第三十四話:ゾディアック神殿の金字塔
中央大陸の南。
瘴気に澱む沼地の端に、カオス陣営の拠点バロルグがある。
その沼地に隣接して、鬱蒼たる密林が広がっていた。
昼なお薄暗く、絡み合う樹々の根は湿気を孕み、獣の唸りと羽虫の羽音が絶えない。
そのさらに奥、密林の影に潜む洞穴こそ――リザードマンたちが恐怖の神を奉る『ゾディアック神殿』への入口であった。
洞内は幾重にも折れ曲がる迷路。苔むした岩壁の間を、地底水脈がしとどに滴り、道を誤れば同じ場所を永遠に彷徨う。
その真っただ中に、天井が抜けた広場がある。
苔むした岩床の中央には、台形の小さなピラミッドが鎮座していた。
角は欠け落ち、石段は崩れかけているが、頂上には六人ほどが立てる平面が残されている。
それはウィザード専用の転送陣であり、『EOF』でも特異な存在として知られていた。
通常の転送陣は、都市から遠い辺鄙な場所に存在しているが、周囲は比較的安全に設定されている。
しかし、この転送陣だけは例外だった。
迷路のただ中、モンスターの群れが徘徊する領域に転移させる唯一の転送陣。
さらにこの迷路を突破した先にこそ、本殿ゾーン――恐怖の神ゾディアック・トゥ・ロンを祀る神殿の中心部が待ち構えている。
広場には、しばし静寂が満ちていた。
苔むした石段の上を風がなで、滴り落ちる水音だけが響く。
やがて、ピラミッドの頂から青い光の柱が立ち上がった。
暗い空間を切り裂くように真っ直ぐに伸び、広場全体を照らし出す。
光は一瞬のきらめきを残して、すっと消える。
そのあとに、緋色の祭服をまとったひとりのウィザードが静かに立っていた。
ナナ――。
光の残滓が揺らめき、湿気を帯びた空気にゆっくりと溶けていった。
* * *
ゾディアック・ゲートを覚えたばかりのウィザードがこの転送陣を使えば、現れた瞬間にリザードマンの群れに囲まれる。
しかし、高レベルのナナの場合には事情が異なった。
広場を取り巻いていたリザードマンたちが、彼女を一瞥した途端、動きを鈍らせる。
ナナから見れば脅威度が灰色のリザードマンたち。
知能を持つモンスターは、自分よりはるかに格上の相手を前にすると、本能的に戦いを避けるのだ。
中には槍を握る手を震わせ、じりじりと後ずさる個体すらあった。
迷路のさらに深い場所には、より強力なリザードマンも控えている。
だが彼らはアンデッドではない。
ゆえに――インビジブル、不可視化の魔法が効果を発した。
ナナは静かに呪文を紡ぎ、緋色の祭服がふっと霞むように揺らめいた。
次の瞬間、その姿は空気に溶けるように掻き消える。
「……見えないゾンビって需要あるのかしら?」
ぼそりと自虐めいた独り言を漏らしながら、彼女は迷路の奥へと足を踏み入れた。
* * *
ところ変わって、こちらはセレノス。
酒場『ルーイン・ゴート』のホールで、コーサクは今日の街中クエストの報酬をチェックしていた。
「……ありゃ? これはなんだ? どこの報酬だったかな?」
テーブルの上にはコインや巻物に混じって、管状のガラス瓶があった。
中身は少し粘度のある濃い赤色の液体で、コルクの蓋が蝋で封じられている。
コーサクは鑑定を試みたが、彼のレベルでは成功しない。
「コーサクさん、どうかした?」
隣のテーブルで食事をとっていたケンタが問う。
「鑑定を試みたんですが、レベルが足りないみたいで……ぜんぜん成功しないんですよ」
