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裏切りの代償

作者: ノミ

「お父様聞いて! 私エルドレッド伯爵家のご子息とお付き合いすることになったの!」


 家族みんなでの夕食時間。二番目の姉が誇らしげに告げた。


「でかしたな! サエ! 絶対に逃すなよ! 何としてでも婚約まで結びつけろよ!」

「もちろんよ! お父様!」


 ガハハと笑うお父様と自信気に頷くサエお姉様。その様子を、お母様と一番上の姉カエお姉様も満足そうに聞いている。


「サエはエルドレッド伯爵とお付き合い開始、カエはサルエル伯爵と婚約済。素晴らしいな、二人とも! それでこそ、我がノード男爵家の娘達だ!」


 お父様は嬉しそうにワインをガブガブ飲み始めた。これはいつものパターンか。姉二人の話が終わってしまったから、次は私の番。


「それはそうと、アイリス。お前はどうなんだ? 誰か良い家のご子息見つけたか?」

「……私は、まだ、その……」


 お父様からの問いに私はどもってしまう。

 

「はあー。お前も少しは二人を見習いなさい。早くしないと誰か別の子に取られてしまうかもしれないだろう」

「はい……。あっ。で、でも、この前のテスト、全教教科学年一位が取れたんです」

「あん? テストで学年一位?」

「はい! 座学だけではなく、実技も全教科一位を取りました! 魔法や剣術も、実戦……」

「アイリス! お前は何を言っているんだ!?」

「え?」


 カツンとグラスが机に置かれる音が響く。


「女に学など必要無い。必要なのは愛されることだ。周りの人間、そして、格上のご子息から愛され、婚約を結ぶのが女の役目だろう!」


 我が家の女子に求められるのは愛されること。愛され、格上の家のご子息と婚約すること。男爵家と貴族の中では、位の低い我が家が成り上がる為に。


 その点、二人の姉は素晴らしかった。どちらも、人によく愛され、格上の伯爵家のご子息を捕まえていた。でも、私は違った。


 私は二人の姉の様に上手く愛されることが出来なかった。二人は愛嬌があり、彼女達と接する相手はいつも楽しそうにしていた。

 でも、私は人と上手く話せないし、人付き合いが苦手。人見知りするし、引っ込み思案。人に愛される存在からは程遠い存在だった。


「お前も二人を見習いなさい。ただでさえ、役に立たないスキルしか持ってないんだから」


 スキル。そう、スキル。スキルさえよければ成功が約束されるというのが世の中の常識。

 人は十歳の時に一人一つスキルを授かる。教会に行って専用の水晶に手をかざすとスキル名が浮かび、それが授かったスキルとなる。極稀に生まれながらに持っている者もいる。

 どちらにせよ、みな一人一つだけスキルを持つ。炎魔法の扱いが上手くなるスキル「炎の使い手」とか、剣術が上手くなるスキル「剣神」だとか。


 私もスキルを授かった。でも、私のスキルは意味が分からなかった。私のスキルは「人形」。


 「人形」というスキルは前例がなく、どういう効果があるのか分からなかった。近いスキル名で「人形遣い」という珍しいスキルがあるので、それと同じ効果があるのか検証してみた。

 

 「人形遣い」は名前通り人形を操る力。思いのままに人形を作ることができ、その人形を操る事ができる。

 だから、私も人形を操れるかとか、物を人形に変えてしまえないかだとか色々試してみた。結論、どれも不発だった。


 人形を操ることが出来るわけでもなく、物を人形に変えられる訳でもない。ありとあらゆる人形に関することを実験してみたけれど、どれも不発。結局、全く意味の無い無駄スキルと分かった。


「分かったか、アイリス」

「……はい。お父様」


 せめて私にも有用なスキルがあれば。こんな私でも愛して貰えただろうに。


 他者から好かれない、スキルも使えない。利用価値がない私はこの家にとってお荷物状態。そんな私への家族の目は厳しい。父は怒り、母は蔑み、姉達は私を嗤う。


 この家で私の味方はいない。優しくされた記憶もない。私にあるのは辛い記憶ばかり。怒られ、笑われ、否定され。そんな辛い記憶ばかり。


 壁を感じながら、味のしない料理を口へと流し込んだ。




「ごめんね、ごめんね……!」

 

 私の手を握り、彼女は泣いていた。私の目の前で泣いているのは幼い私。私は別の誰かになっているようで、正面から彼女を見つめている。彼女は私の手を握り、泣きながら何度もごめんねごめんねと謝る。ただ、それだけ。いつも見るただそれだけの夢。



「……はあ。また朝か……」


 朝日が差し込み、目が覚める。夢は終わり、また一日が始まる。


 この瞬間が一日で一番憂鬱な時間。これからまた一日が始まってしまうこの瞬間が一番嫌い。

 家族からは役立たずと蔑まれる。では、家から出る学校の間は憂鬱でないかと言うとそれも違う。


 私は学校でも同じ。


「……………………」


 登校すると、私の机は泥塗れになっていた。


「見てあれ……」

「うわ、きたなーい」


 周りからはヒソヒソと笑い声が聞こえる。汚いのが分かっているなら掃除すればいいのに。


「……ウォーター。ウィンド」


 水で泥を包み、風で持ち上げる。ご丁寧に引き出しの中まで入れてくれたのね。その無駄な労力を他のことに回せないのかしら。


 泥はそのまま外へ。あら、泥のおかげか一昨日の魚の匂いが取れたわね。最近の流行りは私の机に何か物を置くことらしいので、一昨日は魚が入って昨日もまだ魚臭さが抜けなかった。


「……チッ」


 私が泥を片付けると、皆つまらなそうに私から興味を無くした。あなた達が期待しているような反応はしないのだから、もう止めればいいのに。


 こういうイジメの発端は半年前。私がとある男子生徒の告白を断ったことだ。


 私は性格はあまりだが、見た目は人よりもよかった。背中まで伸びる淡い金色の髪に明るめの緑の瞳。まだ幼さ残るが端正な顔立ち。自分で言うのも何だが、顔はかなりいい方だ。


 しかし、この顔のせいで、事が起こってしまった。ある日、知らない男子生徒がといきなり告白してきた。いや、告白というより命令か。「顔がいいから俺の物になれ」と。

 意味が分からなかったので、丁重にお断りした。しかし、相手が悪かった。その相手は一つ上の学年で、伯爵家の息子であり、見た目も良く学校の王子とか呼ばれてる人気者だった。


 そして、告白を断られたとそいつは大激怒。さらにそいつを狙っていた多くの女子達から、なんであいつなんかが告白されて、しかも断ってんのと大炎上。成績がいいだけのカススキル陰キャなんかのくせにと。私は学校の多くから敵認定されてしまった。


