水瓶とカナヅチ
1
むかし、あるところに焼き物づくりの夫婦がいました。
土をツボやお皿の形にこねて焼き、しあがった焼き物をお金にかえるお仕事です。
ふたりは来る日も来る日もあたらしい焼き物をつくり、せっせと街に売りにいくのでした。
そんな日々のなかのある日のこと。ふたりのもとに、お金持ちのひとが訪ねてきました。
「あなたがたご夫婦の作品は、じつにすばらしい。ぜひ、わたしのために、できのよい品物を売ってください」
あまり裕福でなかった夫婦は、この申し出と、お礼として提示された金額に大喜びして答えました。
「ええ、ええ。もちろんですとも」
旦那さんと奥さんがならんで離れの倉庫に案内しようとすると、お金持ちは途中の廊下に置いてあったおおきな水瓶に目を止めました。
「これはいい水瓶だ。これを売ってもらえないだろうか」
お金持ちのさっそくの注文に、しかし夫婦は顔を見あわせました。
このおおきな水瓶は、夫婦が結婚して最初に力をあわせてつくった大切なもので、いわばふたりの宝物だったからです。いくら大金を出してもらったとしても、こればかりは売る気になれません。
事情を説明すると、お金持ちは残念がりはしたものの、最後には引き下がってくれました。かわりに、あたらしい特別なツボを焼いてもらうことを約束して、お金持ちは帰っていきました。
翌日から、夫婦は大忙しで働きました。奥さんが土をこね、旦那さんが焼きます。奥さんが絵を描き、旦那さんがゆう薬を塗ります。ふだんたくさん作って安く売っているものとちがい、たった一個の特別な品物を、高いお金をもらって売るのです。失敗作をわたすわけにはいきません。
最初に作ったいくつかは、もらう予定のお金を考えると、とてもよいできとは言えませんでした。夫婦は話し合って、これらを壊すことに決めました。
もったいなくはありましたが、失敗したものを残しておくのも気分が悪かったのです。
よくないものはカナヅチで叩いて割り、よいものだけをみっつ選びました。それらをさらに見比べて、ひとつだけをえらんでお金持ちに渡しました。
お金持ちは、一目見てそのツボを気に入り、約束したお金よりももっと多くのお金を払って帰っていきました。
それから、夫婦の生活は変わりました。
お金持ちが自分の友だちやご近所のひとに、すばらしいツボを作ってもらったと言ってまわったおかげで、たくさんのお金持ちのひとたちが、焼き物づくりの夫婦の家に買い物にくるようになったのです。
夫婦はだんだんと、むかしのような安い焼き物はつくらず、手間のかかるもの、複雑な形で、綺麗な絵や色のついた皿やツボを、注文を受けてからつくるようになりました。
できの悪いものは、どんどんとカナヅチで叩いて壊していきます。そうやって選びにえらんだすばらしいものだけをお客さんにわたすと、みんな大喜びで、たくさんのお金を払っていくのでした。
2
夫婦が有名な焼き物作家となって、しばらくの時間がすぎました。
あるとき、評判を聞きつけて、遠方から訪ねてくるひとがありました。なんでも、ふたりのことを本に書きたいのだそうです。
「俺のことが、本になるのか」
旦那さんは、鼻高々でお客さんに応じました。奥さんが、接待のためにお茶を入れていると、客間から旦那さんとお客さんの声が聞こえてきました。
「おうつくしい奥さまですね。とてもやさしそうだ」
「いえいえ、できの悪い女房ですよ」
奥さんは『できの悪い女房』と言われて、ちょっと嫌な気持ちになりましたが、謙遜という言葉もあります。我慢してお茶とお菓子の用意をすませると、客間にもどりました。そうして、夫婦そろってお客さんとお話をしようと思ったのに、とつぜん、旦那さんがおかしなことを言ってきました。
「よし、じゃあおまえは下がっていなさい」
「はい? あの」
このお客さんは、焼き物作家夫婦のことを本にするために来ているはずです。それなのに、旦那さんは、ひとりで応対するつもりなのでしょうか。
奥さんは思わず、なぜそういうことをいうのか、と質問しそうになりましたが、お客さんのまえで旦那さんと言い争うのはよくないと考えなおし、そのまま部屋を出ました。
それでも、どうしても納得いかなかったので、部屋のそとで、こっそり旦那さんとお客さんの会話を聞くことにしました。
すると、なんということでしょう。奥さんはおどろいてしまいました。旦那さんは、あたかも自分がひとりで焼き物を作っているかのように、お客さんに説明していたのです。
焼き物づくりは、夫婦ふたりの仕事です。土をこねるのも、絵を描くのも、焼くのも、分担があり、ひとりだけのお手柄ではありません。それを旦那さんは、本に書いてもらうのが嬉しくて、ぜんぶ自分だけの力でやり遂げた、えらいのは自分だ、とホラをふいてしまったのです。
奥さんは、腹が立つやら悲しいやらで、いてもたってもいられず、逃げるようにしてそこから立ち去ってしまいました。
そのまま、どこへ向かうということもなく家のなかを歩き回っていると、廊下の途中に、おおきな水瓶があるのが目に入りました。
