プロローグ
四月某日、午後五時二〇分。あたしが友達と別れて家へ帰ると、玄関前にドクロ模様をした全身黒タイツの不審な覆面男がいた。
(ショ、ショッ○ー!?)
その男はそう表現するのが的確な、まさしくと呼べる恰好をしていた。
どうしよう? あんな、色んな意味でアウトな奴には絶対関わりたくない。しかし、ウチの玄関を潜るためには、あの変態の前を通っていかないことには、どうしても家に入れない。
仕方がない。ここは無視をして家に入ろう……。とても簡単には、無視できるような相手には思えないけど。
あたしはしばし悩んだ末に、意を決した。
そして、三回深呼吸をしてから速めに歩を進める。
「ちょっと待った! そこの御嬢さん。あなたが雨木博士の娘ということで……」
変態に声をかけられるが、無視無視。
「あれ? ちょ、ちょ? おーい!」
無視無視無視。家の中まであと四十センチメートル。
「おいっ!」
怒った黒タイツが、私の肩を乱暴に掴んで止める。あぁ、もうっ! ウザイ。
怒った私は――、
「――ええと、一、一、〇、番と」
「どうも、すみませんでした――――――――――っ!」
あたしにとっちめられ、簀巻き状態の黒タイツは、巻かれたままあらん限りの力を籠めて土下座した。
よく簀巻きの状態で土下座の姿勢なんかとれるな。無駄なことに感心してしまった。
「警察だけは、どーか警察だけはお許しを!」
と、石畳に額をゴリゴリと擦り付ける泣きが入ったので、仕方なく慈悲で一一〇番通報する手を一旦止めた。
「ありがとうございますっ」
通報の手を止めるのを見て顔を上げる黒タイツ。
「で、ほら、早く用件を言え」
この門前払いでもきかない輩には、一応話を聞く振りしてすぐ根幹から否定しよう。
「へ? あ、は、はいっ」
聞いてもらえるあたしが促すと、男は戸惑いを見せたものの、すぐに顔を明るくして嬉々として話し出す。
「率直に言えば、雨木キイさん。あなたをスカウトに来ました」
「おたくのその話は、依然に断ったと思うけど!」
あたしは、やや高圧的な声音で返す。
「どうか最後まで聞いてください。わが社に入れば、給料も手当も十万、いや二十万上乗せして部下も付けますよ」
「だから、断る!」
「何でですか。この就職氷河期に、ここまで好待遇で迎えるところなんてほぼ無いですよ」
二度拒絶されようとも、黒タイツはなおも食い下がる。
「この際五十万出します、出させます」
「いくらだろうとお断りです」
あたしは、黒タイツの目の前で握り拳を作って威嚇行動をとる。
しかし、それでも黒タイツは食らいつく。
「どうかお願いします。我らが……我らが悪の秘密結社、ジョックァーのためにぃぃぃぃ!」
「だから嫌なんだよ!」
何が哀しくて進路を悪の組織にしなきゃいけないの。
あと、某ライダーさんを相手にしているようで、アウト臭漂う組織名だ。
そろそろ通報を再開しようかと考えだしたとき……。
「は〜はっはっは」
家の屋根の上から大きな高笑いが聞こえた。
見上げると、真っ赤なタイトスーツに赤いフルフェイスメット姿の男がいた。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 体に流れる正義の血潮を熱くたぎらせ、正義戦士ジャスティスレッドただいま参上!」
あたしは軽く目眩を覚えて、卒倒しそうになった。
(変態がふえた――! てかそこ、瓦がずれる! そこは雨漏りしてたから、こないだ修理したばかりのとこなんだぞ)
「こらっ、そこ! 人ん家の屋根の上に勝手に昇んな」
「俺は知っているぞ! 雨木キイ」
屋根に上がったまま自分のペースで話し出す赤ヘル。駄目だこいつ、人の話を聞かない。
「世界でも有名なマッドサイエンティスト、雨木博士の一人娘とは仮の姿。その正体は、博士によって作られた強力な人造生命体。な、そうなんだろ?」
ああ確かにそうだよ。そのせいで、毎日のように、いろんなところから勧誘がきていい迷惑をしている。
あたしとしては、何事もなく平穏に暮らしたい。
生活は、極力普通をあたし自身は心がけているのに、それが相手側からやってくる日常が激しすぎて、人生において何事もなかった日がない。
「とうっ!」
赤ヘルは格好つけのためなのか、赤ヘルは屋根から無駄に月面宙返りを三捻り加えて決め、目の前に着地する。
「そんなあなたを、ジョックァーなどのような極悪非道な組織なんかに渡すわけにはいかない。さあ、私たちの元へとくるんだ、そして共に戦おう!」
結局、お前も目的は一緒かー! お前たち、あたしを非日常にこっちをぐいぐいと巻き込むな!
