第三十一話:霧の幻影城(後編)
物理職垂涎の装備、『流麗なる絹の黒帯』を求めて吸血鬼の伝説に彩られた『霧の幻影城』にやってきた『トーチ』、『オオオニ組』、『獣人族』の混成チーム。
一行はアンデッドが跋扈する前庭の迷路を抜けて、古城の内部に足を踏み入れる。
* * *
薄暗いホールを抜けると、その先に広がっていたのは一層広い空間だった。
赤黒い絨毯が敷かれ、貴族衣装の亡霊たちが音もなく円舞を続けている。
――ここが舞踏会場だ。
視線を奥へ向ければ、壁際に闇へと沈む階段が左右に続いているのが見えた。
「右の階段を目指す。進路を切り開くぞ」
ケンタが短く告げ、ラオに視線を送った。
「ラオ、右側にCalmを二重に。俺も合わせる」
二人のクレリックが同時に詠唱。淡い光が重なり、右手の亡霊たちの気配が鈍った。群れの連鎖反応が起きにくくなる。
「まずは私が引くよ!」
結が和弓を放ち、右端の一体だけをかすめる。
寄ってきた影に、ユメゾウの黒い剣が振り下ろされ、ベルウッドのミノアックスが畳みかける。
ジンは拳に淡い気を纏わせ、渾身の連打で亡霊を揺らがせた。
ガン鉄の黒い剣が盾とともに押し返し、シャチョーの宝剣が鋭く閃いた。
後方ではケンタとラオが仲間の体力を見極め、即座に回復を飛ばし続けた。負傷の色が見えた瞬間には癒しの光が重なり、前線が崩れることはなかった。
同じ要領で、右手の列を一体ずつ削り進む。階段までの距離が縮まった――その時。
「ケンタ! 後ろだよ!」
結が振り返って叫ぶ。通ってきたホールに、倒したはずのメイドや執事の亡霊が再び現れ、ゆらりと立ち並んでいた。
「リポップか……!」
「後方は俺たちに任せろ!」
舞踏会場の入口に剣戟と呪声が重なり、太鼓の響きが霧を震わせた。
癒しの光が傷をつなぎ、気を纏った拳が影を押し返す。
オオオニ組と獣人の二人が背を守り、必死に踏みとどまっていた。
「前は続行だ!」
ケンタの指示に、結が矢で誘い、ユメゾウの黒い剣が裂き、ベルウッドのミノアックスが押し切る。
ジンの拳が影を崩し、ガン鉄の黒い剣が追撃し、シャチョーの宝剣が閃いた。
その後ろでケンタとラオは仲間のHPを監視し、回復を重ねて支え続ける。
階段はもう目前だった。
「ここでロックだ!」
ケンタはホールのリポップの途切れたタイミングを見計らって、階段前に残った亡霊への突撃を指示する。
全員が一斉に階段前に踏み込み、ホールのリポップを置き去りにする。
突撃で階段前の数体を瞬く間に葬り去る。
「今だよ、降りよう!」
結の声と同時に、ケンタが「行こう!」と重ねる。
一行は右奥の階段へ駆け込んだ。
* * *
石階段を降り切った一行の前に広がっていたのは、地下牢ではなかった。
そこにあったのは、冷たい石壁と苔むした床が果てなく続く――地下墳墓だった。
「……おかしい。右階段の先は、牢獄だったはずだ」
ケンタの背筋に、嫌な汗がつっと流れる。
ぎぃぃ……。
耳障りな音が、広間の奥から響いた。
壁際の窪みにずらりと並ぶ棺桶が、一斉に蓋を押し上げる。
「くっ……来るドワ!」
ガン鉄が斧を構え、歯を食いしばる。
最初に這い出してきたのは、茶褐色の骨が軋むグレータースケルトン。
錆びついた剣を振りかざし、無数の眼窩が赤く光る。
「骨っこなんざ、ぶった斬ってやっぺ!」
ユメゾウが黒い大剣を振り抜き、正面から迎え撃った。
砕けた骨片が飛び散るが、次の影がすぐさま迫る。
今度は、皮膚のただれた死肉をまとったグールが牙を剥いた。
腐臭を放ちながら跳びかかってくる。
「ひぃ……こっちのほうが厄介だべ!」
ベルウッドがミノアックスを構え直し、低くうなる。
刃がうなりを上げ、グールの体を叩き割る。
しかし――それで終わりではなかった。
地下墳墓の空気そのものが、びりびりと震え始める。
黒い布をまとった影が、奥の棺からぬっと姿を現した。
青白い手が宙に掲げられ、そこから稲妻が奔る。
「リッチー……!」
ケンタが目を見開く。
轟音とともに放たれたライトニング・ボルトが、前衛を襲う。
盾ごと弾かれたゾーキンが壁に叩きつけられ、呻き声を上げた。
「ぐあっ……効くな、こいつ……!」
回復が飛び、仲間たちは必死に態勢を立て直す。
