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閑話:ロード・オブ・ザ・リアル(2)(前編)

だいぶ長くなってしまったので、分割します。

後編もすぐに投稿しますのでよろしくお願いします。

 ――これは、ログアウトへの道を探して世界を旅した、ちっぽけな冒険者たちの記録である。


 ハーフリングの四人組、プラム、ナム、ベリー、ププン。

 彼らは今日も、出口を求めて彷徨っていた。


 前回の旅で、彼らはひとつだけ『闇妖精のデスマスク』を手に入れた。

 装備すればダークエルフに変身できるという珍品である。

 それを被って、カオス陣営の宿屋という宿屋のベッドをくまなく調査したのだが――

 結果は、惨敗。


 そして今、彼らは猫島からセレノスへ帰る船の上にいる。


「猫島の民宿は最悪だったね。さすがに猫サイズはきついわー」

 ナムが不満げに言う。足を伸ばそうとして、また甲板にゴツンとぶつけた。


「うん、結局『ベッドで眠る』は全滅かー」

 プラムが潮風を受けながらため息をつく。


「まだ個人宅とか、ダンジョンの寝床とか残ってるけどね」

 ベリーが答えると、ププンがすぐに首を横に振った。

「ゴブリン臭い寝床とか、おいら絶対イヤ!」


「でもさ、そういう“誰も行かない場所”にこそ、システムの抜け道がある気がするんだよ」

 プラムが頭をかきながら言った。

「未到の地とか、旧EOFでは未実装だったエリアとか――

 そういうとこにログアウトの仕掛けが残ってるかもしれない」


「猫島の『冥界のラビリンス』もそんな感じだったね」

 ベリーが思い出すように言う。

「旧EOFのデータには存在しなかったし、101階層まであるって噂……。あれ、普通じゃないよ」


「普通じゃないけど、今の装備じゃ一階で蒸発するよ」

 ナムが肩をすくめる。


「でも、誰も行ったことのない場所に“手がかり”があるなら、やるしかないんだよね」

 プラムの声は真剣だった。

「俺たちが見つけなきゃ、誰も見つけられないかもしれない」


 潮風が頬をなで、甲板に陽光がきらめく。

 誰も行ったことのない場所――そこに、帰り道があるかもしれない。


「……でも、まずはセレノス戻ってラーメンだよね?」

 ププンの一言で、真剣な空気があっという間にゆるむ。


「わかる、それ超大事!」

「味玉トッピングな!」

「おいらはチャーシュー増しで!」


 笑い声と海風が混ざり、船はゆっくりと港の方へと進んでいく――。


* * *


 セレノスの港に着いた四人は、潮の香りとともに街の喧騒に包まれた。

 屋根の上ではカモメが鳴き、石畳の通りでは商人たちが声を張り上げている。


「やっぱりセレノスは賑やかだね〜」

 ププンが鼻をひくひくさせる。

「猫島の魚も悪くなかったけど……やっぱり焼き鳥の匂いが最高!」


「ちょっと待って、それ買うの三本目じゃない?」

 ベリーが呆れながら言うと、ナムも串を片手にうなずいた。

「市場通りの串焼きは別腹ってやつだよ。冒険者の常識!」


 そんな軽口を叩きながら、彼らは市場通りをぶらついた。

 焼き菓子を買い食いし、胡椒屋でくしゃみを連発し、路地裏の犬に吠えられて逃げ出す――。

 いつも通りの「探索」である。


「おい、あの小麦色の犬、前も追ってきたやつじゃない?」

「えっ!?うそ! 匂い覚えてるの!?怖っ!」

「……犬って、意外と執念深いんだよ」

