5.一撃必殺
基地の中央棟へと通じる渡り廊下。
先ほどまで静寂だったその空気を、赤い警報灯が切り裂いた。
「魔物反応! 一階南棟付近の広場だ! 至急対応に回れ!」
無線越しの怒号が静まり返っていた廊下を一気にざわつかせる。
赤い警報灯が白い壁に反射し、隊員たちの影が細かく揺れた。
「なんで結界の中に出てくんだよ!」
「無駄口を叩く暇があったら急げ!」
「急いでます!」
隊員たちの足音が一斉に床を叩き、廊下の空気が熱を帯びていく。
駆けつけた隊員たちの前に立ちはだかったのは、黒い岩塊を無理やり四足歩行の生物の形に折り曲げたような魔物だった。
砕けた外殻の隙間から赤い光が脈打ち、足を踏み出すたびに細かい石片が散る。
「撃てっ!!」
歯を食いしばるような反動が銃身を叩き、5.56mm弾が一斉に魔物へ向かう。
薬莢が床に跳ねるたび、火薬の匂いが広場に満ちていく。
……しかし、
「ちぃっ!」
弾丸は確かに命中している。
しかし、カンカンと弾かれる金属音が響くだけで、手応えは何ひとつない。
まるで鉄どころか、岩山に撃ち込んでいるような感覚だった。
「あの装甲、この辺じゃ湧かねぇタイプか……おい戦車だせ! ニコレスさんにやられる前に狩るぞ!」
跳ね返った弾が床に散らばり、魔物の外殻には白い傷ひとつつかない。
その間にも隊員の指示が無線を通して行き渡っていく。
「かったいけど魔法で倒されちゃあ素材がパーだもんなぁ……! 言ってる場合じゃないけどさぁ!」
銃撃を浴びている間、魔物は微動だにしなかった。
やがてゆっくりと動きを止め、無機質に隊員たちの方へ向き直る。
「にぃ……っ! 全員回避態勢! ノロいから落ち着けよ!」
魔物がゆっくりと腕を振るう。
ズンッ……! と、空気を押し潰すような重い音が、圧力と共に隊員たちの身体を揺らした。
その風圧だけで、髪も肌もビリつく。
「なんつーパワーだ……」
もし、あれをまともに食らえばどうなるか。
想像しただけで背筋が冷たくなる。
「全員退避! 後は魔法で討伐します!」
そこへ、遅れてニコレスが駆けつけた。
耳元の無線に手を当てて声を張り上げる。
その手には杖が握られており、すでに魔物に向かって先端が向けられていた。
「……落ちろ!」
杖の先端から魔法陣が浮かび上がり、青白い光が力強く点滅する。
他の隊員たちが距離を取り、その一撃を待った__その直後。
広場に、一陣の風が吹き抜けた。
「ん?」
何かが建物の屋上から飛び出して頭上を通過したような気配。同時に、全員の視線がふっと上へとずれる。
そこにあった人影を確認した瞬間、ニコレスの口が呆然と開いた。
「ツバキ君?!」
思わず部下の名前が飛び出していた。
視線の先で、その主は魔物の真上から落ちていた。
舞い降りるように接近しながら、静かに拳を握りしめる。
標的を目前に、振りかぶる。
装甲の魔物は遅れて反応し、無機質な顔をツバキへ向け──
次の瞬間。
ドゴォォォォンッ!!
