閑話:チョコレート戦記
本編の前編と中編の間で、区切りが悪くて申し訳ありませんが、日時指定イベントなので、本日に差し込みます。
よかったら、ご笑覧ください。
妖精大陸の奥深く――
常に白い霧に包まれた森がある。
人々はそこを『小妖精の白い森』と呼ぶ。
昼なお薄闇に沈み、足音は霧に吸われ、視界は常に濃い霧に遮られる、不思議な森だ。
その入り口に、今日もまた――
どう見ても冒険目的とは思えない、奇妙な一団が集結していた。
「みなさん、手伝ってくれてありがとうございます」
そう言って、結はぺこりと丁寧に頭を下げる。
「気にせんといて。うちもアレが欲しいんやから」
関西弁のオーガ女子――ヒロミが、結の背中を軽くぱん、と叩く。
「そうですねー。私もレア素材が楽しみですー」
若草色のローブを揺らし、赤毛のハイエルフ――アンがにこやかに微笑む。
「私も義理に必要なのよね〜。ゾンビは甘い物苦手なのに〜」
緋色の祭服を纏ったウィザード、ナナがぼやきながら肩をすくめる。
「……私も、聖騎士として義理は欠かせないわ……」
白銀の鎧に身を包んだ聖騎士――エレネは、もごもごと言い訳を呟く。
「ここまで案内したんだから、私はもう帰っていいかしら?」
唯一、森の霧にも溶け込むように立つダークエルフ――カグラが、興味なさげに言った。
「そこを、もうちょっとだけお願いします!」
土下座せんばかりの勢いで、結が拝み倒す。
――そう。
彼女たちは、ある“素材”を求めてここに集まったのである。
その名は――
『カカオマス』。
料理スキルの頂点に座す、最高難易度食材の原料。
加工には高度な技術と膨大な手間を要し、入手難度も桁違い。
数多の男性を惑わし、
数多の女性を本気にさせたその完成品は――
『チョコレート』と呼ばれている。
* * *
霧の森を進みながら、カグラが淡々と口を開いた。
「これは料理オタクのタクヤに聞いた話なんだけど――このゾーンにいる、ある妖精族がカカオを落とすそうよ」
「「その妖精族とは!?」」
即座に食いつく一同。
反応の速さが、もはや戦闘時より鋭い。
「あ、はい……ブラウニーよ」
あまりの前のめり具合に、カグラはほんの少しだけ身を引いた。
「ブラウニー……そんなお菓子、あったわね」
「チョコレートケーキですねー」
「まさかのダジャレ実装やないの……」
「カグラさん! でっ、ブラウニーはどこに?」
結が一歩踏み出し、詰め寄る。
カグラは一瞬だけ視線を逸らし、ため息と共に言葉を吐き出した。
「……それは、こいつらに案内させるわ」
そう言って、あごで指した先。
霧の奥に、二つの影が静かに佇んでいた。
共に馬のような優美なシルエット。
一頭は、白い毛並み、額には白く輝く一本角――ユニコーン。
もう一頭は、黒い毛並みに、ねじくれた黒い二本角――バイコーン。
そして、そのバイコーンの頭上には、金色に輝く『?』マークが浮かんでいた。
――――――――――――――――――――――――
【焦茶妖精の村への誘い】
依頼者:バイコーン&ユニコーン
目的地:焦茶妖精の村
依頼内容:
清らかなる乙女たちよ。
この霧の森にて難儀しておられるでしょう。
焦茶妖精の村への道筋をお求めならば、
喜んでご案内致しましょう。
難易度:★
報酬:なし
――――――――――――――――――――――――
「清らかな乙女やて!うち初めて言われたわ!」
ヒロミが照れくさそうにバイコーンの背中をはたくと、バイコーンは首を垂れてブルブル震えている。
「結ちゃんとアンちゃんはユニコーンで、私とエッちゃんとナナはバイコーンで……」
カグラが配置を確認しつつ続ける。
「……ヒロミさんは、乗るのは無理そうね……」
「うちは『狼の魂』があるから、気ぃ使わんといて」
ヒロミはそう言うと、自らに速足のバフをかけ、にっと笑った。
「私もユニコーンの方、乗りたい……」
エレネが指を咥え、恨めしそうに白い毛並みを見つめる。
「既婚者は乗せてくれないんでしょう?」
カグラがにやけながら言い、エレネをバイコーンに軽々と引っ張り上げる。
「……なんか、私もダメみたいです……」
結が肩を落とした。
なぜかユニコーンは、目も合わせてくれなかったらしい。
「しょうがないわね。じゃあ、結ちゃんもこっちで……」
『……重い……いや、なんでもないです……』
バイコーンが思わずこぼした言葉は、即座にカグラの鋭い視線を受け、口の中へと引っ込んだ。
こうして。
二頭の幻獣に導かれ、
義理と野望とチョコレートへの執念を胸に。
一行は、ブラウニーの村――
焦茶妖精の村を目指すのであった。
* * *
同時刻――
中央大陸西岸の商業都市セレノス。
ギルド『トーチ』が根城にしている酒場、『ルーイン・ゴート』では、男たちが揃ってラーメンをすすっていた。
湯気の向こうで、ケンタが丼を覗き込み、目を見張る。
「このスープ、美味いな。なんの出汁だ?」
「それは聞かない方がいいぜ」
