閑話:ロード・オブ・ザ・リアル(2)(後編)
※このお話は「閑話:ロード・オブ・ザ・リアル(2)(前編)」の続きです。
まだ前編をお読みでない方は、そちらからどうぞ。
――前回、ハーフリングの四人組は、セレノスの冒険者ギルドで“鏡”の中に吸い込まれた。
そこは、すべてが左右反転した無人の世界。
誰もいない街、止まった港、そして声も風も“薄い”セレノス。
探索を続けた四人は、やがて街外れの井戸を抜け、鏡のセレノスの外――『セレノスの丘』にたどり着く。
目指すは初級ダンジョン『ブラック・ボトム』。
その入口の前で、彼らはまた一歩、知られざる“現実の裏側”へと足を踏み入れた――。
* * *
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【運用通達】
記載者:PM01
通知内容:高レベル帯追加インスタンスをテスト中。開発以外のスタッフは追加インスタンスへの入場はご遠慮ください。
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ブラック・ボトムへのゾーン中、四人の視界に何やら警告めいたメッセージが一瞬だけ表示された。
「……みんなも今の見えたかい?」
先に口を開いたのはプラムだった。まばたきをしても、残像のように文字列が目に残っている。
「見えたぞ。高レベルとか、開発とか……」
ナムが腕を組む。
「やっぱりここは運営用の空間っぽいな」
「高レベルとかあぶなくない? おいら怖いよー」
ププンが半泣きで言うと、ベリーが苦笑いした。
「まあ、危ないのはいつものことだろ?」
だが、プラムは真剣な顔で言った。
「でも、こういう場所にこそログアウトへの仕掛けが残ってそうなんだよね……どうしようか?」
ナムが少し考えてから頷く。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。危なそうならすぐ逃げればいい」
「ここなら犬穴の仔犬だけどな」
ベリーが軽口を叩くと、ププンが慌てて両手を振った。
「ほんとにすぐ逃げようね……」
四人は顔を見合わせ、小さくうなずく。
そして一行は、誰もいないブラック・ボトムの底へと――
ゆっくりと階段を下っていった。
* * *
階段を降りた先に待っていたのは、干上がった地下水脈だった。
かつては地底湖に続いていたのだろう。床にはひび割れた泥の跡が残り、あちこちに貝殻のようなものが転がっている。
「……静かすぎるね」
プラムが周囲を見渡す。
天井のランプも点いておらず、空気は湿り気を失って冷たい。
一行は見覚えのある周辺の部屋をすべて調べた。
かつて戦ったノールたちの拠点跡。
朽ちた木扉、空っぽの宝箱、使い古された焚き火跡――どれも特におかしいところはない。
「うーん、なにもないね」
プラムがため息をつく。
「モンスターがいないダンジョンって、ちょっとだけ楽しいね」
ププンが物珍しそうに辺りを見回す。
戦闘の気配がないだけで、空間の印象がまるで違って見えた。
ノールコマンダーの部屋には、見慣れない金属の制御盤が残されていた。
レバーとスイッチが並び、ところどころに文字が掠れた表示板がはめ込まれている。
「これ……なんだろう?」
「制御装置っぽいけど、どこをいじっても反応しないね」
ベリーが何度かボタンを押してみたが、何も起こらなかった。
結局、制御盤は無音のまま沈黙している。
「……ほんとに運営用の場所なのかも」
プラムがぽつりとつぶやく。
ナムは眉をひそめたまま、部屋の奥の壁を叩いた。
何も返ってこない。空洞の響きもない。
ただ、やけに“重たい”静寂だけが続いている。
* * *
「ねえ、普段行けない場所って、どこだろう?」
ふと、ベリーが思いついたように言った。
「普段行けない場所?」
「うん。たとえば――川底とか」
ナムが目を見開く。
「なるほど。水脈の底は、普段は歩けないものな」
「干上がってる今なら、下まで行けるかもね」
プラムがうなずく。
「よし、見に行ってみよう」
一行は川底へと降りた。
泥が乾いて白くなった底を歩くと、靴底がかさりと音を立てる。
壁にはかつて水が流れていた跡がくっきりと残っていた。