 それ以降始まったのが朝のようなイジメ。最初は直接暴力を振るわれることもあったが、戦闘は得意なので返り討ちにしていたら、あの様な回りくどいものになっていった。


 だから、私は家でも学校でも憂鬱。家だと婚約相手を見つけない役立たず叱責され、学校だと陰湿なイジメを受け、婚約者を探すどころじゃない。どう足掻いても詰んでるとしか思えないのが私の日々。



 そんな毎日でも、唯一心安らぐ時間があった。それは放課後。私のお気に入りの場所で過ごす時間。


 街から少し離れた森。そこは特に何も無く、誰も近寄らない森。その森の奥の方に小さな泉があった。ここが私のお気に入り。

 澄んだ空気の中、風の音と木々の揺らぐ音が聞こえる穏やかな空間。木に背をもたれながら、誰も来ないこの空間で本を読む。この空間で過ごす時間が私の唯一の心安らぐ時間。


 今日もいつもの木へともたれかかる。泉の目の前にあり、背もたれ具合が非常に良い。景色も楽しめるし、フィット感も抜群。いつものここで昨日の続きでも読もう。


 本を取り出し、読み進める。この時間だけは全て私の時間。誰も気にする必要が無く、誰にも邪魔されない。そんな素敵な時間。


「うわぁ、すっげえ綺麗……」


 ふいに誰かの声が聞こえた。本から顔を上げると、一人の男子生徒が見えた。


「あっ、ごめん。邪魔するつもりじゃなかったんだけど」


 彼は私の方へと近づいてきた。知らない顔だ。同じ学校の制服を着ているが知らない顔だから、別の学年だろうか。


「……何か?」

「あっ、いや、別に用がある訳じゃないんだけど、たまたま散歩してたら君を見かけて、こんなところに人なんて珍しいなと思って」


 確かにここに来る人なんて珍しい。でも、珍しいのは私じゃなくてあなただけど。


「俺、ケイン=ルースレト。君は?」


 いつの間にか私のすぐ隣まで近づいたケインと名乗る男子生徒。なんだずけずけと。一瞬、無視しようかと思ったけれど、こういうところが私の駄目なところなんだと思い、名前だけ答える。


「……アイリス=ノード」

「へえ。いい名前だね。よろしくね」


 私の隣に座ったケイン。何故座る。


「この辺りってさ、全然人来ないんだよね。この泉に人がいるの初めて見たんだけど、君はよく来るの?」

「……たまに」


 嘘をついた。たまにじゃなくて、ほぼ毎日。雨の日以外はここへ来ている。でも、彼に本当のことを言う必要なんてない。


「そっか。この泉、めっちゃ落ち着くよね。俺、時々ここに来るんだ。勉強とか貴族のしがらみとか、全部忘れられるっていうかさ」


 私は黙って本をめくる。彼の話に興味はない。でも、彼の明るい声はどこか心地よく、ページを追う手が少しだけ緩慢になる。


「あっ、別にこっち見なくてもいいよ。本読んでおいて。俺が勝手に喋ってるだけだしさ」


 それなら、別の場所に行けばいいのに。私は愛想もないし、そちらを見ずにずっと本を読んでいるやつの隣なんていても楽しくないだろう。


 でも、その日から彼は度々ここへ来るようになった。


 彼はここへ来て、私の隣に座り、話しをする。彼は一つ上の学年であり、ルースレト家は伯爵家で彼は長男。卒業後は家督を継ぐらしい。成績は中の上だが、剣術だけは学年でも二十位以内には入るぐらい得意だということ。愛犬の名前はパピということなど、色んなことを話していた。


 それに対し、私は本を読みつつ、彼の言葉に適当に相槌する。読むのに夢中になって、相槌しない時も度々あった。私の目は本へ向いているので彼と目が合うこともない。相槌も適当。しない時すらある。それでも、彼はここへ来続けた。


 そんな彼のことを最初は迷惑だと思っていた。私の空間に入って来て、興味の無い話をしている迷惑な人。そんな認識だった。でも、人は慣れるようで、いつの間にか彼がいるのも普通に感じるようになってしまった。


「ケインって、なんでここに来るの?」


 ある日、ふと聞いてみた。今まで疑問には思っていたが、聞こうと、話そうと思ったことはなかったのに。


「え、なんでって……。ここ、落ち着くし、君がいるから、かな?」

「……私、別に面白いこと言わないし、話も聞いてないときあるのに」

「ハハ、いいじゃん。それでも、君の隣で喋ってるの、なんか楽しいんだよね。君、すっごい真剣に本読むから、楽しんでることが伝わってきてこっちまで楽しくなるっていうかさ」

 

 色んな人もいるのね。私だったら、無視されてるみたいで嫌だけれど。


「……暇なの?」

「いや、暇ってわけじゃないけどさ。学生の間は好きにしていいって言われてるし、まだそこまで忙しくはないんだよ。卒業後はもう駄目だろうけどな。…………自由に生きてえな、なんて」


 この時、いつも明るい声が少し沈んだように聞こえた。私は本から目を離し、彼をちらっと見る。いつも笑っているけれど、どこか寂しげな瞳。私は初めて、ちゃんと彼の顔を見た気がした。自由を求める。それは彼の本心であり、私の心にも刺さる言葉だった。



 


「それでさ、こうやってやると爆発してさ」

「えー、すごーい、ケインさん!」


 そんな日々が続いたある日、昼休みに図書室に行こうと中庭の横を通った時、見覚えがある姿が見えた。

 一組の男女がベンチに座って楽しげに会話している。知らない女の子とケインが。


「ケインさん頭も良いなんてすごーい! かっこよくて、伯爵家なのに偉そうにしないし、感激!」

「ハハハ、そんなすごいことじゃないさ。俺よりすごい子なんていっぱいいるからね」


 別にこれは今日に限ったことじゃない。ケインはよく中庭にいる。そして、毎回と言っていいほど違う女の子と。


「またまた謙遜して〜」

「いやいや、そんなことないって。あっ、よく本を読む子が居るんだけどさ、その子とかすっごいよ」

「何がすっごいの?」

「それはね……」


 距離があるから何を話しているか聞こえないけど、楽しそうに話しているのは分かる。だからといって、私がどうこうすることはない。私は彼にとって何者でもない。ただ泉で喋る人というだけ。


