:008
:008
「……そんな顔してたら、戻らなくなるぞ、お前ら」
静かに、そして薄氷を踏むような面持ちで、お父様は言う。
動きを見せたら死ぬと言わんばかりに、目だけで周囲を警戒しつつ、何とか場の修復を試みているけれど、先ほどから改善の兆しは見えなかった。
とかく言う私も仏頂面になっていた。二回戦で早々に敗退して、今は観客席で次の試合を待っている。
実力差がありすぎた。魔術の構造が甘く、威力においては話にならず。受けとして断の障壁が成り立たなかった。一枚で受けきれず、多重展開で応戦することとなる。
またベースとなる魔力の保有量も、やはり圧倒的に足りていなかった。多重展開を連発して、無理したのもあるのだろうけれど、守りきるのが精一杯で最後は、攻め手に回す魔力すら残っておらず、降参を余儀なくされた。
「そりゃ当然だろ」とクロード兄様は言うけれど、それでも悔しいものは悔しい。だって相手の上級生は本気すら出していなかったのだから。
そして私は観客席でお母様、お父様と合流したのであった。ちなみにラインハルト兄様は郊外の視察に赴いている。竜の襲撃事件などの真相解明が目的らしい。
だから、ここにいるのは私、お父様、お母様。そしてシオンさんとその奥様シロナさん、レオンと言う凄まじい面々であった。
レオンと私は一番端っこ同士で、距離が離れているため、気まずいことにはならなかったけれど、それよりもシオンさんとアリエラお母様の距離がヤバイ。互いに睨み合い、ピリピリと張り詰めた空気が漂う。そして私とレオンを庇うようにルーデルお父様とシロナさんが割って入っていた。
「ぬるいわ」
試合を見つめながら、厳しい眼差しとコメントを残すお母様。遠距離から魔術で攻撃し続ける相手に対し、剣を構えつつ逃げに徹する青年を見やりながら、続けて言う。
「あの程度の密度なら、魔術ごとぶった切ってしまえばいいのよ」
「君は相変わらず脳みそまで筋肉だね」
「騎士のクセに前衛でまともに斬り合えない貴方がよく言えるわね」
「デタラメばっかりする君の尻拭いに奔走させられていたからね……なぁルーデル?」
唐突に話を振られて、びくりと跳ね上がるお父様。爽やかな笑みを浮かべつつも、目が笑っていないシオンさんと、真顔のお母様の視線に耐えかねて、肩を竦めることしかできていない。
「……お父様」
裾を少し引くと、お父様が私に優しげな眼差しを向ける。その額には汗が浮かんでおり、不憫この上ない。何とかこの場を逃げ出せないものかと、私は思いついたことを口にしてみる。
「少しお腹が空きました」
「……そうか」
それだけで意図を察したのか、お父様は私の手を引き、立ち上がる。
未だぎゃあぎゃあと騒いでいるお母様とシオンさんを残して、私たちは観客席を離れた。
「気を遣わせたな、すまない」
そしてありがとう――席を離れた途端、涙目になったお父様が私に言う。
「時々アリエラよりアリサの方が大人に見えるな」
「そ、そんなことは無いですよ」
そんなことを言われても、苦笑で応じる他なかった。大人かどうかはさておき、私の中には生まれたときから既に『私』が存在する。その何とも言えない不思議な感覚のせいだろう。本来は勝って喜び飛び回り、負けて泣きじゃくる――そんなレオンの反応が正しいのだと思う。
とは言え、先ほどばかりは、レオンも小さくなってシロナさんに抱きつきながら震えていたけれど。
「……そろそろ戻らねばな」
飲み物を買って、しばらく休息をとっていたところ、会場の方角から響き渡ってくる歓声。先ほどの試合が終わったのだろう。どちらが勝ったのか、少し気になった。
私の手を引くお父様は意を決した表情――まるで戦場に戻る男だった。今日の一日でお父様の胃に穴が開かないことを祈ろう。
「次はクランの予選……クロードの番だ」