まず川上を調べる。そこは泉のような窪みになっていたが、干上がった底には何もない。
割れた石と、枯れた水苔だけ。
「やっぱり、こっちは外れだね」
次に川下へ向かう。
流れの名残を辿っていくと、やがて暗い洞窟が口を開けていた。
その入口には、淡い光の膜が漂っている。
「……ゾーン境界、だな」
ナムが息を呑む。
「ここだね。たぶん“高レベルインスタンス”ってやつ」
プラムの声が小さく響く。
「よし、行こう!」
ナムが一歩を踏み出す。
「えーっ、ちょっと見るだけにしてよー!」
ププンが必死に叫ぶが、誰も止まらない。
好奇心と恐れが入り混じったまま、彼らの足は自然と前へ進んでいた。
光の膜が四人の体を包み込む。
その向こうには、誰も知らない空間が待っている――。
一行は川底の洞窟へと、静かに姿を消した。
* * *
光の膜を抜けた四人の足裏が、乾いた砂を踏んだ。
視界が開ける。そこは円形の闘技場だった。
高くそびえる壁が円周をなぞり、その外側に折り重なるような観客席が、階段状に天へ天へと消えていく。風はないのに、どこかで微かな金属音だけが鳴っている。
「……でっか」
ナムが短く呟く。
「えー、帰るゾーン境界がないよ!」
ププンがくるりくるりと四方を見渡し、裸足で砂に足指を埋めた。「さっきの膜、どこ!? 入口どこ!?」
「おい、あそこに出口が……」
ナムが壁の一角を指さす。
「いや、あれは……なんかの入口、かも……」
ベリーの表情から血の気が引いていく。
指さした先、壁面の一角だけが四角く切り取られ、暗がりが口を開けていた。そこには頑丈そうな鉄格子が下りていて、向こう側は光を吸い込むような闇に沈んでいた。
「やめてよ、なんか凄いの出てくるフラグ立つじゃん……」
ププンがナムの背に隠れ、ひょこっと頭だけ出す。
闘技場の床は乾いた岩粉に覆われ、踏みしめるたびに砂塵が舞った。
周囲を囲む石造りの観客席には、誰の姿もなく静寂だけが満ちていた。
『グルルゥゥ……』
低い唸り声が、鉄格子の向こうから滲み出た。
空気がわずかに震え、砂粒がぱらぱらと転がる。
「ひいいぃぃ!」
ププンが反射的に反対側の壁へ駆けだす。が、壁は上へ行くほどつるりと反り返り、手がかりという手がかりがない。彼は両手両足で必死に貼りつこうとして、ずりっと滑り落ちる。
「肩車をしても壁の上に届かなそうだな」
プラムが壁際に寄りつつ、ぐるりと見回す。「観客席側に回れる階段もない……完全に“砂の穴”だ」
「こんな時、オーガみたいにデカい種族ならなー」
ナムが天井を仰ぐ。
「そうだ! おいら、ダークエルフにはなれるけど?」
ププンが『闇妖精のデスマスク』を半分まで引っぱり出し、期待の眼。
「それでも全然足らないよ」
ベリーは鉄格子を睨んだまま答える。「あの角度、たぶん跳べない。……けど、待って。鉄格子を“昇り棒”代わりにすれば、壁の上まで行けないか?」
「えー! ムリムリムリーっ!」
ププンはぶんぶん首を振り、じりじりと後退した。「ぜったい向こうの何かに噛み付かれるじゃん! ガブーって!」
その瞬間――。
ガシャン。
鉄格子が、短く、鋭く震えた。
* * *
ガシャン――!
乾いた金属音とともに、鉄格子の上端が外れ、ゆっくりと闘技場の内側へ倒れ込んだ。
砂を巻き上げて転がる鉄柵。その向こうの闇で、何かが動いた。
重たい足音。
湿った息づかい。
空気そのものが圧し潰されるような、異様な存在感。
「な、なんか出てきたよぉ……」
ププンの声が裏返った。
暗がりから現れたのは、漆黒の毛並みを持つ巨大な獣――。
四本の脚が地面を叩き、三つの頭がゆっくりと持ち上がる。
口の端からは蒸気のような息が吐き出され、赤い瞳が三対、闇の中で不気味に光った。
「ケ、ケルベロス……!?」
ベリーが呻く。
「ヤバイなこりゃ……完全にボスじゃねーか」
ナムが呆然と呟いた。
「ほら、すごいの出てきちゃったじゃん!!」
ププンが首を振り、じりじりと後退る。
ケルベロスは闘技場の中央で立ち止まり、三つの頭を順番に傾けながら、じっと四人を見下ろしていた。
そして――三つの舌が、同時に、ぺろりと口元を舐めた。
「ど、どうする……?」
ベリーが低く問う。
