表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/69

閑話:チョコレート戦記

本編の前編と中編の間で、区切りが悪くて申し訳ありませんが、日時指定イベントなので、本日に差し込みます。

よかったら、ご笑覧ください。


 妖精大陸の奥深く――

 常に白い霧に包まれた森がある。


 人々はそこを『小妖精の白い森』と呼ぶ。

 昼なお薄闇に沈み、足音は霧に吸われ、視界は常に濃い霧に遮られる、不思議な森だ。


 その入り口に、今日もまた――

 どう見ても冒険目的とは思えない、奇妙な一団が集結していた。


「みなさん、手伝ってくれてありがとうございます」

 そう言って、(ゆう)はぺこりと丁寧に頭を下げる。


「気にせんといて。うちもアレが欲しいんやから」

 関西弁のオーガ女子――ヒロミが、結の背中を軽くぱん、と叩く。


「そうですねー。私もレア素材が楽しみですー」

 若草色のローブを揺らし、赤毛のハイエルフ――アンがにこやかに微笑む。


「私も義理に必要なのよね〜。ゾンビは甘い物苦手なのに〜」

 緋色の祭服を纏ったウィザード、ナナがぼやきながら肩をすくめる。


「……私も、聖騎士として義理は欠かせないわ……」

 白銀の鎧に身を包んだ聖騎士――エレネは、もごもごと言い訳を呟く。


「ここまで案内したんだから、私はもう帰っていいかしら?」

 唯一、森の霧にも溶け込むように立つダークエルフ――カグラが、興味なさげに言った。


「そこを、もうちょっとだけお願いします!」

 土下座せんばかりの勢いで、結が拝み倒す。


 ――そう。

 彼女たちは、ある“素材”を求めてここに集まったのである。


 その名は――


『カカオマス』。


 料理スキルの頂点に座す、最高難易度食材の原料。

 加工には高度な技術と膨大な手間を要し、入手難度も桁違い。


 数多の男性を惑わし、

 数多の女性を本気にさせたその完成品は――


『チョコレート』と呼ばれている。


 * * *


 霧の森を進みながら、カグラが淡々と口を開いた。


「これは料理オタクのタクヤに聞いた話なんだけど――このゾーンにいる、ある妖精族がカカオを落とすそうよ」


「「その妖精族とは!?」」


 即座に食いつく一同。

 反応の速さが、もはや戦闘時より鋭い。


「あ、はい……ブラウニーよ」

 あまりの前のめり具合に、カグラはほんの少しだけ身を引いた。


「ブラウニー……そんなお菓子、あったわね」

「チョコレートケーキですねー」

「まさかのダジャレ実装やないの……」


「カグラさん! でっ、ブラウニーはどこに?」

 結が一歩踏み出し、詰め寄る。


 カグラは一瞬だけ視線を逸らし、ため息と共に言葉を吐き出した。


「……それは、こいつらに案内させるわ」


 そう言って、あごで指した先。


 霧の奥に、二つの影が静かに佇んでいた。

 共に馬のような優美なシルエット。


 一頭は、白い毛並み、額には白く輝く一本角――ユニコーン。


 もう一頭は、黒い毛並みに、ねじくれた黒い二本角――バイコーン。


 そして、そのバイコーンの頭上には、金色に輝く『?』マークが浮かんでいた。


――――――――――――――――――――――――

【焦茶妖精の村への誘い】

依頼者:バイコーン&ユニコーン

目的地:焦茶妖精の村

依頼内容:

