが現れた巨躯が飛びかかってくる。心の準備ができていたおかげで、何とか『断』の魔術が間に合い、透明の障壁を生み出すことに成功した。
――けれど。
「おぶっ!」
顔を叩く衝撃に刹那思考が止まるけれど、身体はほぼ反射で動いていた。後ろへと跳び、更に空中でもう一度魔力を蹴り飛ばし、大きく距離を取る。着地間際には思考を何とか整えて、今一度障壁を張り直す――追撃に備えてだ。
だけど、追撃は来なかった。代わりに巨躯が吼える。障壁を越えて、恐怖が背筋を這い回る。これはヤバい。目の前の存在は、一瞬で私に逃走を選択させるほどに圧倒的であった。
「……これ、まさかと思うけれど、お前のお母さんか?」
くぅんと今にも泣きだしそうな声。その意味を私は理解できないけれど、どう見たって親子だ。
「お前も成長したら、これぐらい大きくなるのかな?」
二足で立つそれは、私の倍――いや、それ以上の高さがあるだろう。その高さから放たれる眼光は圧倒的な敵意、殺意を秘めている。身体には幾筋もの傷が残っており、それが歴戦の猛者であることを示しているようで、余計に危険な香りを感じさせた。
「……ごめん。お前の母さん、少し痛めつけるよ」
もし本当にこの子の親だとしたら、私には殺せない。『断』の魔力でぶった斬れば、一番安全かつ楽に済ませることができるだろう。
でも、それはそれでリスクがある。これほど緊迫した状態で、『断』の魔術を研ぎ澄まさなければならない。実戦で使えるほど、熟練しているかと問われれば、疑問を抱かざるをえない。
ならば、と私は切り替える。
四大要素の力。その中の火、そして土の力を混ぜ込み、右手に集約させる。それを地面に叩き込んだ。砂に染み込む雨のように、魔力が地に沈む。やがて魔力が意志を持って走り抜け、大熊の足下で爆ぜる。
盛り上がる土は拳を象る。それは熱をも帯びて、必殺の一撃と化す。熱の鉄拳――マグマパンチが大熊の頭部を完全に捉えた。
「っ……手応え、ありすぎでしょ!」
まるで岩を素手で殴ったかのような感覚が、地面より腕に伝わり、痺れる。
ダメだ、逃げなきゃ。その一撃で力量の差を、嫌と言うほど見せつけられてしまった。まだ目眩まし程度に残っている巨大な拳が、完全に崩れてしまう前にエアーウォークで木の上まで駆け上がる。
「ごめん、私は逃げる!」
コグマを放っていくのは流石に辛いけれど、今は気を遣っている余裕がなかった。下手をすれば、私が死んでしまう。むしろ今生きているのも、割と幸運な方だろう。
次の木へ――飛び移ろうとした瞬間、大きく足場が揺れる。何事かと言うまでもない、巨躯が木に体当たりをして、木は致断末魔を上げている。
「うっそでしょお!」
体当たり一撃で折れて倒れようとする木から、何とか別の木へと飛び移るも、視界の端で素早く動く巨影に戦慄が背筋を駆け抜ける。
「逃がしてくれる気無さそう、ねっ!」
次の体当たりが来るまでに、更に飛び移ってゆく。その合間に簡単に作れる水弾を放ってみるけれど、大熊はまったく意に介さずつっこんでくる。マグマパンチを顔面で受けきるタフネスなのだから、当然と言えば当然なのだけれど。
これならやらない方がマシだと切り替えて、次の策へと移る。水の防護魔術、プロテクトジェルをその身にまとう。水の魔力が緩衝材の役割を果たし、ダメージを軽減してくれるのだけれど、これは保険だ。まずは当たらない立ち回りをしなければ、私は絶対に死ぬだろう。
じわりと滲み出した汗が、こめかみから頬へと伝う。息も浅くなり、胸が痛む。必死に思考を回しつつ退路を探すけれど、からからと無駄に回ってばかりだった。
「――っあ?」
ぐにゃりと沈む足場。次の木へと飛び移っている最中、空中で踏んだ一歩が不安な感触を残す。身体は思ったより跳ばず、手を伸ばしても枝に掠りすらしない。
落ちる身体。魔力の出力が不安定になってたんだなぁと、血の気が引いて多少冷静になった頭が答えを出す。
視界の端には猪突猛進してくる大熊の姿。片腕を振りかぶると同時に、必殺の間合いへと強く踏み込んでくる。
プロテクトジェルはある。それでも私は、この一撃を耐え凌ぐことができるだろうか? もし耐え凌いだところで、再び逃走を続けることができるだろうか?