「さすが元ハンター……豆知識の使いどころそこじゃないから!」


 わちゃわちゃと逃げ込み、たどり着いたのは『ルーイン・ゴート』の店先だった。

 漂う香りにププンの目がハートになる。


「うわ〜!ラーメンの匂い! 絶対食べる!絶対!」

「……結局それが目的なんでしょ」

 プラムが笑いながら中へ入る。

 厨房では相変わらず大鍋が唸り、スープの湯気が立ちのぼっていた。


 小さなハーフリングたちに気づいた、やたらと顔面偏差値の高い店主が、にやりと笑って丼を四つ並べる。


「よぉ、小さいの。腹減ってんだろ?今日は特盛サービスだ」

「う、嬉しいけど……特盛って、器が顔より大きいよ!?」

「おいら、顔から落ちたら沈むやつだコレ!」


 なんやかんやで、麺をすすりながら幸せそうに笑う四人。

外の喧騒がすっと遠のく、ほっとする時間だった。


 だが、満腹の余韻の中で――ベリーがふと、思い出したように呟く。

「ねぇ……この店の下って、シーフギルドがあるんじゃなかったっけ?」


「は? あの“シーフ限定”のやつ? 下水にあるって噂の?」

 ナムが箸を止める。

「確か、旧EOFの頃、入り口がどこかに隠されてるって聞いたけど……」


「で、どうやって行くの? 下水とかやだよ?」

 ププンが即座に拒否反応。

 しかしベリーはすでに立ち上がっていた。


「じゃあお前は待ってろ。ちょっと調べてくる」

「え、えぇぇ!?ほんとに行くの!?」


 ベリーはラーメンの代金を机に置き、すたすたと奥へ消えていく。

 残された三人が顔を見合わせた、そのとき――。


 店の奥、壁に掛かった一枚の風景画が、かすかに軋んだ。

 その裏から現れたのは、暗がりに続く小さな穴。


「……まさか、あれか?」

「うわ、マジであるんだ……!」

「だから言ったじゃん。シーフの勘は侮れないって」

「全員シーフだけどな」


 穴を抜けると、狭い部屋の隅に梯子があった。

 梯子を降りると、じめっとした空気が頬をなでる。

 そこは――下水道へ続く通路だった。


「うわあああ!臭いー! これ絶対にラーメンのあと来る場所じゃないって!」

「しっ!声が響く!」

「てかププン、結局来てるじゃん」

「おいら一人残ったら寂しいもん!」


 暗闇を進むと、灯りのともる広間に出た。

 そこには怪しい酒樽と、壁に刺さった無数の短剣。

 そして――酒樽に座った、ひげもじゃの男。


「ようこそ、セレノス地下の吹き溜まりへ……」

 シーフギルドマスターが不気味に笑う。


 四人は固まった。

 マスターは豪快に笑い、鍋を指さす。

「まあ、緊張するな! 歓迎のシチューだ!」


 ――それは、ネズミのシチューだった。


「おいら、帰る!!!」

 ププンが絶叫し、三人もそろって踵を返す。


「おい、待て!味見くらい――」

 マスターの声が背中に響く頃には、四人はもう梯子を駆け上がっていた。


 店に戻ると、ププンがドヤ顔で腕を組む。

「ほら見ろー!だから言ったじゃん、下水とか絶対やだって!」

「……うん。ほんとにその通りだった」

 ベリーが肩を落とし、プラムとナムが同時にため息をつく。


 結局、情報はゼロ。カロリーは満タン。


* * *


 腹ごしらえを終えた四人は、セレノスの中心通りを抜けて冒険者ギルドへ向かった。


 扉を押して入ると、昼下がりのギルドはほどよく賑わっている。

 依頼掲示板の前では冒険者たちが群がり、手にした紙を奪い合うように読み合っていた。


