手野市長
掲載日:2025/11/23
手野市は市であるから市長がいる。
しかし他の市長とは異なるのは、いまだに江戸時代の慣習を引きずっているということだろう。
手野市はその母体となった江戸時代の金元藩、さらに現在の手野市の領域にあった砂賀藩飛地、公卿領、さらには寺社領や他の藩の領地が極めてモザイク的に配置されていた。
そこから明治に入り徐々に町村が成立し、戦後に手野市へと発展する。
これらの中心となったのは金元藩である。
金元藩の藩主は現在の岡山県砂賀町の藩主の家系の傍系である。
現在では手野家と呼んだほうが通りがいい。
この手野家は代々藩主の地位を世襲し、明治に入っても町村制の下で議会からの指名により名誉職町長として町長職を重ねた。
戦後、民主制ということで公選制が導入された後も、公選町長として、さらに手野市が成立してからは市長として毎回選挙に出て圧倒的な得票数で当選をしている。
現在は手野家の当主ではなく、その息子などによって手野市長職へ就いている。
このため、総務省や他の政党からは世襲をやめるようにと度々忠告はされているものの、投票率8割を超えかつ得票率が7割から8割を超えるような状態のため、圧倒的民意の名のもとに、手野市長は今も手野家が就いている。




