閑話:バウワウ迷宮のニュービィ(前編)
4つのゾーンからなる広大なエリス草原。その中でも、いちばん広いのが南エリス草原だ。
……とはいえ、行き方は意外とシンプルだった。
北エリス草原のウィザード転送陣から、すぐ南にあるゾーン境界の橋を渡るだけ。
結局、セレノスへの帰りは数時間走る羽目になるのだが。
片道だけでもグループゲートが使えるのは、やっぱりありがたい。
白い橋は、春めいた陽光を受けてやけに眩しかった。
その光の上を、あるパーティが渡ってくる。
「橋にはセレノス系のガードが詰めてるんだな」
ハンターのユウタが、渡ってきた橋をちらりと振り返る。
「うん。いざとなったら、ここまで逃げればゾーンもできるし安心だね」
ドルイドのチコリが、白い欄干を眩しそうに見上げながら答える。
二人ともハーフエルフだ。長い耳が、風に揺れる髪に混ざっている。
「最初から逃げる話かよー」
茶化したのは、シーフのヤオキ。
横から「そうだ、弱気過ぎんぞ!」と乗せるのは、モンクのアルゴ。
どちらもセレノス育ちの人間で、軽口が止まらない。
「安全確保は大事だぞ」
先頭からリーダーのコウイチが釘を刺す。
黄金鎧を着込んだ人間のパラディンだ。
その鎧には、前よりも細かな傷が増えていた。
「そうよ、聞いたでしょう?『黄金街道』も鉄壁じゃないのよ」
その言葉を継いだのは、ウィザードのフレイアだった。
彼女もセレノススタートの人間だ。
モンスターが小麦袋をまたげない仕様を利用して『トーチ』が設置した安全地帯――『黄金街道』。
しかし先日の事件で、緑の巨人に突破されたのを、ユウタとチコリはその目で見ていた。
その後の侵攻は『トーチ』の方々が食い止め、事なきを得た――とはいえ、“越えられないはず”が越えられた衝撃は忘れられない。
南エリス草原にも、南のローズティア湖へ向けて小麦袋が整然と並んでいた。
規則正しい列は、風景に縫い込まれた白い糸みたいに続いている。
「まー、とにかく、目的地はすぐ南だ」
ヤオキが、真っ直ぐ南を指差した。
遠く、天にそびえる巨木が見える。
その少し手前に、小さな起伏の丘がある。
ノール亜種のダンジョン――『バウワウ迷宮』。
そこが、今回の目的地だった。
* * *
バウワウ迷宮の入口は、丘のふもとに口を開けていた。
気を抜けば通り過ぎてしまいそうな、小さな巣穴だ。
「……これ? ここ入るの?」
チコリが思わず足を止める。
だが、巣穴の縁から覗き込めば、ただの穴ではないとすぐわかる。奥に、冷えた空気が吸い込まれていく。
意を決して潜り込んだ先には、立体的な地下迷宮が広がっていた。
「バウワウ迷宮って、複雑な立体迷路なんだよね?」
チコリが不安げに先を伺う。
「ふふふ、大丈夫だ、任せろ!」
そう宣言して、ヤオキが懐から一枚の紙を取り出した。
「ログ爺に地図を貰ってきたぜ!」
おおっと覗き込む一同。
……覗き込んで、沈黙する。
紙には二本の縦線が平行に描かれており、両開きの扉に突き当たっている。
終わり。
「……これだけ?」
「入り口でキャンプするのが安全だってよ」
「まあ、そうなんだけど……」
苦笑するコウイチ。
巣穴の先にある両開きの扉の向こうから、一匹ずつモンスターを釣り出して戦う。
扉を閉めてしまえば、徘徊モンスターがリンクすることもなく、比較的安全に経験値を稼げる。
定番の裏技だった。
ところが――。
「うへえ、高い……下が真っ暗で見えないよ」
ユウタが恐々と覗き込む。
「立体迷路って、こういうことか……」
両開き扉への通路は、自然岩でできた橋だった。
しかも、左右ともに欄干などはない。
足を踏み外せば、先の見えない暗闇に真っ逆さまだ。
「落ちたら戻れないぞ、これ……」