「ガードがすっごい硬っいの!」

「もーう遊んでばっかりなんだから〜」


 また違う子といるのね。よくやるわ。そんなことを思いつつ、図書室への道を歩いていくだけ。




「よっ。いつも早いね」


 放課後になると彼は泉へやってくる。私も変わらずここへ来続けた。


「あっ、そうだ。これって読んだことある?」


 ケインから手渡された一冊の本。これは……。


「これ……、絶版になったムル先生の本じゃない! 古書店を回ってもどこにもなかったのに、どうしてこれを……」

「そんな珍しい本なんだ? いや、たまたま家にあって、なんか好きそうかなって思って」


 私があれだけ探しても見つからなかった本。まさかそれが今目の前にあるなんて。


「……読んでもいい?」

「もちろん! 君にあげようと思って持ってきたんだから!」

「ほ、本当に!? でも、こんな貴重な本貰うなんて悪いかも……、ああでも何回も読み直したいかもしれないし……」

「あっはっは! いいよいいよ貰って! それだけ嬉しそうな姿見れたんだから、そのお礼にね」

「……もうっ」


 一人ではしゃいじゃって恥ずかしい。突然こんな物が出てきたら喜ぶに決まってるじゃない。すごく嬉しいわ。探しても見つからなかったこの本。それが見つかった。でも、ただ見つけた以上に嬉しい気がするのはなんでかしら。


 そして、来る日も来る日も、いつもの木の下で二人はいた。暖かな春が去り、暑い夏の日がやって来ても。その夏ももう終わりへと向かっていても、変わらずに。


 彼はいつも今日の出来事や学校の愚痴など、他愛もない話をする。今日のAランチはスープが薄かったとか、抜き打ちテストの結果があまり良くなかったとか。最初は本を読みながら相槌するだけだった私。

 

 しかし、次第に本を読む時間が減っていった。


「魔法座学のカーヤ先生、出す課題多いんだよな。次の授業までにレポート十枚とか鬼だろ」

「あら、それぐらい普通じゃないの」

「普通!? 普通っていうのは二、三枚とかだろ」

「そう? 普通に書いていたら十枚ぐらいになっちゃうわよ」


 静かだった泉に二人の声が響く。「へぇ」とか「ふーん」とか、素っ気ない相槌から、徐々に自分の意見や気持ちなどが入っていき、いつしか相槌は会話へと変わっていった。


 本を読んでいても、彼の言葉に耳を傾け、気づけば本を読まずに彼とお喋りをしている。次第に私は本を読む時間が減っていき、気がつけば彼とお喋りする為にここへ来ていた。



「今度の休みにさ、どこか遊びに行かない?」

「え?」


 ある日、いつものように泉でお喋りしていると、ケインからそんな提案をされた。私と遊びに?


「……別にいいけど」

「やった! じゃあ、どこがいい?」

「……どこでも」


 結局、今度の休みに映画を見に行くことになった。今話題の映画があるらしい。


「じゃあ、また今度な!」


 休みの予定を決めて、ケインは帰っていった。それにしても、なんで私を誘ったんだろう。そもそも、人から遊びに誘われるなんて初めて。映画を誰かと見るってどうすればいいのかしら。話しかける訳にはいかないし、映画に集中していると一緒に来ている意味がなくなりそうだし。


 服とかもどうしよう。綺麗な服なんて社交界に連れて行かれる時用のドレスぐらいしかない。他の服はお下がりで、変ではないけど痛みはあるし。ヨレヨレの服なんて着ていくわけにいかないし。分からないことばかりで混乱してくるわ。


 ……でも、不思議ね。なんだか楽しいの。




「お待たせ!」


 そして、当日を迎えた。映画館の前で待ち合わせ。私服姿のケインを見るのは初めてね。よく見た人のはずなのに、すごく新鮮に見える。


「私服姿もいいね。すごく可愛いよ」

「……ありがとう」


 本当かしら。一応、一番綺麗な服を選んできたけれど、変じゃないかしら。気を遣われてるだけじゃないかしら。それより、褒めてくれたんだから、私も返さないといけなかったのじゃ……。


「さあ、行こうか。もうすぐ上映時間だ」


 そうこう考えているうちにケインから手を差し出される。差し出された手に戸惑いつつ、無視するのも失礼と思い、そっと手を重ねる。

 私の手をケインの手が包む。大きくて硬い手。なんだか緊張してきた。手汗とか大丈夫かな……。


 映画は恋愛映画だった。学生の青春恋愛映画。平凡な男子と女子が出会い、様々なイベントを経て仲を深め、最後には愛の告白で締められる。甘酸っぱい青春の記録が映し出されていた。


「いやー、面白かったね!」

「……そうね」


 映画が終わり、私達はカフェに来ていた。ケインは楽しそうに映画の感想を言っているけれど、私は少し上の空な返事をしてしまう。


「あれ? あんまりああいうの好きじゃなかった?」

「そういうわけじゃないけれど。……そういう経験ないから、なんだか別世界みたいで」


 恋愛経験も無く、興味もなかった私からすれば映画は遠い世界のことに感じた。すごくキラキラした世界。私の薄暗い世界とはまるで真逆の世界。こんな世界もあるんだと見ていた映画。

 でも、あれが人気ということはみんなそういう経験をしている、したいと考えているんだと他人事の様にスクリーンを眺めていた。


「……そっか。じゃあさ、俺と色々経験してみない?」

「え?」

「あの映画のような経験を俺と色々してみようよ。ちょうど、今度夏祭りあるでしょ? 一緒に行かない?」


 そういえば月末は夏祭りだった。色んなお店の出店やパレードなどがある人気のお祭り。今まで絶好の出会いの場だからと強制的に行かされていたお祭り。


「……いいの? 私となんかで」


 誘ってもらったのは嬉しい。でも、私でいいのだろうか。私は明るい方でないし、当日も今日みたいな反応をしてしまうかもしれない。


「もちろん! 俺は君と行きたいんだ!」


 ……それでもいいと言うならば、私に断る理由はない。


「……じゃあ、行きましょう」

「よし! じゃ、決まりだな。楽しみだ!」


 こうして、私はケインと夏祭りへ行くことになった。今まであまりに良い思い出がないお祭り。それでも、今回は。



 次の日、私は軽い足取りでいつものように昼休みに図書室へ向かっていた。夏祭りに誘われ、少し舞い上がっていたのかもしれない。


 いつもの道順で図書室を目指す。この道順なら中庭の横を通る。そこにはいつも通りケインがいた。でも、今日はいつもと違った点があった。それは彼と一緒にいた人物。あれは……、いじめの元凶の人。


 ケインが一緒にいたのは、私に横暴な告白をしてきた王子先輩だった。


「……尾けて行ってさ、今いい感じよ?」

「マジか!? くそ、俺のことは断りやがったくせに」

「お前は雑すぎんだよ。ま、うまくいったらお前にもやらせてやるよ」

「チッ。期待せずに待ってるわ」


 なんの話をしているんだろう。離れているし、あまり会話は聞き取れない。ケインはなんであの人と……。でも、学年は同じなのだから別に変なことじゃないのか。それにどちらも伯爵家だし、以前から付き合いがあるのかもしれないし……。


