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英雄の妹  作者: 甘味そると
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 たましいの存在を信じるか。

 もしくは異世界の存在を信じるか。

 はたまた両方か。

 私には分からない。何故なら、その記憶が無いからだ――当然のことなのだけれど、少し、いや、かなりと言うべきか、私の場合は特殊なのだろう。

 私が何だったのかは分からないけれども、生きるための知識だけは生まれた刹那からあった。

 眩しい光の中、ぼやける輪郭。力の入らない四肢。思考は数秒で泥沼に浸かったかのようになり、気だるさを主張する。知恵知識に対し、脳の処理が追いつかなかったのだろうと今なら分かる。

「泣かない子だった」

「まるで、こちらの言っていることを理解しているようだ」

「天才に違いない」

 そんな結論に至った両親だったのだけれど、天才かどうかはさておき、私は何故か知っていた。私が生まれたのだと知っていた。

 だからと言うべきか、身体を自由に動かせるようになるまでは、そこそこの苦痛を味わった。自由に動けず、意志の伝達もなかなかできず、退屈であるために、過ぎる時間は余計に遅く感じた。

 でも、それが異端であることを私は知っていた。だからお父様やお母様に、私のこの知恵知識のことについて尋ねることは、今でも怖くてできない。

――あなたは一体何者?

 金髪碧眼、ほんのり赤くふっくらした頬の少女に問い続ける。

――あなたは異常者?