「落ちなきゃいいんだよ。アルゴ、プル頼む」
ヤオキが軽く流して、両開きの扉を開ける。
扉の開閉は、横のボタンで行うようだ。
「向こう側からは開かないらしいから、こっちで開けてくれよ」
そう言ってアルゴが、扉の向こうへ潜り込む。
モンクは『死んだ振り』がスキルとして使える。
ネクロマンサーやダークナイトの『偽りの死』魔法と同等の効果があり、反応したモンスターのヘイトを切ることができる。
さらに、物理職のスキルは魔法と違って詠唱失敗がなく、一部を除いてソウル消費しない。
一匹だけ釣り出すのに失敗しても、このスキルで何度でもやり直せるのだ。
静寂の向こうで、かすかな足音がした。
ほどなくして、扉の隙間に茶色い毛並みが揺れる。
アルゴが、すっと姿勢を落とした。
そして――一匹のノールの釣り出しに成功する。
扉のこちらでコウイチが引き受ける。
アルゴは『死んだ振り』で、モンスターのヘイトを切る。
ヤオキが扉を閉め、回り込んでノールの背後を取った。
「ここのノールは茶色いんだね」
「ブラック・ボトムの青い犬より強そうだな」
軽口を叩きながら、順調に経験値キャンプは進んでいった。
* * *
何匹目かの茶色いノールが崩れ落ち、土と汗の匂いだけが橋に残った。
ヤオキは慣れた手つきで死体のそばにしゃがみ込み、ドロップ品を拾い集める。小銭袋、毛皮の切れ端、そして――。
「お、また矢が戻ってきたぞ」
そう言って、ヤオキは一本の矢を指でつまみ、くるりと回してユウタへ放った。
「おっと」
ユウタが受け取る。
EOFでは、弓スキルが上がると、放った矢が回収できることがある。
地味だが、弓使いにとっては助かる仕様だ。
「ユウくんもスキル上がったもんね」
チコリが、なぜか自分が褒められたみたいな顔で、えへへと笑った。
ユウタは矢羽を軽く整えながら、ぽつりとこぼす。
「結さんのスキルに『一射絶命』っていう……命がけのがあるんだけど……」
そこまで聞いて、アルゴが嫌そうに顔をしかめた。
「うわあ、メガ◯テ系かよ……シャレにならんな」
「ほんとうは、そういう意味じゃないんだ」
ユウタはすぐに首を振る。
「一射ごとに生まれ変わった気持ちで引きなさいって意味だって、結さんが教えてくれた……」
受け取った矢を、ユウタはそっと握り直した。
まるで一本の重みを確かめるように。
「だから、一矢、一矢、丁寧に引くようにしてるんだ」
「もー結さんの話ばっか!」
チコリの頬が、ふくらむ。
だが、ユウタはその機嫌の変化に気づかないまま、矢筒へ矢を戻した。
* * *
キャンプがあまりに順調に進み過ぎて、誰もがこの作業にすっかり慣れた頃――異変がやってきた。
扉のボタン。
橋の幅。
釣り、受け、背後取り。
『死んだ振り』で仕切り直し。
全部が、手順になっていた。
「変わったモンスターがいたぜ、犬じゃねえ」
扉の向こうから戻ってきたアルゴが、短く言う。
その後ろに、ひょこ、と影がついてくる。
三角。
いや、もっと正確に言えば――タケノコ状。
「……なんだこれ」
ユウタが思わず声を漏らす。
「バンブーシュート・テラー? 聞いたことないな」
コウイチがネームタグを見て首をひねった。
「脅威度は青だ。やっちまおうぜ」
ヤオキはそう言うと、いつもの癖で背後を取ろうとする。
だが――動きかけて、止まった。
「あれ、どっちが後ろだコイツ……」
三角は、どこから見ても三角だった。
目の位置すら、はっきりしない。
それでも、ネームタグだけは無情に揺れている。
その時だった――。
『固有スキル:バンブーシューティング』
文字が、視界の手前に冷たく浮かぶ。
次の瞬間。
全方位に、吹き飛ばしの衝撃が走った。