個人戦の予選、その最終組が先ほどの試合だったのだ。クラン戦、クロード兄様の試合が始まるとなると、私たちも戻らずにはいられなかった。
「ほらね、私の言ったとおりになったでしょ?」
席に戻ると、ふふんと得意げに鼻をならすお母様と無表情のシオンさん。その奥で苦笑するシロナさんと泣いているレオンの姿があった。
「あの子は剣のセンスあるわ。磨けば光るわよ」
「君に磨かれれば、磨耗して消滅してしまうだろうね」
「大丈夫よ、ちゃんと手加減するわ」
「そう言って、僕を殺しかけたアレは忘れてないからな」
「あら、あの程度で死んじゃいそうになる貴方が弱いんでしょ?」
「よろしい、ならば戦争だ」
「ええ、クラン戦前の余興として、喜んでいただけるんじゃないかしら?」
席を立ち、睨み合うお母様とシオンさん。何と言うか大人気ないとかではなく、本当に相性が悪いんだろう。そしてお父様とシロナさんが慌てて宥めていた。
「シオンもアリエラもいい加減になさい、そろそろ次の試合が始まる」
お父様が必死にお母様を座らせ、視線でシオンさんにも訴えかける。シオンさんもお父様の言葉は無視できないのか、渋い表情のままだったけれど腰を下ろした。
それと同時にざわめく場内。クラン戦の一回戦の面々が会場の中央に集まった。ただ並んでいる人数が明らかに偏っていた。
クラン戦は五人までメンバーを登録できる。だから、大体のクランがと言うより、よっぽどの事情が無い限りは、最大五人の枠をギリギリまで使い切る。一方は五人しっかりと揃っている。対し、その相手側が問題であった。
「兄様……?」
会場の中央に腕を組んだまま、五人を静かに眺めているクロード兄様。その隣には誰一人存在しない。たった一人で五人の前に立っていた。
その表情には焦りも不安も、まったく無い。くんでいた腕を解くと、ゆっくりと背伸びをしていた。
こんな話は聞いていない。クラン戦に一人で出るなんて聞いていない――と思ったら、会場に慌てて走ってくる見慣れた姿があった。救護服のままクロード兄様の横に並ぶのは、ミリアさんだ。これで二人。それでも圧倒的に少なすぎる。
五人対二人のまま、試合が開始されてしまう。何かの手違いなのかと焦る私に対し、お父様とお母様は苦笑を漏らしていた。
「懐かしいわね、そう言えば私たちも二人で出たわね」
そう言うお母様に、お父様は静かに頷く。そして最後に「俺は何もしてなかったがな」と悲しそうに付け足した。
「心配しなくて大丈夫よ。ラインハルトも一人で出場して、ちゃんと優勝してるから、二人いれば、クロードも大丈夫よ」
笑顔でそんなことを言うお母様に、私は何と返せばいいのか分からなかった。ただ曖昧な笑みでひたすらに顔が引きつるのを隠すことしかできない。
そして激突する前衛。盾と剣、短剣二本、槍を構えた三人に対し、クロード兄様は無手で応じる。リーチの差もあり、兄様はなかなか間合いを詰められない。しかしながら確実に剣撃を捌き、じりじりと距離を縮めていく。
そして何より恐ろしいのは、剣がクロード兄様を叩くと、まるで巨大な岩石を殴ったかのような音が響き、剣が跳ね返るのだ。十中八九、土の魔術を付与している。けれど、ここまでの強度を私相手に見せたことはなかった。
「しッ!」
クロード兄様の拳がついに相手の一人を捉える。とは言え、相手もそう簡単に直撃はさせない。しっかりと盾で受けるけれど、力に押し負けて吹き飛ばされた。剣と盾が転がり、青年の身体は後衛まで押し戻される。それでも戦意を失った様子はなく、すぐさま体勢を立て直し、失った武器を拾いに走る。
その隙をカバーすべく短剣を二本構えた女性が、クロード兄様に襲いかかる。繰り出される剣撃は、流れるように続く。それらをクロード兄様はすべて受けきった。