即答したタクヤの声に、ケンタの箸が止まる。
「……え?」
「この味は牛骨じゃろう?」
横から、落ち着いた声でログ爺が割って入った。
「お、さすがログ爺。当たりだぜ」
「なんだ、おどかすなよ……ミノタウロスの出汁かと思ったろ」
ケンタはホッと胸を撫で下ろすと、再び麺をすすり始める。
「ところで、女性陣はどこ行ってるドワん?」
ガン鉄がホールを見回す。
確かに、朝から結の姿が見当たらなかった。
「ああ、そういや……」
タクヤが顎に手を当てる。
「カグラに『カカオ』の入手方法を聞かれたな」
「カカオって、チョコの原料になるアレかのお?」
「そうそう。なぜかスキル最大値でも加工に失敗する、鬼難易度素材だけどな……」
「チョコ? 女子は甘いものに目がないからなあ」
ケンタが本気でボケると、ログ爺が即座に突っ込んだ。
「明日は二月十四日じゃぞい……バレンタインじゃ」
「バレ――ブホッ……!」
麺をすすろうとしたタイミングで、ケンタが盛大にむせる。
「おいおい、大丈夫かよ?」
タクヤが笑いながら言う。
「まあ、義理でも貰えると嬉しいよな」
「そ、そうドワな……酒のつまみに甘いのも悪くないドワ」
「いや、これは期待、でらマックスだがや!」
シャチョーが満面の笑みでガッツポーズを決めている。
気づけば、男たちの視線は宙を泳ぎ、空気は妙にそわそわし始めていた。
だが、ケンタだけはふと、昔のEOFを思い出していた。
「……チョコって、加工だけじゃなくて、入手も鬼だったろ」
ぽつりと呟く。
「みんな……大丈夫か?」
「まあ、大丈夫だろ」
タクヤはあっさり言った。
「普通に考えて、あの面子は現時点のEOF最高戦力だぜ?」
「それも……そうだな」
タンクに回復役、補助魔法使い、そして物理と魔法と死霊のダメージディーラー。
あまりにバランスの取れたパーティ構成を思い浮かべ、ケンタは苦笑する。
――問題が起きるとしたら、想定外のバグくらいだろう。
いくらEOFでも、そこまでひどい出来ではない……。
そんなことを考えながら、ケンタは再び丼を手に取った。
* * *
白く濃い霧の中を、二頭の幻獣とオーガ女史が疾走していた。
前を行くユニコーンとバイコーンは、足取りも軽く霧を裂いて進む。
その背で、カグラはふと眉をひそめた。
「……いつの間にか、ゾーンしてるわね」
EOFにおいて、異なるゾーンの境界を越えることを“ゾーンする”と呼ぶ。
2Dマップ時代のEOFでは、やたらと長いデータ読み込み時間をごまかすため、ゲームのTIPSや世界観説明が表示されたり、後期には落ちものパズルゲームが遊べるゾーン境界まで実装されていた。
VR化した新生EOFでは、ゾーン切り替えは一瞬で完了する。
気づいた時には、もう向こう側――ということも珍しくない。
「ほんとです! 霧、晴れてきましたー!」
先頭のユニコーンにひとり乗ったアンが、前方を指さして声を上げる。
白い霧が切れた、その先。
現れたのは――
燦々と陽光が降り注ぎ、どこまでも砂が広がる砂漠だった。
「……初期エキスパンションには、プロム砂漠以外に砂漠ゾーンはなかったはずだけど?」
エレネが眉をひそめる。
だが、幻獣たちは止まらない。
砂塵を巻き上げながら、ユニコーンとバイコーンは疾走を続ける。
その後ろを追いかけるヒロミは、顔に砂を浴びて思わず顔をしかめた。
「うわー、かなわんわぁ……ペッペッ……って?」
オーガの定型動作で尻を掻きつつ、ヒロミが目を見張る。
「……甘い! この砂、甘いでぇ!」
半信半疑のまま、顔にかかった砂を舐めてみる一同。
「ほんとですー!」
アンが目を丸くする。
「これ……お砂糖です!」
ざらりとした砂は、確かに甘かった。
「これ、あのエセ機能のゾーンだわ……」
カグラが視界の隅を見やって、つぶやく。
そこに浮かぶのは、妙にコミカルなオモチャ箱のアイコンと『Toonモード:強制適用中』の文字。
どれくらい進んだだろう。数分……いや数十分か。
時間の感覚が曖昧になった頃、二頭の幻獣が同時に足を止めた。
どうやら目的地に着いたらしい。
目の前に広がっていたのは――
ロリポップキャンディーが林立し、赤白縞模様のキャンディステッキが柵のように並び、
ハチミツの泉がとろりと湧き出す、異様に甘ったるいオアシスだった。
そして、ハチミツの泉を囲むように、砂糖細工で組まれた小さな家々が並んでいた。
――そこが、焦茶妖精の村だった。
甘ったるい香りに満ちたオアシスの奥から、こつ、こつ、と軽い足音が響く。
村の入り口にあたるキャンディステッキの柵の隙間から、数人の小さな人影が歩み出てきた。
結の膝ほどの背丈。
想像していた小妖精より、ひと回り……いや、ふた回りほど大きい。
一様に、茶褐色の滑らかな肌。
砂漠の陽光を受けて、その表面は鈍く、しかし艶やかに光っていた。
肌の質感は石でも木でもない。
どこか、しっとりとして――
結は思わず、ごくりと喉を鳴らした。
(あ、あの肌……全身、チョコ製!?)