困った顔でコーサクが瓶を指さす。
「じゃあ、俺が鑑定してみよう」
そう言ってケンタは鑑定スキルを発動し、鑑定窓を出す。
――――――――――――――――――――――――
【トカゲの血漿薬】
濃く赤い血で満たされた小瓶
MAGIC ITEM EXPENDABLE: Yes
WT: 0.1 Size: TINY
Class: ALL Race: ALL
Effect: Zodiac Gate (Instant)
Charges: 1
――――――――――――――――――――――――
「おお! さすがです。ケンタさん」
喜んで鑑定窓を覗き込むコーサク。
「ふむふむ、マジックアイテム? こりゃすごい」
よく見ようと窓の明かりにかざそうとして、瓶を取り落とす。
「あ! ダメだ! コーサクさん!」
しかし、もう遅かった。
割れたガラス瓶から生臭い臭いが立ち上り、チャージされた魔法効果が発動する。
青い光の柱がコーサクを包み、ホールを一瞬照らし出した。
光が収束して消え去った後には、コーサクの姿はなかった。
* * *
「ひいぃぃ! だ、だれか〜、た〜す〜けて〜!」
ピラミッドの上で情けない悲鳴が響いた。
広場にたむろしていたリザードマンが数体、槍を構えながらにじり寄ってくる。
「神様、仏様、セレノスの女神様! タケステー!」
目をつむり、半分諦めかけるコーサク。
その時、迷路の奥から詠唱が響いた。
「ティアーズ・オブ・トゥールース!」
直後、ピラミッドの周囲に雷撃の雨が降り注ぎ、リザードマンたちは悲鳴をあげる間もなく光の粒子へと砕け散った。
「おじさん、大丈夫?」
迷路の入り口から緋色の祭服の女性が歩み出る。
明るい茶色のくせっ毛が肩で揺れ、心配そうに問いかけた。
「ウィザード? でも、ここにゲートできるレベルにも見えないわね」
ナナから見たコーサクの脅威度は、緑色どころか、今にも消え入りそうな薄い灰色だった。
『見る価値もない。経験値……むしろめぐんであげて』
「わ、わたくしこう言う者です! 以後お見知り置きをお願い致しますです!」
コーサクは慌ててインベントリからカードを取り出し、両手で差し出した。
「これは、これはご丁寧に……って、名刺?」
ファンタジー世界で思いもよらぬ物を差し出され、ナナは思わず目を丸くする。
「魔術師の児島さんね。私はナナ、ゾンビ……じゃなかった、ウィザードよ」
* * *
「キャスターならゲートで帰れるわよね?」
今のうちに脱出することを勧めるナナ。
だが、コーサクは首を横に振った。
「い、いえ……ゲートは使えないのでして……」
「んー、そこまでレベル低いのかー、困ったね」
勝手に納得してしまうナナ。
だが実際のところ、コーサクは街から出たことのない留守番組だったものの、毎日の街中クエストでそれなりにレベルは上がっていた。
ただ、ゲームシステムをよく理解しておらず、肝心の魔法購入を先延ばしにしていただけだったのだ。
「いや、そういう訳ではございませんで……」
口ごもるコーサク。
その時、ログ窓にメッセージが流れた。視界の端では封筒型のアイコンが明滅している。
『コーサクさん、すぐにバグセル部屋に逃げ込んでください! 迎えに行くのでそこで待っていてください』
「おーなるほど、さすがケンタさん!」
ポンと膝を打つコーサク。
「ん? ケンタって言った? あのへっぽこクレリック?」