あたしはそっちサイドになんか行く進路は、微塵も考えてなんかないんだよ。
「ちょっと待ってもらおうか、雨木キイは我がジョックァーの元で手足となって働くのだ!」
いつの間にか拘束を抜け出したのか。黒タイツが赤ヘルを押しのけて張り合う。
「いや新たなる戦士、ジャスティスピンクとして俺たちの仲間になって共に戦うんだ」
「俺たちが」「我らが」「いいや、俺たちだね」「いやいや、我らだ」「俺たちの所の方がより安定した収入を約束できるんだぞ」「はんっ。愛だの正義だの持ち出しといて結局はお金なんじゃないか」「なにをー!」「おお、やるのか? いいさ、こいよ」「ああ、上等だね」
お互いに本人を無視した会話を繰り広げ、悪と正義が泥臭い取っ組みあいの喧嘩をを人んちの前で始めだした。
「――!!」
「――!!」
(がやがや……)
近所中に響く怒声、集まる人たち。
静かに生きていたいのに。目の前の喧騒を見せられてイライラが募ってくる。
あたしは怒髪天を突く勢いのフラストレーションを必死に抑えて、事態の収拾をすべく喧嘩をしている二人へ一歩前に踏み出した。その時だった。
――ガンッ。
「「あっ!」」
二人の拳が、私の顔に刺さった。
カウンター狙いで互いに弾き合ったパンチが、あたしの方へ逸れたのだ。
「フフ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
アレ? オカシイナ、ヤケニアタマガサメテイクナ。
どうやったら、あいつ等をひどい目に合わせられるか。その手段がポンポンと、あたしの冴えてきた頭から出てくる。
どうやら、あたしは怒っても冷静になれるタイプだったようだ。
表情の窺えない恰好をしている二人だが、どちらもマスクの下を青ざめている気がした。
「さあ、ブチコロシテヤロウカ」
まだ肌寒い春の夕方は、二人分の悲鳴がよく響いた。
モウ、ヨウシャナドシナイ。
「――あっ、もしもしー、警察ですか?」
「「お願いします! どうか警察は許してください」」
あたしの目の前で、ボロボロな状態の上で簀巻きになった二人の男が土下座をしていた。
ちなみに二人ともに、逃げられないように両手足の関節は全部外しておいてある。
「反省した?」
私は携帯電話を操作していた手を止めて反省の意があるかを聞いた。
「「しますします!」」
一返事目で二人とも元気のいい土下座をくれた。あまりに元気良すぎて二人の額と下の地面は赤く濡れている。
「そうか。じゃ、二度と来んなよ」
そういってから、私は全力のいい笑顔で返事に答えて手を振ってあげた。
『――ガシィッ!』
「「あ・れ?」」
屈強な男に取り押さえられた男二人は、晴れて私の目の前で御用となった。
遠ざかっていくパトカーのサイレンと共に、夕方の町に六時を告げるサイレンが鳴り響いてた。
――――これが、あたしの日常の一部。
この物語は、ちょっと特殊な生まれのあたしに襲い掛かかってくる、非日常との戦いの記録である。