視線を巡らせると、砂糖細工の家々の扉や窓の奥にも、同じ色合いの影がいくつも見える。
こちらの様子を、そっと窺っているらしい。
「……想像以上に、甘そうね」
ナナが小声で呟く。
「旅の方――」
年長らしきブラウニーが一歩前に出た。
「ようこそ、焦茶妖精の村へいらしたでありますでうにー」
その頭上に、金色の『?』マークが灯る。
――――――――――――――――――――――――
【お茶会のお手伝い】
依頼者:焦茶妖精の村 村長
目的地:砂糖砂漠
依頼内容:
お茶会の準備を手伝ってくださいでうにー。
まずは、テーブルセッティングのため、
この先に居座る“アイツ”を追い払ってくださいでうにー。
難易度:★★★★★
報酬:カカオマス一年分
――――――――――――――――――――――――
「「うわー、これ受けちゃダメなやつ!」」
エレネとカグラの声が、見事に重なった。
「え? 確かに難易度は高そうだけど……ダメなの?」
結が不安げに尋ねる。
「なら、ブラウニーいてこましたらええんちゃう?」
ヒロミが声をひそめてみなに問う。
「カカオマスがドロップするんやろ?」
「妖精族の親密度が下がるのは困るわ」
自身も妖精族の一種であるハイエルフのエレネが、即座に否定する。
「……なら、受けるしかないわね」
ナナが肩をすくめる。
「いざとなったら、キャンセルすればいいわよ」
「そのセリフ……なんか、デジャビュ……」
エレネの背筋に、嫌な予感が走る。
「とにかく慎重に――」
『クエスト:【お茶会のお手伝い】が受注されました』
「受注したでー!」
ヒロミが豪快に笑った。
「細かいことは気にせんで、頑張ればええねん!」
エレネが抗議の声を上げる間もなく。
砂漠の向こうから――
低く、重い轟音が響き渡った。
見ると、地平線の彼方から、大きな竜巻がこちらへ迫ってくる。
巻き上げられているのは、砂――
いや、砂糖だった。
「あんなに砂糖巻き上げて……」
ナナが竜巻を眺めて、ぽつりと呟く。
「綿菓子でも出来るんじゃないかしら?」
誰も、否定できなかった。
* * *
白く、ふわふわとした繊維状の塊が渦を巻き、陽光を受けてきらきらと輝いている。
甘そうな竜巻の上空に、モンスタータグが表示されていた。
『コットン・キャンディ・エレメンタル』
「オ・ラ・ラ……」
エレネが低く息を吐く。
「あれ自体がモンスターってことね……」
彼女は剣を抜き、大型のタワーシールドを構えた。
「まさか、本当に“綿菓子”とはね……」
ナナもまた、四元素精霊の杖を握り直す。
迫り来る竜巻は、白く、ふわふわとした見た目とは裏腹に、地面の砂糖を巻き上げながら不気味な唸りを上げていた。
「ところで誰か、綿菓子の弱点属性、知ってる?」
ナナが振り返りながら言う。
「エレメンタル系は物理無効の上、魔法もほぼ反対属性しか効果ないのよね……」
「塩でも撒いておけばええんちゃう?」
ヒロミが軽い調子で口を挟む。
「お塩は、かえって甘さを引き立てますよー」
アンが即座に首を横に振った。
「スイカに塩理論ね……」
ナナが頷く。
「でも反対属性となると、それぐらいしか浮かばないわね」
「でも、塩魔法なんてあるんですか?」
結が小さく首を傾げる。
「んー。ティアーズ系が“涙”っていうくらいだから、しょっぱいんじゃないの?」
ナナが半分冗談めかして言う。
「どうせ私の魔法は、しょっぱいですよー……しくしく」
自分で言って、自分で落ち込む。
「……あーもう」
エレネが盾を前に押し出し、一歩踏み出した。
「なんでもいいから、援護お願い!」
白く甘い砂漠の中央で、決して甘くない試練が始まろうとしていた。
* * *
エレネが盾ごと前に踏み込み、漆黒の剣を大きく振るった。
重い衝撃と共に刃は竜巻の中心へ食い込む。
だが――
ふわり。
切り裂かれた綿は、まるで抵抗を感じさせず、即座に甘い糸を絡めて元の形へと戻っていく。
「……っ、手応えがない」
剣を引き戻したエレネの視線の先で、竜巻は何事もなかったかのように回転を続けていた。
「糠に釘ならぬ……」
アンが目を丸くする。
「綿菓子に釘って感じですねー」
「……なるほどね」
ナナが、ひとりで勝手に納得したように頷いた。
「よく考えたら、この世の全てが四つの元素のどれかに属するってーのが、四元素論だったわ」
杖を構え直し、きっぱりと言い切る。
「全部、試しましょう!」
次の瞬間。
「ファイヤー・ボール!」
放たれた火の玉が、甘い糸が絡み合う竜巻へと突き刺さる。
細い糸状の物質は、意外なほど火付きが良かった。
一気に火が回り、白い渦は赤く燃え上がる。
――が。
「あかん! こいつ、炎で強化されてへん?」
綿菓子エレメンタルは燃え尽きるどころか、無尽蔵に供給される砂糖の糸を巻き上げ、業火をまとって暴れ始める。
炎の渦は、まるでファイヤー・エレメンタルのように姿を変え、砂漠を蹂躙しつつあった。
「うわー! 消します! 消します!」
ナナが慌てて杖を掲げる。
「ウォーター・ジャベリン!」
放たれた水の槍が、燃え盛る炎と正面から激突した。
轟音と共に水蒸気が噴き上がり、一帯を白く覆い尽くす。
やがて水蒸気が晴れる。
「……美味しそうね」
エレネが、ぽつりと呟いた。
そこに残っていたのは、先ほどまでの白い渦ではなく――
茶色く、渦を巻いた固形物だった。
「香ばしくなっただけやね」
「キャラメリゼされた感じですねー」
エレネが一歩踏み出す。
「……でも、固くなって、止まった!」
「バーティカル・スラッシュ!」
剣が走り、茶色の渦を真っ二つに断ち割る。
「やったー!」
結が、思わず声を上げた。
だが――
「……まだよ」
カグラが目を細め、周囲を見渡す。
「クエストが、進んでないわ」
先ほどまでの喧騒が嘘のように、砂糖砂漠は静まり返っていた。
だが、その静寂の底に――
得体の知れない気配が、確かに満ちつつあった。
* * *
再び――
中央大陸西岸、商業都市セレノス。
ギルド『トーチ』が根城にしている酒場、『ルーイン・ゴート』では、相変わらず男たちがたむろしていた。