「隙を見て逃げよう……勝てる気がしない」
プラムが答える。
「逃げるって、どこもムリだったじゃん!」
ププンが震えながらプラムの服を掴む。
プラムはケルベロスの背後――倒れた鉄格子の向こうに見える『入口』を指さした。
「あいつを誘き出せば、あの通路に入れる。行き止まりでも構わない、まずは離れるんだ」
「どのみち、ここにいてもどん詰まりだしな」
「よし、決まりだな。引きつけは任せろ!」
ナムが宣言すると、懐からY字の木の枝にゴム紐を張ったものを取り出した。
スリング――いわゆるパチンコである。
ナムはドングリの弾を取り出すと、ケルベロスの頭のひとつにそれを放つ。
ドングリは一直線に飛び、ケルベロスの左の頭に直撃。
カンッ、と甲高い音を立てて弾けた。
左の頭がぐるりとこちらを向き、低く唸る。
「うわぁぁぁぁ、やっべぇ!!」
ナムは手を振り回しながら、闘技場の端を駆け出した。
だが――ケルベロスは動かない。
中央にどっしりと腰を下ろし、残り二つの頭が別々の方向を睨んでいる。
「ナム! 残りの二頭にも当てて!」
ベリーの叫びに、ナムが振り返る。
「おうっ!」
彼は再びドングリをつまみ、次々と放った。
右の頭に一発、真ん中にも一発――どちらも見事に命中。
「グルルルルルゥゥ……!!」
三つの喉が重なり合い、地鳴りのような唸り声が響く。
ケルベロスは巨体を揺らしながら立ち上がり、三つの口が一斉に牙を剥いた。
「き、来たぁぁぁっ!!」
砂煙を巻き上げ、ケルベロスが地を蹴る。
その速度は想像を超えていた。
ナムは必死に走り出し、闘技場の外周を全力で駆ける。
その背後を、三つの頭が吠えながら追いかけてくる。
――追いかけっこが始まった。
「今だ!」
プラムがププンの腕を掴んで走る。
「よし、行こう!」
ベリーも続き、三人は倒れた鉄格子を飛び越えた。
「ナムひとりで大丈夫かな?」
ププンが不安そうに振り返る。
「ナムならうまくやってくれるさ。信じよう」
プラムが言うと同時に、三人は『入口』へ飛び込んだ。
* * *
『入口』の先は、想像以上に広い部屋だった。
天井は低いが横幅があり、壁のあちこちに鉄の鎖がぶら下がっている。
床には乾いた麦藁が敷き詰められ、獣臭と血のような鉄の匂いが混じっていた。
「……ここ、ケルベロスのねぐらかな」
プラムが鼻を押さえる。
「やっぱり行き止まりじゃない?」
ププンが怯えた声を上げる。
「いや、よく見ろ。奥にも鉄格子がある」
ベリーが指さした先、暗がりの奥にもう一枚の格子があった。
厚い鉄の縦棒の中央には、がっしりとした錠前がついている。
「ほんとだ! でも錠前がかかってるよ?」
「おまえも俺も、みんなシーフだから……」
ベリーは思わず頭痛をこらえるように額に手を当てた。
もはやお約束の流れである。
「開けるよ」
プラムはピッキングツールを取り出し、錠前に差し込む。
細い金属の先端がカチリと鳴り、静かな音だけが響く。
「俺はナムを呼んでくる」
ベリーが言うと、闘技場の方へ駆け戻っていった。
「えっ!? お、おいっ!」
ププンがプラムの背中と闘技場の入口を交互に見ながら、落ち着かない様子で跳ね回る。
「どっちもはやく! はやくして〜!!」
焦りの声が、麦藁の上に吸い込まれていった。
* * *
その頃、ブラック・ボトムのコマンダー部屋。
薄暗い石壁に囲まれた空間の中央、古びた制御盤が鎮座している。
ランプは消え、モニターは黒い鏡のように沈黙していた。
そこへ、軽い足音が近づく。
小麦色の毛並みをした仔犬――コムギが、鼻をひくつかせながら部屋に入ってきた。
尻尾をぱたぱたと振り、床の匂いを追いながら進むと、何かを見つけたように振り返る。
くるりとこちらを向き、一声。
「わん!」
その声に応えるように、闇の中から二つの影が現れた。
黒いローブのフードを下ろすと、現れたのは――漆黒の肌に白銀の髪を持つ女性。
変身を解いたダークエルフ、カグラの素顔だった。
その肩の上を、黒羽根を揺らしながら小さな妖精――ピコが飛んでいる。
「……ここね。制御盤の部屋」
カグラはゆっくりと歩み寄り、埃を払うように盤面をなぞった。
金属は冷たく、長い間使われていなかったことを物語っている。