 自分に言い聞かせるが、どこか胸騒ぎがする。私は見つからないように足早にその場を去るだけだった。



 

「お待たせ! じゃあ、行こうか」


 そして、夏祭り当日を迎えた。差し出された手を握り、人混みの中を進む。お祭りは人で溢れかえっていた。はぐれないようにぎゅっと手を握り、二人で歩く。


 色とりどりの魔法が展開され、夜空に美しく映える。地上では、パフォーマー達による踊りが行われ会場を盛り上げる。華々しく華麗なパレード。これってこんなに綺麗だったのね。


 今まで何回も見ていたのに、まるで違う。


「ちょっと寄り道して帰らない?」


 パレードも終わり、お祭りもお開きとなった帰り道。ケインはそう提案してきた。ちょっとぐらいなら別にと了承すると、ケインは帰り道とは別の方向へ手を引っ張って行く。人混みから外れて、こんな時でも誰も寄り付かないところへ。そう、いつもの泉へ。


「どうしたの? こんなところに来て」

「……伝えたいことがあってね」


 伝えたいこと? こんなところにわざわざ来て言う事なんかあるのかしら。


「俺と付き合ってくれないか?」


 ……え?


「君のことが好きだ。だから、付き合って欲しい」


 私を見つめるケインの瞳。それはまっすぐ私を見つめていた。


「わ、私は……」


 予想だにしなかった言葉に戸惑う私。好き? 付き合って? 私と?


 聞き間違いじゃない? 好きって、だって、私愛想ないし、表情の変化も乏しいし、私といても楽しくなんか……。


「え?」


 私の頬を涙が伝う。なんで涙なんか……。悲しくなんかないのに。…………あ。そうか。


 嬉しいんだ。誰にも好かれなかった私を初めて好きと言ってくれた。私をまっすぐ見てくれていた。何より、私もケインのことが好きだったんだ。


「……私なんかでよければ」


 この日、私はケインと付き合うことになった。


 そして、この日から私の世界は変わっていった。薄暗かった私の世界が急に色づいていた。


 今ならあの映画のことも分かる。学校で見かけるだけのシーンも、ただ一緒に歩いて帰るだけのシーンも、なんてことない日常のワンシーンに喜んでいた主人公の気持ちが。

 私もあんなこと話したなとか。テスト勉強一緒にできていいな。私は学年が違うしとか。スクリーンの中の彼女と私は同じようになれた。あのような華やかな世界に私も居るんだと。


 彼と出会い、付き合い、私は色々なことを経験していった。知らないこと、初めてのことばかり。そして、それを一つ知る度に彼との絆が深まるように感じた。


 そんな日々を過ごし、彼と出会い一年が経った。



 そうだ。そろそろお父様に報告しようかしら。


 まだ家族にはケインと付き合っていることは言っていない。怖かったから。自分に自信がないから。


 付き合うことになったとは言え、長く続くかは分からない。もし、別れることになったとなれば、どれだけ怒られるか分からない。それが怖くて言い出せなかった。


 でも、そろそろ言ってもいいんじゃないかしら。彼と出会って一年が経った。進級した彼は四年生となり、今年で学校を卒業する。卒業すれば、正式に後継者として認められるって言っていたし、お父様の希望的にも問題ないはず。


「……お父様。私、お付き合いしている人がいるの」

「なに!? アイリスお前が!?」


 夕食の時間。私は意を決して報告することにした。


「いったい相手は誰だ!?」

「ケイン=ルースレトです」


 彼の名前を告げる。


「ケイン=ルースレト? ……もしかして、伯爵家ルースレト家の者か?」

「その通りです」


 ちゃんとお父様の言いつけ通り、相手は格上の家よ。これなら何も問題ないでしょう。


「駄目だ!」

「え?」


 駄目……? どうして? 条件だって、お父様の希望を満たしているはず。


「ルースレト家は、カエが嫁いだサルエル伯爵と対立していて仲が悪いんだ。サルエル伯爵家と我が家は既に関係が出来上がった。お前がルースレト家の者と関係を持つことなど許されない」


 ケインの家とカエお姉様の嫁ぎ先が対立している? そんなこと知らなかった。でも、それで私が諦めないといけないの?


「今すぐ縁を切れ! このことがサルエル伯爵に知られたらどうする!? なんてことしてくれたんだ!」

「そ、そんな……。でも、ケインはそんなこと気にする人じゃないわ。お父様も一度会ってみれば……」

「ふざけるな! 対立するあの二つとどちらも関係を持つなんて出来るわけないだろう! お前は我が家を破滅させたいのか!」

「そんなつもりは……」


 家の為と考えることは少なくても、家を破滅させたいなんて思ったことはない。お父様、少しぐらい話を……。


「昔から使えないとは思っていたが、まさかここまでとはな。使えないどころか、我が家に厄災を振りまこうとするとは。この厄災神め!」

「……っ!」


 私は席を立ち、部屋に戻る。お父様があんなふうに思っていたなんて。良く思われていないのは分かっていた。でも、実の父親から直接言葉にされるともう耐えられなかった。溢れる涙に止まらない嗚咽。私は一人泣くしか出来なかった。

 






「おっ。今日は俺の方が早かったね。……どうしたんだ? なんか顔が暗いよ」

「……ケイン」


 次の日、私は重い足取りで泉に来た。ケインに話さなくちゃ……。


「…………そっか。お父さんがそんなことを」


 ケインに昨日の出来事を話した。カエお姉様の嫁ぎ先。その家とケインの家の対立。お父様からケインとは縁を切るように言われていること。


「確かに、うちの家はサルエル家と対立してるな。事業の内容が似てるんだよ。うちとサルエル家。それで、色々揉め事とかもあってね。きな臭い話もね」

「……ケインもサルエル伯爵と対立するの?」

「いや? 俺はみんなと仲良くできたらいいなって思うからさ。ま、仲良く出来なくても対立までする必要はないだろ」


 ハハハとケインは笑う。ほら、言った通りじゃない。ケインにはそんな気がないって。サルエル伯爵のことはあまり知らないけれど、これを気に少し仲良くしてくれればいいのに。逆に対立二つを仲良くさせたなんて功績が出来れば、家にとっても有利なのに。


「はあ。面倒くせえよな。家の関係性だとか、しきたりだとか。時々俺も思うよ。こんなの全部無くなればいいのにって。いっそのこと、全部捨ててしまいたいよな〜」

「……え?」


 空を見上げ呟くケイン。全部捨てる?