「あー、楽しみでしかないがね!」
ホールをうろうろと歩き回りながら、シャチョーが落ち着きなく声を上げる。
「ガナッシュかなー? 洋酒入りもいいがね」
「もちのろん、ハート型で!」
完全に一人だけテンションが浮いている。
「……やれやれだぜ」
タクヤが呆れたように肩をすくめる。
「誰でもいいのかよ?」
「心の広いオレは、くるものは拒まないがね!」
胸を張って即答するシャチョー。
「オーガ女史でもいいんドワ?」
ガン鉄が目を丸くして訊ねる。
「大歓迎だぎゃあ!」
間髪入れず、シャチョーは親指を立てた。
「アバター野獣でリアル美女って、ありがちだがね!」
その様子に、周囲は一瞬言葉を失う。
「……なんでもアリかよ」
ケンタはため息混じりに呟き、コーヒーカップを口元へ運んだ。
そのまま視線を落とすと、テーブルの上に置かれたシュガーポットが目に入る。
「……ホントに、大丈夫かなあ……」
ぽつりと、独り言のように漏れる。
「ブラウニーたちを怒らせてないといいけど……」
甘い砂糖を見つめながら、ケンタは遠く離れた砂糖砂漠へと思いを馳せた。
あの場所にいる、一風変わった小妖精たちの性質が――
なぜか、妙に気に掛かってならなかった。
* * *
焼けた砂糖の甘い香りが、砂糖砂漠に重く立ち込めていた。
エレメンタルが砕け散ったあたりの地面は、熱で溶けて固まり、まるでベッコウ飴のように鈍く光っている。
――その地面が、微かに、しかし確実に震えた。
ゴゴゴゴゴォォオオッ!
低く腹に響く音とともに、砂糖の山の下で何かが移動しているのがはっきりと分かる。
「砂漠の砂の中を動き回る……ってアレよね?」
ナナの顔が、見る見るうちに引きつる。
「ア、アレ!? ってなんですか?」
その様子に、結が思わず声を裏返した。
「きっとアレなんでしょうね……」
「そりゃ、アレに決まってるわね。うふふ」
「アレは勘弁してほしいわあ。うちも虫はダメなんよ」
「みなさん、そろそろ来ますよー」
不安を煽る言葉ばかりが飛び交う中、結は飴状に固まった地面に視線を落とす。
ひび割れは次第に大きくなり、震えは激しさを増していった。
「だから、アレってなに? え、虫?」
次の瞬間――。
飴の表面に走った亀裂が、音を立てて砕け散った。
砂中深くから、何かが一気に砂上へと躍り出る。
白く、ぶよぶよとした長大な身体。
目も鼻も耳も見当たらず、膨らんだ白い塊が幾重にも連なっている。
その先端には、鋭い牙が何層にも並んだ丸い口があり、獲物を探すように蠢いていた。
「ひえええ、でっかい芋虫!?」
「砂漠に付き物のワームよ……」
カグラがそれを見上げ、淡々とつぶやく。
「でも、ここだとやっぱり糖質でできてるのね」
そいつの頭上に、5本のHPゲージと真っ赤な敵対タグが浮かび上がる。
『マシュマロ・ワーム』
「マシュマロって、焼いて食べるのが定番よね」
ふと、エレネが呟く。
「しっかり焦げ目をつけると、トロッとして美味しいのよね」
幼い頃を思い出したのか、その視線は一瞬だけ遠くを見ていた。
「うちはいつも、ボワっと火が移って丸焦げやったわ」
ヒロミが肩をすくめる。
「……皆さん、アレを食べるつもりですか?」
結は苦笑いを浮かべながら、弓を構えた。
「食べないけど」
ナナが杖を構え直す。
「やっぱり初手は、燃やしてみましょう」
「ファイヤー・ボール!」
ナナの前に生じた火の玉が、一直線に『マシュマロ・ワーム』へと飛翔する。
だが――
『マシュマロ・ワーム』は、ぶよぶよとした巨体を意外なほど素早くくねらせ、火球を紙一重でやり過ごした。
「……やるわね」
ナナが口元を引き締める。
「なら、一斉攻撃よ。みんな"矢"でいくわよ!」
結がうなずき、弓を引く。
アンとカグラも詠唱はじめる。
「ファイヤー・アロー!」
ナナの詠唱に合わせて、結も矢を放つ。
――続けざまに、詠唱が重なった。
「マジック・アロー!」
「ボーン・アロー」
四本の矢が扇状に並び、逃げ場を塞ぐようにワームへと迫る。
くねらせて避けても、どれかが当たる――そう思わせる、絶妙な間隔。
だが――
『マシュマロ・ワーム』は、身体の節目から上下に分離するように裂け、
二つに分かれたまま、矢と炎をすり抜けた。
「なっ!? ずるーい!」
一瞬後、再び何事もなかったかのように合体する。
その瞬間。
彼女たちには、表情などあるはずもないワームが――
ニタリと笑ったように、見えた。
次の刹那。
『マシュマロ・ワーム』の表皮が、前方へ向けて不気味に波打った。
丸く開いた口の奥で、何かがせり上がってくる。
「ブレスだわ!」
エレネが即座に判断する。
「みんな、下がって!」
盾を構え、前へ踏み出す。
――しかし。
吐き出されたのは、炎でも衝撃波でもなかった。
大量の、白く粘つく糸。
「――っ!?」
次の瞬間、エレネの足元が強烈な力に捕らわれる。
地面に縫い止めるように、砂糖の糸が絡みついていた。
「う、動けない!?」
視線を巡らせると、後衛の面々も同様に糸に絡め取られている。
「あらあら、困りました。私も動けないですー」
アンが今ひとつ危機感のない声を上げる。
「ちょっと!?」
カグラが叫ぶ。
「砂糖の糸が、なんでこんなに強靭なのよ!?」
誰も答えられない。
『マシュマロ・ワーム』は、ゆっくりと、円を描くように這い始めた。
緩慢に。
だが、確実に。
捕食者の牙が――
逃げ場を失ったパーティへと、迫っていた。
* * *
「サンド・ウォール!」
ナナの叫びと同時に、迫る『マシュマロ・ワーム』の目の前へ、ずん、と壁が立ち塞がった。
……いや、壁というより――この砂漠では、角砂糖を積み上げたみたいな、白いブロック壁である。
ガリガリガリッ。
ワームの体当たりが叩きつけられるたび、角砂糖の塊が削られ、砕け、甘い粉を散らす。
「長くは持ちそうもないわね」
ナナが舌打ちする。
壁は、確実に削れていた。
エレネは、歯を食いしばりながら剣を振るう。
足元の砂糖糸を断ち切るたび、糸はいやらしく粘り、刃にまとわりつこうとする。
(くっ……あと、もう少しなのに……!)