「これ、動かせる?」
「はい、マスター」
ピコは手を伸ばし、盤の右端――スイッチの影にある小さな鍵穴へと、迷いなく手を伸ばした。
そこへ、あの金色の鍵を差し込み、器用にクルリと回す。
――カチリ。
次の瞬間、沈黙していた制御盤が息を吹き返した。
パトライトがゆっくりと点滅を始め、インジケーターの灯が走り出す。
古びたモニターには、次々と映像が浮かび上がった。
洞窟の通路。干上がった地底湖。
そして、その中のひとつに――小柄な四人組が映し出される。
「あら、子どもたちじゃなかったのね。……よかったわ」
カグラが安堵の息をつく。
「ですがマスター、あの人たちも大変危険です」
「ゾーンの警告はケルベロスのことだったのね」
くーん、と小さく鳴いて、コムギがカグラを見上げた。
まっすぐな瞳に、何かを訴えるような光が宿っている。
「もう、わかったわよ。行きましょう。ピコ」
「はい、マスター」
「わん!」
三つの影が光のほうへ駆け出した。
モニターの中では、闘技場の砂煙が渦を巻き始めていた。
* * *
闘技場の中を、ハーフリングのナムが必死に駆け回っていた。
砂を巻き上げながら、ほとんど公転しているような走りだった。
その背後では、三つの頭が順に牙を鳴らし、黒い息を吐きかける。
「プラムが奥の鍵を開けてる! 行こう!」
『入口』の方から、ベリーの声が響く。
「なんだって? プラムって言ったか?」
「うん……あ!?しまった!」
ベリーの顔が一瞬で青ざめる。
――四人の中で、プラムがいちばん開錠が苦手。
いや、苦手どころか、ドアノブを回す方向すら間違えるレベルであった。
「やっば……!」
ベリーは踵を返して全力で駆け出した。
だが、『入口』の奥の通路から、プラムとププンが戻ってくるところだった。
肩を落としたプラムが、折れたピッキングツールをしょんぼりと掲げる。
「ごめん、失敗してしまった……」
「お、おう……」
引きつった笑みで答えるナム。
「うわーん、もうおわりだー!」
ププンがその場に膝をつき、両手で顔を覆った。
闘技場の中央で、ケルベロスがゆっくりと振り返る。
三対の赤い目が並び、喉の奥で黒い炎がうねりはじめた。
空気が熱を帯び、砂粒がじりじりと焦げる。
――そして、口が開かれた瞬間。
「玲瓏なる魂の氷獄――アイシクル・ランス!」
涼やかな声が、闘技場に響き渡った。
――ギャンッ!!
地面を突き破るようにして、無数の氷の槍がせり上がる。
氷柱はケルベロスの巨体を貫き、たちまち氷の牢獄が形成された。
しかし、その次の瞬間――。
「熱き魂魄の炎塊――ファイヤーボム!」
轟音とともに、氷獄が爆ぜた。
青白い炎と紅蓮の火球が交じり合い、ケルベロスは悲鳴を上げながら後退する。
溶けた氷の破片が雨のように降り注ぎ、ガラス化した砂地に白い蒸気を立てた。
「あら、失敗しちゃった。溶かしちゃダメね。うふふ」
闘技場の入口、赤と黒のローブがひらめく。
GMローブ――カグラの姿だった。
フードを深くかぶり、顔は見えない。
だがその立ち姿だけで、周囲の空気が引き締まる。
「氷獄って、囲んでなくない? 全部刺さってたよ?」
ププンが思わず突っ込みを入れる。
「でも誰だか知らないけど助かったな」
ベリーがほっと息を吐く。
「あれ、GMローブだな。ドラゴンレイドで関西弁のGMが着てたの見たことがある」
そんなやりとりをしている間にも、ケルベロスは体勢を立て直していた。
三つの頭がゆらりと持ち上がり、口の奥に黒い炎を灯す。
「危ない!」
ナムが叫ぶ。
カグラはすんでのところで身をひねり、黒炎をかわす。
だが、間髪入れずに二つ目、三つ目の首が順に炎を吐く。
轟々と燃える黒火が壁を焦がし、熱風が渦を巻いた。
「くっ……キリがないわね」
カグラは軽やかに跳び退るが、徐々に壁際へ追い詰められていく。
「あのGMさん、いい匂いする……」
「そんなことより、ちょっとやばそうじゃない?」
「GMでもキャスター型だと詠唱時間がネックなんだろ」
「やっぱりタンク必要だね!」
「って言っても、ここにはシーフしかいねぇしな」
「てか、あの人の魔法、無駄に詠唱長いし……」
「うっさいわねー!」
カグラが笑って言い返すが、息は上がっていた。