 眉を顰める少女。頭の回転が急に鈍った。泥沼の中に足を突っ込んでしまい、そこでもがくかのように、更に質問を重ねようとする。

――あなたは……。

 ふわりと柔らかな髪を片手で握りしめた。刹那頭皮に走る痛みで、無理矢理現実へと戻る。

「……っ!」

 ばっと目を背けて、詰まった息を吐く。

 このまま鏡に向かって自問を続けていたら、何かが壊れてしまいそうな気がした。

「私は――」

 何なのだろうか。その疑問を忘れられた日など無い――と言えば過言かもしれない。

 優しいお母様と素敵なお父様。

 今は留守だけれど、自慢の長兄――ラインハルト。

 文句を漏らしながらも私の面倒をよく見てくれる次兄――クロード。

 そしてまだ生まれて間もない弟――ハル。

 私は甘んじていたのかもしれない。私は幸せであることを理由に、深く考えなくなっていた。

「アリサ、そんなところで何してるんだ?」

「いえ、何でもありませんよ、クロード兄様」

 鏡から離れて、後ろで怪訝そうに首を傾げるクロード兄様に応じる。

「眉毛ハの字だったが、どうかしたのか?」

「あら、そんなしょぼくれた顔してました、私?」

「しょぼ……?」

「あ、いえ、そんな悲しそうな顔してたのかなぁって」

 ふと口をついて出る言葉だったのだけれど、その意味が通じないことも、しばしばあった。無視できない違和感が、じくりと胸を突く。

「悲しそうって言うよりも、何だか不機嫌そうだったな」

「不機嫌、ですか」

「ああ、どうかしたのか?」

 心配そうに見つめてくるクロード兄様に、微笑みながら応じる。

「いえ、私は元気ですよ」

「そうか、ならいい」

 わしわしと私の頭を乱暴に撫でて、兄様は去ってゆく。刹那ながら、その瞳に冷ややかな光が宿ったのを、私は見逃すことができなかった。

 その感情が何なのか分かってしまう。それが余計に辛い。普段は幸せな私の家族なのだけれど、私と言う異物のせいで、時折不協和音を発してしまうのだ。

――けれども。

 私はめげない。広い廊下を一人で進み、やがて大きな扉の前に立つ。少し重いそれを全身で押し開くと、ふわりと首筋を撫でる冷気と濃厚な緑の香りが鼻腔をくすぐる。

「――っくしっ!」

 思わずくしゃみをしながらも、私は表に出た。何度も踏まれて出来た土の道をゆっくりと進む。

 左右は木々が立ち並び、上を見上げれば青々と茂った葉の合間から木漏れ日が降り注ぐ。家を一歩出れば、そこはすぐに『森』であった。

 肺を一杯に満たす新鮮な空気を堪能しつつも、どんどん進む。やがて木々に覆われて、出発した屋敷も見えなくなってしまったけれど、この土の道を辿れば、すぐに着く。

――多少迷うぐらいのところの方が『バレ』ません、よね。

 今年で五才になる私はイタズラっ子最盛期――と言うわけでなく、ただ異端であることを、ひたすら隠しつつも、既にある知恵知識のせいで、様々なことを試さずにはいられなかった。

 若いと言うことは、それだけで財産なのだろう。日に日に伸びてゆく自身の『力』は、私に素直な喜びを与えてくれた。

 ふぅと深呼吸。身体を巡る『魔力』をコントロールする。身体の中枢から腕へ、そして指先から空間へと放ち、そこで凝固を命じる。見えない力が目の前で揺らめいた。

「ふっ!」

 一息で跳び、空間に足をかける。空中――何も無い空間を蹴り、私の身体は更に上へと駆けてゆく。二歩、更に空間を蹴り、空を覆う青葉へと肉薄するところで、木の枝に手を伸ばす。更に三歩、だめ押しの一発で伸ばした手が枝にかかった。軽い身体のおかげで、枝は多少しなった程度で折れることはなかった。

「うむ」と満足げに頷きつつ、更に空間を蹴って身体を枝の上へと押しやる。そこにすとんと腰を下ろして、私が先ほどまでいた地面を見つめる。

「エアーウォークは慣れてきた、かしら」

 クロード兄様の持つ教科書から、こっそり仕入れた魔術を練習して、ちょっとした満足感を得ていたのだ。

 とは言え、五つ年上のクロードは既にマスターしている魔術であり、それほど難易度も高くはない。ただエアーウォークを継続して、どれほど進めるかは、その者の熟練度が問われる。基礎的な魔力がそもそも要るし、一定の魔力を放出しつつ固定化、それを安定して繰り返す必要があるからだ。

 日に日に基礎魔力は増えている。それは身に溢れる力が証拠だ。

 ただ、そのせいで一度に放出できる魔力の量も増えた。つまり成長過程で、安定した魔力の放出ができないことが、今の私の不安定さに繋がっていた。

 それでも地上二メートルぐらいまでなら、軽く跳べるようになった。

 ちなみにクロード兄様は空中で一時間以上は留まっていることができるし、更にラインハルト兄様に至っては、エアーウォークで海をも越えることができるとか何とか……流石にラインハルト兄様のは、少し嘘っぽいけれど。

 本来は学校を卒業――十八才から所属することができる国営騎士団に、十五才で異例の大抜擢されたラインハルト兄様の逸話は、この程度では済まないし、とてもとても長くなってしまう。

 正直この知恵知識をもってしても勝てる気がしないし、そもそもクロード兄様にだって追いつけていない。

 それでも巨大すぎる兄を持つクロード兄様の苦労も分かる、分かってしまう。だから、私がもっと甘えて『頼りがいのある兄様』にしてあげるべきなのだろうと分かっていても、そのあたりが上手にできない。知恵知識があっても、それを上手に活用しきれていなかった。

「……むぅ、やめた」

 思考の放棄を口ずさみ、木の枝から飛び降りる。途中で足場を作り、ステップを踏みながら落下速度を緩和しつつ、着地した。

 降りる間際に折っておいた細い木の枝を、やんわり握る。

「結局のところ、これはただイメージしやすくするための物でしかない。これが剣であろうと、起こす結果は同じ物になる――いや、そうならないとダメなんだ」

 クロード兄様の言葉を思い返し、私は構える。腰を落とし、上半身はリラックス。足の指で地面を掴み具合を確かめ、静止する。

 クロード兄様は枝一本で、普通なら剣ですら通さないような太い幹を一太刀で断った。

 私にも出来るだろうか。

 とは言え、私の目の前にあるのは、クロード兄様が斬り倒したほど太い木ではない。それでも私は、この木を一太刀で斬り倒すことはできていない。挑戦の回数も三桁を軽く超えていた。