聞き咎めるナナの眉がぴくりと動く。
そのやりとりの最中――。
広場にリポップしたリザードマンたちが現れるや否や、真っ先にコーサクへと反応し、槍を構えて突進してきた。
「インフェルノ・ショック!」
ナナが素早く詠唱すると、狙われたリザードマンが突然、全身を炎に包まれた。
断末魔の叫びをあげ、焼き尽くされて崩れ落ちる。
続けざまに二体目、三体目も同じように火焔に呑まれ、光の粒子へと変わっていった。
だが、数が多すぎる。
「らちあかないわね……安全なとこまで移動しましょう」
リポップの間隔がわずかに空いた隙を突き、ナナは詠唱を始めた。
「シー・インビジブル!」
コーサクの視界の端に、眼が描かれたバフアイコンが点灯する。これで不可視状態の存在が見えるようになる。
「インビジブル!」
続けざまに掛けられた不可視化の魔法で、コーサクの姿がふっと掻き消えた。
ナナは最後に自らへも同じ手順で魔法を掛けた。
インビジブルは、詠唱を行った瞬間に効果が解けてしまう。
なので、自身に掛ける場合には、シー・インビジブルを先に掛け、その後でインビジブルを行う――この順序でなければならないのだ。
「パーティに誘うわね」
小さく指先を動かし、招待のウィンドウが開く。
「は、はい!」
慌てて承諾するコーサク。
「行くわよ。ついてきて」
ナナの一言に導かれ、二人は迷路の奥へと足を踏み入れていった。
* * *
しばらく迷路を進む二人。
「ここ、さっき通りませんでしたっけ?」
コーサクが辺りを見渡し、同じような岩壁に首をひねる。
「あちこち地形オブジェクトが使い回しなのよ」
ナナは小声で答えながらも、観念するように続けた。
「……ごめん、ちょっと迷ったみたい」
「ええ〜、どうするんですか?」
すぐそばをリザードマン・エリートが徘徊しているため、二人はヒソヒソ声でやりとりする。
「とりあえず、ここから左手の法則で壁沿いに進みましょう。急ぐわよ。インビジの効果時間が切れると面倒だわ」
ナナはコーサクの手を取ると、そのまま強引に歩き出した。
引っ張られるままについていくコーサク。
左手を壁につけて進めば、遠回りにはなるが大抵の迷路は出口に辿り着ける。
これが左手の法則だった。
だが、この法則にはいくつか問題がある。
ひとつは時間がかかること。
もうひとつは、迷路の真ん中に目的地がある場合に辿り着けない可能性があることだった。
今回の目指す安全地帯は、本殿の敷地の隅。
しかし本殿自体が迷路のただ中にあるため、まさにその「辿り着けないパターン」に引っかかる恐れが高かった。
「どうしよう? こんな時、ゾンビならどうする?」
頭を抱えるナナ。
「ゾンビは何も考えないと思いますけど……」
コーサクは苦笑しつつ、何やらUIを操作し始めた。
「そこの岩の角を右に曲がる経路が試せてませんね。その先がまだ空白です」
どうやらバグセルのシートにマッピングをしているらしい。
コーサクの手元を覗き込んだナナは思わず目を見張った。
「何これ、表計算シートにこんな絵が描けるの?」
コーサクは『よくぞ聞いてくれました』とばかりに胸を張る。
「こう、セルを真四角にして、細かい方眼紙を作るとセルの色分けでドット絵みたいに描けるんですよー。結構味があるでしょう?」
「へー、すごい! レトロゲーみたいね。ドル◯ーガとか」
「ドル◯ーガ?……ナナさん、何歳です?」