「ほら、家とかも捨ててさ、どこか田舎でのんびり過ごしたりとかね」

「……それいいわね」

「だろ〜? 君も家のこと面倒なら、捨ててしまえば? 一緒に夜逃げでもする?なんて……」

「夜逃げ……」


 全部捨てて、逃げる……。家も学校も何もかも。ケインと一緒に。


「……そうよ。黙って従わなくてもいいんだわ。嫌なら逃げてしまえばいい」


 きっとお父様は説得に応じない。頑固だし、私のことは見下しているから、私の言うことなんて聞く訳が無い。それなら、逃げてしまえばいい。


「……私少し考えるわ。プランとか行き先とか」

「え? あ、ああ、頑張って……」


 絶望していた私に希望の光が差し込んだように思えた。


 私は必死で考えた。逃げるプランを。行き先はどこかいいか。逃げた後はどうするか。逃げるために必要なものは何か。


「……これが私の考えたプランよ。どうかしら?」


 そして、考えたプランをケインに提案した。


「え、あ、うん。すごいね」

「じゃあ、これでいくわ。……ケイン、本当にいいのよね?」

「あ、あー、うん。いいんじゃないかな?」


 ハハと笑い了承するケイン。決まりね。


「それじゃあ、決行は三日後よ。またね、ケイン」




 色んなことを考えて必死にプランを作った。もう全てを投げ出しケインと逃げる為に。それもついに明日実行する日となる。


 それでも、最後にもう一度だけは。


「お話しがあります。お父様」

「なんだ? アイリス」


 お父様と話をする。


「ケイン=ルースレトとの交際は認めてくれないでしょうか?」

「またその話か。何度言ったところで駄目だ」


 今まで何度かお父様の説得を試みてきた。でも、全て駄目だった。


「今は対立しているかもしれないけれど、ケインが当主になれば変わるはずです。それに……」

「夢物語だと言っているだろう! 片方の当主が変わろうと、確執は変わらん! 絶対に駄目だ!!」


 お父様の頑なに私の話を聞いてはくれない。毎回説得を試みても、途中で声を荒らげて止められる。それでも、今日は引くわけにはいかない。


「……私はケインと一緒にいたい。どうしても彼と一緒になると言えばどうしますか?」

「何をふざけたことを。そんなもの絶縁に決まっているだろう! もういい! 出ていけ!! 言う事の聞かぬお前など、私の娘ではないわ!!!」 

「…………そう。今までありがとう。さようなら、お父様」


 結果は分かっていた。それでも、変わるかもしれないとも思っていた。

 

 こうして、私達は家から逃亡することにした。何もかも捨てて、二人で自由に暮らしたい。裕福ではなくても、暖かな生活を。希望溢れる耀かしい未来が来ると、この時の私は信じて疑わなかった。




「ごめんねっ……!」


 またあの夢だ。幼い私が泣いてるのを見ている夢。何故私は泣いているのだろう。誰に向かって謝っているのだろう。

 ……目の前で泣いてるのは本当に私なんだろうか。見た目は私だけれど、私なんだろうか。それなら何故私はそれを見ているのだろう。目の前の彼女が私なら、私はその姿を見えないはずなのに。


 私はいったい誰……?






 


「……遅いわね。ケイン」


 ついに決行の日。いつものところで一人待つ。もう時間は過ぎたというのにケインは現れない。


「連絡してみよう」


 通信機を取り出し、彼へと連絡を試みる。しかし、彼とは繋がらない。今は出られないだけかもしれない。ひとまず、メッセージを入れて返信を待ってみよう。


「もしかして、別のところで待っているのかしら?」


 いつもの場所で待ち合わせとは言ったけれど、正確な場所指定まではしていない。この泉には来ていても、私がいる場所とは別の場所で待っているのかもしれない。少し辺りを探したほうがいいかもしれない。


 泉の周りを歩き始める。少し曇り出して来た空の下、一周しても彼の姿は無い。

 泉だと開けていて、見つかりやすいから、森の中にいるのかもしれない。そう思い、森の中も歩いてみた。

 けれど、結果は同じ。


「何かあったのかしら……」 

 

 再度連絡をするも繋がらない。送ったメッセージも……、


「あれ? 読まれてる?」


 メッセージは読まれていた。でも、返信は何もない。


「なんで……? もう一度送ってみよう」


 もう一度送ってみる。数分後に読まれた。しかし、返信はない。


「……どうして」


 その後も連絡しても通じず、ついにはメッセージも読まれなくなってしまった。



 何故通じないのか。何故返信が無いのか。


 もしかすると、返信も出来ないぐらい体調を崩してしまったのかもしれない。

 もしかすると、計画がバレて家族に監禁とかされてしまったのかもしれない。

 

 頭に思い浮かぶ様々な要素。彼の身に何かあったのか。誰かが妨害しているのか。


 それとも私は…………。


 …………それは考えなかった。考えたくなかった。


 時間だけは過ぎていく。時間は過ぎ、天気も変わる。


「あっ……。雨……」


 ずっと曇り空だったが、ついに降り出した雨。しまった、傘を用意するのを忘れていた。


 木の下に移動し、雨粒に濡れないようにする。まだ降り出しの雨。これぐらいなら葉っぱが受けてくれる。そんなに濡れることはない。彼はもうすぐ来るはずだから。


 彼を待つ。


 雨粒が落ちてくる。まださっと払えばそのうち乾く。


 足元が泥濘んでくる。泥なんて落せばいい。すぐ綺麗になる。


 こういう時、魔法は便利だ。風で傘の代わりを作れば、濡れるのは軽減出来る。

 空模様を見ると、雨はまだまだ降りそうだ。それでもいつかは止む。止まない雨など無い。


 ……でも、いつまでやればいいのだろうか。



 ……雨粒が私の髪から滴る。……ぎゅっと絞れば、水は抜けていく。だから、大丈夫。

 

 ……足元には水溜りができている。……靴なんて乾かせばいい。だから、大丈夫。

 