「うわ、いつもより混んでるなぁ」

「人気の依頼でも出たのかな?」

「とりあえず見てみようぜ!」


 小さな足で人の間をすり抜け、掲示板の前までたどり着いたが――


「……見えない」

「全然見えないね」

「踏み台が欲しい!」

 ハーフリングたちは、掲示板の一番下の角を見上げて途方に暮れた。


 そのとき、背後から明るい声がした。


「どうしたの? 見えないの?」


 振り向くと、黒髪をお下げにした小さな女の子が立っていた。

 肩の上には、黒いウサ耳をぴょこぴょこと動かす小さな妖精が浮かんでいる。


「掲示板、ちょっと高いもんね」

 少女がそう言うと、ウサ耳の妖精が杖をくるりと回した。


 小さな光が弾け、掲示板全体がふわりと沈み込む。

 木枠がきしみ、依頼書の束がハーフリングたちの目線にまで降りてきた。


「一緒に見ようね!」

 少女が笑顔を向ける。


「お、俺ら子供じゃねーし……」

 ナムが言いかけたところで、ププンが慌てて口をふさいだ。


「お嬢ちゃんありがとねー! おいら感激〜!」

「ふふっ、どういたしまして!」


 少女は何枚かのクエスト用紙を選び出し、「これ、街の中のやつだよ」と言って渡してくれた。

 ウサ耳の妖精は満足げに腕を組み、杖の先から小さな火花を散らす。


「またねー!」

「うん、またね〜!」


 思わずププンも両手でぶんぶんと手を振り返す。

 ――こういうのは、なんかいい。


「さて、と。せっかくだから二階も見てみようか」

 プラムが言い、四人は階段をのぼる。


 踊り場に差しかかったとき――。


「あれ? あれれ? これはおかしいぞ」


 プラムが立ち止まった。

 壁に掛けられた大きな鏡を、じっとのぞき込んでいる。


「何がおかしいんだ? 普通の鏡じゃないか」

「いや、待て。奥の壁を見てみろよ。鏡の中には――ドアが映ってる」

「えー? こっちの壁には何もないけど?」


 確かに、こちらの現実の壁は真っ白だ。だが鏡の向こうには、見慣れない木製の扉が映り込んでいる。


「……見つけた! 未到のエリアだ!」

 プラムが叫び、勢いよく鏡に手を当てた。


 しかし、手は固い表面に弾かれただけだった。


「うーん、鏡をすり抜けられるわけじゃなさそうだな」

 ベリーが顎に手を当てる。

「鏡の中に映ってたドアの位置、こっちの壁でも調べてみたら?」

「なるほど、よし行ってみよう!」


 四人は鏡に映っていたドアと同じ位置を頼りに、こちら側の壁を隅から隅まで調べた。

 だが、何の変化もない。


「くそっ、やっぱり何もないのか……?」

 ナムが肩を落としたそのとき、プラムが何かに気づいた。


「――待て。鏡の額縁の上、見てみろ!」


 天井近く、額縁の上端に小さな穴が開いていた。

「鍵穴だ!」

「でも、鍵なんて持ってないよ?」

「どこかに“鍵開けが得意なシーフさん”いないかな?」

「おい!全員シーフだぞ俺たち!」

「あっ! そうだったー!」


 四人は顔を見合わせ、同時に肩を組んだ。

 ――次の瞬間、謎のシーフ式肩車が始まる。


「おい、重い!靴の泥落としてけよ!」

「ぐ、ぐえっ……ププン早くしてぇ!」

「よーし……ジャンケン勝ったおいらの出番だぁぁ!」


 いちばん上に乗ったププンが、ピッキングツールを鍵穴に差し込む。

 汗を垂らしながら、手先を慎重に動かす。


 ――カチッ!