(沈黙)
「ひ・み・つ♡……さあ、行きましょう」
さっさと進んでしまうナナであった。
* * *
ようやく、二人は本殿のある大空洞に辿り着いた。
広がる空間の中央には、黒ずんだ石造りの本殿が静かにそびえ立っている。
だが立ち止まって感慨に浸っている余裕はなかった。
「壁に沿って左の隅へ――そこが安全地帯よ」
ナナが素早く指示し、コーサクの手を引いて駆け出す。
「あ、はい……」
突然の接触に、コーサクの胸はドキドキと高鳴った。
慣れない足で必死に追いつきながらも、引かれる手の温もりを意識してしまう。
その背後で、重たい足音がじわりと響いた。
一匹のリザードマンが、ふらつきながらも確実に二人を追ってきている。
ナナは視界に浮かんだネームタグを確認し、思わず顔をしかめた。
『トゥ・タ・エ・デッドマン』
「やば! 見られてる!」
本来なら、インビジブルで視認されていない状態では名前の色は中立の白になる。
だが、その名は血のように赤かった。
どうやらアンデッド系らしい。通常のインビジブルは通用しない。
安全地帯の隅まで走り切り、二人は振り返った。
トゥ・タ・エ・デッドマンがふらふらと腕を振り上げながら迫ってくる。
「脅威度は黄色……こんなの昔は居なかったわよ……」
ナナの視線が険しくなる。
カンスト済みの彼女から見ても黄色表示。つまりレベル50を超える強敵だ。
本殿周辺の推奨レベルを大きく上回っていた。
「ここは全力で様子見!」
ナナが杖を構え、詠唱を放つ。
「アイシクル・コメット!」
ウィザード最上位攻撃魔法――氷の彗星を打ち込んでみる。
八分の一ほどのHPゲージが削れたが、敵の動きに変化はない。
かなり魔法抵抗されているのだ。
「くっ……アンデッドは火には弱いくせに、氷にはめっぽう強いのよね。ウィザードの最上級攻撃魔法は氷系に偏っているから……火系列はちょっと威力が落ちるし、ほんとやりづらいわ」
苛立ちを隠せないナナ。
「なんでこのゲーム、アンデッドばかり優遇されてるのよ。ゾンビのウィザードになっとけば最強だったのに……」
思わず毒づく。
「……ならば、ここは火!」
「インフェルノ・ショック!」
炎がトゥ・タ・エ・デッドマンを包み込む。だが削れたHPはさらに少なく、八分の一にも満たなかった。
「うーん、まずいわ。ソウルが心許ない……」
ナナの声に焦りが滲む。
転送陣の広場で消耗し、ここまで瞑想もせずに来てしまった。
残りのソウルでは、この格上モンスターを倒し切れる保証がなかった。
「う〜……トカゲに噛まれてトカゲゾンビになるのはさすがに嫌だなぁ〜」
力なくその場に膝をつき、座り込むナナ。
トゥ・タ・エ・デッドマンは、一歩ごとに確実に距離を詰めてくる。
その歩みは遅いはずなのに、途切れることなく迫り続け、逃れられぬ死が刻一刻と近づいてくるのを思い知らされる。
* * *
ウィザードは攻撃と移動しかできない。回復も防御もなく、杖で殴っても無意味。ソウルが尽きたナナは、ただの非力な女性にすぎなかった。
普段なら残りのソウルでゲートして逃げればいい。だが、ここで逃げればおじさんが死ぬ。グループ・ゲートを唱える余力もない。
(どうするの? 逃げても死ぬ。残っても死ぬ……)
堂々巡りに囚われ、思考が空回りする。
腐臭をまといながらトゥ・タ・エ・デッドマンがゆっくり迫り、黒い爪を振り上げる。
(間に合わない――!)