清らかなる乙女たちよ。

この霧の森にて難儀しておられるでしょう。

焦茶妖精の村への道筋をお求めならば、

喜んでご案内致しましょう。

難易度:★

報酬:なし

――――――――――――――――――――――――


「清らかな乙女やて!うち初めて言われたわ!」

 ヒロミが照れくさそうにバイコーンの背中をはたくと、バイコーンは首を垂れてブルブル震えている。


「結ちゃんとアンちゃんはユニコーンで、私とエッちゃんとナナはバイコーンで……」

 カグラが配置を確認しつつ続ける。

「……ヒロミさんは、乗るのは無理そうね……」


「うちは『狼の魂』があるから、気ぃ使わんといて」

 ヒロミはそう言うと、自らに速足のバフをかけ、にっと笑った。


「私もユニコーンの方、乗りたい……」

 エレネが指を咥え、恨めしそうに白い毛並みを見つめる。


「既婚者は乗せてくれないんでしょう?」

 カグラがにやけながら言い、エレネをバイコーンに軽々と引っ張り上げる。


「……なんか、私もダメみたいです……」

 結が肩を落とした。


 なぜかユニコーンは、目も合わせてくれなかったらしい。


「しょうがないわね。じゃあ、結ちゃんもこっちで……」


『……重い……いや、なんでもないです……』

 バイコーンが思わずこぼした言葉は、即座にカグラの鋭い視線を受け、口の中へと引っ込んだ。


 こうして。


 二頭の幻獣に導かれ、

 義理と野望とチョコレートへの執念を胸に。


 一行は、ブラウニーの村――

 焦茶妖精の村を目指すのであった。


 * * *


 同時刻――

 中央大陸西岸の商業都市セレノス。


 ギルド『トーチ』が根城にしている酒場、『ルーイン・ゴート』では、男たちが揃ってラーメンをすすっていた。


 湯気の向こうで、ケンタが丼を覗き込み、目を見張る。


「このスープ、美味いな。なんの出汁だ?」


「それは聞かない方がいいぜ」


 即答したタクヤの声に、ケンタの箸が止まる。


「……え?」


「この味は牛骨じゃろう?」


 横から、落ち着いた声でログ爺が割って入った。


「お、さすがログ爺。当たりだぜ」


「なんだ、おどかすなよ……ミノタウロスの出汁かと思ったろ」


 ケンタはホッと胸を撫で下ろすと、再び麺をすすり始める。


「ところで、女性陣はどこ行ってるドワん?」

 ガン鉄がホールを見回す。

 確かに、朝から結の姿が見当たらなかった。


「ああ、そういや……」

 タクヤが顎に手を当てる。

「カグラに『カカオ』の入手方法を聞かれたな」


「カカオって、チョコの原料になるアレかのお?」


「そうそう。なぜかスキル最大値でも加工に失敗する、鬼難易度素材だけどな……」


「チョコ? 女子は甘いものに目がないからなあ」

 ケンタが本気でボケると、ログ爺が即座に突っ込んだ。


「明日は二月十四日じゃぞい……バレンタインじゃ」


「バレ――ブホッ……!」

 麺をすすろうとしたタイミングで、ケンタが盛大にむせる。


「おいおい、大丈夫かよ?」

 タクヤが笑いながら言う。

「まあ、義理でも貰えると嬉しいよな」


「そ、そうドワな……酒のつまみに甘いのも悪くないドワ」

 

「いや、これは期待、でらマックスだがや!」

 シャチョーが満面の笑みでガッツポーズを決めている。

 

 気づけば、男たちの視線は宙を泳ぎ、空気は妙にそわそわし始めていた。


 だが、ケンタだけはふと、昔のEOFを思い出していた。

「……チョコって、加工だけじゃなくて、入手も鬼だったろ」

 ぽつりと呟く。

「みんな……大丈夫か?」


「まあ、大丈夫だろ」

 タクヤはあっさり言った。

「普通に考えて、あの面子は現時点のEOF最高戦力だぜ?」


「それも……そうだな」

 タンクに回復役、補助魔法使い、そして物理と魔法と死霊のダメージディーラー。

 あまりにバランスの取れたパーティ構成を思い浮かべ、ケンタは苦笑する。


 ――問題が起きるとしたら、想定外のバグくらいだろう。

 いくらEOFでも、そこまでひどい出来ではない……。

 そんなことを考えながら、ケンタは再び丼を手に取った。


 * * *


 白く濃い霧の中を、二頭の幻獣とオーガ女史が疾走していた。


 前を行くユニコーンとバイコーンは、足取りも軽く霧を裂いて進む。

 その背で、カグラはふと眉をひそめた。


「……いつの間にか、ゾーンしてるわね」


 EOFにおいて、異なるゾーンの境界を越えることを“ゾーンする”と呼ぶ。

 2Dマップ時代のEOFでは、やたらと長いデータ読み込み時間をごまかすため、ゲームのTIPSや世界観説明が表示されたり、後期には落ちものパズルゲームが遊べるゾーン境界まで実装されていた。


 VR化した新生EOFでは、ゾーン切り替えは一瞬で完了する。

 気づいた時には、もう向こう側――ということも珍しくない。


「ほんとです! 霧、晴れてきましたー!」


 先頭のユニコーンにひとり乗ったアンが、前方を指さして声を上げる。


 白い霧が切れた、その先。


 現れたのは――

 燦々と陽光が降り注ぎ、どこまでも砂が広がる砂漠だった。


「……初期エキスパンションには、プロム砂漠以外に砂漠ゾーンはなかったはずだけど?」

 エレネが眉をひそめる。


 だが、幻獣たちは止まらない。

 砂塵を巻き上げながら、ユニコーンとバイコーンは疾走を続ける。


 その後ろを追いかけるヒロミは、顔に砂を浴びて思わず顔をしかめた。


「うわー、かなわんわぁ……ペッペッ……って?」


 オーガの定型動作で尻を掻きつつ、ヒロミが目を見張る。


「……甘い! この砂、甘いでぇ!」


 半信半疑のまま、顔にかかった砂を舐めてみる一同。


「ほんとですー!」

 アンが目を丸くする。

「これ……お砂糖です!」

 

 ざらりとした砂は、確かに甘かった。


「これ、あのエセ機能のゾーンだわ……」

 カグラが視界の隅を見やって、つぶやく。


 そこに浮かぶのは、妙にコミカルなオモチャ箱のアイコンと『Toonモード:強制適用中』の文字。


 どれくらい進んだだろう。数分……いや数十分か。

 時間の感覚が曖昧になった頃、二頭の幻獣が同時に足を止めた。


 どうやら目的地に着いたらしい。


 目の前に広がっていたのは――

 ロリポップキャンディーが林立し、赤白縞模様のキャンディステッキが柵のように並び、

 ハチミツの泉がとろりと湧き出す、異様に甘ったるいオアシスだった。


 そして、ハチミツの泉を囲むように、砂糖細工で組まれた小さな家々が並んでいた。


 ――そこが、焦茶妖精の村だった。


 甘ったるい香りに満ちたオアシスの奥から、こつ、こつ、と軽い足音が響く。


 村の入り口にあたるキャンディステッキの柵の隙間から、数人の小さな人影が歩み出てきた。


 結の膝ほどの背丈。

 想像していた小妖精より、ひと回り……いや、ふた回りほど大きい。


 一様に、茶褐色の滑らかな肌。

 砂漠の陽光を受けて、その表面は鈍く、しかし艶やかに光っていた。


 肌の質感は石でも木でもない。

 どこか、しっとりとして――


 結は思わず、ごくりと喉を鳴らした。


(あ、あの肌……全身、チョコ製!?)


