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異世界ギルドのレビスパーダ  作者: 亜菜 三丁
1章.ギルドの新人

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1.ギルドの少年

 魔法は生き物だけが使える特権だった。

 だが人類は、産業革命を経てその壁を越えた。

 魔法より正確で、魔法より平等な技術。

 それを“機械”と呼ぶようになってから、魔法は職人の技術になり……世界は少しだけ便利になった。


 そんな世界の片隅で、ツバキ・ソウタは今日もギルドの新人として現場に立つ。

 この日は緊急の依頼が舞い込んでおり、雲ひとつない青空の元、ある事故現場に出向いていた。


「うわぁ……盛大に事故ってますね」


 草原を貫く四車線のアスファルト道路。その真ん中で、大型トラックが斜めに停車していた。

 荷台に積まれていたはずの大型コンテナが一つ、道路脇へと横倒しになっている。突き刺さる日差しの元、鉄の箱が影を落として周囲の草を押しつぶしていた。


「ニコレスさんどうします?」


 後ろを振り返ると、ツバキの研修を受け持つ上司の姿があった。

 黒いスーツの上からでも分かる引き締まった体つき。肩まで伸びた青い髪は春風に揺れ、彼女は手先で前髪を軽く整える。


「君が落下したコンテナを積み直す。私は防衛隊員を連れて原因の魔物を倒す。予定通りだ」

「っし、了解です」


 コンテナの手前には、防衛用の車両が数台並んでいる。

 銃を携えた防衛隊員たちが車の脇に立ち尽くし、不安げな視線をギルドの二人へ向けていた。


「防衛隊の皆さんお待たせしました」


 ニコレスは声を張り上げて、一歩前へ出る。


「依頼を受けて参りましたギルドのニコレス・ラディです。予定はこちらから連絡した通りです」


 きびきびとした口調で到着を告げると、すぐさま部下に視線を向けた。


「ツバキ君、そっちは頼んだよ」

「はい。ニコレスさん気をつけてね」

「ああ」


 彼女は無言でバイクの脇にしゃがみ、キャリーケースを外した。

 若く見える顔立ちに似合わず、慣れた手つきで金属の留め具を外していく。カチリ、カチリと小気味よい音が続いた。

 ケースの中から取り出されたのは、先端に丸い装飾のついた金属の棒__杖だった。


「その杖、初めて見るやつですね」

「試作段階のものだ。魔法の実験にはちょうどいい」


 草原へ向かう足取りには迷いが一切ない。

 砂利を踏む革靴の音まで整って聞こえる気がした。

 数歩進んだところで、彼女は青いポニーテールを揺らして振り返る。


「ツバキ君。一つ聞いてもいいかな。魔物は何体いると思う?」

「え?」


 突然の問いにツバキは瞬きをした。

 普通なら、こんな質問を新人の部下に投げても意味はない。しかしニコレスは、至って真面目な顔で待っている。

 そしてツバキも、それに答えられるつもりではあった。

 こめかみに指を添え、一拍考え込むように目を閉じた。それから、正面の森林を指差す。


「えっと、多分三体ぐらい、あの辺にいるんじゃないですかね? 分かんないですけど」

「そうか」

「けど、もし大きいのがいたら危ないですし、後で俺も……」

「大丈夫だ。君は君の仕事をこなしてくれ。心配ありがとう」


 ニコレスはにこやかに前を向き、片手を上げて礼を示す。

 ライフルを構えた防衛隊員たちと共に森林へと向かい、そのまま緑の影に消えていった。

 ツバキはいっとき芽生えた不安を飲み込み、その背中を見送る。

 ああいう大人になりたい、といつも思う。

 腰まで伸びた髪が黒いスーツの歩みに合わせてしなやかに揺れるその姿。それはツバキの目にとって“規律のある大人”として映っていた。


「さーてと」


 ツバキは帽子のつばを指でつまんで整えて、シャツの袖を肘まで押し上げた。

 動きに合わせて前腕の筋が浮き上がり、肩を一度ぐるりと回すと、小さく骨が鳴る。

 目の前には、影を落とす黒いコンテナがあった。