 雨は止まない。まるで嗤うかのように降り続ける。もう分かっているくせに。いつまで待っても彼は来ないのだと。


 時間だけが過ぎていく。無意味と、無駄だと。




 …………私の頬を雨が伝う。………………。










「おはよー」

「おう、おはよう」


 太陽が登り、空は青く晴れ渡る。前日の雨など知らぬと言うように燦々と輝く太陽。

 生徒達は今日も一日を始めようと登校していた。


「昨日どうだったよあの子」

「まあ、ぼちぼちって感じ? 悪くはねえけど」

「はは、やることやっといて酷え言い方。そういやお前、あの美人はどうなったんだ? なんか一緒に逃げるとか言ってなかったっけ?」

「ああ、あれ? いや、マジでさー何言ってんのって感じで……」

「ケイン」


 二人の男子生徒が楽しそうに歩いていた。私を見るまでは。


「昨日なんで来なかったの……?」


 校門の前で私はケインを待っていた。雨に濡れ、髪はボサつき、服も皺だらけ。それに、赤く腫れた目。


「あっ、えーと……」

「昨日って、お前この子ともなんか約束してたのかよ」

「……この子とも?」

「ちょ、おまっ! 余計な事言うなって!」


 ケインは慌ててもう一人の男子生徒の口を塞ぐ。


「……どういうこと」

「あっ、いや、その色々あってだな……」

「……色々ってなに」

「そのー、えーと、あっ! 早く行かないと遅れるぜ! さっ、早く教室行かないとなー」


 足早に私の横を通り抜けようとするケイン。その手を掴む。


「説明してよ」

「ちょ、遅れるん……」

「説明してよっ!!」


 声が、顔が、心が。堰き止めていたものが溢れ出す。

 

「え、ちょっ、落ち着けって……」

「落ち着け!? 私は昨日ずっと……、ずっと待ってたのに!!」


 ケインに掴みかかる。こいつは何ふざけたことを!


「分かった、分かった! ちょっと向こう行こうな。な?」


 ぐいっと手を引っ張っられ、人気の無い校舎へと連れて行かれる。今まで何度も握ったその手。温かく、大きな手。今の凍えた私の手は何も感じなかった。


「はぁ。ちょっと勘弁してくれよ。人前であんなのさ」


 振り解かれた手。迷惑だと言うのを隠そうともしない態度。

 ……これは誰だろうか。


「……なんで昨日来なかったのよ!」

「なんでって、いや、普通に考えて行かないよね?」

「……は?」

「え、冗談だろ? まさか本気にしてたわけ?」


 ケインはあり得ないものを見るような目でハハッっと笑い飛ばす。何が可笑しいのか。


「……………………」

「あー、それは悪いことしたなぁ。まさか、本気してるなんて思ってなくてさ」


 ケインは悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放つ。


「貴族の地位を捨てる? なんて勿体ない。そんなことするわけないだろ?」

「……私は、もう家と絶縁した」

「あ、そうなの? いやー、それはこれから大変だね」


 完全に他人事とヘラヘラ笑っているケイン。一体誰のせいだと……。


「あっ、じゃあさ。仕事紹介してあげるよ」

「……仕事?」

「そっ。俺の友達にさ、娼館のスタッフやってるやついるんだよね。そいつ紹介してあげるから娼館で働きなよ!」

「………………は」


 言葉が出ない。


「君のその顔なら、すぐに人気出るよ! 人気の女の子にはしっかり給料払ってるところだから、金に困ることはないよ!」


 こいつはいったい何を言ってるだろうか。今もペラペラ何か話してるが全く頭に入ってこない。


 仕事……? 娼館……? 


 そんなのが欲しいなんて一度も言った覚えは無い。


「お客さんも良い人が多いんだって。それに人気嬢になればすごい大金が……」

「ふざけないでっ!!」


 バチンと彼の頬をぶった。もう我慢の限界だった。


「仕事とか、娼館とか、そんな話してないわよ! ふざけるのも大概にしてよ!!」

「いって……。……チッ。ふざけてんのはどっちだよ」

「はあ!?」

「……はぁ。お前さ、まさか本気で俺がお前に惚れてるとでも思ってたの?」

「……は?」

「お前なんか遊びに決まってるだろ」


 ……何を言ってるの……?


「顔はいいけど、お高くとまってる感じがうぜえし、それにカススキルだろ。そんなお前に本気で俺が惚れて、家捨ててまで一緒になりたいなんて思ってるとか考えていたのか? 馬鹿じゃねえの。お前はただの遊びなんだよ」


 私は遊び……? ただ遊ばれていただけ……? 


 今までの優しい言葉も、笑った顔も、将来のことも。


 ……私はただ遊ばれていただけ。


「お前なんか誰も好きになる訳ないだろ」

「死ねっ!!」


 私は叫び、走り出した。








 気がつけば、また泉へと戻って来ていた。


 ここまで走ってきて息も絶え絶えに。ヨロヨロと力なく泉の縁へと座り込む。


 ふと、水面に映る顔が見えた。


 ああ、なんて酷い顔。


 目は涙で溢れ赤く腫れ上がり、鼻や口は鼻水や唾液にまみれている。


 頬から一粒の涙が落ち、水面に波紋を作る。揺れた水面は私の顔をぐちゃぐちゃに引き裂いた。



 …………そっか。もうなくなってしまえばいいか。


 家も無く、友もいず、信じていた男には裏切られた。

 地位も無い、スキルも無い、何も無い私なんか消えてしまっても誰も困らない。



 私は泉へ落ちていった。


 水へ沈んで行く。

 地上の光が遠く、小さくなっていく。


 ああ、これで終わりか。

 何も出来ない人生だったな。


 誰も私を見てくれない。

 誰も私を認めてくれない。


 水は冷たく、私を底へと引き込んでいく。

 もう、意識も持たない。

 後は闇へと消えていくだけ。


『……手を』


 声が聞こえた。誰だろう。


『今度は私の番。あなたを助けさせてほしい』


 誰の声かは分からない。でも、温かく、懐かしい声。

 

 知らない。分からない。もう何もする気力が無い。


 それでも、本能が告げる。


 この声は裏切ってはいけないと。

 

『手を伸ばして』


 差し出された手へ手を伸ばし、私は光を掴んだ。



「……ふはああっ!! ゲホッ、ゲホゲホッ! ハァ……、ハァハァ、うえっ、ゲホッ!」


 私は泉の淵へと上がっていた。口から水が吐き出し、肺へと空気が流れ込む。


「ハァハァ……。貴女が助けてくれたのね……」


 私の側には一人の人が立っていた。

 背丈は私と変わらない、黒いドレスを身に纏った女性。だが、その顔は無機質な仮面で隠されていた。


「………………」


 彼女は何も言わない。仮面の奥に見える目は、ただ私をじっと見つめているだけ。


「……助けてくれてありがとう」


 彼女は誰なのか。何故私を助けたのか。いったいどこにいたのか。落ち着いてきて頭が回りだすと疑問が浮かぶ。


「………………」


 そっと彼女が手を差し出した。


「ありがとう……、え?」


 彼女の手を握った瞬間、ある光景が浮かんできた。それはいつも見ていた夢。幼い私が泣いている夢。でも、いつもと違う。いつもとは逆の光景。泣いている私からの視点。その先には同じ背丈の女の子が。