 視線を巡らせると、砂糖細工の家々の扉や窓の奥にも、同じ色合いの影がいくつも見える。

 こちらの様子を、そっと窺っているらしい。


「……想像以上に、甘そうね」

 ナナが小声で呟く。


「旅の方――」

 年長らしきブラウニーが一歩前に出た。

「ようこそ、焦茶妖精の村へいらしたでありますでうにー」


 その頭上に、金色の『?』マークが灯る。

 

――――――――――――――――――――――――

【お茶会のお手伝い】

依頼者:焦茶妖精の村 村長

目的地:砂糖砂漠

依頼内容:

お茶会の準備を手伝ってくださいでうにー。

まずは、テーブルセッティングのため、

この先に居座る“アイツ”を追い払ってくださいでうにー。

難易度:★★★★★

報酬:カカオマス一年分

――――――――――――――――――――――――


「「うわー、これ受けちゃダメなやつ!」」


 エレネとカグラの声が、見事に重なった。


「え? 確かに難易度は高そうだけど……ダメなの?」

 結が不安げに尋ねる。


「なら、ブラウニーいてこましたらええんちゃう?」

 ヒロミが声をひそめてみなに問う。

「カカオマスがドロップするんやろ?」


「妖精族の親密度が下がるのは困るわ」

 自身も妖精族の一種であるハイエルフのエレネが、即座に否定する。


「……なら、受けるしかないわね」

 ナナが肩をすくめる。

「いざとなったら、キャンセルすればいいわよ」


「そのセリフ……なんか、デジャビュ……」

 エレネの背筋に、嫌な予感が走る。

「とにかく慎重に――」


『クエスト:【お茶会のお手伝い】が受注されました』


「受注したでー!」

 ヒロミが豪快に笑った。

「細かいことは気にせんで、頑張ればええねん!」


 エレネが抗議の声を上げる間もなく。


 砂漠の向こうから――

 低く、重い轟音が響き渡った。


 見ると、地平線の彼方から、大きな竜巻がこちらへ迫ってくる。


 巻き上げられているのは、砂――

 いや、砂糖だった。


「あんなに砂糖巻き上げて……」

 ナナが竜巻を眺めて、ぽつりと呟く。

「綿菓子でも出来るんじゃないかしら?」


 誰も、否定できなかった。


 * * *


 白く、ふわふわとした繊維状の塊が渦を巻き、陽光を受けてきらきらと輝いている。

 甘そうな竜巻の上空に、モンスタータグが表示されていた。


『コットン・キャンディ・エレメンタル』


「オ・ラ・ラ……」

 エレネが低く息を吐く。

「あれ自体がモンスターってことね……」


 彼女は剣を抜き、大型のタワーシールドを構えた。


「まさか、本当に“綿菓子”とはね……」

 ナナもまた、四元素精霊の杖を握り直す。


 迫り来る竜巻は、白く、ふわふわとした見た目とは裏腹に、地面の砂糖を巻き上げながら不気味な唸りを上げていた。


「ところで誰か、綿菓子の弱点属性、知ってる?」

 ナナが振り返りながら言う。

「エレメンタル系は物理無効の上、魔法もほぼ反対属性しか効果ないのよね……」


「塩でも撒いておけばええんちゃう?」

 ヒロミが軽い調子で口を挟む。


「お塩は、かえって甘さを引き立てますよー」

 アンが即座に首を横に振った。


「スイカに塩理論ね……」

 ナナが頷く。

「でも反対属性となると、それぐらいしか浮かばないわね」


「でも、塩魔法なんてあるんですか?」

 結が小さく首を傾げる。


「んー。ティアーズ系が“涙”っていうくらいだから、しょっぱいんじゃないの?」

 ナナが半分冗談めかして言う。

「どうせ私の魔法は、しょっぱいですよー……しくしく」

 自分で言って、自分で落ち込む。


「……あーもう」

 エレネが盾を前に押し出し、一歩踏み出した。

「なんでもいいから、援護お願い!」


 白く甘い砂漠の中央で、決して甘くない試練が始まろうとしていた。


 * * *


 エレネが盾ごと前に踏み込み、漆黒の剣を大きく振るった。


 重い衝撃と共に刃は竜巻の中心へ食い込む。

 だが――


 ふわり。


 切り裂かれた綿は、まるで抵抗を感じさせず、即座に甘い糸を絡めて元の形へと戻っていく。


「……っ、手応えがない」


 剣を引き戻したエレネの視線の先で、竜巻は何事もなかったかのように回転を続けていた。


「糠に釘ならぬ……」

 アンが目を丸くする。

「綿菓子に釘って感じですねー」


「……なるほどね」

 ナナが、ひとりで勝手に納得したように頷いた。


「よく考えたら、この世の全てが四つの元素のどれかに属するってーのが、四元素論だったわ」

 杖を構え直し、きっぱりと言い切る。

「全部、試しましょう!」


 次の瞬間。


「ファイヤー・ボール!」


 放たれた火の玉が、甘い糸が絡み合う竜巻へと突き刺さる。


 細い糸状の物質は、意外なほど火付きが良かった。

 一気に火が回り、白い渦は赤く燃え上がる。


 ――が。


「あかん! こいつ、炎で強化されてへん?」


 綿菓子エレメンタルは燃え尽きるどころか、無尽蔵に供給される砂糖の糸を巻き上げ、業火をまとって暴れ始める。


 炎の渦は、まるでファイヤー・エレメンタルのように姿を変え、砂漠を蹂躙しつつあった。


「うわー! 消します! 消します!」

 ナナが慌てて杖を掲げる。


「ウォーター・ジャベリン!」


 放たれた水の槍が、燃え盛る炎と正面から激突した。

 轟音と共に水蒸気が噴き上がり、一帯を白く覆い尽くす。


 やがて水蒸気が晴れる。

 