その時だった。
甘ったるい風の向こう、焦茶妖精の村の方角から、小さな影がいくつも駆けてくる。
「旅の方々――」
先頭の、年長らしきブラウニーが槍を構えた。
「我らも、チョコっと助太刀致すでありますでうにー」
ブラウニーたちは、一斉に小さな槍を投げ放つ。
キィン――ッ!
穂先に細工があるのか、甲高い音を立てて槍が飛ぶ。
その音が、砂糖砂漠の空気を細く裂いた。
不思議なことに。
『マシュマロ・ワーム』は槍を避けない。
むしろ――自分から、その音へ突っ込むように身をくねらせる。
甲高い響きを、体の表面で浴びるみたいに。
「……そうか!」
拘束を引きちぎるように足を引き抜いたエレネが、叫んだ。
「音だわ! あいつ、音に惹きつけられる性質があるのよ!」
「でも、音と言われましても……」
ナナが呻く。
「ゾンビにはそんな魔法はないわよ……」
「えっと……これなんかどうですか?」
結が、矢筒から一本の奇妙な矢を取り出した。
矢尻は二又の刃。その根元が不自然に膨らんでいる。
「先端が笛になっていて……清めの音が鳴る鏑矢です」
「それよ!」
エレネが即答した。
「結ちゃん、お願い! ――その間、私が!」
エレネは剣を振るい、仲間たちの足元を順に駆け回っていく。
砂糖糸を断ち、引き剥がし、動ける者を増やす。
結は深く息を吸い、鏑矢を番えた弓を打ち起こした。
「正射必中!」
ピイイイィィーッ!
矢が放たれた瞬間、邪気を祓うような甲高い音が砂漠に響く。
音は一直線に『マシュマロ・ワーム』を貫き、首をもたげたその巨体へ吸い込まれていった。
鏑矢は的中し、ぶよぶよした皮を裂く。
ワームが、反射的に身をくねらせる。
「もう一射! みなさん、合わせてください!」
結が叫ぶ。
「オッケー! アンちゃん、アレいくわよ!」
ナナの言葉に、アンが頷いた。
「マージング・ソウル!」
ナナの魔法が、アンのアシストで強化される。
「正射必中!」
結が再び鏑矢を放つ。
ピイイイイイィィーッ!
今度の音は、さっきよりも鋭く、長く尾を引いた。
『マシュマロ・ワーム』はその音へと頭を向け、わざわざ当たりにいくように身をくねらせる。
「「アイシクル・コメット・ブーステッド!!」」
強化されたウィザード最上位攻撃魔法。
巨大な氷の彗星が、鏑矢の軌道に導かれるように落ちた。
轟音。
砂糖の粉塵が舞い上がる。
そして――
『マシュマロ・ワーム』のHPゲージが、一本、消し飛んだ。
ヒュウウイイイィィ!!
ワームは奇妙な鳴き声を上げ、反射的に砂中へ潜ろうとする。
ぶよぶよした巨体が、砂糖の海へ沈みかけた、その瞬間。
「逃がさないわよ」
ナナが不敵に笑い、再び壁魔法を唱える。
「『シュガー・サンド・ウォール・ブーステッド!!』」
砂漠の表面が、固く引き締まった角砂糖の床へ変わる。
潜ろうとしたワームの身体が、ずるりと滑り、沈めない。
「なるほど……この砂糖」
カグラが、口元だけでニヤリと歪めた。
「素材としてみると、面白いわね」
彼女の指輪が妖しく光る。
「地に満ちた白妙よ、我が下僕と化せ!」
ソウルゲージが、紫に染まる。
砂糖砂漠の白い砂糖が、あちこちで骨の形に固まり始めた。
肋骨、腕骨、頭骨――甘い粒が固結していく。
そして次々、無数のスケルトンとなって立ち上がり、ワームへ群がった。
「……シュガー・スケルトン軍団って感じかしら」
カグラが淡々と評する。
ブラウニーたちの投槍が、再び空に音を響かせる。
甲高い音が重なり、ワームはそのたびに頭を揺らす。
結の鏑矢の音が、逃げ道を奪う。
氷の彗星の余波が、砂糖の床を濡らし、ざらりと固める。
スケルトンの群れが、甘い砂を踏みしめ、ワームの巨体に取りつく。
ジリジリと、確実に。
『マシュマロ・ワーム』のHPは削れていき――
残り一本を、切った。
その時だった――。
* * *
『マシュマロ・ワーム』の体から、眩い光が迸った。
「残り一本!」
エレネが鋭く叫ぶ。
「みんな、気を付けて! ラスト・ゲージ・ギミックがくるわ!」
多段HPゲージのボスは、最後の一本を切った瞬間に豹変する。攻撃パターン、能力値、性質そのもの。
『マシュマロ・ワーム』も例外ではないらしい。
ぶよぶよした巨体の背中が、ぱっくりと割れた。
裂け目の奥から、半透明の羽根がするりと広がり、そのまま宙へ舞い上がる。
地面に残されたのは、ぺたりと崩れたマシュマロの抜け殻だけだった。
「脱皮した!?」
結がポカンと見上げる。
キュイイイィィ!