「うわっ!」
足が、橋から離れる感覚が先に来た。
声を上げたのが誰だったか、わからない。
狭い橋梁から、一行は一人残らず弾き出され――
奈落へ落ちていった。
* * *
ぴちょん――。
水の音がした。
「あいたたた……みんな大丈夫?」
最初に声を上げたのはチコリだった。
幸いなことに、橋の上からはそれほどの落差はなく、下も砂地だったらしい。衝撃はあったが、骨が折れるような落ち方ではない。
ユウタは身を起こし、周りを見渡す。
暗闇の中でも、仲間たちの輪郭が拾える。呼吸の動き、服の揺れ、髪の流れ――生き物の“そこにいる”気配が、ぼんやりと見える。
エルフ族は種族特性で、暗いところでも生物や植物の姿は認識できるのだ。
(……いた。みんな、いる)
ユウタはひとつ息を吐いた。
コウイチも、フレイアも、ヤオキも、アルゴも――全員の姿がある。
「うう……ケガはなさそうだけど、なんにも見えねえ……」
ヤオキが呻きながら声を上げる。
バーバリアンも含めた人間種族は夜目が効かない。暗闇に放り込まれたら、目の前は黒一色だ。
旧EOFの時はグラフィックボードのバグだと思われていた。
だが、正式アナウンスで仕様だと告げられた――という、笑えない話までセットで。
「フレイア、明かりを頼む」
コウイチが指示を飛ばす。
いつもの流れなら、ここで灯りが灯って、状況が整う。
……はずだったが。
「ダメだわ。何故かソウルがゼロよ」
フレイアが首を振る。
「私もだ……自然回復もしてないみたい」
チコリも、少し震える声で続いた。
「……え?」
ユウタが眉をひそめた、その時。
「冷たっ!」
突然、アルゴが大声を上げた。
ユウタはそちらを見て目を丸くする。
「地底湖だ……」
目が闇に慣れてきたのか、黒い水面が波打っているのが見えた。
ここの砂地は、地底湖の波に運ばれた砂浜だったのだ。
慌てて水から上がるアルゴの足元が――淡く青色に光った。
砂が、ぼうっと発光している。
「おお!?」
ヤオキもその場で砂地を踏み締める。
すると同じように、砂が青く光って辺りを照らした。
「なんじゃこりゃ……」
青い光は頼りないが、闇を切り取るには十分だった。
濡れた足跡の周囲が、淡い燐光を帯びて広がっていく。
「これだわ……」
フレイアが、青い光に照らされて微妙な顔をする。
「この光る砂が、ソウルを吸ってるのよ」
「え、そんな……」
「これじゃ戦闘もゲートも無理だわ」
「ほんと困ったね……」
チコリが小さく呟き、ユウタも喉を鳴らす。
「歩いて上まで戻るしかないか……」
コウイチがそこまで言って、ふと固まった。
言葉の途中で気づいた、という顔だった。
「……入り口の扉。こっちから開けられないんじゃ……」
青い砂の光が、じわじわと弱まっていく。
地底湖の水面を渡ってくる風が、辺りを一段と冷やしていった。
(つづく)
――閑話:バウワウ迷宮のニュービィ(前編) あとがき
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。見習いドルイドのチコリです。
前編、最後の最後で……まさかの“詰み”っぽいところに落ちちゃいました。えへへ……えへへじゃないよね!?
でも大丈夫。たぶん。たぶんだけど!
後編は、このあとすぐに投稿予定だよ。つづきも読んでくれると、すごく嬉しいな。
もし少しでも楽しんでいただけたのなら、ブクマや★だけでもポチってくれると励みになります。ほんとに!
それにしても困ったね……。
魔法が使えなかったら、回復も攻撃もできないよ。
こうなったら奥の手だよ――応援がんばるっ!
ユウくんがんばれ〜!
みんなも、ついでにがんばれ〜!
――チコリ