――無理だ。
木漏れ日で鈍く輝く凶爪。それが殺意を持って、私に緩やかに迫ってきた。
まだ間に合う。少し冷えた思考が丁寧かつ早急に魔力をかき集める。
脅威から私を断絶せよ――『断』の魔術による障壁を展開しつつ、更なる魔術を行使する。
「エア――ハンマっ!」
詠唱とほぼ同時に凶爪が、私を叩く。まずは障壁が爪を受け止めてくれた。ただ、それも長くは持たない。大熊の一撃は、障壁を押し切るのに十二分な力を持っていた。
だから私はエアーハンマーを唱えた。風の魔術。空気を圧縮し、それを叩きつける初級の魔術――
「――ぐえっ」
振り抜かれた豪腕に、私の身体が吹き飛ぶ。木々の合間を吹っ飛び、そして地面を転がり、身体を守っていたジェルがどんどんと削れていく。特にジェルの削れ方が激しい四肢は、何かにぶつけて痛みが走る。
しばらくして木の幹にぶつかって、ようやく止まった身体。その頃にはジェルも完全に消えており、衝撃が直に伝わった。背中を強く打ち、息が詰まる。視界も明滅し、このまましばらく動きたくない気分だったけれど、そうはいかない。
「っおぇ……ぐぅ」
軽い目眩と吐き気を堪えつつも、立ち上がった。足に震えはない。吹き飛んで転がりすぎた結果、少し気持ち悪くなっているのだろう。
ジェルをまとっているところに、自らでエアーハンマーを叩き込み、わざと吹き飛んだのだ。大熊は障壁を叩いた時の感触で、私を仕留めたと勘違いしていれば最高の結果だ。随分と吹き飛んできたため、大熊の姿は小さい。けれど――
「……来てる!」
四足で全力疾走する大熊の姿に、戦慄を隠せなかった。流石は野生なのか。確実に仕留めるまで、油断は無いのかもしれない。
「厄介だなぁ、もうっ!」
何とか致命の一撃を避けたとは言え、自身に放ったエアーハンマーのダメージは否めない。先ほどと同じような逃走を続けることは難しいだろう。
「やるしか、ないんですかねぇ」
突進してくる大熊に向けて、障壁を展開する。一つでは足りない。二つでも、三つでもまだ。四つ、五つ、それに加えて土の魔術を最大出力でぶつける準備を整える。
障壁が二つほぼ同時に押し切られてしまう。そして三つ目も同じ結果を辿り、四つ目で明らかに速度が鈍る。そして五つ目を前にして、大熊が止まった。その場で大きく腕を振りかぶる。
それと同時に私も両腕で地面を叩く。練った魔力を両腕から勢いよく流し込み、魔術を成す。先ほどのマグマパンチと違って、純粋なる土の魔術。巨大な拳が、容赦なく大熊へと叩き込まれる。それも一発では済まさない。地面から生まれる腕は二本どころか、三本四本と次々と湧き出した。
――仕留めるっ!
連続で叩き込まれる拳。連打の拳は、地形を変える勢いで放たれる。木をへし折り、土を抉る。それでも時折恐ろしいほど力で、拳を叩き潰される。今もなお増え続ける腕を、大熊は迎え撃っていると言うのだろうか? めちゃめちゃだ。勝てる気がしない。
それでも止めてしまえば、その瞬間が私の死だ。魔力の持つ限り、この連打を止ませるわけにはいかなかった。連打は既に十を超えているけれど、まだ打てる。いや、打たなければならない。
けれど、嫌でも感じてしまう。この乱打を打ち返し、あろうことか力強く前進までしてくる存在感に今すぐ逃げ出したくなった。
「――っあ」
弱気になった刹那、魔力が乱れて形成されるはずだった拳が崩れて土に戻る。その崩れ落ちる土の向こうから眼光で射抜かれた。今度こそヤバい。
振りかぶられる絶対の一撃。それは、もはや降りてくるだけのギロチンを待つ処刑人のようだ。――ああ、死にたくない。
悲鳴も涙も出ないけれど、ただそれだけだった。まだ死にたくなかった。やりたいことがたくさん、たくさんあった。
それでも迫る凶爪は確実に私の命を奪うだろう。こんなことなら、もっとモフっとけばよかったなんて後悔も――