 泣いている私が手を取り謝っていた相手は……。


「…………そういうことだったのね」


 ようやく全てが分かった。彼女は何故泣いていたのか。彼女が謝っていた相手は誰だったのか。私のスキルは何故「人形」だったのか。


「……もう大丈夫よ。ええ。あなたのしたいことも分かったわ。では、行きましょう」


 差し出された手に引かれ、私は立ち上がった。







「はぁ……。今日は散々だったな。朝のあれのせいで色々面倒なことに……」

「おかえりなさいませ、ケイン様。応接間にてお客様がいらしています」

「あ? 客? 誰だよこんな時に……、お、お前!?」

「ごきげんよう。ケイン」


 ルースレト家の応接間にて椅子に座り、彼の帰りを待っていた。早かったわね。今日はまっすぐ帰ってきたの。


「おい! なんでこんな奴通した!?」

「ケイン様の御学友とお聞きしておりましたので、学生証も提示いただきまして……」

「チッ。まあいい。おい…………」


 ケインは何やら執事にボソボソと耳打ちしている。それを聞いた執事は驚くも、ケインに促され部屋を出ていった。

 

「なんでここにいる? 呼んだ覚えは無いが」

「別に来てもいいでしょう? あなたの彼女じゃない」

「彼女ね……。それで? 何がしたいんだ? わざわざ来たってことは何かしたいことがあるんだろう?」

「そうね。でも、私じゃないわ」


 ケインはドカッと椅子へ座り、ふんぞり返り私達を見下している。


「あっそ。そうだ、お前今日何してたんだ? 朝学校から出ていっただろ」

「色々よ。人と出会ってお話ししたりね」

「ふーん。人と会ったねぇ」


 ケインは興味なさそうに相槌だけを打つ。私達を見ず、自分の爪を見ながら。


「あっ、もしかして仕事紹介してくれって話でもしてたのか? 言っとくけど、俺も色々伝手あるからな。風俗以外にも酒場とか紹介できるぞ」

「別に仕事の話はしてないわ」

 

 興味なさそうに話を振り、適当に会話をする。興味が無いなら、しなかったらいいのに。それとも、する必要があるのかしら。


 その時、コンコンと小さく扉を叩く音がした。さっきの執事かと思ったが、誰も入って来ない。


「……なあ。今日、俺はお前のせいで散々な目にあったんだ。お前があんな校門で騒ぐから、友達には笑われるわ、他の女にも追及される羽目になるわで散々だったんだ」


 そうなの。それはご愁傷さま。でも、自業自得と言うんじゃないかしら。

 

「それなのにお前はよくのうのうと俺の前に現れたな? それに、なんだその気色悪いのは。仮面なんかしやがって。まさかそいつで俺を殺そうとでも思って来たのか? ハッ! ふざけやがって。おい、衛兵! 衛兵!」


 ケインの声で部屋の中になだれ込んで来る武装した兵士達。ああ、この人達が集まる時間を稼いでいたのね。それにさっきのノックはその準備が出来た合図と。


「殺せ。二人ともな」

「あら。そんな物騒なこと言って大丈夫かしら?」

「命乞いならもっとうまくやるんだな。心配しなくても、誰にもバレない。魔物に食われた不運な女が二人出るだけだ」


 兵士達が私達へと詰め寄る。みな、防具を身に纏い、鋭く光る剣を抜いて。ケインは椅子に座ったまま、勝ち誇った顔で私を見つめていた。初めて目があったわね。でも、その顔をするのは早いんじゃない?


「……お願い出来るかしら?」


 隣に座る彼女へと投げかける。私の言葉に彼女は頷き、立ち上がった。


 そして、彼女は動き出す。


 それはまるで踊っている様だった。迫る剣をひらりと躱し、相手の顔を撫でるかの様に指を動かし、舞う様に足を蹴り上げる。


 優雅に、華麗に舞う様は美しく、彼女が舞う度に敵は倒れていく。そして、一分も経たない内にその舞台の幕は降りた。


「は、ぜ、全滅……?」


 ケインだけを残し、衛兵は全員舞台から降りた。残るはケインだけ。


「え、ちょ、ちょっとまて、は、話し合おう! 話せば分かるはずだ!」

「……話すって何を?」


 今更話すことなんてあるのかしら。今日の朝、あなたから全部聞いたわ。


「あっ、えっと、ほ、他の女は遊びだったんだ! 本当は君だけなんだ!」

「……私にお前は遊びって言ったよね」

「あれは! えー、君の気を、そう! 君の気を引きたくてね! 分かってくれ。俺も必死だったんだよ」


 そう。私の気を引きたかったの。


「それなら、何故昨日来なかったの?」

「そ、それは……。ちょっと体調がすぐれなくて……」

「そうなの? カレイドさんと遊ぶ元気はあったのに?」

「な、なんでそれを!?」


 あなたが昨日何をしていたのか。何を考えているのか。もう私は全て知っている。朝から今まで時間はあったのだから。あなたのお友達から全部聞いたわ。


「待て! その、仕方なかったんだ! 君を愛しているけれど、彼女が無理矢理……」

「……あなた、私の名前知ってる?」

「そ、そりゃもちろん……」

「じゃあ、呼んでみて?」

「え、い、いや、今はそんなことしてる場合じゃ……」

「呼んで」

「……え、えーと、あれ? こ、こんな状況になって頭がこんがらがってきた……。お、おかしいな。はは……」


 ケインは引き攣った笑いを浮かべるだけで何も言わない。


 知っていたわ。あなたが私の名前も覚えていないことぐらい。だって、あなた一度も私を名前で呼んだことないものね。


「……もういいわ」


 私は立ち上がり、部屋の扉へと向かう。


「は、え? た、助かった……? は、ははっ、ははは……」


 情けないヘラヘラした顔で笑うケイン。


 もうこの場に用は無い。この男にも興味の欠片も無い。ここに留まる意味は無い。それよりも騒ぎを聞いて、警吏でもやって来たら面倒だ。


「あっ、お、お前、こんなことしてどうなるのか分かってるのか!?」


 私は立ち去ろうとした時、ケインが声をかけてきた。


「お前はもう貴族じゃないんだろ!? 貴族の俺に向かってこんなことをしたこと、後悔するぞ!」


 安心したのか威勢が良くなっている。ギャンギャン喚く様は、無様な負け犬の遠吠えの様。


「そう……。どうでもいいわ、そんなこと」


 そんなことも、お前のことも、もうどうだっていい。喚くなら好きなだけ喚いていたらいい。私は微塵も気にしない。

 

「は、ハハッ! いつか覚えてろよ! お前の全てぶっ壊してやるからな!!」


 もう手出しされないと安心して調子に乗る。ケージの中ならよく吠える犬の様ね。


「……勘違いしているようだから、一つ教えてあげるわ」


 でも、分かっているのかしら。何故、ここに来たのか。ここに来たいと言ったのは誰なのか。


「ここに来たいと言ったのは私じゃないの。彼女の方なのよ」

「は? なに、おまえ、止め、ぎゃあああ!!」


 ケインの断末魔が響いた。

 