ナナは息を呑み、ただ死を覚悟した。
「危ない!」
コーサクが咄嗟に飛び出し、ナナを庇って覆い被さった。
「やめて! おじさんのレベルじゃ一撃で死んじゃう!」
ナナが悲鳴をあげる。
「ちょっとおじさん臭いけど我慢してね」
コーサクはナナの背中越しに腕を回し込み、何やらUIを操作する。
次の瞬間、トゥ・タ・エ・デッドマンの爪が振り下ろされた。
だが――そこにいたはずのプレイヤーたちの姿は、忽然と消え失せていた。
アンデッドであるトゥ・タ・エ・デッドマンは、それを疑問に思うこともなく、ぎこちない歩調で再びあてもなく徘徊を始めるのだった。
* * *
黒いセル、赤い枠線、赤く明滅するエラー表示。
耳障りなエラー音が、途切れることなく鳴り響いていた。
「えっ? えっ? ここどこ?」
コーサクの腕の中で、ナナがぱちくりと瞬きを繰り返す。
「魂の拷問部屋……って言う、バグセルの隠し機能です」
すぐ上から聞こえるコーサクの声。
その響きに顔を上げ、彼女はようやく状況に気付いた。
――正面から抱き合うような格好になっている。
ナナの頬が一気に赤く染まり、慌てて身を引いた。
コーサクも同じように後ずさりし、二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
「……えっと、ここで瞑想できそうですか?」
気まずさを隠すように、コーサクがそっぽを向いて問いかけた。
瞑想――メディテーションはソウルの回復を早める代表的なスキルである。
旧EOFでは瞑想スキルを使うと、画面いっぱいに魔法書が開き、延々とそのページを眺めるしかないという苦行仕様だった。
だが新生EOFでは、ただ座るだけで発動する親切設計に変わっている。
「……で、できると思うけど……ちょっと落ち着かないわね」
ナナもまた視線を逸らし、ぎこちなく答える。
「じゃあ、上に行ってみますか?」
コーサクがキーボード窓を呼び出し、ひとつだけ青く塗られたセルに『Bugcel2040』と入力する。
その瞬間、床がゴウンと唸りを上げてせり上がり始めた。
「わっ、わっ……!」
不意の揺れに足を取られ、ナナの体が傾く。
慌ててコーサクの腕にしがみつき、なんとか落下を免れた。
そうして二人を乗せた床は、すうっと闇を抜け――やがて停止する。
そこは、真っ白なスプレッドシートに六面を囲まれた部屋だった。
セルの並ぶ白一色の空間が、壁も天井も床も埋め尽くし、冷たい無機質さだけが漂っていた。
* * *
真っ白い部屋もかなり落ち着かないが、静かなだけましであった。
へたり込むように座り、ナナは深く息を吐いて瞑想を開始する。
「で、おじさん、どこから来たの?」
瞑想中は暇なので、気になったことを聞き出すナナ。
コーサクはルーイン・ゴートから『トカゲの血漿薬』で飛ばされた経緯と、ケンタたちが救出に向かってきていることを伝えた。
「なるほど……セレノスからだと時間がかかりそうね」
ナナは目を閉じたまま、少し思案するように口にする。
「ここの使い方、教えてくれない?」
よく考えればここは、どこからでも入れる安全地帯だった。
ソウルが切れると何もできない純キャスタークラスにとって、理想的な瞑想室になり得る。
「おー、任せてください」
コーサクは嬉々として、身を乗り出すように説明を始めた。
* * *
コーサクの話は思いのほか面白かった。
ところどころに親父ギャグが挟まるのはともかく、バグセルのスキルを一歩一歩積み上げてきたリーマン生活を、実体験を元に面白おかしく語ってくれる。
ナナも多少はバグセルをいじったことがあったが、コーサクの話には自分の知らない工夫がいくつも混じっていて、つい感心してしまう。気づけば、すっかりバグセル講義に聞き入っていた。
だが――話題が『魂の拷問部屋』からの脱出方法に及ぶと、途端に顔色が変わる。
「……ちょっと待って。それ、脱出方法は?」
「はい、全エラーを解消する必要があります」
「無理っ! 私にはぜーったい無理!」
ナナは大きく首を振り、両手をぶんぶんと振り回した。
脱出だけなら、ゲートで外に出ることはできそうだ。