甲高い唸りとともに羽ばたくそれは、ほぼ半透明の肢体に白い鱗粉をまとい、陽光を七色に掻き乱していた。
「すごい……きれい」
結が、思わず息を漏らす。
「……名前まで変わってるわね」
カグラが視線を上げる。
頭上に浮かぶ新たなネームタグ。
『モス・オブ・ジ・アダマント』
「硬そうな名前ね……」
エレネが眉をひそめた、その瞬間。
巨大な蛾と化したそいつが、ゆったりと羽ばたいた。
半透明の白い鱗粉が、雪のように舞い落ちてくる。
皆の視界に、ショートケーキのデバフアイコンが灯った。
アイコンの下には、無慈悲なテキスト。
『糖質過剰摂取』
「いきなり、範囲毒攻撃かいな……えげつないわあ」
ヒロミがぼやきつつ、歌うように声を張る。
「生命の讃歌!」
回復速度アップのバフが、全員に波のように広がった。
「おばちゃん、回復が忙しくなってきたでー!」
修羅場に、なぜかイキイキし始めるヒロミ。
「さて、結ちゃん、あの黒いスキルいってみよう!」
ナナが、結のもう一つのユニークスキルを促す。
「黒いって……あれですか、はい」
結は苦笑いしつつ、弓を引き絞った。
「破邪顕正!」
真っ直ぐに放たれた矢が、モスの手前の空間に黒点を穿つ。
空間そのものが歪んだ穴は、周囲の鱗粉をことごとく吸い込み、それでも飽き足らず、モス本体まで食らおうと貪欲に口を開けた。
「今よ! アンちゃん、お願い」
ナナが叫ぶ。
「はーい、ヒロミさんとカグラさんもご一緒お願いしますー」
アンがにこやかに言いながら、ヒロミとカグラの手も引く。
そして、ナナへソウルリンクを繋げた。
「マージング・ソウル・クアドラプル!」
「「「「アイシクル・コメット・ザ・ファイナル!!」」」」
巨大な氷の彗星が七色の尾を引き、黒い穴を回り込む。
フライ・バイ。
彗星は穴の重力場を利用してさらに加速し、威力を増していく。
穴に吸い込まれまいと必死に羽ばたく『モス・オブ・ジ・アダマント』。
それを避ける余裕はなかった。
彗星が直撃し、片翼が消し飛び、
最後のHPゲージも、半分が黒で満たされていく。
モスはきりもみ状態のまま、蜂蜜の泉へ落下した。
粘度の高い蜂蜜が、ゆったりと飛沫を上げ、岸を濡らす。
「ジェミニ誘導、大成功ね」
ナナがドヤ顔で腕組みし、うなずいた。
「ジェミニ……なに?」
エレネが怪訝な顔をする。
が、アンがすかさず背中を押す。
「エレネ様、出番ですよー!」
「マージング・ソウル・クインタプル!」
五つのソウルゲージが円環を形成し、虹色に揺らめく。
「「「「「エンチャント・ファイヤ・エクステンデッド!!」」」」」
エレネの剣が聖なる炎をまとい、白銀の輝きを増した鎧の背に、純白のオーラが翼となって拡がる。
その翼が、彼女を一気に加速させた。
「スラッシュ・オブ・ザ・ホーリーフレイム・ファイナル!」
ガキン!!
この世で最も硬いと言われる鉱物でできた『モス・オブ・ジ・アダマント』の身体が、真っ二つに断ち割られる。
「さようなら、甘いパピヨンちゃん」
目を閉じ、黙祷するように剣を納めるエレネ。
「あ、エレネ様、そこは……」
アンが言いかけたが、遅かった。
「えっ?えっ?えーっ!」
背中の翼が消えたエレネは、そのまま、とぷんと蜂蜜の泉に落下したのであった。
「カッコつけたのに、詰めが甘いわね……ウフフ」
呆れ気味に腹を抱えるカグラだった。
* * *
「アイツを退治していただき、ありがとうございますでうにー。村で村長がお待ちでうにー」
槍隊を指揮していたブラウニーの隊長が、きびきびと礼を述べると、踵を返して村へ戻ろうとした。
こつ、こつ……と、あの甲高い足音が遠ざかりかけた、その時。
ポテッ。
(ん? なんか落ちた効果音?)
結は反射で足元へ視線を落とす。砂糖砂漠の白い粒の上に、小さな手袋がちょこんと転がっていた。薄手で、やけに艶がある。ふわりと甘い匂いまで漂う気がする。
(ブラウニーさんの誰かが落としたのかな……?)