「おいおいあんちゃん……魔物はニコレスさんがいるからいいとして、こっちは君だけでどうするんだよ。クレーンもなしでさ。魔法で持ち上げるったって限度があるぞ」


 声の主は、防衛隊員の男だった。

 運転席の窓から肘を出し、咥えかけた煙草を指先で弄んでいる。


「あれ? 隊員さんだけ留守番ですか?」

「当たり前だろ。積荷もアンタも残して行けるかっての」

「たはは……そうですね。とりあえずこれ、持ち上げます」

「だから魔法じゃ」

「魔法使えないんです」

「は?」


 乾いた風が二人の間を抜けた。

 男は眉をしかめて煙草を口に戻し、ツバキをじろりと見下ろす。


「んじゃあ早速……」


 ツバキは軽く伸びをしてから、コンテナの前に立った。

 地面の感触を確かめるようにしゃがみ込み、両手をアスファルトと土の段差へ差し込む。指先で足場を確かめ、靴の爪先をしっかりと踏ん張らせた。

 息を小さく吸い込む。胸がふくらみ、背中の筋肉が薄く浮き出る。

 空気が、ぴんと張りつめた。


「……よいしょ」

「いやだから__」


 隊員が何か言いかけたその瞬間、言葉が途切れた。


 コンテナが、浮いた。


 最初はほんのわずかだが、次の瞬間には、確かに持ち上がっている。

 金属が擦れる低い音が響き、地面に落ちていた影がゆっくりと形を変えた。

 四十フィートの鉄の塊が、ツバキの腰の高さまで持ち上がる。


「……マジかよ」


 男は煙草を落としたまま、目を見開いていた。

 その視線を横目で感じながら、ツバキは小さく息を整える。


「驚かせてすみません」


 持ち上げたままの姿勢でそう言うと、自分でも少しおかしくて苦笑いをした。

 それでも動きを止めず、コンテナの下へ片足を滑り込ませる。背中で中心を支え、スクワットの要領でゆっくりと立ち上がった。


「これどう置いたらいいですか?」

「え? あ……あぁ」


 隊員は完全に言葉を失っていたが、やがて無言で手袋をはめ、軽々と荷台へと飛び乗る。

 靴と金属がぶつかる音が、力を認められた証のように聞こえた。

 そしてコンテナの取り付け作業だったが、隊員の的確な指示となれた動きであっという間に終わった。


「いやーびっくりした。まさかたった一人で持ち上げちまうなんてなぁ」


 春の風がやわらかく草原を撫でていく。

 トラックの影に並んで腰を下ろし、ツバキと隊員は額の汗をぬぐった。


「にいちゃん防衛隊に欲しくなっちゃうよ。名前は?」

「あ、そうだ紹介まだでした! ツバキ・ソウタっていいます! 今月入ったばかりなんですけど、力仕事なら任せてください!」


 笑いながらポケットのケースから名刺を取り出す。

 手書きで力強く書かれた名前のインクが、少しだけ滲んでおり、ツバキは誇らしげにその名刺を差し出した。


「新人なのかぁ……こりゃあとんでもない大型だな。さっきの力……ニコレスさんも超えてるんじゃ」

「力だけ超えてたって意味ないですよ」


 ツバキが苦笑したちょうどその時、遠くから白い光の柱が天に昇った。


「お、ニコレスさんがやったな」

「分かりましたか?」

「当たり前だろ? 魔法で倒せば魔物があーやって消えるんだよ」

「へぇ〜。あれが……」


 しばらく待機して振り返れば、ニコレスが防衛隊員たちを引き連れて戻ってくるところだった。


「そちらはもう終わっていたか」

「はい。さっき終わったとこです」

「流石のパワーだな」

「ニコレスさんも」


 直射日光を反射して、杖の先端が輝いている。

 そこから微かに煙が上るのは、魔法を使った証拠でもあった。

 それを目で追いながら、ツバキの隣で隊員が小さく手を挙げる。


「お疲れ様ですニコレスさん。驚きましたよ。ギルドから二人だけ寄越して、こんなことになるとは」

「自慢の新人ですから。これからもご贔屓にお願いします」


 やがて車両のドアが閉まり、エンジンの低い唸りが草原を震わせた。

 出発の直前にニコレスが開いた窓に顔を近づけ、小声で囁く。


「この積荷。突貫で運び出すくらいです。防衛隊主導の例の計画のものでは?」