 


 


 ケインの家を後にした私達は再び泉へと戻ってきた。ここは誰も来ない。都合がいいわ。


「もういいのよ。それを取って」


 彼女の顔を隠していた仮面。


 そっと彼女の仮面に触れる。無機質なその仮面の表面は冷たく、だけど、温かなものだった。


 そして、仮面はサラサラと宙に舞い散る。舞い散り消えた仮面。その下の素顔があらわとなった。


 背中まで伸びる金色の髪。新緑の様な色の瞳。幼さ残る少女の顔。いつも鏡で見ていた顔。


「今までごめんなさい。アイリス」


 仮面の下から現れた顔は私と同じ顔をしていた。


 そう、彼女がアイリスだった。


「……なんで謝るんですか?」


 彼女が口を開く。声も私と同じ。


「……私なんかの為に、貴女に迷惑をかけたわ」


 泉に落ちた私を救ったこと。そして、私の代わりに自分の手を汚したこと。


「それは違います! これは全部わたしがしたいことだった。あなたに辛い思いをさせた、あの男は許せなかったから」


 彼女はケインの命までは取らなかった。だが、男としての命は潰した。


「それに謝らないといけないのは、わたしの方です。辛い思いをさせたのはあの男だけじゃない。……わたしも。わたしが弱いから、ずっとあなたにだけ辛い思いをさせてしまっていた。悪いのはわたしの方なの。わたしがっ、わたしが逃げてしまったばっかりにっ……!」


 大粒の涙が彼女の瞳から溢れ落ちる。彼女は泣きながら何度も私への謝罪の言葉を口にする。ごめんなさい、ごめんなさい、と。


 まるであの夢よう。涙を流し、何度も私へ謝る彼女。そう、あれは夢じゃなかった。私の最初の記憶だったんだ。


 でも、違う。貴女は何も悪くない。本当に悪いのは、


「いいえ。それは違うわ。貴女は貴女の力を使っただけ。あなたは何も悪くない。悪いのは、主に迷惑をかける『人形』、……私」


 私なのよ。


「人形として力をもらったのに何もうまく使いこなせず、あげくの果てには貴女に迷惑をかけてしまった」


 ずっと分からなかったスキル「人形」。人形を操ることも、物を人形に変えたりも何も出来ないスキル。でも、それは当然だった。私自身がそのスキルだったのだから。人を超えた力を持つ者として作られた人形。それが私。


「貴女は自分を守るために、自身のスキル『人形遣い』で私を作り、その人形と一つになった。でも、私が泉に飛び込んだせいで、それを解かないといけなくなった」


 彼女のスキルこそが私が思い描いたスキルだった。スキル『人形遣い』。人形を操ることが出来、自由に人形を作ることも出来る。意志を持ったり、超人的な能力を持たせることも。そして、その人形と自らを一体化することも。


「貴女は何も間違っていない。あの家はおかしいわ。子どものことはただの道具としてしか見てないもの」


 彼女は家の教えに耐えられなかった。コミュニケーションが苦手で、人付き合いが不得意な彼女は周りから愛される存在にはなれなかった。毎日、毎日それを叱責され、誰も彼女を助けることはない。


 そんな彼女が逃げることを選ぶのは自然な流れ。彼女はそのスキルで、見た目全く同じな私を作り、自身も私の中に入り自分を閉ざした。


 だから、私がずっとアイリスとして振る舞い、与えられた力で彼女を守っていく。はずだった。でも、私が泉に飛び込んだせいで、それは崩れた。彼女は私を助ける為に、その一体化を解いた。


 そして、彼女は人形遣いの力を失った。落ちた私を助ける為、自身を完全に人形として作り替え、力を得た代償として。


「貴女を守るために私は生まれたのに、守るどころか貴女の命を危険にさらし、手を汚させることまでしてしまった。私は人形失格よ」


 アイリスとして生き、彼女の為になるようにしないといけなかったのに。何も私は出来なかった。

 

「……そんなことないです。あなたは辛くてもずっと逃げなかった。幸せの為に全てを捨ててでも突き進んだ。かっこいいアイリスとしてずっといてくれていた!」

「……そう。ありがとう」


 でも、こんな私でもいいと言ってくれるなら。これ以上はもう何も言わないわ。


 泣いている彼女を抱きしめ、彼女が泣き止むまで寄り添う。私の為に泣いてくれる人。この世でただ一人の私の大切な人。彼女の為に私はいる。これからはそんな彼女に誇れる自分にならないと。




「……さて、これからどうしましょうか」


 落ち着いた彼女と向き合い、今後の相談を。もう私達に帰る家はない。頼れる人もいない。これからどうしましょうか。


「……何かしたいことはありますか?」

「私?」


 アイリスから質問される。私は貴女の人形なんだから、貴女がしたいことをすればいいと思うのだけれど。でも、そう言うことが言ってほしいのじゃないのね。


「したいこと……。そうね、自由に暮らしたいかしら」

「……え? それだけ? あの、家族とか、いじめてきたクラスメイトに復讐したいとかは……?」

「……貴女意外と物騒よね」


 小動物みたいな見た目に反して物騒よね。復讐……。確かにそれもいいのかもしれないわね。でも、どうでもいいわ。


「そんなことに時間を使うのはもったいないわ。それより、探さないと。私達が自由に暮らせる場所を」


 時間は有限なの。限られた時間を有意義に使わなくては。それに自由に暮らせる場所と言っても、見つけるのは中々大変よ?


「地位とか立場だとかスキルだとか、女はこう男はこうとかそういうものが何も無い、自由であるところじゃないと」


 今と同じような場所だと同じことになりかねない。そうならない為には、今とは全然違う環境を見つけないと。

 

「そ、そんな場所あるのかなぁ……」

「さあ? 無いなら作るしかないわね」


 探しても無いなら自分で作るしかない。理想の環境を。


「作るって町を作るってこと?」

「町……。そうね、それもいいわ。皆が自由に暮らせる町。作ってみたいわね」


 だれでも自由に暮らせる町。そんな理想を実現するはとても難しいかもしれない。でも、出来たら素敵ね。


「私は自由に過ごしたい。もちろん、貴女と共に。アイリス、貴女は?」

「……わたしも。わたしもあなたと一緒にいたい。そして、あなたが笑って楽しく過ごせるように。理想の町を作りたい」


 私と貴女の理想の為に。後ろなんか見ないで、前を向いていこう。


「では、行きましょう? アイリス」

「うん。アイギス」


 握られた手を引き、私達は泉へ背を向け歩き出した。

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