その間にも、スケルトンとグールは途切れることなく這い出してきた。
戦場は一瞬にして混沌に陥った。
――だが。
誰もが戦いに集中しているはずなのに、視線の端から目が離せなかった。
墳墓の最奥。
他の棺よりも一際大きな、黒銀の装飾を施された棺桶。
その蓋が、きぃ……と、不気味に揺れながら開いていく。
溢れ出す瘴気。
冷気が骨の芯まで突き刺さるように、場の空気を塗り替えた。
ゆっくりと、確実に――。
そこから現れたのは、血のように赤いマントをまとった男。
蒼白な顔、長い牙、ぎらつく瞳。
「ヴラディオス・フォン・ミストレーヴ……!」
ケンタが名を呟く。
――霧の幻影城の真なる城主。
「バカな……これも、変更なのか?」
声が震えた。
ただの上位アンデッドとは比べ物にならない圧が、広間を満たしていく。
* * *
最奥の棺からゆっくり身を起こした影――ヴラディオス・フォン・ミストレーヴ。
霧をはらむ真紅のマントが広がり、紅の瞳が一行をなぞった。
「ねえ……このゲームでもヴァンパイヤに噛まれると、やっぱり吸血鬼になるの?」
城主を前にして、思わず結が声を漏らす。
「真祖なら、有り得るな」
ケンタが低く答える。
「乙女は特に危ないがね」
シャチョーがわざとらしく肩をすくめる。
「……ヴァンパイヤの花嫁って言葉もある」
ジンが低く付け加えた。
「うう、ドッギャーン! と嫌過ぎる……」
結は顔を引きつらせ、弓を握り直す。
「もう、やられる前にやる!」
弦を引き絞り、ソウルゲージを見据える。
「正射必中、行きます!」
青く輝くゲージはかすかに脈動を繰り返し――やがて凪ぎ、収束の一瞬を迎えた。
放たれた矢は、ヴラディオスの心臓に向かって、一直線に、蒼い尾を引いた。
だがヴラディオスは、人の身では不可能な角度で身をひねり、紙一重でそれを避けた。
「危ないやんか……嬢ちゃん」
大阪弁でつぶやくと、床に赤黒い魔法陣を展開する。
「蒼き乙女よ、我が妃となるが良い」
「――ブラッディ・ヴァージン・ロード!」
赤黒い魔法陣が床を這い、結の元まで絨毯のように敷き詰められる。
そして、紅い鎖のような光が結の身体を縛り、強引にヴラディオスのもとへと引き寄せた。
そのまま首筋へと牙が突き立てられ、灼けるような痛みと共に赤い紋が首筋に浮かび上がる。
血脈の刻印が刻まれ、結の瞳からすっと光が抜けていく。
「結!」
ケンタが叫んで駆け寄ろうとする。
だが前方をグレータースケルトンの群れが塞ぎ、側面からはグールが這い寄り、背後ではリッチーの低い詠唱が響いた。
上位アンデッドが幾重にも立ち並び、結へ近づくことは到底かなわなかった。
* * *
ケンタは一瞬だけ迷った。
しかし、焦っても仕方がない。――できることを、ひとつずつ積み重ねるしかない。
「……パーティを組み変える!」
短く言い放つと、即座に指示を飛ばした。
「ジーク、こっちに来て『微風のエチュード』を頼む!」
「さらに魔法職をこっちに集める。ソウル効率を上げるんだ!」
即座にUI上でメンバー編成を切り替える。
第一パーティにはケンタと結を残し、他の四人を一旦抜く。
代わりに魔法が使えるヒロミとラオ、さらにビシャモン、そして支援のジークが加わった。
軽快なリズムと共に、ジークの太鼓が鳴り響く。
「♪吹けよ微風、魂を運べ〜、『微風のエチュード』〜!」
爽やかな旋律が広間に広がり、魔法職たちのソウルゲージ回復速度がじわりと高まっていく。
「ヒロミさん、結のデバフをキャンセルしてください。できるだけでいい!」
ケンタが叫ぶ。
同じパーティになった今、メンバーのバフやデバフはUI上に共有される。
ヒロミが印を結び、解除系の呪術を矢継ぎ早に飛ばすと、結のステータス欄に並ぶ赤いアイコンのいくつかがかすかに薄れていった。
「ビシャモン! ペットを召喚してくれ!」
ケンタはすかさず腰のポーチを探り、黄金に輝く骨片を投げる。
「ほぅ……アレか」
ビシャモンはそれを受け取り、詠唱を始める。
黄金の粉が宙に舞い、骨片はたちまち組み上がっていく。
現れたのは、光沢を放つ黄金のオーガスケルトン。空洞の眼窩に紫の光が宿り、けたたましい笑い声と共に戦列に加わった。
その間にも、ケンタは素早くフレンドリストを開いていた。
