第四十七話:踊る大会議
妖精島に向き合った中央大陸東の玄関口――自由都市ヘスペリア。
潮の匂いが、議論の隙間にまで入り込んでくる。
港に面した酒場『エンシェント・タートル』のテラス席。海風の通り道に、長テーブルがどん、と据えられていた。眼下では波が桟橋を撫で、遠くでは帆柱がきしみ、カモメがやけに偉そうな顔で旋回している。
何度目かのプレイヤー会議。
テーブルの上には羊皮紙の地図、書きかけのメモ、コップについた水滴。風が吹くたび、紙の端がひらりと浮き、誰かが慌てて押さえた。
「『鏡の国』の話は興味深いわね……」
議長席のエレネが言い、メガネのずれを指先で直した。レンズ越しの視線は鋭い。
「でも、もう一度見に行ったら、鏡の鍵穴が無くなって、入れなくなってたんだ」
ハーフリング代表のプラムが、椅子の上で足をぶらぶらさせながら発言する。背後の海が、言葉に合わせてさざめく。
「確かに、こっちと鏡写しの世界とか、バグが多そうだ。チビたちもがんばってんなー」
返したのはケンタだが、子どもサイズから戻れない自分もチビのくせに平然と「チビたち」と言うので、どうにも妙だった。
「オレたちも、あちこちのダンジョンを調べてるんだけどなー……ってなにすんの?」
気づけば、エレネがケンタの頭をなでなでしていた。
「はっ! ちっちゃい子がオレとか言うからつい……」
苦笑しながらも、最後に追加でひとなでする聖騎士。
「ところで、それって世界がもうひとつあるのと同じよね」
エレネのメガネがキランと光った。海面の反射が、レンズに一瞬だけ住み着いたみたいに。
「まあ、そう言う考え方もあるな」
「拡張パックを解放したら、そっちも広がるのかしら?」
「うーん、仕様次第かな。船は来ないらしいし……いや、十分にテストしてないゾーンがまるごと増えるなら、バグも激増かも……」
「誰がバグの話をしてるのよ、出口の話よ!」
海風が笑い声をさらっていき、誰かの咳払いだけが残った。
「まあ、今度は世界中の鏡を当たって見るよ」
プラムが軽く請け負う。
「えーベッドの次は鏡かよ〜」
もう一人のハーフリング代表、ププンが嫌そうな顔をする。
「お願いします」
そんなププンの手を取り、エレネは頭を下げた。
メガネの奥では黒い瞳が揺れていた。風のせいだけじゃない。
「先日の寄生キノコ事件では本当に危なかったのです」
この場には、いつも会議をやわらかくサポートしてくれるアンが居なかった。
いまだ寄生キノコ事件での心の傷が完全には癒えていないのだ。
「わ、わかったよ!お姉さんがそこまで言うなら、おいら頑張っちゃう!」
百八十度反転したププンの言動に、会議は少しだけ笑いに包まれる。
「んじゃあ、うちらは拡張パック解放クエストを当たるがね」
「お願いします」
エレネがシャチョーの手も取って頭を下げる。
「なんか調子が狂うがね……」
いつも犬猿の仲のはずが、その真摯な態度に照れるシャチョーであった。
「ちょっと待った!」
テーブルの向こう側で腕を組んで座っていたオーガ――オオオニ組のクミチョー、ビシャモンが声を上げる。
「拡張を解放すればレベルキャップが上がってモンスターだって強くなる。危険じゃあねえのか?」
ケンタが応じる。
「拡張パックは新しいゾーンを追加する形で実装されているから、この旧世界には影響がないはずだ」
「はず……か……」
クミチョーが渋い顔をする。
「緑キノコも、館の地下迷宮も、幻影城の仕様変更も想定外だったよな?」
「だが、現状維持も危険だろう……」
獣人族の長、獅子の獣人ラオがつぶやく。
「仮想の病気もケガも魔法で治るが、現実の身体はそうはいかない……健康な人間ばかりではないのだ」
会場に沈黙が落ちた。
* * *
沈黙は、海風ひとつで割れる。
だが割れたところで、中身が軽くなるわけじゃない。テラス席の誰もが、それを知っていた。
「さっきの寄生キノコの話だが、それについて共有しておきたいことがある」
ケンタがテーブルに手をつき、椅子の上に立ち上がる。
子どもサイズの身体でやると、日直の朝の挨拶にしか見えない。
「アンちゃんの話では、あの時、現実の景色が見えたそうなんだ……」
空気が、一段階薄くなる。
潮の匂いも、波の音も、いまは脇役だった。
一拍おいて、会場が騒然となった。
立ち上がる者。目を見開く者。寝てる者。
椅子が床を擦る。衣擦れの音。イビキの響き。
「それは、ログアウトしかけたという意味ですか?」
ラオが、組んでいた腕を解いて手を挙げる。獅子の獣人の動きは静かだが、言葉は重い。
「なら、そのキノコから調べるべきでないですか?」
「それが……」
ケンタの視線が、議長席へ滑る。
一瞬だけ、エレネのメガネの奥の黒い瞳が揺れた。
「申し訳ありませんが、あのキノコは事件の後に焼却してしまいました」
エレネが申し訳なさそうに告げる。声は震えていない。だが、頭の中では何度も同じ場面を反芻しているような、固さがあった。