それでも瞳の奥には、まだ余裕の光がある。
ケルベロスがゆっくりと距離を詰める。
三つの口から漏れる黒炎が、まるで地獄の息のようにうねる。
その時――。
「わん!」
「わん、わわん!!」
闘技場に甲高い声が響いた。
小さな仔犬――コムギが、カグラの前に立ちはだかっていた。
毛を逆立て、吠え続ける。
その剣幕に、一瞬ケルベロスの動きが止まる。
「コムギ……!」
カグラの目にわずかに光が戻る。
その隙を逃さず、カグラは両手を広げて詠唱を開始した。
肩の上にピコが舞い降りる。
「暗き絆の――マージング・ソウル!」
紫と青のソウルゲージが螺旋を描き、光が弾ける。
七色の輝きが辺りを包み込み、凍てつく風が闘技場全体に吹き荒れた。
「仄暗き氷獄の結晶――アイシクル・コメット・ブーステッド!!」
轟音。
それはもはや彗星というより、氷の神の拳だった。
ケルベロスの三つの頭が同時に咆哮を上げる間もなく、
その巨体は黒炎ごと氷の彗星に飲み込まれ、
まばゆい光の粒となって空へと砕け散った。
熱風と冷気がぶつかり合い、風が止む。
闘技場には、ただ静寂と氷塊が作り出した白い霧の闇だけが残った。
カグラは息を整え、コムギのもとに歩み寄る。
まだ気を張って立っていた小さな仔犬を、そっと抱き上げた。
「ありがとう。……素敵だったわ、小さなタンクちゃん」
コムギは尻尾を振り、鼻先でカグラの頬をこつんとつついた。
ピコがふわりと肩に舞い戻り、闘技場を見渡す。
「マスター、あの四人はどうします?」
「ふふ、遠くに飛ばしちゃいましょう」
GMメニュー操作しながら悪い笑顔を浮かべるカグラであった。
* * *
――まぶしい。
真っ白な霧が流れていく。
その向こうに広がっていたのは、見覚えのある穏やかな丘陵地帯だった。
柔らかな陽光に照らされ、麦畑の穂が風にそよいでいる。
小川のせせらぎ、遠くから聞こえる牛の鳴き声。
それは――ハーフリングたちの故郷、グリンダルの農園だった。
「……ここ、グリンダル?」
プラムがぽかんと口を開け、丸いドアの小さな家々を見つめる。
煙突からゆらゆらと上る煙が、なんとも懐かしい匂いを運んできた。
「俺たち……夢でも見てたのか?」
ナムが頭をかきながら、呆然とつぶやく。
「あれ? おいら両方、靴履いてる!?」
ププンが自分の足をまじまじと見つめて跳ね上がる。
いつの間にか、失くしたはずの片方がちゃんと戻っていた。
「あのGMの仕業に違いない」
ベリーが腕を組んで断定する。
「ケルベロスって基本、門番なんだ。ログアウトへの道に、絶対絡んでる」
続けてベリーが言った。
「現実への門じゃなくて――地獄の門番だけどね」
プラムが首を振りながら答える。
「でも、あのGMさん、きっと美人だよ!」
ププンが目を輝かせる。
「いい匂いしたもの!」
「はは、匂いで判断すんなよ」
「おいらの嗅覚は確かなんだって!」
いつもの調子で笑い合う四人。
その笑い声が、のどかな農園の空へと吸い込まれていく。
しばらくは、ここで旅の疲れを癒やすのもいいだろう。
小麦畑の風が優しく吹き抜け、どこからか「わん!」と小さな鳴き声が聞こえた。
――謎のGMに、心からの感謝を込めて。
(おわり)
――閑話:ロード・オブ・ザ・リアル(2)(後編)あとがき
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回の『マジチー』は本編を、来週火曜日のお昼頃に投稿予定です。
なんでも――山奥で、殺人事件が発生するとか。……物騒ですね。
続きも読んでいただけたら、マスターも……いえ、作者も喜ぶと思います。
もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブクマやポイントで応援していただけると嬉しいです。
あ、リアクションも大歓迎ですよ。
わたし、データ解析だけでなく「人間の感情学習」も進んでいますから……ふふ。
それにしても、マスターはコムギを甘やかしすぎです。
高レベル魔獣の肉を分け与えたり、抱き上げたり……あまつさえ御尊顔をペロペロとか!?
う、羨ましくなんか……ありませんっ! 決して!
――ピコ