「……美味しそうね」

 エレネが、ぽつりと呟いた。


 そこに残っていたのは、先ほどまでの白い渦ではなく――

 茶色く、渦を巻いた固形物だった。


「香ばしくなっただけやね」

「キャラメリゼされた感じですねー」


 エレネが一歩踏み出す。

「……でも、固くなって、止まった!」


「バーティカル・スラッシュ!」


 剣が走り、茶色の渦を真っ二つに断ち割る。


「やったー!」

 結が、思わず声を上げた。


 だが――


「……まだよ」

 カグラが目を細め、周囲を見渡す。

「クエストが、進んでないわ」


 先ほどまでの喧騒が嘘のように、砂糖砂漠は静まり返っていた。


 だが、その静寂の底に――

 得体の知れない気配が、確かに満ちつつあった。


 * * *


 再び――

 中央大陸西岸、商業都市セレノス。


 ギルド『トーチ』が根城にしている酒場、『ルーイン・ゴート』では、相変わらず男たちがたむろしていた。


「あー、楽しみでしかないがね!」


 ホールをうろうろと歩き回りながら、シャチョーが落ち着きなく声を上げる。


「ガナッシュかなー? 洋酒入りもいいがね」

「もちのろん、ハート型で!」


 完全に一人だけテンションが浮いている。


「……やれやれだぜ」

 タクヤが呆れたように肩をすくめる。

「誰でもいいのかよ?」


「心の広いオレは、くるものは拒まないがね!」

 胸を張って即答するシャチョー。


「オーガ女史でもいいんドワ?」

 ガン鉄が目を丸くして訊ねる。


「大歓迎だぎゃあ!」

 間髪入れず、シャチョーは親指を立てた。

「アバター野獣でリアル美女って、ありがちだがね!」


 その様子に、周囲は一瞬言葉を失う。


「……なんでもアリかよ」

 ケンタはため息混じりに呟き、コーヒーカップを口元へ運んだ。


 そのまま視線を落とすと、テーブルの上に置かれたシュガーポットが目に入る。


「……ホントに、大丈夫かなあ……」


 ぽつりと、独り言のように漏れる。


「ブラウニーたちを怒らせてないといいけど……」


 甘い砂糖を見つめながら、ケンタは遠く離れた砂糖砂漠へと思いを馳せた。


 あの場所にいる、一風変わった小妖精たちの性質が――

 なぜか、妙に気に掛かってならなかった。


 * * *


 焼けた砂糖の甘い香りが、砂糖砂漠に重く立ち込めていた。

 エレメンタルが砕け散ったあたりの地面は、熱で溶けて固まり、まるでベッコウ飴のように鈍く光っている。


 ――その地面が、微かに、しかし確実に震えた。


 ゴゴゴゴゴォォオオッ!