結は慌てて拾い上げ、隊長へ駆け寄った。
「ブラウニーさん、待って! これ、落としましたよ!」
差し出された手袋を見て、隊長が振り向く。
訝しげな表情が、次の瞬間、さらに理解不能なものへ変わった。
「……それを、チョコっと私にくださるでうにー?」
肩が、微かに震える。
結の視界に、勝手にアイテム情報が展開された。
――――――――――――――――――――――――
【スイート・シルクの手袋】
甘い絹糸製の薄くて丈夫な手袋
LORE MAGIC ITEM
Slot: HANDS
AC: 6
DEX: +5
SV POISON: +3
Weight: 0.2
Size: SMALL
Class: ALL
Race: ALL
――――――――――――――――――――――――
次の瞬間、カグラが妙に慌てた声を上げた。
「結ちゃん、ダメ! それ蛾のドロップ品よ!」
だが、止めるには遅すぎた。
「え? あ、ごめんなさい、あげちゃった……」
結は反射で「返してもらおう」とも思ったが、すでに手袋は隊長の掌へ渡っていた。結はみんなを振り向いて、申し訳なさそうに頭を下げる。
その背後で。
隊長が、呻いた。
「……ううう、うにー」
手袋を握る指が、わなわなと震える。
震えは腕へ、肩へ、全身へと伝播していった。
「私めに……こんなチョコっと立派な装備を……くれるうにー?」
声が、甘ったるい空気を裂くように、尖っていく。
「侮辱だ! 侮辱! 我ら焦茶族の戦士は、断じて――このような報酬の為に戦ったのではないですガート!」
「えっ……?」
結がもう一度振り向いた瞬間、目の前の“ブラウニー”たちは、もうブラウニーではなかった。
身体が、少し伸びる。
丸木のように棒状に変化し、手足は枯れ枝のように奇妙に伸びる。
肌は黒ずみ、目は赤く充血し、口元は耳のあたりまで裂けて――鋭い歯が覗いた。
ぞわり、と。
甘い香りの中に、焦げた苦味が混じる。
「ひゃああー、なに? なに?」
結が素直な悲鳴をあげると、背後からぬちゃり、と妙に粘ついた音がした。
蜂蜜まみれのエレネが、のそのそと歩み寄る。
髪も鎧も、とろんと黄金色に光っていて、まるで“蜂蜜鎧”の新装備を着ているみたいだった。
その蜂蜜鎧のまま、彼女は真面目な顔で告げる。
「ブラウニーは、報酬にお金や高価な衣類を与えると……怒って悪鬼ボガートになるのよ……」
「その情報、最初に言っといて〜な!」
ヒロミが叫ぶ。
カグラが、深くため息をつく。
そして杖を構え直した。指輪の光が、さっきよりも露骨に“戦闘開始”を主張している。
「どうやら……もう一戦必要なようね……」
先ほどまで味方だった槍隊は、すでに全員がボガートへ変貌していた。
枯れ枝の腕がゆらりと揺れ、赤い眼が一斉にこちらを向く。
包囲。
甘い砂漠の空気が、じわりと冷える。
結は弓を握り直し、喉を鳴らした。
(わ、私……やっちゃった……!?)
ボガートたちは、ジワリと包囲の輪を狭めた。
* * *
枯れ枝みたいな腕が、じわり、と輪を狭める。
赤く充血した目が、全員を舐め回すように揺れる。
「これ、なんとかならへんの?」
ヒロミが、かすれ気味の声で言った。
「そうね……このままやり合ったらクエストは確実に失敗しそうだし……後味も最悪だわ」
ナナが首を振る。
「ブラウニーが喜ぶものなら、知ってるけど……」
カグラが、ふっと視線を逸らし、指を折って数えはじめる。
「ミルク、蜂蜜、クリーム、パン、ケーキ……」
そこで、ぽん、と手を打った。
「蜂蜜漬けの聖騎士様を差し出すのはどう?」
「やめてよー!」
蜂蜜まみれのエレネが、真顔で叫んだ。
鎧の隙間から、ぬるん、と蜂蜜が垂れる。
「なんや、甘味でええんか?」
ヒロミが声を弾ませ、ポーチをごそごそと探る。
「おばちゃん、飴ちゃんなら一杯持ってるでー!」
取り出したのは、小さな包みがぎっしり詰まった、きらきらした戦略兵器。
「ほら、『銀のミルク』とか『レモンみるく』……」
ヒロミがそっと、ボガートの群れに見せる。
――ぴたり。
迫っていた足が止まった。
赤い眼が、飴玉の光に吸い寄せられるように揺れる。
裂けた口の奥で、舌だけが、ぬらりと動いた。
(効いてる……!)