だが攻略に使うとなれば、入った場所に出られなければ意味がない。
「えーそうですか? ほら、ひとつずつ潰していけば……」
コーサクは赤文字でエラーを吐き出しているセルに向かい、関数を修正してみせる。
「そんなのリアル呪文じゃない! チチンプイプイじゃなくてチンプンカンプンよ!」
ナナは頭を抱え、床に突っ伏す。
――ようやく気づいた。
このおっさん、自己評価が低くて無自覚だが……リアル魔術師だ。
しかも厄介なことに、その自己評価の低さゆえ、他人も同じことが簡単にできると思い込んでいるのが始末におえない。
「少し頑張れば、ナナさんにもきっとできますよ」
柔らかく微笑んで励まされ、ナナの胸が一瞬ドキリと跳ねた。
だが、すぐにかぶりを振って気を取り直す。
「私には無理だから……助けが来るまで、私の狩りを手伝ってくれない? 分け前は弾むわよ」
にやりと唇を歪め、提案するナナであった。
* * *
ゾディアック神殿は、恐怖の神――ゾディアック・トゥ・ロンを崇めるリザードマンたちの神殿である。
だが、恐怖の神自身がここに座しているわけではなかった。
本殿は巨大な階段状ピラミッドの上にある。
その本殿の最奥に祀られているのは、巨大な光の膜が屹立する門構え――恐怖の次元へと通じる次元転移門だった。
その転移門の前には、門を守護するようにひとりの巫女が佇んでいる。
その巫女はリポップのたびに姿を変え、さまざまな種族の姿を取ってプレイヤーを惑わす存在。
リザードマンのアルケミストが変身魔法を使っている――それが定説ではあったが、未だ真相を確かめた者はいなかった。
ナナの狙いは次元転移門の鍵……ではなく、巫女が落とす宝石類とルーン小石。
フードを深く被った巫女は遠目では種族不明だが、彼女が唱えるバフ魔法と、横に従う盾と剣だけのソードマンがその正体を物語っていた。
『いい勝負になりそうだ。うっかりすると泣きを見るぞ』
脅威度は青文字。準備万端で挑めば、問題はない相手。
「ロックで行くわよ!」
ナナは神殿内部へ駆け込む。
「イクラちゃんですか? シャケなベイビー……なんつって」
後を追いながら親父ギャグを飛ばすコーサク。
思わず足をもつれさせそうになり、ナナは顔をしかめる。
「……はい、はい」
気を取り直し、詠唱を開始する。ソウルゲージは満タンで青く輝いている。
「ルート!」
巫女の足を絡め取り、同時に護衛のソードマンが滑るようにこちらへと迫ってくる。
「ルート!」
ソードマンの足も止め、ナナは一気に攻勢に出る。
「アイシクル・コメット!」
轟音と共に氷の彗星が降り注ぎ、巫女のHPゲージが一気に半分以上削れる。
護衛は肉弾戦しか能のないソードマン。足止めされれば何もできない。
巫女がスリープらしき魔法を唱え始めるが――ナナは構わず力押しした。
「アイシクル・コメット!」
スリープが先に発動する。だが、格上かつ対策装備でSV MAGICを高めているナナには通じない。
二度目の氷の彗星が直撃し、巫女は膝を屈した。
次の瞬間、彼女の姿も、ソードマンの幻影も、光の粒子となって消え去った。
「これだけ氷系に弱いと助かるわ。やっぱり正体は爬虫類かしらね?」
ナナは呟き、地に残された宝石袋を拾い上げる。
中身を確かめれば――次元転移門の鍵、ルーン小石、そして大粒のスターサファイヤ。
ナナは鍵をオーロラのように揺らめく次元転移門へと放り込み、ルーン小石を懐へ収める。
そして、残ったスターサファイヤをコーサクへと放った。
「約束の分け前よ」
「はぁ……?」
コーサクは宝石を両手で受け取り、しげしげと眺める。おじさんに宝石の価値など分かるはずもない。
「それ、100ppくらいで売れるわよ」
「えええぇぇ!?」
普段コーサクが街中クエストで稼ぐ額の、二千日分に相当していた。
「じゃ、リポップ前に私を瞑想部屋に連れてって!」
ナナはコーサクの腕を取り、片目をつむってウィンクした。
* * *
あとは繰り返しだった。しかも、段々役割分担が効率化する。
ナナが瞑想している間に、コーサクがエラー修正を進める並行作業になっていた。
ソウルが満タンになると同時にエラー全解消→脱出→巫女バタンキュー→瞑想部屋へGo!
