:000
:000
閉じたまぶたを、何かがくすぐるように撫でた。沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上してゆくと、途端に香ばしい匂いが鼻腔もくすぐる。何かを焼いているような香りだ。
そうなれば連鎖反応で、口の中でじわっと唾液が溢れ、空っぽの胃がきゅうと鳴る。それに少しの羞恥を覚えつつも、誰も周りにいないことを薄く開いた瞳で確認すると、身を起こした。
朝日が窓から差し込んでおり、その刺激に自然と目が細くなる。くすぐったく感じたのは、これのせいだろう。
まだ温もりを残した羽毛布団を蹴やる。軽くふかふかの布団は、足に感触を残さずとも隅に寄ってしまった。
「こらっ、はしたない」
そんな私を叱責する声に対し、無条件に身体が跳ねてしまう。恐る恐る声の主に目をやれば、呆れたように嘆息するお母様の姿があった。
朝日で輝く金髪を後ろで一つにまとめているのは料理中だからか――普段は綺麗なロングヘアをお披露目している自慢のお母様――アリエラ・ベオヴォルフだ。
「布団はきちんと手でたたむように、いつも言ってるでしょう、アリサ?」
「ごめんなさい、お母様」
でも――と私はエプロン姿のお母様に続けて言う。
「……ちょっと焦げ臭いです」
「あっ、火をかけっぱ――」
「大丈夫だ、もう止めておいた」
痩身の壮年が静かに告げると、ぴりと空気が張りつめる。お母様も先ほどの私のように、びくりと身体を跳ねさせた。
「あ、あなた――」
「気にしなくていい」
お母様の言葉を遮り、去ってゆく壮年――お父様であるルーデル・ベオヴォルブ。
お前たちに何も無くて良かった、それだけだ――そんな言葉を残して去ってゆくお父様の背中を、お母様は追いかけてゆく。まだ布団をたたんでいる最中の私には見えないけれど、廊下から楽しそうにきゃいきゃい騒ぐ声が聞こえてきて、お腹いっぱいになった。
「それにしても聞いてくださいよ、あなた」
「何だ」
「アリサですよ。あの子ったら、足で布団を蹴やるんですよ」
「それは……」
「あなたが甘やかすからですよ。時にはきちんと叱ってやってくださいっ」
「ああ、次にやったら――」
「そう言って何回目ですのっ!」
もう先ほどの火事未遂をすっかり忘れているのか、ヒートアップするお母様に、お父様はたじたじといった様子だ。
渋く強いお父様なのだけれど、お母様にだけは勝てない。どこにでもあるような家庭事情だ。
そんなこんなしている内に、手早く着替えを済ませて、廊下に出ると「ほらっ!」とお母様がお父様のお尻を文字通り叩く。
「あー……アリサよ」
「はい、お父様、ごめんなさい」
「許すッ!」
「ち、ちょっとあなた!」
そんな騒々しい朝を毎日迎えているのが、私――アリサ・ベオヴォルブであった。