 低く腹に響く音とともに、砂糖の山の下で何かが移動しているのがはっきりと分かる。


「砂漠の砂の中を動き回る……ってアレよね?」

 ナナの顔が、見る見るうちに引きつる。


「ア、アレ!? ってなんですか?」

 その様子に、結が思わず声を裏返した。


「きっとアレなんでしょうね……」

「そりゃ、アレに決まってるわね。うふふ」

「アレは勘弁してほしいわあ。うちも虫はダメなんよ」

「みなさん、そろそろ来ますよー」


 不安を煽る言葉ばかりが飛び交う中、結は飴状に固まった地面に視線を落とす。

 ひび割れは次第に大きくなり、震えは激しさを増していった。


「だから、アレってなに? え、虫?」


 次の瞬間――。


 飴の表面に走った亀裂が、音を立てて砕け散った。

 砂中深くから、何かが一気に砂上へと躍り出る。


 白く、ぶよぶよとした長大な身体。

 目も鼻も耳も見当たらず、膨らんだ白い塊が幾重にも連なっている。

 その先端には、鋭い牙が何層にも並んだ丸い口があり、獲物を探すように蠢いていた。


「ひえええ、でっかい芋虫!?」


「砂漠に付き物のワームよ……」

 カグラがそれを見上げ、淡々とつぶやく。

「でも、ここだとやっぱり糖質でできてるのね」


 そいつの頭上に、5本のHPゲージと真っ赤な敵対タグが浮かび上がる。


『マシュマロ・ワーム』


「マシュマロって、焼いて食べるのが定番よね」

 ふと、エレネが呟く。

「しっかり焦げ目をつけると、トロッとして美味しいのよね」

 幼い頃を思い出したのか、その視線は一瞬だけ遠くを見ていた。


「うちはいつも、ボワっと火が移って丸焦げやったわ」

 ヒロミが肩をすくめる。


「……皆さん、アレを食べるつもりですか?」

 結は苦笑いを浮かべながら、弓を構えた。


「食べないけど」

 ナナが杖を構え直す。

「やっぱり初手は、燃やしてみましょう」


「ファイヤー・ボール!」


 ナナの前に生じた火の玉が、一直線に『マシュマロ・ワーム』へと飛翔する。


 だが――

 『マシュマロ・ワーム』は、ぶよぶよとした巨体を意外なほど素早くくねらせ、火球を紙一重でやり過ごした。


「……やるわね」

 ナナが口元を引き締める。

「なら、一斉攻撃よ。みんな"矢"でいくわよ!」


 結がうなずき、弓を引く。

 アンとカグラも詠唱はじめる。


「ファイヤー・アロー!」


 ナナの詠唱に合わせて、結も矢を放つ。


――続けざまに、詠唱が重なった。


「マジック・アロー!」

「ボーン・アロー」


 四本の矢が扇状に並び、逃げ場を塞ぐようにワームへと迫る。

 くねらせて避けても、どれかが当たる――そう思わせる、絶妙な間隔。


 だが――


 『マシュマロ・ワーム』は、身体の節目から上下に分離するように裂け、

 二つに分かれたまま、矢と炎をすり抜けた。


「なっ!? ずるーい!」


 一瞬後、再び何事もなかったかのように合体する。


 その瞬間。

 彼女たちには、表情などあるはずもないワームが――

 ニタリと笑ったように、見えた。


 次の刹那。

 『マシュマロ・ワーム』の表皮が、前方へ向けて不気味に波打った。


 丸く開いた口の奥で、何かがせり上がってくる。


「ブレスだわ!」

 エレネが即座に判断する。

「みんな、下がって!」


 盾を構え、前へ踏み出す。


 ――しかし。


 吐き出されたのは、炎でも衝撃波でもなかった。


 大量の、白く粘つく糸。


「――っ!?」


 次の瞬間、エレネの足元が強烈な力に捕らわれる。

 地面に縫い止めるように、砂糖の糸が絡みついていた。


「う、動けない!?」


 視線を巡らせると、後衛の面々も同様に糸に絡め取られている。


「あらあら、困りました。私も動けないですー」

 アンが今ひとつ危機感のない声を上げる。


「ちょっと!?」

 カグラが叫ぶ。

「砂糖の糸が、なんでこんなに強靭なのよ!?」


 誰も答えられない。


 『マシュマロ・ワーム』は、ゆっくりと、円を描くように這い始めた。


 緩慢に。

 だが、確実に。


 捕食者の牙が――

 逃げ場を失ったパーティへと、迫っていた。


 * * *


「サンド・ウォール!」


 ナナの叫びと同時に、迫る『マシュマロ・ワーム』の目の前へ、ずん、と壁が立ち塞がった。


 ……いや、壁というより――この砂漠では、角砂糖を積み上げたみたいな、白いブロック壁である。


 ガリガリガリッ。


 ワームの体当たりが叩きつけられるたび、角砂糖の塊が削られ、砕け、甘い粉を散らす。


「長くは持ちそうもないわね」


 ナナが舌打ちする。

 壁は、確実に削れていた。


 エレネは、歯を食いしばりながら剣を振るう。

 足元の砂糖糸を断ち切るたび、糸はいやらしく粘り、刃にまとわりつこうとする。


(くっ……あと、もう少しなのに……!)


 その時だった。


 甘ったるい風の向こう、焦茶妖精の村の方角から、小さな影がいくつも駆けてくる。


「旅の方々――」

 先頭の、年長らしきブラウニーが槍を構えた。

「我らも、チョコっと助太刀致すでありますでうにー」


 ブラウニーたちは、一斉に小さな槍を投げ放つ。

 

 キィン――ッ!


 穂先に細工があるのか、甲高い音を立てて槍が飛ぶ。

 その音が、砂糖砂漠の空気を細く裂いた。


 不思議なことに。

 『マシュマロ・ワーム』は槍を避けない。


 むしろ――自分から、その音へ突っ込むように身をくねらせる。

 甲高い響きを、体の表面で浴びるみたいに。


「……そうか!」

 拘束を引きちぎるように足を引き抜いたエレネが、叫んだ。


「音だわ! あいつ、音に惹きつけられる性質があるのよ!」


「でも、音と言われましても……」

 ナナが呻く。

「ゾンビにはそんな魔法はないわよ……」


「えっと……これなんかどうですか?」


 結が、矢筒から一本の奇妙な矢を取り出した。

 矢尻は二又の刃。その根元が不自然に膨らんでいる。


「先端が笛になっていて……清めの音が鳴る鏑矢です」


「それよ!」


 エレネが即答した。


「結ちゃん、お願い! ――その間、私が!」


 エレネは剣を振るい、仲間たちの足元を順に駆け回っていく。

 砂糖糸を断ち、引き剥がし、動ける者を増やす。


 結は深く息を吸い、鏑矢を番えた弓を打ち起こした。


「正射必中!」


 ピイイイィィーッ!


 矢が放たれた瞬間、邪気を祓うような甲高い音が砂漠に響く。

 音は一直線に『マシュマロ・ワーム』を貫き、首をもたげたその巨体へ吸い込まれていった。


 鏑矢は的中し、ぶよぶよした皮を裂く。


 ワームが、反射的に身をくねらせる。


「もう一射! みなさん、合わせてください!」


 結が叫ぶ。


「オッケー! アンちゃん、アレいくわよ!」

 ナナの言葉に、アンが頷いた。

「マージング・ソウル!」


 ナナの魔法が、アンのアシストで強化される。


「正射必中!」

 結が再び鏑矢を放つ。


 ピイイイイイィィーッ!


 今度の音は、さっきよりも鋭く、長く尾を引いた。

 『マシュマロ・ワーム』はその音へと頭を向け、わざわざ当たりにいくように身をくねらせる。


「「アイシクル・コメット・ブーステッド!!」」


 強化されたウィザード最上位攻撃魔法。

 巨大な氷の彗星が、鏑矢の軌道に導かれるように落ちた。


 轟音。


 砂糖の粉塵が舞い上がる。


 そして――


 『マシュマロ・ワーム』のHPゲージが、一本、消し飛んだ。


 ヒュウウイイイィィ!!