「確証はないが、おそらくそんな感じだろうな。正直ちょっときな臭ぇが、何かあったら頼むよ。じゃ」


 車両が走り出す。

 アスファルトを蹴るタイヤの音が遠ざかり、代わりに草のざわめきが戻ってくる。

 ニコレスは敬礼し、しばらくその影を見送っていた。


「ニコレスさん。なんか……ヤバそうですか?」


 ツバキの声が風に乗って届く。

 彼はただ見ていただけのはずなのに、確信めいた気配でそう口にしていた。

 ニコレスの眉間に、うっすらと皺が寄る。


「どうしてかな?」

「あー、なんとなく……」


 ツバキは目を逸らす。

 遠くで揺れるコンテナの金属音が、なぜか胸の奥をざわつかせる。その目の泳ぎをニコレスは見逃さない。


「前から感じていたが、君は妙に勘が鋭いな。さっきもまるで見えていたようだった。三体の魔物、確かにあの森に潜んでいたよ」

「お、当たってましたか。なんとなくいると思ったんですよ」

「ふーん……」


 ニコレスの声には、探るような温度が混じっている。

 ツバキは曖昧に笑って視線を逸らした。


「本当は魔法が使えるんじゃないか?」

「使えませんよ! 生まれてこのかた十七年、筋肉一筋でやってます」


 誤魔化すように笑ってみせる。

 それは嘘ではない。魔法は使えない。

 だが、筋肉だけでは説明できない“何か”が、確かに自分の中にある。

 それをどう表現すればいいのか、ツバキ自身にもまだ分からなかった。

 ニコレスはしばし沈黙し、それから小さく息を吐く。


「もっと知っておきたいのだがな。君のことは」


 近くに止めてあったオフロードバイクのエンジンが、低く唸りを上げる。

 ニコレスがヘルメットを手に取りながら、そっと後部の空いたシートに手を置いた。


「後ろに乗れ。疲れているだろう」

「お気遣いありがとうございます。でも、最近体がなまってんです。せめてランニングぐらいはやります」

「そうか……」


 バイクに跨ったニコレスは、しばらく無言でハンドルを握っていた。


「フフ。少しは私の面子を立たせてくれてもいいんだぞ」

「充分立ってるじゃないですか。俺、できないことの方が全然多いんですよ? これからも宜しく頼みますよニコレスさん」


 ツバキが親指を立てる。

 ニコレスはヘルメットを被り、片手を上げて応えた。

 エンジンが唸り、バイクが一本道の先へと滑り出す。

 背中が遠ざかっていく。黒いスーツの裾が風を掴み、青いポニーテールがひときわ鮮やかに揺れた。


「いやー……かっこいいなぁもう」


 ツバキは息を吐き、頭をかいた。

 ニコレスは、彼にとって理想の上司だった。

 常識知らずの新人も、超常の力も丸ごと受け止めてくれる。その懐の深さに、ツバキは日々追いつこうと足掻いていた。


「俺ももっと頑張らないと」


 ひとり呟いて、ギルドの荷物をまとめる。

 姿勢を低くしてクラウチングスタートの構えをとる。

 穏やかな風が前髪を揺らした。


「にしてもあのコンテナ。何運んでるんだろ」


 ツバキの視線が、遠くのアスファルトの影を捉える。

 誰も気づいていないようだが、ツバキだけは、あのコンテナから妙な感覚を感じていた。


「呼んでた……ような」


 普通の荷物ではないことは明らかだった。

 その割には隊員たちは妙に落ち着いていて、あくまでも業務をしているという印象だった。


「……予想が当たってたら、嫌だなぁ」


 そんな独り言を小さく呟いた次の瞬間、突風が草原を駆け抜けて周囲の木々をざわめかせた。

 ツバキの体がわずかに沈む。

 そして筋肉が弾けるように反応し、その姿が風に溶けるように消えた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ちょっとだけ時代が進んだ、魔法の世界でのお話です。


もし続きを読みたい感じていただけましたら、評価やブックマーク、感想などで応援してもらえると励みになります。

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