 中程まで刃が通ったのが、幾度か。まだまだ、その程度だ。

 今日こそは――大きく息を吸い込み、限界のところで息を止める。

「――しっ!」

 枝に乗せた魔力を放つも、不安定な出力のせいか、木の表面を多少強く叩いただけであった。じんと腕に反動が走り、振り抜けなかった力は身体を捩り、「ぐぇっ」と腹の底から変な声が漏れた。

「……ダメだ」

 何故だろう。不安定な出力のせいで、魔力が研ぎ澄まされてないのは分かるけれど、やはりそれが一番の原因なのだろうか。

 もう一度と構えて、今度はより慎重に魔力を放つ。ぴしっと小さな傷が表皮に走った。結果とイメージは近くなってきているのだけれど、如何せん出力が足りない。これではまるで表皮を刃で撫でている程度だ。

 その後も何度も何度も繰り返してはみるが、斬り倒すどころか、中程まで届くこともなかった。表皮をがりがりと削るばかりで、なかなか上手くいかない。

 中程まで届いた時のイメージを反芻してみても、何が良かったのかが分からないせいで、再現にすら至らない。

「……ぜんっぜんダメっ!」

「何をそんなに焦っているんだ?」

「うわひゃあ!」

 唐突に降りかかった声に、思わず変な声が出てしまった。一心不乱に枝を振るっていたせいか、まったく気づかなかった。静かに私を見下ろすクロード兄様の姿に。

「ったく……一体何本の木をズタボロにすれば気が済むんだ?」

 足下に散らばる細い木の枝と、周囲の表皮が削られた木々を見渡して、呆れたように言う。

「前にも言っただろう? 肝心なのはイメージだって」

「それが出来なくて、この有様なのですよ」

「そうだな。俺もそもそもアリサが理解できると思って言ってないしな」

「む、むぅ」

「それが普通なんだよ。ってか今のお前で、かなり普通じゃないしな」

 近くに落ちている木の枝――それは私が何度も振るって、ついには折れてしまった物で、かなり短い。イメージとしてはダガーだろうか。

「これでも斬り倒すことができるし、極端な話をすると、何も持たなくてもできるんだよ」

「……分かりません」

「そりゃそうだろうな」

 理解されちゃあ困る、とクロード兄様は苦笑する。

「俺がお前ぐらいの時は、まだエアーウォークも満足にできなかったからな。なかなかイメージが湧かずに、空中で一歩蹴るのが精一杯だった」

「でも兄様方は――」

「そもそもエアーウォークは入学してから習得するもんだぜ? 俺らが出来るからって、そんなに焦って練習する必要も無いだ――ろッ!」

 一閃。クロード兄様の放った一撃が木を斜めに一刀し、木がずしんと倒れてゆく。

「多分だが、お前が躓いているところは、大体分かる」

 俺もそうだった、と兄様は遠くを見つめながら続ける。

「イメージが大事と俺も教え込まれたからな。だから、お前にも肝心なのはイメージだって最初は教えたんだ」

「……その言い方ですと、何か間違ったことを教えられていたように聞こえるのですけれども?」

「間違っちゃいないさ。それが全ての魔術に通ずる基本だからな。学校でも、しっかり教えてくれるから安心しとけ」

「兄様っ!」

「……分かった分かった。教えてやるから、そう怒るなよ」

 思わず出てしまった私の声に、クロード兄様は苦笑を滲ませた。

「それなら教えてやる代わりに答えてくれよ。何を焦っているんだ、お前は?」

「私は、はぐらかされるような兄様の言い回しが、少し嫌だっただけです」

「それは、すまなかったな。でも、それは俺の欲してた答えではない。お前こそはぐらかすなよ」

 すうと冷たいものが背筋に走る。そう感じるぐらいに、クロード兄様の視線は鋭かった。言葉を失い、さまよう視線はやがて地面へと落ちる。

「私は……焦っているのでしょうか?」