 ワームは奇妙な鳴き声を上げ、反射的に砂中へ潜ろうとする。

 ぶよぶよした巨体が、砂糖の海へ沈みかけた、その瞬間。


「逃がさないわよ」


 ナナが不敵に笑い、再び壁魔法を唱える。


「『シュガー・サンド・ウォール・ブーステッド!!』」


 砂漠の表面が、固く引き締まった角砂糖の床へ変わる。

 潜ろうとしたワームの身体が、ずるりと滑り、沈めない。


「なるほど……この砂糖」

 カグラが、口元だけでニヤリと歪めた。

「素材としてみると、面白いわね」


 彼女の指輪が妖しく光る。


「地に満ちた白妙よ、我が下僕と化せ!」


 ソウルゲージが、紫に染まる。


 砂糖砂漠の白い砂糖が、あちこちで骨の形に固まり始めた。

 肋骨、腕骨、頭骨――甘い粒が固結していく。


 そして次々、無数のスケルトンとなって立ち上がり、ワームへ群がった。


「……シュガー・スケルトン軍団って感じかしら」


 カグラが淡々と評する。


 ブラウニーたちの投槍が、再び空に音を響かせる。

 甲高い音が重なり、ワームはそのたびに頭を揺らす。


 結の鏑矢の音が、逃げ道を奪う。


 氷の彗星の余波が、砂糖の床を濡らし、ざらりと固める。


 スケルトンの群れが、甘い砂を踏みしめ、ワームの巨体に取りつく。


 ジリジリと、確実に。


 『マシュマロ・ワーム』のHPは削れていき――


 残り一本を、切った。


 その時だった――。


 * * *


 『マシュマロ・ワーム』の体から、眩い光が迸った。


「残り一本!」

 エレネが鋭く叫ぶ。

「みんな、気を付けて! ラスト・ゲージ・ギミックがくるわ!」


 多段HPゲージのボスは、最後の一本を切った瞬間に豹変する。攻撃パターン、能力値、性質そのもの。

 『マシュマロ・ワーム』も例外ではないらしい。


 ぶよぶよした巨体の背中が、ぱっくりと割れた。


 裂け目の奥から、半透明の羽根がするりと広がり、そのまま宙へ舞い上がる。

 地面に残されたのは、ぺたりと崩れたマシュマロの抜け殻だけだった。


「脱皮した!?」

 結がポカンと見上げる。


キュイイイィィ!


 甲高い唸りとともに羽ばたくそれは、ほぼ半透明の肢体に白い鱗粉をまとい、陽光を七色に掻き乱していた。


「すごい……きれい」

 結が、思わず息を漏らす。


「……名前まで変わってるわね」

 カグラが視線を上げる。


 頭上に浮かぶ新たなネームタグ。


『モス・オブ・ジ・アダマント』


「硬そうな名前ね……」

 エレネが眉をひそめた、その瞬間。


 巨大な蛾と化したそいつが、ゆったりと羽ばたいた。

 半透明の白い鱗粉が、雪のように舞い落ちてくる。


 皆の視界に、ショートケーキのデバフアイコンが灯った。

 アイコンの下には、無慈悲なテキスト。


『糖質過剰摂取』


「いきなり、範囲毒攻撃かいな……えげつないわあ」

 ヒロミがぼやきつつ、歌うように声を張る。

「生命の讃歌!」


 回復速度アップのバフが、全員に波のように広がった。


「おばちゃん、回復が忙しくなってきたでー!」

 修羅場に、なぜかイキイキし始めるヒロミ。


「さて、結ちゃん、あの黒いスキルいってみよう!」

 ナナが、結のもう一つのユニークスキルを促す。


「黒いって……あれですか、はい」

 結は苦笑いしつつ、弓を引き絞った。


「破邪顕正!」


 真っ直ぐに放たれた矢が、モスの手前の空間に黒点を穿つ。


 空間そのものが歪んだ穴は、周囲の鱗粉をことごとく吸い込み、それでも飽き足らず、モス本体まで食らおうと貪欲に口を開けた。


「今よ! アンちゃん、お願い」

 ナナが叫ぶ。


「はーい、ヒロミさんとカグラさんもご一緒お願いしますー」

 アンがにこやかに言いながら、ヒロミとカグラの手も引く。

 そして、ナナへソウルリンクを繋げた。


「マージング・ソウル・クアドラプル!」


「「「「アイシクル・コメット・ザ・ファイナル!!」」」」


 巨大な氷の彗星が七色の尾を引き、黒い穴を回り込む。


 フライ・バイ。

 彗星は穴の重力場を利用してさらに加速し、威力を増していく。


 穴に吸い込まれまいと必死に羽ばたく『モス・オブ・ジ・アダマント』。

 それを避ける余裕はなかった。


 彗星が直撃し、片翼が消し飛び、

 最後のHPゲージも、半分が黒で満たされていく。


 モスはきりもみ状態のまま、蜂蜜の泉へ落下した。

 粘度の高い蜂蜜が、ゆったりと飛沫を上げ、岸を濡らす。


「ジェミニ誘導、大成功ね」

 ナナがドヤ顔で腕組みし、うなずいた。


「ジェミニ……なに?」

 エレネが怪訝な顔をする。


 が、アンがすかさず背中を押す。

「エレネ様、出番ですよー!」


「マージング・ソウル・クインタプル!」

 五つのソウルゲージが円環を形成し、虹色に揺らめく。


「「「「「エンチャント・ファイヤ・エクステンデッド!!」」」」」


 エレネの剣が聖なる炎をまとい、白銀の輝きを増した鎧の背に、純白のオーラが翼となって拡がる。

 その翼が、彼女を一気に加速させた。


「スラッシュ・オブ・ザ・ホーリーフレイム・ファイナル!」


ガキン!!


 この世で最も硬いと言われる鉱物でできた『モス・オブ・ジ・アダマント』の身体が、真っ二つに断ち割られる。


さようなら(アデュー)、甘いパピヨンちゃん」

 目を閉じ、黙祷するように剣を納めるエレネ。


「あ、エレネ様、そこは……」

 アンが言いかけたが、遅かった。


「えっ?えっ?えーっ!」


 背中の翼が消えたエレネは、そのまま、とぷんと蜂蜜の泉に落下したのであった。


「カッコつけたのに、詰めが甘いわね……ウフフ」

 呆れ気味に腹を抱えるカグラだった。


 * * *


「アイツを退治していただき、ありがとうございますでうにー。村で村長がお待ちでうにー」


 槍隊を指揮していたブラウニーの隊長が、きびきびと礼を述べると、踵を返して村へ戻ろうとした。


 こつ、こつ……と、あの甲高い足音が遠ざかりかけた、その時。


 ポテッ。


(ん? なんか落ちた効果音?)


 結は反射で足元へ視線を落とす。砂糖砂漠の白い粒の上に、小さな手袋がちょこんと転がっていた。薄手で、やけに艶がある。ふわりと甘い匂いまで漂う気がする。


(ブラウニーさんの誰かが落としたのかな……?)