「開いたー! ……うわあ!」


 乾いた音とともに、鏡の中の像がぐにゃりと揺れた。

 空気が歪み、光が吸い込まれるように渦を巻く。


「ちょ、ちょっと待てこれ――吸い込まれてるっ!」

「うわああああああ!!」


 叫ぶ間もなく、四人は鏡の中へと引きずり込まれていく。

 鏡の表面が波打ち、階段の踊り場が歪んだ光の中に溶けていった。


 やがて――光がぱっと弾ける。


 踊り場には静寂が戻り、吹き抜けを通って下の階のざわめきが微かに聞こえるだけだった。


 ただ、そこには――

 誰かの小さな靴が片方だけ。


 床の上に、ぽつんと取り残されていた。


* * *


 ――そこは、知っているはずの世界の“裏側”だった。


 冒険者ギルドの広いホール。

 掲示板も受付のカウンターも、ついさっきまで彼らがいた場所と同じはずなのに、どこかが違う。

 壁の文字はすべて左右反転しており、読もうとすると目がチカチカする。

 階段の手すりも、扉の取っ手も、微妙に位置が逆。

 まるで世界全体が鏡に裏返されたかのようだった。


「うわぁ……なんか変な気持ち悪さあるね」

「さっきのギルドとほとんど同じなのに、全部が逆向きに見える」

 プラムとナムが顔を見合わせる。


 受付にも人影はなく、照明も薄暗い。

 しかし、人気がないのはたまたまかもしれない――

 そう思いながら、四人は慎重に館内を歩き回った。


 その途中、ププンが自分の足元を見下ろして叫んだ。

「げっ……片方の靴、ない!」

「鏡んとき引っかかったんじゃね?」

「うわー、やっぱりー!」


 鏡の中に吸い込まれる瞬間、片方の靴だけが向こう側に置き去りになってしまったらしい。

 ププンは仕方なく、もう片方も脱いでしまう。


「こうなったらもう裸足でいく! ハーフリングの本気見せたる!」

「いや、そんな見せ場いらないって……」

 ナムが呆れ顔で言う。


 毛の生えた足は床を踏みしめても、ほとんど音がしない。

 それがますます、異様な静けさを際立たせていた。


「……なあ、誰もいなくない?」

「いや、まだ決めつけるな。時間帯が悪いだけかも」

 プラムが周囲を見回す。

 だが、受付のカウンターにも誰の気配もない。

 薄い埃が積もった書類の束が、ここが長い間使われていないことを示していた。


 四人が途方に暮れかけたそのとき――

 ベリーが廊下の奥を指さした。


「ねぇ……あれがあっちにはなかった扉だよね」

 壁の一角に、重厚な木の扉が沈黙を保ったまま佇んでいた。

 黒鉄の蝶番は鈍く光り、時代を感じさせる装飾が彫り込まれている。

 まるで古い館の主が今も中にいるかのような存在感だった。


「うん、元のギルドでは壁だったよな?」

 プラムが慎重に近づき、ノブに手をかける。

 ギィ……と低い音を立てて開いた先には、静まり返った一室があった。


 ――そこは、立派な机と応接セットが並ぶ、執務室のような部屋だった。


 窓は閉じられ、机の上には一冊の分厚い本が開きっぱなしになっている。

 だが、ページに並ぶ文字はどれも鏡文字で、しかも英語のようだった。


「うへ〜、鏡文字じゃなきゃ読めるのになー」

 ププンが残念そうに呟くと、すかさずナムがつっこむ。

「嘘つけ、英語も読めないだろ!」


「でもさ、なんか管理者の部屋っぽくない? ここ」

 ベリーが机の端を指でなぞる。

 埃は少なく、誰かがついさっきまで使っていたような雰囲気があった。

 なのに――人の気配はまったくない。


「う〜ん、ちょっとだけいい匂いするよ」

ププンが鼻をひくひくする。


 プラムは机の引き出しを開けてみたが、中は空っぽだった。

 鍵束のようなものも、ログアウトボタンらしき装置も見当たらない。


「……なんだろね、ここ?」

「管理層っぽいのに、肝心の人がいない」

「鏡の国モチーフのダンジョンとか?」


 ププンが軽口を叩きながらも、誰も笑わなかった。

 空気が妙に冷たく、部屋の奥で時計の針だけがカチ、カチ、と音を立てていた。


「ちょっと外、見てくる」

 プラムとベリーが再び扉を抜け、外へ出る。

 残った二人は、無言で本を眺めていた。


 やがて、外に出ていた二人が戻ってくる。


「誰もいない……NPCもプレイヤーも」

「街の通りも空っぽだった。声も足音も、まったくしない」


 プラムは窓の外を見上げ、息を呑んだ。

「この世界、どこまであるんだろう? フォボスが見えるよ」

 青白い空の中に、ぽつりと衛星が浮かんでいた。