「俺から見れば、そう思うけどな。何を焦って、木を斬り倒そうとしてんだ? 何故そうも力を求める?」

「力を求める、ですか。ああ、でも何かを出来るようになることは楽しいですけれども」

「そうだな、出来るようになると楽しいが、お前は年の割に少し忍耐強すぎる。もう、これを三ヶ月ぐらいはやってるだろ?」

「そうですね、私そんなに忍耐強いですか?」

「少なくとも俺よりはな」

 少し不貞腐れたようにクロード兄様は視線を逸らした。

「三日振って、出来なかったらやめてた」

「ぷっ、それはちょっと早すぎません?」

「うるせえよ!」

 思わず吹き出すと、クロード兄様も吼えた。

「そもそもイメージするものが全く違ったんだよ! そのあたり兄貴は『アレ』だから、教えてくれる内容も抽象的すぎて分からねえしな!」

「ぷふっ! ラインハルト兄様は……確かにスゴいですもんねぇ」

 真面目に力説するラインハルト兄様が脳裏を過ぎる。

「まずは構えるだろう? こんな感じだ、そうそんな感じ。そして次にこうするんだ。すると、こうなるだろう……何、ならないだと? 私の場合は、これでいけるんだが」

 その昔、ラインハルト兄様がクロード兄様に教えていたシーンを思い出してしまい、私は崩れ落ちる。

「ぶふっ! ダメだっ……ラインハルト兄様はっ」

「お、お前笑いすぎだろ……当事者だった俺は、まったく笑えなかったんだぜ」

「ご、ごめんなさい……でも……ぷっ!」

 クロード兄様から向けられる非難の視線があっても、ひとしきり笑ってしまうまで落ち着かなかった。

 ラインハルト兄様はスゴい。確かにスゴいのだけれど、全てを感覚でこなしてしまうため、何かを教えると言うことには、まったく向いていなかった。

「ふぅ……で、イメージするものが違うっておっしゃいましたね、兄様」

「……チッ、そういうところは聞き逃してないんだな、可愛くないぜ」

 態度を改めて問いかけると、うんざりといった様子のクロード兄様。ヒントを与えるつもりではなく、思わず漏れてしまったのだろう。クロード兄様は、割とうっかり者なのだ。

「まぁここまで言ったら、『賢い』お前のことだ、もう分かるだろ?」

「いえ、分かりませんね」

 だから教えてください、とクロード兄様に詰め寄ろうとするも、同じだけ後ずさられて距離を保たれる。

「俺だって苦労に苦労を重ねて、習得したんだ」

「ぷっ、三日でやめたっておっしゃってたのに」

「その後は頑張ったんだよ、三日坊主を何度も続けてな」

 そんな俺から一つだけ忠告だ、とクロード兄様は真顔になった。

「あまり森を傷つけすぎるなよ。魔力が豊潤ですぐに再生してくれるが、それでもやりすぎると、森に叱られるぜ?」

「森に、叱られる?」

 ああ、そうだ――クロード兄様は真面目に続ける。

「この森で生きているのは俺たちだけじゃない、ってことだ」

「……あ」

 傷ついた木々、何本も折った枝が散乱している周囲を見渡す。静寂に包まれれば、遠くで鳥が鳴いているのも分かった。

「そう、ですね」

「そういうこっただ、だから焦るな」

 それだけだ、とクロード兄様は去っていった。

 と言うか、一人でこっそり練習していたつもりだったのだけれど、先ほどの兄様の言い方から察するに、随分と前から気づかれていたようだ。

「まだまだだなぁ……あっ」

 何気なく漏れた一言で、もしかすると少し焦っていたのかもしれないと気づく。

 制御しきれていない力。まだまだ溢れんばかりに身体から漲ってくるけれど、今日はここまでにしよう。握っていた木の枝を手放し、私も帰路についた。

 少し、少しだけクロード兄様の言いたかったことが分かった気がした。

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