「仕方ないさ、あの時点では危険という認識だったし、危険なのは今も変わらない」
ケンタがそう言い、椅子の上からゆっくり腰を落とす。テーブルの縁に置いた手だけが、少しだけ力んでいた。
「となると、こっちも行き止まりか……」
誰かが吐くように言ったその一言で、ざわめきはすっと引く。
海風が紙を揺らし、コップの水滴がひとつ落ちた。
会議はひっそりと静かに踊り始めた。
* * *
湖のほとり。
黒い木々が、切り立った崖の縁ぎりぎりまで生い茂っている。枝は絡み合い、幹は空を隠し、足元の影だけが濃い。
湖を渡ってきた風が、樹々を揺らす。
ざわり、と葉が擦れ、ざわり、と闇が揺れた。
ゾーンの端。湖沿いの崖の上。
設計ミスだろうか。
そこにプレイヤーが足を踏み入れる術はない。道も、段差も、手掛かりもない。近づこうとすれば、見えない線がそれを拒む。
それでも、風は届く。
樹々の奥で、湿った落ち葉が舞い上がった。
枯葉色のそれが宙をくるりと回る。その裏側がひらりと見えた瞬間。
枯れ果てたはずの葉の裏から、毒々しい緑の胞子が、ふわりと散った。
見えにくいほど細かい粒子が、風に乗って漂う。
黒い木々の影の中で、緑だけが不自然に生きている。
この陸の孤島では、それが多少の繁殖をしても、さしたる問題にはならなかっただろう。
――空を渡るものさえ居なければ。
* * *
――ヘスペリア港。
会議は、まだ踊っている。
だが、その踊りに、水を差すような言葉が落ちた。
「そうなんだが、ひとつ悪い知らせがある……」
ケンタがホワイトボード窓を開く。マーカーで四角を二つ描き、太い線で結んだ。
そして、その線の上に、迷いなくバッテンを重ねる。
「サーバーを跨いだメールが届かなくなった……おそらく、センドメールプロトコルのポートが塞がれた」
「よくわかんないけど、メールのプロとのサポートが塞がれたの?」
ププンが目の中に『?』を浮かべて聞く。
「……まあ、大体合ってる」
苦笑いを浮かべて、ケンタはうなずいた。
「同じサーバーで処理されてるゾーンではまだ通じるんだけどな」
テーブルの周りで、空気が少しだけ重くなる。
「また、連絡手段が潰されたということですか?」
ラオが尋ねる。
「そうなんだ。また、何かバグを探さないと……」
ケンタが言いかけた瞬間、エレネの視線を感じて肩をすくめる。
そして、咳払いをひとつ。
「コホン……何かできる仕様を探さないとな……」
* * *
「最後に、もうひとつ……可能ならでいいんだが」
沈黙の底に、ケンタの声がそっと落ちる。
珍しく遠慮がちだった。椅子にちゃんと座ったまま、目線だけで場の空気を探るようにしている。
「エピッククエストを手伝って欲しい。後半はどうしてもレイド規模になっちまうんだ……」
ざわ、と潮風がテーブルの端を撫でた。波音が、今度は合いの手みたいに聞こえる。
エレネも手をおずおずと挙げる。
「わ、私も……よかったらお願いします」
ビシャモンもこれにはうなずく。
「そうだな、まずは装備の底上げが手っ取り早いか」
「それと、これを見てくれ」
ケンタが一枚の葉っぱを、テーブルの上に置いた。
潮の光を受けて、薄い影が揺れる。だが、その表面に浮かぶのは色のない記号。
灰色の『?』が浮かぶそれは――。
【世界樹の葉】
「ハイエルフの王様に貰ったんだが、全然、情報がないんだ……何かあれば教えてくれると助かる」
みんな、それを覗き込む。
ハーフリングは背伸びし、オーガは前屈みになり、獣人は鼻先を寄せた。
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【世界樹の葉】
世界樹から摘み取られた神聖な葉。
生命そのものの力を宿しており、
触れた者に瞬時の蘇りをもたらす。
使用すると塵となって消える。
MAGIC ITEM LORE NO DROP QUEST ITEM EXPENDABLE: Yes
WT: 0.1Size: TINY
Class: ALLRace: ALL
Effect: Resurrection (96%, Instant)
Charges: 1
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「クエストアイテムなのに、使うと消えちまうのか」
ビシャモンが葉の裏を透かして見る。
「クエストに使うか、蘇生に使うかの二択ってことでしょうか?」
ラオも懐から丸眼鏡を出し、葉の表面をじっと観察する。
「あー!」
ケンタが突然、ラオを指さして叫ぶ。
「ここにもメガネ族発見!」
「誰がメガネ族よ……」
エレネが眉を寄せるが……。
ラオが丸眼鏡を掲げて宣言する。
「これは、我が相棒、老眼鏡のハッキリルーペくんですぞ」
おおっと、どよめきが走る。ププンが「ルーペくん!?」と変なところでツボに入って肩を震わせる。