震える指先で選択し、短いながらも切実なメッセージを打ち込む。
――頼もしい仲間、エレネへ。
送信後すぐに、承諾の通知が返ってくる。
画面の端に浮かんだ「承諾」の文字は、今の彼にとって何よりの支えだった。
そしてケンタは、己の指に輝く指輪を確かめる。
『聖なる約束の指輪』――愛とバグの象徴。
「……行くぞ。攻略を再開する。結の元へ!」
叫びと共に、仲間たちは再び陣形を組み直した。
紅い鎖に囚われた仲間を救うため、そして吸血鬼の城主に立ち向かうために。
* * *
紅い鎖に囚われた結のもとへ、仲間たちは総力を上げて道を切り開こうとしていた。
グレータースケルトンを押しのけ、グールを斬り払い、ひと歩みずつ前へ進む。
だが――。
「ぐあっ!」
黄金に輝いていたオーガスケルトンが、リッチーの放った黒雷に包まれた。
魂を蝕む《エナジードレイン》。
見る間に巨体は萎み、どたんと音を立ててドワーフサイズへと縮んでしまう。
前線は押し戻され、戦列が揺らぐ。
「ダメだ……リッチーをなんとかせんと進めねえ!」
ビシャモンが歯噛みした。
そのとき、ケンタの視界に通知が走る。
――フレンドメッセージ。送り主はエレネ。
『ユニコーン乗れず、でも走った、着いた、城門、迷路、時間かかる』
慌てた文面に、緊迫した状況にも関わらずケンタは思わず口元を緩める。
「城門までで十分だ。同じゾーンなら……アレが使える」
彼は深く息を吸い込み、胸の奥の決意を呼び覚ます。
指に光る『聖なる約束の指輪』が、淡く輝いた。
「――ソウル・エンゲージメント!」
宣言と共に、ケンタのソウルゲージと、同じゾーンにいるエレネのゲージが銀の絆で結ばれる。
ふたつの魂が重なり合い、輝きが一気に膨れ上がった。
「ターン・アンデッド――エターナル・オース!」
白光が墳墓を満たす。
天から降り注ぐ聖なる光の柱が、リッチーを包み込んだ。
断末魔はなく、呻きもなく。
幻影と化したリッチーは、最後の瞬間に聖職者としての姿を取り戻す。
穏やかな笑みを浮かべ――静かに天へと昇っていった。
その場に残されたのは、全員に降り注ぐ高位バフ。
『教皇の祝福』。
体を満たす神聖な加護に、仲間たちの目に光が戻る。
「行ける!」
ケンタの声に全員が応じ、残りのアンデッドたちを掃討する。
そして、ついに結の元へ到達した。
ヒロミが駆け寄り、両手を広げて呪術を走らせる。
「従属と拘束、消せたわ! ……でも、『吸血鬼の花嫁』と『永遠の眠り姫』は、うちには消せんみたいや」
紅い鎖はほどけた。だが、首筋の紋と眠りの呪いはそのまま残る。
「まさかリッチーを退けるとはな。……やるやんけ」
ヴラディオスが黒い笑みを浮かべ、両腕を広げた。
「――ブラッディ・バニッシュメント!」
瞬間、赤黒い波動が爆ぜた。
仲間たちはそれぞれ遠くへと弾き飛ばされ、広間の壁や床へ叩きつけられる。
その時、ケンタの胸元で、白木の護符がかすかに揺れ、優しい光を放った。
同じように、結の胸元に下げられた護符も共鳴し、柔らかな輝きが彼女を包む。
――『永遠の眠り姫』のデバフが、静かに消え去った。
薄く開いた瞼の奥で、結の瞳がゆらりと揺れる。
まだもうろうとした頭で現状を認識した瞬間、彼女は息を呑んだ。
共有されたパーティのステータス。
仲間たちのHPゲージはどれも赤い残滓のようにわずかに揺らぎ、ソウルは枯渇状態。
――誰も戦える状態ではなかった。
ただ一人。
結だけがHPもSPも満ちあふれ、蒼いゲージが揺るぎなく輝いていた。
「……私が、なんとかしないと」
視界の隅にスキルリストが浮かぶ。
その中でひときわ強く輝く《一射絶命》。
――知っていた。
命と引き換えに放つ、禁断の一矢。
恐ろしくて、今まで触れようとすらしなかった力。
けれど、仲間は皆傷つき、倒れ伏している。
立っているのは、結ただ一人。
残された唯一の光――自分自身。
「今度は……私が、みんなを守ってみせる!」
弓を握る指が震え、魂が軋む。
スキルを選んだ瞬間、膨大なソウルが弦へと流れ込み、胸の奥の命すら削り取られる感覚が襲った。
肺が焼け、血の匂いが喉に上がる。
それでも――結の目には、一片の迷いもなかった。