夫婦ふたりで最初につくった水瓶。ずっと宝物だと思っていた記念の品。
奥さんはそれを、にぎりこんだ拳で思いきり叩きました。
水がたっぷりと入った水瓶は、くわんと音を立てました。奥さんはようやく、イライラした気持ちがすっと軽くなるのを感じました。
とはいえ、お客さんにあんなことをいう旦那さんを許すことはできません。ひとりでなんでもできるなら、かってにしていればいい。そう思い、奥さんは旦那さんとお客さんを置いて、外に遊びにいってしまいました。
その日いらい、旦那さんと奥さんは、あまり会話をしなくなりました。奥さんが、旦那さんにたいしてつっけんどんな態度をとるようになり、話しかけづらくなったからです。
旦那さんは、まさか自分がお客さんに話した内容で、奥さんが怒っているとは夢にも思わず、しだいに奥さんのことが好きでなくなっていきました。やがて、旦那さんのほうからも、奥さんにたいしてすこしずつ乱暴な態度をとるようになり、気に食わないことがあると、大声でわめき散らしたりするようになりました。
いちおう、旦那さんは腹がたったからといって、奥さんに手をあげたりはせず、怒るにしても加減はしているつもりでいました。それでも奥さんにとってみれば、大声を出されるだけで気分が悪く、むかつきがおさまりません。
奥さんは旦那さんに怒鳴られるたびに、廊下に置いてある水瓶を叩くようになりました。おおきくて丈夫な水瓶は、叩かれると、くわんと鳴ります。たまに、なかに入っている水が揺れて、そとにあふれることもありました。奥さんはそれを見て、にやにやと笑いました。
水瓶を叩くことで、旦那さんを叩いている気分になれたからです。
だめな作品を壊すための、カナヅチをつかって叩くこともありました。もちろん、ほんとうに壊すつもりではありませんから、柄のほうを使って叩きます。
こつんこつんと、脅すようにして叩くと、奥さんは、やってはいけないことをする興奮で、胸がどきどきするのを感じるのでした。
3
そういうことがなんども続いたある日、奥さんがいつものように、旦那さんの悪口を言いながら、カナヅチを振り上げたときのことでした。
いきなり、水瓶にヒビが入りました。
「えっ?」
ヒビは見るまに水瓶全体にひろがり、隙間からどんどんと水が漏れていきます。奥さんは慌てました。だって、さわるまえに、かってに水瓶がヒビ割れてしまったのです。
そこに、水の流れる音を不審に思った旦那さんがかけつけてきました。
「おい? おまえ、なにを」
「いえ、その。ちがいます、わたしは」
奥さんの手には、カナヅチが握られています。旦那さんはそれを見て、背中が寒くなるのを感じました。同時に、最近の奥さんがどんな気持ちでいたのかについて、思いあたることがあり、はっとしました。
廊下は、すでに水浸しです。すぐに、ふたりは手分けして掃除をはじめました。
掃除がすむと、奥さんは旦那さんに言い訳をはじめました。たしかにカナヅチは持っていたけど、柄で叩いただけだ、しかも、今日は持っていただけでなにもしていない、というふうに。
旦那さんは、なぜ水瓶を叩いたのかとか、いつから叩いていたのかとか、そういったことを深く尋ねようとはしませんでした。理由を聞いたり責めたりしても、意味があるとは思えなかったからです。かわりに、割れてしまった水瓶をふたりで修理しようと持ちかけました。ヒビがはいった部分に糊とうるし、金をつかって埋めるのです。
ところが、うまくいきませんでした。奥さんが手をふれようとすると、ほかにはなにもしていないのに、水瓶にますますヒビがひろがり、ついには粉々に砕けてしまったのです。
奥さんは、そのときになってはじめて、自分が原因で水瓶が壊れてしまったことに気がつき、呆然としました。いまさらあらためて、その水瓶が結婚の記念につくった大切な宝物だったことを思い出し、胸がつぶれるような気持ちになりました。
けっきょく、水瓶は旦那さんひとりだけで修理することにしました。なんとか形だけはととのえたものの、水をいれてもどこからとなく漏れ出してしまい、もはや水瓶としては使い物にならなくなってしまいました。
しかたないので、旦那さんは壊れた水瓶を、離れの倉庫に安置することにしました。奥さんは、倉庫に近寄ることができなくなりました。旦那さんから禁止されたわけではありません。自分がいくと、また水瓶がばらばらに砕け散ってしまうかもしれない。そんな気がして、怖くてしかたなかったからです。
いつしか奥さんは、日がな一日倉庫のほうを眺めては、めそめそと泣きつづけるようになりました。ちいさな子供のように、ずっと、ずっと……。
旦那さんは、そんな奥さんの様子に、申し訳なさと哀れさを感じ、結婚した当初のまだ仲がよかったころよりもっと、やさしくせっするようになりました。そのご、ふたりは焼き物を作るのもやめ、それまでに貯めたお金を切り崩しながら、死ぬまでつつましく暮らしたということです。