 それは、元の世界と同じ位置に、同じように光っている。


「鏡映しなら元の世界とおんなじでしょー、たぶん」

 ププンが軽く言う。だが、その“たぶん”が誰にも保証できないのは明らかだった。


 プラムは考え込み、やがて顔を上げた。

「こっちの世界なら、ダンジョンの奥まで調べられるかも?」


 その言葉に、三人が同時に目を丸くした。


「……たしかに!」

「こっち側の構造が同じなら、裏ルートで中を覗けるかも!」

「未到の地の地図、作れるかもよ?」


 四人の目が輝いた。


 静寂の中に、ほんの少しだけ冒険の熱が戻ってくる。

 誰もいない世界――それは、恐ろしくもあり、同時に魅力的だった。


「決まりだね」

 プラムが微笑んだ。

「“鏡の国”の探索、開始!」


 四人は気合いを入れ直し、まずは外の港へ向かうことにした。

 猫島への航路――それは、彼らが最初に“異常”を確かめられる場所でもあった。


* * *


 セレノス港。

 潮風が吹き抜けるはずの埠頭は、驚くほど静かだった。


 波音だけが聞こえる。

 桟橋の杭にぶつかる水の音が、やけに大きく響いた。

 船影はどこにもない。

 ロープは垂れたまま、誰もいない。


「……船、ないね」

 プラムが呟く。


「いや、見張りのNPCもいない。船着き場の灯りも消えてる」

 ナムが眉をひそめる。


「ってことは……定期船も来ない?」

「……来ないね。時刻表が白紙だ」


 港の掲示板には“猫島行き”の札がかかっていたが、紙の端が風に揺れているだけ。

 出航時間は空欄のままだ。


「こまったな。泳いで行けるか?」

 ナムが腕を組む。


「えー、おいらはカナヅチだからパス!」

 ププンが全力で拒否する。


「たしか、海路は定期船に乗らないとゾーンできない仕様だったと思う」

 ベリーが冷静に言う。


「つまり……猫島はあきらめるしかない、か」

 プラムがため息をついた。


 いつもなら賑やかな港町が、まるで時間ごと消えたように静まり返っている。

 風はあるのに旗も帆も揺れない。

 音も匂いも“薄い”。


「じゃあさ、行けるとこ行ってみようよ」

 ププンが提案する。

 彼の声だけが、この世界に色を戻していた。


「行けるのは……中央大陸のどこかかな?」

「でも、そもそもゾーン境界は越えられるのか?」

 ナムが眉を寄せる。


「越えられないなら、セレノスの中では下水の奥かな?」

「えー!また下水ー!?」

 ププンの悲鳴が港に反響した。

 誰もいない港に、それがやけに賑やかに響く。


「正門の外にはゾーンできたから、普通の境界なら通れるはずだ」

 ベリーが冷静に分析する。


「じゃあ、下水はやめてブラック・ボトムに行こうよ!」

 ププンがぱっと顔を上げた。

 セレノスから一番近い初級ダンジョン――『ブラック・ボトム』。

 セレノスの正門前の小さな丘を越えればすぐだ。


「両方行くに決まってるだろ」

 ナムが即答し、プラムがうなずく。


「うわーん、またネズミの匂いだぁ〜……」

 ププンが顔をしかめた。


「大丈夫だよ、誰もいないんだから。ネズミもたぶんいない」

「……それはそれで怖くない!?」


 四人はそんなやり取りを交わしながら、港を離れた。

 石畳を踏む音が、やけに鮮明に響く。


 “動いている音”は、もう自分たちの足音だけだった。


* * *


「下水から見てみようか」

「ルーイン・ゴートまで戻る?」

「いや、そこに井戸がある」


 港の片隅、貨物倉庫の影に古びた井戸があった。

 四人はロープを伝い、順番に中へ降りていく。


 石壁を下りきると、じめっとした空気が頬をかすめた。

 そこは、見覚えのある下水道の通路だった。


 下水道網は、思いのほか広かった。

 そして――想像以上に、臭かった。


「うわぁぁぁ! やっぱり下水だコレ!」

「なんで井戸の底が下水なの? セレノスの人たち、下水の水で洗濯するの?」

「ゲームのお約束だからなー……なんでだろね」

「ねぇ、誰のせいでこうなったの……?」


 文句を言いながらも、彼らは探索を続けた。

 水は濁り、天井からは水滴がぽつりぽつりと落ちる。

 ところどころに錆びた鉄格子があり、かつての構造物の名残を感じさせる。


 だが――進めば進むほど、雰囲気が変わっていった。


「なんか……ここ、広くない?」

「うん。街の下だけじゃなくて、外まで伸びてる気がする」

「鏡のセレノスの下水、バグってんじゃないの?」