思い出が脳裏を駆け抜ける。
ケンタと出会った訓練場。
子どもたちを救えた最初の矢。
師を思い引き続けた星空の夜。
シャチョーやログ爺に突っ込み続けた日々。
マフィンに目を輝かせたあの少女。
ピザやラーメンに現実への想いを乗せて泣いた夜。
九万年の残酷に、自身を映し見たあの時。
皆に心配を掛けたあの戦い。
そして、セレノスで過ごしたなんでもない日々。
――そのすべてが矢に宿り、ひとつの輝きとなる。
世界が止まった。
霧も、瘴気も、亡者も、ヴラディオスさえも。
ただ一本の矢に、時と運命すら膝を折った。
「――一射絶命ッ!!!」
放たれた瞬間、真紅の光が弓を裂き、轟音が世界を貫いた。
矢は炎のように燃え、雷のように唸り、命そのものを鏃として走る。
赤黒い波動を放つヴラディオスの胸へ――
正反対の赤、燃え立つような命の光が、心臓を穿つ。
その瞬間、霧の幻影城全体が震動した。
吸血鬼の王の絶叫が轟き、城の天井を砕き、天空へと消えた。
――そして音が戻った。砕けた瓦礫が、遅れて床を転がる。
矢の尾に残った光はやがて散り、結の身体は崩れるように膝をついた。
けれどその顔には、確かな笑みが浮かんでいた。
「結ッ!!!」
ケンタが駆け寄り抱き起こす。
だが彼女の胸は上下せず、脈も感じられない。
瞳は閉じられ、まるで――命の灯火が燃え尽きたかのように。
「……そんな、ウソだろ……」
誰かがかすれ声で呟いた。仲間たちの視界が絶望に閉ざされる。
そのときだった。
結の首筋に刻まれた赤い紋が、ぼうっと揺らめくように光を帯びた。
――『吸血鬼の花嫁』のデバフ。
彼女を吸血鬼の眷属へと縛ろうとするその鎖が、皮肉にもその命をこの世へと繋ぎとめていたのだ。
「……ぅ……ん……」
小さな吐息が、ケンタの胸元でこぼれた。
閉ざされていた瞳が震え、ゆっくりと開く。
赤く染まっていたはずのその瞳に、再び澄んだ光が宿る。
「ケンタ……? みんな……」
かすれた声で仲間の名を呼ぶ結。
「結! よかった……戻ってきたんだな!」
ケンタが震える声で叫び、仲間たちが歓喜の声を重ねる。
誰もが涙と笑みを浮かべた。
こうして吸血鬼との戦いは終わった。
だが、首筋に残る赤い紋が消えることはなかった。
――結に刻まれた『吸血鬼の花嫁』の烙印。
それは今もなお、彼女の未来に暗い影を落としていた。
* * *
左の階段を降りた先が、目的の地下牢獄だった。
再侵攻の前に、一行は城門まで戻り、破損した弓を抱えた結をエレネたちに託した。そして再び城に侵攻を開始し、当初の目的地である地下牢獄に到達したのだ。
しかし戦いは想像以上に難航を極める。主に――運の戦いである。牢屋番はダークエルフの剣士。姿を見せるたびに胸を高鳴らせたが、腰に巻かれている帯は必ずしも黒とは限らなかった。白帯を締めていたり、時には茶帯だったり。
結局、『流麗なる絹の黒帯』はレアモンスターからのレアドロップ。前衛全員分を揃えるには、幾度となくここへ通うことになるのだった――そして、それはまた、別のお話である。
* * *
――火星の衛星フォボス。
監視者D 「先輩……やりましたね?」
監視者C「……え?なんのことかいな?」
監視者D 「AさんやBさんにバレたら怒られますよ?」
監視者C「プレイヤーに敬意を払えって言われとるやろ?たまには楽しませんとな」
監視者D 「楽しんでるの先輩の方じゃないですか?」
監視者C「へへ……内緒やで」
(おわり)
――第三十一話あとがき
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次回の『マジチー』第三十二話は少し変則ですが、今週金曜日のお昼頃に投稿予定です。
カグちゃんがまた何かやらかすらしいわよ?
ぜひ続きも読んでいただければ嬉しいです。
もし少しでも「面白かった」と思ってくださったなら、ブクマやポイントで応援していただけると、とても励みになります。
……それにしても。
ケンタの説明では「ユニコーンに乗ればすぐに城に着ける」ってことだったんです。
ところが――いざクエストを受けようとしたら、既婚者は乗せないですって。
……失礼にもほどがありますわ!(ぷんすか)
――エレネ