結が息を飲む。
「ほら、『パパイヤ飴』もあるで〜!」
ヒロミは、ぽい、と軽い気持ちで袋ごと放った。
ころころん、と砂糖の地面に落ちた瞬間。
群れが、どっ、と雪崩れ込んだ。
枯れ枝の指で器用に包みを剥がし、もぐもぐと頬張っていく。
ボガ。
ムガ。
モグ。
うに。
裂けた口元が、次第に丸く戻っていく。
黒ずんだ肌が、つやのある茶褐色へ戻っていく。
赤く充血した目が、ぱちぱちと瞬きをして、怯えたように潤んだ。
そして、気づけば――
そこにいたのは、さっきまでの“悪鬼”ではなく、焦茶妖精の槍隊だった。
「……これは初めての美味でありますでうに!」
隊長が、恍惚の叫びを上げる。
だが、口の中が忙しすぎて、言葉がところどころ噛み砕かれる。
「モゴ、ムガ……我々、ちょっと誤解をしておったようでありますでうに」
飴を頬張りながら、必死に頭を下げる。
「モグ、ムグ……謝罪致すでありますでうに」
「……よし。よく言えましたねー」
アンが、なぜか保育士みたいな顔でうなずいた。
「どうやら、蜂蜜漬け聖騎士は犠牲にせずに済みそうね」
カグラがにやけて、エレネを肘でつつく。
「ぜったい差し出されないから!」
エレネがむくれて言う。
むくれた拍子に、また蜂蜜が、たらり、と落ちた。
「はい、みんな落ち着いて。報告行きましょうねー」
ボガートの包囲は、飴玉で解けた。
甘い砂漠の風が、ようやく“安心”の匂いを運んでくる。
一行は、ようやく長い戦いにピリオドを打つことができたのであった。
* * *
チョコレート加工は、噂通り、甘くなかった。
自由都市ヘスペリアの酒場『エンシェント・タートル』。
その厨房を借りて、女性陣は戦場ではなく“調理台”の前に整列していた。
机の上には、苦労して手に入れた『カカオマス』。
湯煎用の鍋。温度計。ヘラ。型。
そして、やたらと深刻な空気。
「……では、始めましょう」
エレネが真面目な顔で言った。
しかし、始めた瞬間に終わった。
鍋の中で溶けたはずの黒い液体は、なぜかザラつき、分離し、艶を失い――
“チョコレート”というより、ただの“失敗”になっていく。
「え、ちょ、なんで……!? さっきまで、トロッとしてたのに……!」
結がヘラを握ったまま固まる。
「ボソボソになりましたー……」
アンがふにゃりと眉を下げる。
「……ほらね」
カグラは淡々と、手元だけを見ている。
彼女の前のボウルだけが、まだ“それっぽい艶”を保っていた。
結果。
もともと料理スキルを上げていたアンとカグラ以外――
誰ひとり、カケラも生成できなかった。
そして、最も早く折れた者がいた。
まだ蜂蜜のベトつきが残る白銀の鎧の聖騎士は、三回目の失敗で心が砕け、
厨房の隅で体育座りになり、壁と会話を始めた。
「テンパリングって何よ? ボソボソ……ボロボロ……あは、あはは……」
虚ろな目で、壁のシミを人差し指でぐりぐり擦り続けている。
「こらあかんわあ、素材なくなってまうで……」
ヒロミが頭を抱える。
「諦めて、板チョコへの加工はアンちゃんとカグラに丸投げしましょう……」
ナナも両手を上げて、降参のポーズを取った。
「うう、お願いします」
結がぺこりと、アンとカグラに頭を下げる。
「まかされましたー……と言いたいところですが、この確率だと6個出来るかどうか……」
アンが困ったように笑う。
「そうね、DEXアップのバフとかないの?」
カグラが横目で訊いた。
「ワーウルフ変身でDEX+100ですけど、ワーウルフになるとうまく調理器具握れないかもですー?」
アンが真顔で返す。
「それを意味ないじゃない……」
カグラが即座に切り捨てた。
「うちも、ちょっとなら呪いでけるで」
ヒロミが袖をまくる。
「巧腕千手招来!」
ぽわ、と妙な気配が二人の腕にまとわりつく。
「ん、腕が軽くなったわ」
カグラは一言だけ言って、黙々と作業に戻る。
アンも真剣な顔で、温度計を見ながら混ぜ続けた。
鍋の中で、ようやく“まともな艶”が戻ってくる。
……しかし、やることのない面々は、暇を持て余し始める。
「ところで、ヒロミさん誰にあげるんですか? やっぱりビシャモンさんとか?」
結が、手元のボロボロな何かを捨てながら訊ねた。
「内緒にしといてなー……ゴニョゴニョ」
ヒロミが屈んで、結だけに耳打ちする。
「えー! ほんとにー!」
結が目を丸くした。
「結ちゃんは誰にあげるん?」
ヒロミがニヤニヤしながら訊き返す。
結は、きっぱり答えた。
「もちろん、ケンタにあげるよ!」
(ド直球な娘ねー)
その場の全員が、心の中で同時に思った。
「あ、いや……ケンタが居なかったら、こうしてみんなと笑ってられなかったと思うし……」
みんなの視線が集中していることに気づいた結は、顔を真っ赤にしてあたふたする。
「結ちゃん、えらい可愛いやん!」
ヒロミが結の背中をバーンと叩いて大笑いすると、
厨房の空気が、ふっと軽くなった。
ボソボソと壁と会話していたエレネですら、かすかに肩を揺らした。
みんなも、思わず笑顔になる。
「私もタクヤ様に美味しいチョコを差し上げますー」
アンが、にこにこと宣言する。
その瞬間。
「それはあかん!」
「それはダメよ!」
一部から、反射みたいな制止の声が上がり――
厨房に、またドッと笑い声が響くのであった。
(おわり)
――閑話:チョコレート戦記 あとがき
最後まで読んでくれて、ありがとさん。
『トーチ』のギルマス、シャチョーだがね。
次回の『マジチー』は本編『聖職者の証(中編)』を、来週火曜日のお昼頃に投稿予定だがね。
前編と中編の間に閑話を挟んじゃって、すまんかった。
続きも読んでもらえると嬉しいがや。
もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブクマや★だけでも入れてくれると励みになるでね。
さて、チョコを大量にもらったらどうするか。
オレは楽しみでしかないわ。
女性陣みんながくれたらどうする? そりゃもう…両手が足りんがね。
EOFに虫歯の実装がなくて助かったわ、ほんとに。
ただ、他の男どもに嫉妬されるかもしれんで…困るわあ。
色男は辛いでいかん。いや、マジで。
* * *
――部屋の隅っこで壁に話しかけるシャチョー。
もうすぐ2/14が終わるがね……。
……誰も来んがや。
壁のシミが割れたハート型に見えてきた気がするわ……。
な、泣いとらんで? 泣いとらんがね!
――シャチョー