 結は慌てて拾い上げ、隊長へ駆け寄った。


「ブラウニーさん、待って! これ、落としましたよ!」


 差し出された手袋を見て、隊長が振り向く。

 訝しげな表情が、次の瞬間、さらに理解不能なものへ変わった。


「……それを、チョコっと私にくださるでうにー?」


 肩が、微かに震える。


 結の視界に、勝手にアイテム情報が展開された。


――――――――――――――――――――――――

【スイート・シルクの手袋】

甘い絹糸製の薄くて丈夫な手袋

LORE MAGIC ITEM

Slot: HANDS

AC: 6

DEX: +5

SV POISON: +3

Weight: 0.2

Size: SMALL

Class: ALL

Race: ALL

――――――――――――――――――――――――


 次の瞬間、カグラが妙に慌てた声を上げた。

「結ちゃん、ダメ! それ蛾のドロップ品よ!」


 だが、止めるには遅すぎた。


「え? あ、ごめんなさい、あげちゃった……」


 結は反射で「返してもらおう」とも思ったが、すでに手袋は隊長の掌へ渡っていた。結はみんなを振り向いて、申し訳なさそうに頭を下げる。


 その背後で。


 隊長が、呻いた。


「……ううう、うにー」


 手袋を握る指が、わなわなと震える。

 震えは腕へ、肩へ、全身へと伝播していった。


「私めに……こんなチョコっと立派な装備を……くれるうにー?」


 声が、甘ったるい空気を裂くように、尖っていく。


「侮辱だ! 侮辱! 我ら焦茶族の戦士は、断じて――このような報酬の為に戦ったのではないですガート!」


「えっ……?」


 結がもう一度振り向いた瞬間、目の前の“ブラウニー”たちは、もうブラウニーではなかった。


 身体が、少し伸びる。

 丸木のように棒状に変化し、手足は枯れ枝のように奇妙に伸びる。

 肌は黒ずみ、目は赤く充血し、口元は耳のあたりまで裂けて――鋭い歯が覗いた。


 ぞわり、と。

 甘い香りの中に、焦げた苦味が混じる。


「ひゃああー、なに? なに?」


 結が素直な悲鳴をあげると、背後からぬちゃり、と妙に粘ついた音がした。


 蜂蜜まみれのエレネが、のそのそと歩み寄る。

 髪も鎧も、とろんと黄金色に光っていて、まるで“蜂蜜鎧”の新装備を着ているみたいだった。


 その蜂蜜鎧のまま、彼女は真面目な顔で告げる。


「ブラウニーは、報酬にお金や高価な衣類を与えると……怒って悪鬼ボガートになるのよ……」


「その情報、最初に言っといて〜な!」

 ヒロミが叫ぶ。

 

 カグラが、深くため息をつく。

 そして杖を構え直した。指輪の光が、さっきよりも露骨に“戦闘開始”を主張している。


「どうやら……もう一戦必要なようね……」


 先ほどまで味方だった槍隊は、すでに全員がボガートへ変貌していた。

 枯れ枝の腕がゆらりと揺れ、赤い眼が一斉にこちらを向く。


 包囲。


 甘い砂漠の空気が、じわりと冷える。


 結は弓を握り直し、喉を鳴らした。


(わ、私……やっちゃった……!?)


 ボガートたちは、ジワリと包囲の輪を狭めた。


 * * *


 枯れ枝みたいな腕が、じわり、と輪を狭める。

 赤く充血した目が、全員を舐め回すように揺れる。


「これ、なんとかならへんの?」

 ヒロミが、かすれ気味の声で言った。


「そうね……このままやり合ったらクエストは確実に失敗しそうだし……後味も最悪だわ」

 ナナが首を振る。


「ブラウニーが喜ぶものなら、知ってるけど……」

 カグラが、ふっと視線を逸らし、指を折って数えはじめる。

「ミルク、蜂蜜、クリーム、パン、ケーキ……」


 そこで、ぽん、と手を打った。


「蜂蜜漬けの聖騎士様を差し出すのはどう?」


「やめてよー!」

 蜂蜜まみれのエレネが、真顔で叫んだ。

 鎧の隙間から、ぬるん、と蜂蜜が垂れる。


「なんや、甘味でええんか?」

 ヒロミが声を弾ませ、ポーチをごそごそと探る。

「おばちゃん、飴ちゃんなら一杯持ってるでー!」


 取り出したのは、小さな包みがぎっしり詰まった、きらきらした戦略兵器。


「ほら、『銀のミルク』とか『レモンみるく』……」


 ヒロミがそっと、ボガートの群れに見せる。


 ――ぴたり。


 迫っていた足が止まった。

 赤い眼が、飴玉の光に吸い寄せられるように揺れる。

 裂けた口の奥で、舌だけが、ぬらりと動いた。


(効いてる……!)