「バグじゃなくて、仕様変更だよ、きっと」

「運営いないのに!?」


 笑い声がこだまする。

 しかし、やがて足元の水がいつの間にか途切れ、靴音だけが響くようになった。


 そこは、自然の岩壁がむき出しになった空間だった。

 人工的な構造物は消え、湿気の代わりに、ひんやりとした乾いた風が流れている。


「なんだろここ? 思わせぶりな広さだね」

「ドラゴンのねぐらじゃない?」

「まっさかー。街の真下にドラゴンなんて――」

「な、なんか怖いよー! もう帰ろうよー!」


 ププンが青い顔で周りを見回す。

 その声が反響して、洞窟全体に広がった。


「そうだな、帰るか」

 プラムが頷く。

「結局、ログアウトのヒントらしきものはなかったね」

「ここのドラゴンを倒したらエンディングロールとか流れないかな?」


 ――そのときだった。


 コォォオオオッ……。


 大空間に、甲高い鳴き声が響いた。

 風が震え、砂埃が舞う。


「ひ、ひゃぁぁぁ!? な、なんかいるぅぅ!!」

「走れっ!!!」


 四人は同時に飛び上がるようにして駆け出した。

 どこをどう走ったのか、もう誰も覚えていない。

 ひたすらに逃げ、叫び、曲がり角を何度も飛び越え――


 気づけば、さっきとは別の井戸の底にたどり着いていた。


* * *


 這い上がった先は――セレノスの街壁の外だった。

 井戸の縁に腰を下ろし、全員が同時に息を吐く。


「……はぁぁ、生きてる」

「おいら、もう二度と井戸は降りない……」


「なるほど、この井戸はカオス用の入り口かな?」

 ベリーが冷静に分析する。

「しかし、なんだったんだろう? 鏡の世界にもモンスターがいるってことかな?」


「じゃあ、ブラック・ボトムも調べてみようか」

 プラムが顔を上げる。


 ベリーがうなずいた。

「そうだな。初心者向けダンジョンだし、そんなに危険はないだろう」


「うわーん、また犬に吠えられる予感しかしないよ〜!」

「大丈夫。今度はドラゴンじゃないから」

「それでも怖いけどね!?」


 笑いながら、彼らは丘の向こうを目指す。

 鏡のセレノスを背に、風が彼らのマントを揺らした。


 誰もいない世界。

 その中で、四つの小さな足音だけが――確かに前へ進んでいった。


* * *


 ――その頃、鏡の外の世界で。


 セレノス冒険者ギルド、二階への階段の踊り場。

 昼下がりの光が差し込む静かな空間だった。

 一階の酒場からは笑い声と食器の音がかすかに届くが、ここだけは別世界のように静まり返っている。


 手すりの根元、壁際の隅に――片方だけの小さな靴が落ちていた。


 子どもか、小柄な種族のものだろう。

 ひもはほどけ、かかとにはうっすら泥がついている。

 誰も気づかず、陽の筋の中でぽつんと取り残されていた。


 その靴のそばに、小さな足音が近づいてきた。


 爪が板張りの床をコツコツ叩く音。

 階段の下から上ってきたのは、小麦色の毛並みをした仔犬――コムギだった。

 短い毛並みが光を受けてつやりと光り、耳はぴんと立っている。

 尾をせわしなく振りながら、靴の周りをくるくる回る。

 鼻をひくつかせ、床に落ちた靴の匂いを確かめるようにすんすんと嗅いだ。


 そして、つま先を鼻でつつき、短く一声。


「わん!」


 その声が静寂を破った。


 ほどなくして、階段を上がってくる軽やかな足音がもうひとつ。


 黒いローブをまとった女性が姿を現す。

 フードを下ろすと、金糸のような髪がこぼれ落ち、透きとおる碧眼が光を受けてきらめいた。

 外見は完璧なハイエルフの美女――だがその正体はダークエルフのカグラ。

 今は変身中の姿、「カグヤ」としてこの場に立っていた。


 その肩の上では、ウサ耳黒羽根の小さな妖精が浮かんでいる。元GMユニットのピコだ。


「……あら?」


 カグヤは小首をかしげ、踊り場の中央を見つめた。

 片方だけの靴。そして、そのそばで尻尾を振っている小さな影。


「コムギ? あなた、こんなところで何してるの」


 声をかけると、仔犬は嬉しそうに「わん!」と鳴き、靴のそばに鼻先を寄せた。

 その仕草を見て、カグヤの表情がやわらぐ。


「……誰か、通ったのね」


 カグヤがしゃがみ込むと、コムギは靴をくわえて見せた。

 まるで「見つけたよ」と言っているかのように。

 カグヤは小さく息をつき、微笑んだ。


「えらい子ね。届けようとしてたの?」