衝撃音が遅れて爆発し、ニコレスや隊員たちは反射的に腕で目元を覆った。
魔物よりも強い衝撃波が吹き抜け、砂埃が舞う。
やがてその揺れが収まると、そこにあった光景にその場の全員が言葉を失った。
「ああ……」
誰かの呆然とした声が、静寂にぽつりと響く。
魔物の外殻が、いとも簡単に破裂していた。
純粋な硬度で弾丸を跳ね返していた外殻は、ツバキの拳によって逆に内側へと折れ潰れ、瓦礫のように崩れ落ちている。
「……嘘だろ。潰したのか」
「ニコレスさんの魔法じゃねぇのか」
あまりにも一瞬の出来事だった。
「やりやがったなツバキ君」
その中で、昨日と今日のコンテナ運搬に関わった隊員だけは、ニヤリと笑みを浮かべていた。
粉々になった魔物の残骸を前に、ニコレスだけが革靴の音を響かせて駆け寄る。
「ツバキ君!!」
青い髪は乱れ、呼吸が僅かに乱れている。
そんなことを気にする余裕もないほどの勢いで、ニコレスはツバキの顔を覗き込んだ。
「無事か……!」
「はい、全然大丈夫ですよ。ところで誰も怪我してませんか」
「あ、ああ……」
ツバキは、安心させるように笑みを混ぜて答える。
だが、ニコレスの妙なまでの焦りはすぐには収まらなかった。
粉々になった魔物を見つめたまま、しばらく言葉を失っている。
「……っ」
ニコレスの瞳には、複雑な色が宿っていた。
驚き、安堵、そしてほんのわずかな“恐れ”のようなもの。
「この装甲を拳で一撃か……」
「我ながらびっくりしてます。これならどんな魔物にも勝てそうです」
倒れ伏した魔物から軽々と飛び降り、落ち着かない上司の前で親指を立てる。
それを見て、ニコレスは深く息を吐いた。
「……帰るぞツバキ君。君は目立ちすぎだ」
「そんなに?」
「そんなにだ」
魔物が倒された瞬間から、隊員たちの視線が痛いほど突き刺さっていた。
“銃弾を通さない魔物を拳で、しかも一撃で破壊した人間”
その事実だけで、彼ら彼女らの目の色は明らかに変わっている。
「君はギルドの人間だ。依頼と無関係な事柄に首を突っ込む必要はない」
そう言ってツバキの手を引くニコレスの声は、驚くほど強かった。
二人が歩き出すと、立ち尽くしていた防衛隊員たちが自然と道を開ける。
「……あれがギルドの新人かよ」
「いやいやいや、今の何だ? 化け物じゃねぇか」
「戦車出す準備してたのに……」
そんな囁きが、遠くの雑音のように聞こえてくる。
ニコレスだけは、何も言わず前を歩いていた。
その横顔は少しだけ固い。
ツバキはなんとなく、その感情のざらつきを感じ取っていた。
出入り口のゲートへ向かう途中、ロマノフが腕を組んで立っていた。
表情は冷静。だが、その瞳の奥は鋭く冷たい。
「……これは、想定以上だな」
「失礼します、司令。作業と緊急の討伐は完了しました。これで失礼します」
ニコレスは極めて事務的に告げ、ロマノフへ一礼だけして通り過ぎる。
ロマノフは、ニコレスに引っ張られていくツバキの背中を品定めするようにじっと見送っていた。
「……あの人、興味津々ですね」
ツバキはそんな視線を肌で感じ、首をすくめて小声で呟く。
「さっきのせいで余計に興味を持たれてしまったんだよ。まったく……」
ニコレスはため息をついたが、その声には確かな温度があった。
「俺は別に、悪いことじゃないと思ってます。さっきは怪我人が出なくてよかったですし」
「確かにそうだな。だがそういう役割は……私だけで十分だ」
「はぁ」
力なく漏れたニコレスの小さな言葉。
ツバキは、それを否定することも、軽く流すこともしなかった。
「ところでだ。あの魔物を倒した時、君はなぜあのタイミングで出て来れた」
「あ……それってどういう」
「あのサイズの魔物を相手に直上から攻撃を仕掛けるというのは、少々綺麗にできすぎだ。建物に入ったのは初めてだろう? 最初から魔物の位置や建物の構造を正確に把握していて、スムーズに屋上に出なければ難しい。またいつもの勘というものなのか」
単純な勘の鋭さで言えば、ニコレスの方がよほどのものだと思う。
これまでは“勘が良い”で誤魔化してきた。バラしたくなかったというのもあるが、自分でもうまく理解できていない感覚だったことも大きい。
しかし、今は違う。
「……ああ。それなんですけど、あの“勘”が何なのか、やっと言葉にできそうなんです。まだ時間ありますよね。後でゆっくり話していいですか」
「構わない」
基地で出会った少女__リーゼが口にしていた“魔力感知”。
魔力という概念のあるこの世界で、その役割を考えた時。
自分の中にある、過剰なまでの察知能力。
それに妙に納得がいくと同時に、その恐ろしいほどの性能に、ツバキは心の底でひやりと恐れを覚えていた。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
文字通りの回です。どのようにしてこのパワーを手に入れたのか。それはまたおいおいということで。
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