 結が息を飲む。


「ほら、『パパイヤ飴』もあるで〜!」


 ヒロミは、ぽい、と軽い気持ちで袋ごと放った。


 ころころん、と砂糖の地面に落ちた瞬間。

 群れが、どっ、と雪崩れ込んだ。

 枯れ枝の指で器用に包みを剥がし、もぐもぐと頬張っていく。


 ボガ。

 ムガ。

 モグ。

 うに。


 裂けた口元が、次第に丸く戻っていく。

 黒ずんだ肌が、つやのある茶褐色へ戻っていく。

 赤く充血した目が、ぱちぱちと瞬きをして、怯えたように潤んだ。


 そして、気づけば――


 そこにいたのは、さっきまでの“悪鬼”ではなく、焦茶妖精の槍隊だった。


「……これは初めての美味でありますでうに!」

 隊長が、恍惚の叫びを上げる。

 だが、口の中が忙しすぎて、言葉がところどころ噛み砕かれる。


「モゴ、ムガ……我々、ちょっと誤解をしておったようでありますでうに」


 飴を頬張りながら、必死に頭を下げる。


「モグ、ムグ……謝罪致すでありますでうに」


「……よし。よく言えましたねー」

 アンが、なぜか保育士みたいな顔でうなずいた。


「どうやら、蜂蜜漬け聖騎士は犠牲にせずに済みそうね」

 カグラがにやけて、エレネを肘でつつく。


「ぜったい差し出されないから!」

 エレネがむくれて言う。

 むくれた拍子に、また蜂蜜が、たらり、と落ちた。


「はい、みんな落ち着いて。報告行きましょうねー」


 ボガートの包囲は、飴玉で解けた。

 甘い砂漠の風が、ようやく“安心”の匂いを運んでくる。


 一行は、ようやく長い戦いにピリオドを打つことができたのであった。


 * * *


 チョコレート加工は、噂通り、甘くなかった。


 自由都市ヘスペリアの酒場『エンシェント・タートル』。

 その厨房を借りて、女性陣は戦場ではなく“調理台”の前に整列していた。


 机の上には、苦労して手に入れた『カカオマス』。

 湯煎用の鍋。温度計。ヘラ。型。

 そして、やたらと深刻な空気。


「……では、始めましょう」

 エレネが真面目な顔で言った。


 しかし、始めた瞬間に終わった。


 鍋の中で溶けたはずの黒い液体は、なぜかザラつき、分離し、艶を失い――

 “チョコレート”というより、ただの“失敗”になっていく。


「え、ちょ、なんで……!? さっきまで、トロッとしてたのに……!」

 結がヘラを握ったまま固まる。


「ボソボソになりましたー……」

 アンがふにゃりと眉を下げる。


「……ほらね」

 カグラは淡々と、手元だけを見ている。

 彼女の前のボウルだけが、まだ“それっぽい艶”を保っていた。


 結果。


 もともと料理スキルを上げていたアンとカグラ以外――

 誰ひとり、カケラも生成できなかった。


 そして、最も早く折れた者がいた。


 まだ蜂蜜のベトつきが残る白銀の鎧の聖騎士は、三回目の失敗で心が砕け、

 厨房の隅で体育座りになり、壁と会話を始めた。


「テンパリングって何よ? ボソボソ……ボロボロ……あは、あはは……」


 虚ろな目で、壁のシミを人差し指でぐりぐり擦り続けている。


「こらあかんわあ、素材なくなってまうで……」

 ヒロミが頭を抱える。


「諦めて、板チョコへの加工はアンちゃんとカグラに丸投げしましょう……」

 ナナも両手を上げて、降参のポーズを取った。


「うう、お願いします」

 結がぺこりと、アンとカグラに頭を下げる。


「まかされましたー……と言いたいところですが、この確率だと6個出来るかどうか……」

 アンが困ったように笑う。


「そうね、DEXアップのバフとかないの?」

 カグラが横目で訊いた。


「ワーウルフ変身でDEX+100ですけど、ワーウルフになるとうまく調理器具握れないかもですー?」

 アンが真顔で返す。


「それを意味ないじゃない……」

 カグラが即座に切り捨てた。


「うちも、ちょっとなら呪い(まじない)でけるで」

 ヒロミが袖をまくる。


「巧腕千手招来!」


 ぽわ、と妙な気配が二人の腕にまとわりつく。


「ん、腕が軽くなったわ」

 カグラは一言だけ言って、黙々と作業に戻る。


 アンも真剣な顔で、温度計を見ながら混ぜ続けた。

 鍋の中で、ようやく“まともな艶”が戻ってくる。


 ……しかし、やることのない面々は、暇を持て余し始める。


「ところで、ヒロミさん誰にあげるんですか? やっぱりビシャモンさんとか?」

 結が、手元のボロボロな何かを捨てながら訊ねた。


「内緒にしといてなー……ゴニョゴニョ」

 ヒロミが屈んで、結だけに耳打ちする。


「えー! ほんとにー!」

 結が目を丸くした。


「結ちゃんは誰にあげるん?」

 ヒロミがニヤニヤしながら訊き返す。


 結は、きっぱり答えた。


「もちろん、ケンタにあげるよ!」


(ド直球な娘ねー)

 その場の全員が、心の中で同時に思った。


「あ、いや……ケンタが居なかったら、こうしてみんなと笑ってられなかったと思うし……」

 みんなの視線が集中していることに気づいた結は、顔を真っ赤にしてあたふたする。


「結ちゃん、えらい可愛いやん!」

 ヒロミが結の背中をバーンと叩いて大笑いすると、


 厨房の空気が、ふっと軽くなった。

 ボソボソと壁と会話していたエレネですら、かすかに肩を揺らした。


 みんなも、思わず笑顔になる。


「私もタクヤ様に美味しいチョコを差し上げますー」

 アンが、にこにこと宣言する。


 その瞬間。


「それはあかん!」

「それはダメよ!」


 一部から、反射みたいな制止の声が上がり――


 厨房に、またドッと笑い声が響くのであった。


(おわり)


――閑話:チョコレート戦記 あとがき


 最後まで読んでくれて、ありがとさん。

 『トーチ』のギルマス、シャチョーだがね。


 次回の『マジチー』は本編『聖職者の証(中編)』を、来週火曜日のお昼頃に投稿予定だがね。

 前編と中編の間に閑話を挟んじゃって、すまんかった。

 続きも読んでもらえると嬉しいがや。

 もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブクマや★だけでも入れてくれると励みになるでね。


 さて、チョコを大量にもらったらどうするか。

 オレは楽しみでしかないわ。

 女性陣みんながくれたらどうする? そりゃもう…両手が足りんがね。

 EOFに虫歯の実装がなくて助かったわ、ほんとに。

 ただ、他の男どもに嫉妬されるかもしれんで…困るわあ。

 色男は辛いでいかん。いや、マジで。


* * *


 ――部屋の隅っこで壁に話しかけるシャチョー。


 もうすぐ2/14が終わるがね……。

 ……誰も来んがや。


 壁のシミが割れたハート型に見えてきた気がするわ……。

 な、泣いとらんで? 泣いとらんがね!


――シャチョー


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