けれど、そのわき腹に向かって槍が伸びる。同時に短剣の筋も、まるで降りしきる雨のように止むことはない。私は目を逸らさずとも流血を覚悟して、ぐっと奥歯を噛んだ。
そしてクロード兄様は短剣を噛んだ。下手をすれば致命の一撃。目に向けて迫る短剣を噛み、そのまま砕く。それと同時に蹴り足と振り下ろした膝で挟撃、脇に向かって伸びてきた槍を叩き潰した。
驚愕に呑まれたのか、女性の短剣術に刹那の隙が生じた。その隙を逃すまいと、兄様の掌底が女性の腹部に叩き込まれる。
刹那とは言えども生じた硬直故に、女性の身体を衝撃が貫いたのだろう。身体を「く」の字にしたまま、吹き飛んでいった女性は、その後決着の時まで目を覚ますことはなかった。
そして残ったのは後衛二人と前衛二人――とは言え、一人は槍を失って見るからに焦りが生じている。次はお前だと言わんばかりに、兄様は躊躇無く進む。そこに焦りはなく、ただただ静かに堅実に、その一歩を刻んでいく。
剣と盾を拾い、体勢を立て直した青年が再び戦線に復帰する。盾を構え、その姿勢のまま一直線に駆け抜け、クロード兄様に衝突した。
躱す姿勢を見せなかった兄様。不動の姿勢で完全に受け止めており、二人は力は拮抗する。
それも刹那。やがて青年が盾の死角から剣撃を繰り出した。水平に世界を薙ぐ一閃は、確実に絶命をもたらさんと兄様の首筋に吸い込まれる。
それでもクロード兄様は、そう簡単にやられはしない。片手で盾を受けつつ、もう片方で剣の腹を叩いた。それだけで剣の軌道は大きく変わり、兄様の金髪を掠めるに留まる。
ただ青年も流れるように盾への攻撃に切り替える。受けられていた盾で兄様を強引に押し切ろうと試みる。
そして青年の表情が強張る。びくともしない盾に、戦慄を覚えたのだろうか。
クロード兄様は未だ片手で盾を抑え続けていた。故に焦りはない。優雅に、そして堂々と空いた手を握り、拳を作る。
そこに集約するのは魔力。圧縮されたそれは空間に歪みを生むほどで、遠目から見る私ですら、はっきりと視認できた。視認だけでなく、背筋が冷たくなり震える。無差別に放たれる威圧は、確実に私を蝕んでいた。
クロード兄様の唇が震えて、拳はゆらめきを引き連れて走る。その一撃の行く先は盾。何故あえて盾なのか――疑問が湧いたのと、結果が生じたのは、ほぼ同時であった。
刹那で爆ぜ散る盾。重力を無視して飛ぶ身体は、後方の一人を巻き込んでも、止まる気配を見せない。そのまま二人は壁に叩きつけられ、リングアウト――以前にぴくりとも動きを見せなかった。
対し、クロード兄様は「やっちまった」と言わんばかりに、後ろを振り返る。後方で待機していたミリアさんは既に駆け出しており、クロード兄様の横を通り抜けた。
身構える相手チームをも無視して、ミリアさんはそのままリングを下りる。審判がリングアウトで失格と告げる前には、動かない二人の下に駆け寄り、治癒を施す。
ありえないでしょ。私はクロード兄様の前衛、そして後衛の補助としてのミリアさんで、各々の役割を最大限果たした結果、初めて二人のチームが辛うじて成り立つのだろう――そう考えていた。
けれど違った。クロード兄様が本気を出した際に出てしまうであろう負傷者の治療のために、ミリアさんを毎度試合に引き連れているとでも言うのだろうか。
馬鹿げている。残った後衛の魔術をすべて受けきりながら、今も確実に歩を進めているクロード兄様。燃えさかる炎を片腕で切り裂き、迫る氷塊を拳で砕き、揺れる大地をその脚で貫き、不動を成す。
遠すぎる。クロード兄様の背中ですら遠すぎた。
ならばラインハルト兄様は?
隣で「まぁまぁ、やるようになったじゃない」なんて言っているお母様やお父様は?
どこまで強くならなければならないのだろう。その果ての見えない到達点に思いを馳せるだけで、意識が遠のくように感じられた。
もちろん、その試合の勝利はクロード兄様とミリアさんであった。