「ど、どこで手に入れたのですか?」
わかりやすく食いつくエレネ。
「やっぱ、メガネ族じゃん……」
ケンタがぼそっと言う。
「これは、レンズを木製のフレームに嵌め込んだ物です」
「自作? 木工スキルと細工スキルの合わせ技か……レンズはどうしたんだ?」
今度はケンタが食いついた。目がキラキラしている。
「店売りの虫眼鏡を分解致しましたぞ」
「分解? そんなスキルあったっけ?」
「普通にネジを緩めたら外れましたぞ」
「うむむ、VR化で普通の操作とスキル使用の境界がだいぶ曖昧になってんな。実に面白い……」
「また、変なバグで騒動を起こすのは勘弁してよ」
エレネが呆れ顔で釘を刺す。
「ともあれ、世界樹というなら、南ですな」
ラオが結論を置くように言った。
「うーん、やっぱり南の大陸の拡張パックを解放しないとダメかな……」
ケンタは腕を組んで唸る。
「南ってどういうことなん?」
オオオニ組のオーガ女史、ヒロミが聞く。
「EOFには正式版リリース時に、3つの拡張パックが予告されていた」
ケンタはホワイトボード窓に書き出す。
1.ウェルカム・トゥ・ザ・ロストワールド→南
2.アイスキャップ・オン・ザ・ノース→北
3.ドーン・オブ・ザ・ファーイースト→東
「1で南の大陸が追加されるんだが、昔のEOFではそこに世界樹の森があったんだ」
ケンタはそれぞれに数字を書き足す。
60 80 100
「これが、それぞれの拡張で解放されるレベル上限だ」
「だから、拡張を解放したいと?」
ビシャモンが考えこむ。
「南の国で〜僕と情熱のダンス〜♪」
変な節で、オーガ吟遊詩人のジークが唄う。
「ええなぁ、南の国でバカンス!」
ヒロミも腰を振ってノリノリだ。
会議は微妙に熱を帯びて、南の風が吹き抜けた気がした。
* * *
「まあ、いいだろう。どのみち俺らだけで決めることじゃない」
ビシャモンは椅子に深く座り直した。巨体の重みに木製の椅子は悲痛な響きをあげる。
「留守番組も含めて、全プレイヤーに決をとる必要があるだろ」
「そうですね……各地に伝令を飛ばしましょう」
エレネが立ち上がって、一礼する。
「みなさんには、ますますご負担をお掛けすると思いますが、どうかよろしくお願いします」
「まかせてよ! おいら世界の果てまで行ってゴーだよ!」
ププンが調子に乗って声を上げ、みんなの笑いを誘う。
潮風が港の隅々まで笑い声を運び、停泊している船まで笑うように揺れた。
「アンちゃん、早くよくなるといいな……じゃまたな」
ビシャモンはそう告げると立ち上がって、会場を後にする。オーガの背中が遠ざかるたび、テラスの床板が小さく震えた。
ケンタはビシャモンたちを見送ると、エレネに向き直る。
「じゃ、行くか?」
「行くって? どこに?」
怪訝な顔をするエレネ。
「カエル族の住処、『ケロック上層』に決まってるだろ」
ケンタは小さな身体でピョコっと立ち上がると、南を指差す。
「パラディン叙事詩クエスト第二章だ!」
エレネは目を瞬く。
波の音が一瞬、驚いたように静まった。
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【地中の太陽】【パラディン叙事詩クエストⅡ】
依頼者:シルファン・ド・シルヴァノール
目的地:ケロック下層
依頼内容:カエル族にも聖騎士が存在する。
それは、太陽の聖剣を振るうという。
異なる光と剣を交えよ。
さすれば、其方の剣はさらに輝きを増すであろう。
難易度:★★★★★
報酬:聖剣の魂魄
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――光と光が重なる音が聞こえた気がした。
(おわり)
――第四十七話:踊る大会議 あとがき
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
議長のエレネです。
次回の『マジチー』は、閑話を今週金曜日のお昼頃に投稿予定です。
セレノスのみなさんがお花見するらしいですよ。
私には声がかかりませんでした。(しょんぼり)
でも、そちらも読んでもらえると……嬉しいです。
もし少しでも楽しんでいただけたのなら、ブクマや★で応援していただけると励みになります。
それにしても。
議題が山積みで、本当に大変でした。
鏡に、拡張に、通信に……あの場で倒れなかった私を褒めてほしいくらいです。
それなのに、人を「メガネ族」だなんて。
まったく。ぷんぷんです。
銀縁は神聖で、良いものなんです。
……あなたなら、わかりますよね?
え? アンがどうしているかって?
あの子なら大丈夫です。きっと……。
だから今は、私たちができることを、ひとつずつ。
さて。
カエルの聖騎士とのお手合わせ……楽しみでしかありませんわ。
太陽も、月も――きっと斬り伏せてみせます!
――エレネ