もう何周回したかわからなくなった頃、ナナが引き上げを提案する。
「そろそろ帰りましょう……あ! 忘れてた、へっぽこクレリック来るんだっけ?」
そういえばとメールを確認するコーサク。
「まだエリス草原を走ってるみたいです」
「そういえば、あのへっぽこのギルドはタクシークラス一人もいなかったわね」
タクシークラスとは、グループゲートが使えるウィザードとドルイドを指す隠語である。
タクシー扱いされるといい顔をしないプレイヤーが多いが、ナナは別に気にしていないようだ。
「じゃ、北エリスまで送ってあげる。へっぽこにウィズピラーまで来るようにメールしといて」
うなずいてメールを返信するコーサク。
ナナは指先を動かし、詠唱スロットのひとつにグループ・ゲートを組み込む。
魔法は十個ある詠唱スロットにセットして初めて使える。
しかもセットには詠唱時間に応じた時間がかかる。
ゆえに、限られた枠をどう運用するかは常に悩ましい問題だった。
特に、普段あまり使わないグループ・ゲートのような魔法は、必要時に入れ替えるのが常識である。
「行くわよ」
そう言うとナナはすっとコーサクの腕に抱きついた。
「……たまにゲートに乗り損なう人いるからね」
突然の接触に、コーサクの胸はドキドキと高鳴った。
慣れない距離感に緊張しつつも、必死に平静を装う。
ナナはそんな様子に気付くことなく、深く息を吸い込んだ。
「グループ・ゲート:ノース!」
青い光の柱が二人を包み、天に昇るように収束して消える。
後には、妖しく揺らめく次元転移門だけが残された。
* * *
北エリスのウィズピラーに、二人は無事転移してきた。
日が傾き、南の川に架かる白亜の橋が真っ赤に染まっている。
夕焼けの色はどこか郷愁を誘い、一抹の寂しさを帯びていた。
遠くにケンタたちの姿が見える。手を大きく振っているのがわかり、コーサクも思わず手を振り返す。
「来たようね……わりと楽しかったわ」
背後からナナが、夕焼けに溶けるように呟いた。
「……じゃ、またね」
「あ、はい。この度はどうもありがとうございます」
振り返ったコーサクの目に映ったのは、すでに詠唱を始めているナナの姿だった。
「ゲート!」
緋色の祭服が青い光の柱に包まれる。
癖のある茶色い髪がふわりと浮き上がり、魔力の高まりを示す。
光柱が収束して消え去る直前、声だけが虚空に残った。
「……あと、そんなに、臭くはなかったわよ」
その言葉と共に彼女の姿は消えた。
表情はわずかに寂しげに見え、コーサクも胸に小さな空洞を覚える。
ふと視界の端に、ひとつの通知窓が浮かんでいた。
【ナナからフレンド申請されました。受諾しますか?】
コーサクはゆっくりと噛みしめるように『YES』ボタンを押し込む。
フレンドリストに新たに刻まれた名前を眺めながら、彼は初めての冒険を振り返った。
「ちょっとは臭かったのか……おじさんショック」
呟きつつ、袖口の匂いをこっそり嗅ぐ。
夜のとばりが落ちつつある大草原に、風が吹き渡る。
ローブをはためかせながら、コーサクは緋色の夕陽をじっと見つめていた。
(おわり)
――第三十四話あとがき
えっと……今回も最後まで読んでくれてありがとう。
次回の『マジチー』は元日に閑話を投稿予定だから……ま、気が向いたら読みに来てもいいわよ?
やっぱりお正月はのんびり一杯よね〜。
それと……もしちょっとでも面白かったって思ったなら、ブクマとかポイントとか……そういうの、入れてくれたら作者がよろこぶんじゃない?
……で。今回の石キャンプ、わりと楽しかったのよ。わりと……ね?
おじさんには言わないけど……いつもソロだから……さみし……さみしくなんかないんだから!
臭い? ゾンビ臭に比べたら……むしろいい香りよっ!
じゃ、読者のみなさん、よいお年を……飲み過ぎてゾンビみたいになっちゃだめよ?
――ナナ