 撫でられたコムギは気持ちよさそうに目を細め、もう一度「わん」と返した。

 ピコがその様子を見て、羽をぱたつかせながら呆れたように言う。


「懐かれていますね、マスター。飼い主の次くらいに」


「ふふっ、当然よ。……前にグリフォンの肉を分けてあげたの、覚えてたのね」


「また勝手なことを」


 ピコがため息をつく。

 カグヤは悪びれもせず肩をすくめ、仔犬を抱き上げた。


「行きましょう、コムギ。……何か、呼んでいる気がするわ」


 その腕の中で、コムギは靴をくわえたまま小さく鳴いた。

 カグヤは踊り場の壁に目をやる。


 そこには、場違いなほど立派な鏡がかかっていた。

 金の縁取りと繊細な彫刻。

 今はただ、外の光を淡く映し返す普通の鏡にしか見えない。


「ピコ。痕跡は残ってる?」


「はい。わずかですが、向こう側に通過の痕跡を検知しました。開けますか?」


「ええ。今なら追えるかもね」


 ピコは背中に手をまわし、自分の身長ほどもある金色の鍵を引き抜いた。

 優美な曲線を描く装飾的な造形で、まるで儀式具のような気品がある。

 ピコは宙に浮かび、鏡の上端――額縁の中央付近にある、小さな鍵穴にそれを差し込んだ。


 ピコが自分ごとくるりと回転する――カチリ、と開錠音が響く。

 その瞬間、鏡面がわずかに波打ち、淡い光が水面のように広がっていく。


 カグヤはコムギを抱き直し、軽く微笑む。


「怖くないわ。ちょっとくすぐったいだけよ」


 仔犬はくんっと鼻を鳴らし、腕の中でじっとする。

 金の髪が光に包まれ、カグヤの姿が鏡の中へ沈んでいった。


 そのあとをピコが続く。

 黒いローブの裾が波紋に溶け、コムギと靴も光の中に吸い込まれていく。


 ――そして、踊り場には静寂が戻った。


 一階の喧騒はそのままなのに、ここだけ音が遠い。

鏡は穏やかに光を返すばかりで、もう何も映していなかった。


 ただ一瞬だけ、鏡の奥でカグヤがコムギを床に下ろす姿が見えたような――

 そんな気がした。


 だが、次の瞬間には、それも波紋のように消えていた。


 静かな午後。

 ギルドの階段の途中から、あの小さな靴は――もう、姿を消していた。


* * *


 左右が逆さの『セレノスの丘』を、プラムたち四人は半ば口論、半ば笑い声で登っていった。


「えっと、ブラック・ボトムって北東だっけ?」

「今は鏡の中だから逆じゃないか?」

「えーっ! じゃあ南西? 戻らないと」

「縦はいいんだよ、だから北西だ」

「なんでいいの? わけわかんないよー」


 ププンが頭を抱え、裸足の足裏で草の露をぱしゃぱしゃ弾く。

 ベリーが丘の頂上を指さした。


「ほら、あのガードポスト。元の世界じゃ右手の尾根にあったのに、今は左側だ」

「ほんとだ……つまり左右だけ反転してるってことか」

「ほらな。縦はいい」

「うぅ……数学の授業みたいで頭が痛い」


 人の声も、鳥のさえずりもない。

 ただ、風の音と四人の足音だけが、広い丘の上を渡っていく。


 無人の草原を抜け、山肌がむき出しになる斜面を回り込むと、黒々と口を開けた洞窟が現れた。

 ブラック・ボトム――初心者向けの最初の洞窟。セレノス近郊の定番狩場で、普段なら門の前にノールの見張りが二匹はいるはずだ。


「やっぱり門番のノールもいないねえ」

「じゃあ入ろうぜ」


 プラムが短くうなずき、四人は肩を寄せて洞窟に足を踏み入れた。


(つづく)


――閑話:ロード・オブ・ザ・リアル(2)(前編)あとがき


やっほー!最後まで読んでくれてありがとね!

後編はこのあとすぐ投稿予定だって!待たせないタイプだよ、作者さん!


もし少しでも「おもしろかった〜」とか「ププンまた騒いでたな〜」って思ってくれたら、

ブクマとかポイントとか、ぽちっとしてもらえるとすっごく嬉しい!

リアクションも励みになるんだ〜。

え?おいらの方がリアクション芸人だって?……ほっといてよー!


いやぁ、それにしても今回も変なトコ来ちゃったねぇ。

鏡の中の世界って、なんかこう……全部左右逆ってだけで気持ち悪いんだよ!

あと、下水のにおいはもう二度とゴメン!

でも、セレノスのラーメンはやっぱ最高だった〜!特盛、完食!


次はいよいよ『ブラック・ボトム』に突入だってさ。

ま、どうせまた怖いの出てくるんだろうけど……読みに来てくれたら、おいらも勇気出る!


じゃ、後編でまた会おうね〜!


――ププン

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